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社員寮の男(2)


 社員寮の近くにはスーパーが三軒ある。

 寮から一番近いのは、業務用の冷凍食品や輸入缶詰を並べている店。駅前にある小規模の食品スーパーは安いが通路が狭く、混んでいると人によくぶつかった。だが駅の反対側を少し歩くと、まだ新しいショッピングモールの地下に広いスーパーがある。


 休日の買い物で、男がそのスーパーをうろうろしていたとき、果物売り場で、スーパー銭湯で会ったあのひょろ長い手足をみつけた。果物が並んだ台を前にじっと立っている。


 ぶしつけだと思ったが、気になって、つい眺めてしまった。ひょろ長い手足の上の顔が、真剣な表情でイチゴをみつめていたかと思うと、急にすばやい動きをした。イチゴのパックをひとつ籠に入れる。と思うと、籠の中のイチゴをじっと眺めている。

 そしてまたすばやくイチゴを台に戻した。


 理由もわからないまま、見てはいけないようなものを見てしまったような気がして、男は生鮮売り場から酒売り場へ回った。ビール缶とレギュラーコーヒーをカゴに入れ、レジに並ぶと、ふっと横を向いたときにまたあの手足が視界に入った。その手が握るカゴの中身に反射的に眼がいった。バナナが入っていた。顔をあげると一瞬眼があった。かすかに、会釈されたような気がしたが、気のせいなのだろう。


 レジを抜けると、ショッピングモールの電気屋をぶらぶらして、外に出た。横断歩道のない道路を横切ったとき、またもあの長い手足をみつけた。ひとりで喋りながら歩いているが、電話中らしい。また同じ方向へ歩いていく、と思ったとたん、長い手足は横にそれて道沿いの建物に入っていった。

 猫除けだろうか、水を入れたペットボトルが何も植えていない花壇にそってぐるりと立っている。建物はワンルームマンションに似ていたが、エントランスの様子になんだか見慣れた雰囲気があった。みるとオレンジ色のタイルに銀色のプレートが打ちつけられて、男も知っている大手製造メーカーの寮と刻まれていた。


 そういえば、男の会社にかぎらず、この駅の周辺は社員寮が多いらしい。国道沿いに大きな工場が建っているからそのせいか。中堅メーカーの名前を冠した建物もあるし、土曜日なのに機械の音が響く、印刷関係らしき小さな作業場もあった。一駅しか離れていない、男の会社の最寄り駅周辺の洒落たイメージとちがって、庶民的といえば庶民的だし、垢ぬけていないといえばそうだ。


 その夜は会社もないのに、また階段と坂道をのぼりくだりして歩き、タオル持参でスーパー銭湯に行った。

 週末なのでいつもより混んでいた。券売機の前で、回数券を買おうかと男はすこし迷い、結局ふつうの券を買った。岩盤浴も今日は人がたくさんいて、空いている区画をさがし、タオルを敷く。薄暗い通路をだれかが歩くたびに仕切りの布がゆらゆら揺れた。じんわり汗をかきながらどのくらい横になっていたのか、もう出ようと立ち上がったとたん、仕切りの布がゆれて、ほぼ同時に通路に出てきたのはまた、あのひょろ長い手足だった。


 薄暗い空間で、たしかに眼があった――と思った。更衣室をぬけて作務衣を脱ぎ、大浴場でシャワーを浴びてから露天風呂へ入った。湯けむりのなかで、ひょろ長い手足がみえないことに、すこし安心して、すこし残念な気がした。大声で話している年寄りたちがいる。耳が遠いのだろうか。ふとひょろ長い手足の上につながる裸の背中を想像して、居心地が悪くなった。


 だから靴のロッカーで、その手足を折り曲げるようにしてサンダルを引っ張り出している背中を見た時は、一瞬赤面するところだった。男が靴を履いて立ち上がると、その長い手足も立ち上がったところで、今度ははっきりと眼が合い、どちらからともなく会釈した。


「ああ、漫画、すいません」

 と、人懐こい声がいった。

「いや、べつに……」

 なんと返せばいいかわからず、男はそういった。外に出るとどちらの足も同じ方角に向かっている。

「こっちなんですか」と、隣の男はひょろ長い手足をすこしゆっくり動かしている。

「会社の寮があって。先月転勤してきたんです」

 答えるとすぐに「ぼくも独身寮ですよ」と返された。

「このあたり、多いんですかね」

「そうらしいですね」


 坂道をのぼっていくと、低い住宅街の上に空がひらけた。遠くで電車の音が響き、さらに遠くで救急車のサイレンが鳴った。ちかちかと星がまたたいた。

「あの風呂、いいでしょう」と、隣の男がいう。

「設備のわりに安いですね。回数券を買ったらもっと安くなるのかな」

「食事処も悪くないですよ。風呂あがってビールなら、飲み屋で飲むより気楽だし」


 たしかに悪くなさそうだった。そのまま道を下っていった先の方で別れた。夜道のなかで川が光って、長い手足がそのへりを歩いていく。




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