初雪探し
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
いやあ、いきなし寒くなってねえ、ここのところ。低気圧も近づいているみたいだし、天気も下り坂だ。こんな日には鍋料理でもつついて、のんびりするに限る。
鍋で湯を沸かす。土器が開発されてから、今に至るまで採用され続けている、伝統的な調理法のひとつ。道具、技術、それの扱い方、いずれもが高いレベルを目指して進歩を繰り返し、私たちの暮らしを支えてきてくれた。
そしてこの三つの技術は、何も一本の筋を真っすぐ通ってきたとは限らない。途中、地域や育ちによっていくらでも枝分かれし、独自の効能を見出したケースだって存在する。
どうだい? 身体を温めついでに、その話のうちのひとつを聞いてみないか?
その山間の地域では、昔から降雪量が非常に多かった。冬場になると、たいていの者は外に出るのを面倒がり、飲み水に関しては雪を溶かして確保することも珍しくなかったとか。
現代でこそ、降雪は汚いものとして認識されることが多い。だが、当時は空気汚染の話など出てこない時期。加えて、人間に生来備わっている免疫機能もさほど衰えていなかったと見られ、ちょっとやそっとの汚れで神経質に体調を崩してしまうこともなかったそうだ。
そこでは冬が近づくと、村人総出で行うことがある。初雪探しだ。
初なす、初鮭、初鰹……好まれる初物はたくさんあり、この地域では今年最初の雪こそが、珍重されるものだったんだ。
去年から残っている雪と、どうやって区別をすればいいのか。それに関しては、色が重要なのだ。去年までの雪に比べ、初雪は虹が糸となって表面に張ったような五色に輝いているのだという。これを家に持ち帰って、各々鍋ものの水に使う。
雪を溶かしたお湯にたっぷり浸った魚、豆腐、葉のものを家族で囲んでいただく。それがこの地域における冬の始まりなのだとか。だが歳を経ると、いつも大勢で鍋をつつける環境にあるとは限らない。
その年、流行り病で家族を亡くし、唯一生き残った彼は、初雪探しに出かけていた。歳は十三を少し過ぎたところ。親に付き添って何度か雪探しをしたことがあったものの、これまではそう山深くへ入らないうちに、見つけることができた。
しかし、慣れない身支度で時間を取られた彼は、周りの者に後れをとってしまう。これまでは、母親がすべて繕ってくれていたもの。それが自分一人でこしらえるとなると、こんなにてこずるとは。
ようやく外へ出て、去年まで父親と探した場所を丹念に探る。父親は初雪が降る所を探すのが上手く、木や岩の影の暖まりきらない土の上でよく雪を見つけていた。だが今回、彼が同じところを調べても、雪はこそりとも残っていなかったんだ。
他の大人たちが先んじて見つけ、持って行ったのだろう。別にいじわるを企んだわけじゃない。毎年の大切な役目、それをしっかり果たすべき動いただけの話だ。少年が行き慣れた場所は、もうどこも雪は残っていなかった。
すでに陽は西に傾きかけている。慣れた者でも、夜の山は危険だ。早急に戻るべきだったが、彼の中ではこれ以上時間をかけると、いよいよ雪が本当に見つからないのでは、という不安があったんだ。
他の皆に、もっと持っていかれる可能性は、もちろんある。だがそれ以上に、初雪が見つからないということで、唯一生き残ってしまった自分の先に待つのが、不幸しかないことが示される……そんな縁起の悪さを覚えてしまうんだ。
躍起になる彼はまだ自分の踏み入ったことのない、山奥へずんずん進んでいく。夜ならばなおさら雪が目立つはず。これまで何度か見てきた、あの瑠璃色の初雪。見間違うはずがない。そう信じて足を運んだものの、辺りの急激な冷えが、身体と心の熱へ水を差してくる。
夜が更けたがために、増し続ける寒さ。絶えず身震いを欲する全身。もはやどこかの物陰に入り込み、火でも起こしてやり過ごすしかない。彼は枯れ枝を拾い集めながら斜面に沿って登り続け、ようやく夜風をやり過ごせそうな横穴を見つけたんだ。
入ってみて彼は驚く。十数歩ほど進んだところに、あの何度か見たことのある瑠璃色の雪が、ほんのりと敷き詰められていたんだ。穴の奥へ奥へと伸びていく姿は、それそのものが道のよう。
明らかに何者かの手が入っている。念願の雪を間近に見ながらも、彼は素直に喜ぶことができなかった。だがこうしている今も、ぐんぐん穴の中へは風が吹き込んできて、本格的に彼を凍えさせようとしてくる。
急ぎ火おこしにかかる少年。運よく、火がついた時と風の勢いが少し止んだ時が重なり、よい感じに火をあおってくれる。たちまち集めた薪は真っ赤な火に包まれた。でもいざ、食料を調理しようとして、彼は愕然とする。
背嚢に入れて運んでいた水。それの入った竹筒がいつの間にか割れていて、背嚢の中身を濡らしながら、すっかりなくなってしまっていたんだ。よく見ると、背嚢そのものにも、親指が入るほどの穴が空いている。何度か身をかがめた拍子に、枝へ引っ掛けてしまったことがあったけど、その時だったのかもしれない。
水がないことが分かると、とたんに喉へ渇きを覚えた。自分でも信じがたい早さでからからになり、もはやつばを飲み込むことにすら痛みを感じるように。そして彼のすぐ脇には、あの敷き詰められた初雪たち……。
もう我慢ができなかった。彼は申し訳ばかりに手を合わせると、五色に輝く雪を手ですくい、火にかけた鍋の中へとあける。予め熱されていた鍋の上に、小さくよそった雪の姿が留まっていたのは、ほんのわずかな間だけ。あっという間にその姿は溶けていき、瑠璃の色をそのまま散りばめたお湯へと変わっていく。
立ち上る湯気は、これがただの水でないことを示すように、ほのかに甘い香りを醸す。毎年、家族で囲んだ雪鍋の一幕がまぶたの裏に浮かんでくる。彼は食材を煮込む手間すら惜しみ、持ってきた木のさじでお湯をすくってしまった。
さじを口元に持ってくる。鍋より量が少なくなっても、湯気の勢いは衰えることを知らず。よせて分かる鼻腔をくすぐる匂い。例年にないその甘さに、ひょっとすると今顔を垂れ落ちているのは汗ではなく、砂糖なのではないかと錯覚してしまうほど。
たまらず、口に含んだ。嗅いだ時の想定以上に、味もまたとろけてしまいそうだった。これまで以上の甘さに、次々とさじを鍋につけ、口へ運んでいく彼だったが
「――小僧。このようなところで何をしている?」
突然、洞穴の出口から声を掛けられる。見ると、笠と蓑を身に着けた壮年と思しき男性。笠を目深にかぶっていて顔が見えない。
「お前、その食べている雪、自分で見つけたものではないな。早くこの場を離れろ。もうすでに、雪の本来の持ち主に感づかれておるぞ」
男の言葉と共に、背中を向けている穴の奥から「さくっ」と、何かを掘る音が聞こえた。少年はたき火の中から、火のついた長い枝を選び、掴んで奥へかざしてみる。
さして強い光ではなく、遠くまで見渡せるものじゃない。たださくっ、さくっと音が大きくなってくるのは確かだった。「早くしろ」と男性は促しつつも、逃げる様子を見せない。
やがて火の照る範囲に、姿を現したもの。それは雪の上に残る、三つ又の足跡のみ。その上へ当然伴うべき、身体が見えなかった。ぐいっと、少年が男に腕を取られるのと、雪の上をこちらへ向かってくる足跡が一気に加速したのは、ほぼ同時だった。
洞穴から引きずり出され、ほどなく先ほどまで雪を溶かしていた鍋が、ひとりでにひっくり返り、そののち宙へ舞い上がった。洞穴の天井に叩きつけられ、鍋は粉々に。その破片のいくつかが完全に落ち切らないまま宙へとどまり、少年のいる方へ投げつけられる。
もうここへは来るなと、厄介者を追い出すかのように。
「お前、自分の手で初雪を見つける意味、知らずに育ったのか?」
明かりひとつない夜道。男性は変わらず少年の手を引き、先へ進んでいく。その歩みにはいささかの澱みもなく、少年もつまづかずについていくことができた。
「初雪はな、冬に許される死者の帰還の証なのだ。盆と同じでな、先祖代々の魂が地上を恋しく思って帰ってくる。その縁がつながれば、おのずと雪が見つかるのだ」
「で、でも、僕の家族はもう死んでしまっていて……その話が本当なら見つからないのはおかしいんじゃ……」
「お前、家族を亡くして時が経っておらぬだろう。まだ家族は向こうにおらぬ。お前の後ろに控えている」
えっ、と後ろを振り返っても、追い越しては離れていく木立が並ぶばかり。人の姿などみじんも見えない。
「言ったであろう。この世を恋しく思えばこそ、雪が見つかると。まだ皆はこちらにいる。お前がひとりで生きていけるか、心配でたまらずにいる。
無理に焦らないことだ。いずれお前は、亡くした誰よりも長くこの地に生きることになる。その姿に皆が安心したならば、やがて初雪は見つかろう」
男性が足を止める。少年が目を凝らすと、そこは自分の暮らす村。つい先ほどまで自分の知らない道を通っていたと思っていたのに。
もうひとりで大丈夫だな? と踵を返そうとする男性に、少年は尋ねる。あの穴の中の者は何かと。
「あれはお前たちに分かるようにいえば、『未練』そのものだ。他人の縁を奪ってまで、この世にしがみつこうとする者たち。叶わぬ夢を追い続けたもののなれの果てだ。もはやつながれないというのに、望みを捨てられないのだ」
やがて少年は数年後から、自分の初雪を手にするようになるけど、かの男性には二度と会うことはなかったという。