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霧雨の降る街

 それは夢か幻か。それともどこかで見た記憶か。

 愛花には分からなかった。ただひとつ確かなことは、ここがつい数秒前までいた病室ではないということだけだ。

 何と言うか――知っているようで知らない街。夢を見ているときによくある感覚だった。見たことがある風景を、コラージュみたいに切っては貼り切っては貼り、そうやってできた街に、愛花は立っていた。

 霧雨が降っていた。

 細かな霧状の雨粒が、愛花の美しいストレートの髪に降り注ぐ。

 何となく通ったことがあるような気がする道を抜け、昔遊んだような記憶が朧げな橋を渡り、幼い頃転んで怪我をした覚えがあるような無いような公園を通り過ぎた。

 そして、愛花は記憶にない広場に着いた。

 大きな噴水をぐるりと囲った広場。

 そこに彼はいた。背が高く、黒いロングコートがよく似合ったその男もまた、愛花の記憶にはない人物だ。


「こんにちは、お嬢さん」


 黒いハットを頭から外し胸に当て、男は軽く会釈をする。

 愛花はその動作に驚いで身じろぎした。しかし口調はとても優しく、安心感を与えるものだったので、愛花が次の第一声を出すのにさほど勇気はいらなかった。


「おじさん、誰?」


 見た目二十代前半のその男に「おじさん」と言ってしまうくらいに、愛花は子供だった。そしてその子供の問いに男は微笑み、答える。


「僕には名前が無いんだ。もし呼び名に困るなら、お嬢さんの好きに呼ぶといい」


 霧雨が冷たい。が、雨宿りをするほどの降りではなかった。


「じゃあ、キリサメ」


 愛花の声は噴水の音に掻き消されそうだったが、男の耳にはちゃんと届いていた。


「いい名前だ」


 愛花は少し照れてキリサメから目を逸らした。

 生き物の気配が全くない、その街に響き渡る霧雨の細かい音は、愛花の恥じらいを間もなく掻き消した。愛花はその現実味のある雨音を聞いて、自分の身の上を思い出した。その表情の変化は分かりやすかった。少し離れたキリサメから見ても。


「愛花ちゃん。何かあったのかい?」


 とても真っ直ぐな質問だったが、それは愛花にとって最も優しい問い方だった。気を遣われ、はぐらかされる方がよっぽど辛いのだ。だから愛花も真っ直ぐに答えた。


「実は私、病気を患っていて、半年後には死んでしまうの」


 キリサメは、「そうか」と言って、頷いた。驚く様子は無かった。かといって、無下にする様子でもなかった。その表情は、ずっと穏やかだった。


「なんで驚かないの? 私だったらこんな話を聞いたら失神しちゃう」


 愛花は尋ねた。キリサメは困った顔をして、やがてまた穏やかな顔に戻り、言った。


「知っていたからさ。愛花ちゃんの余命が幾ばくも無いことは」


「なんで? なんで知っているの?」


 愛花は長いスカートをぎゅっと掴みながら訊く。


「僕は君の心の中にいるんだ。君のことは大抵分かっているつもりさ」


 キリサメに名乗っていないのに、自分の名前を知っていたことを、愛花は思い出した。

 分からない。キリサメが何なのか。ここがどこなのか。

 愛花はそういう顔をした。

 しかしすぐに分かった。

――ここは私の夢みたいなところなのかもしれない。心の中を映した世界なのかもしれない。私の世界。素敵な世界。


「その通り」


 キリサメは愛花の思考を読んだかのように言った。そして、少し嬉しそうな愛花に向かって、もう一度柔らかな声色で声を掛けた。


「半年間、後悔せずに歩くんだよ」


「私、歩けないよ」


「……喩えさ」

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