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1 妹の様子がちょっとおかしい

 ある日突然、僕の日常は崩壊した。

 仕事を終え、終電に揺られて2時間のボロアパートに帰ってきた僕は、何の気なしにつけたテレビが告げる世界の終わりを、ただ茫然と眺めていた。


「おお、なんか大変なことになってるな」


 スマホを取り出し、SNSで情報を得ようと思ったら圏外だった。きょうび圏外なんて表示を見るとは。

 さて、どうしたものか。駅からの帰り道では特に見かけなかったけど、外ではゾンビが着々と数を増やしているらしいし、ここで大人しくしていたほうが得策かな。幸い、籠城の備えはある。


 ドンっ、ドンっ……。


「!?」


 そんなことを考えていたら僕の家のドアが乱暴に叩かれ、思わず身を竦ませた。

 今どき信じられないくらい薄っぺらな僕の家のドアなんて、映画やゲームで見るようなゾンビの前ではウエハースみたいなものだろう。どうしたもんか、逃げる? どこへ?


 あんまり深く悩まない性質なので、それなりに決断は早かった。

 僕は押入れの中からキャンプ用のマチェットを取り出し、鞘から抜く。人間相手に使ったことはないけれど、殺傷能力は十分だろう。


「さあ、こっちの準備はできたぞ……」


 僕がドアに向き直ると、ドアノブについている鍵が静かに回った。

 鍵を開けた!?


「もう、居ないの?」


 僕の家の合鍵を持っているのはひとりしかいない。

 今年の春、高校を卒業して大学生になったばかりの僕の妹。


 果たして、ドアを開けて姿を見せたのは間違いなく僕の妹だった。

 ただし、変わり果てた姿の――。


    ・     ・     ・     ・


「いやあ、私も何がどうなったのかさっぱりなんだよね」


 しまい損ねたこたつにさっそく潜り込んだ妹は、生乾きの血をまき散らす頭を掻きながらあっけらかんと笑った。


「いや、お前……それ、大丈夫なのか」


 向かいに座った僕は絶句を通り越し、妙に冷静になった頭で妹を眺めた。


「どうだろ? 少なくとも体はだいじょばないっぽいよね」


 言いながら自分の体を見回す。

 僕に似ず、それなりに整った顔は半分以上が生乾きの血にまみれ、その顔色は尋常じゃなく悪い。敗れた服から覗く肩口は痛々しくえぐれているし、チャームポイントと自称して憚らない大きな両目は充血して血の中に瞳が浮いているようにさえ見える。


 だけど、それでも、そんな姿だからこそ生前と変わらない振る舞いが際立つ。その一挙手一投足が、紛れもなく僕の妹であると示している。


「まあ、とりあえず襲ってこないなら良いか」

「お兄ちゃんのその意味不明な割り切り、ホントすこ」


 顔の横で両手を合わせ、にっこりと笑う。


「はいはい。とりあえず僕は死ぬほど眠いし、それ以前に腹ペコだから飯にするけど、お前は?」

「私もお腹ペコペコー」


 それは大丈夫なんだろうか。状況的にちょっと心配なんだが……。

 まあ、僕は努めて考えないようにして、薬缶に水を注いだ。まだ水道から水は出る。コンロに載せたらガスも出る。っていうか、この家プロパンだった。ド田舎で助かったよ。


「カップ麺、どれにする」

「お兄ちゃん、自炊できるじゃん」

「毎日終電で帰ってきて飯作れるほど元気じゃねぇよ……学生と一緒にすんな」

「へー。じゃあ私カレーラーメンが良い」


 だと思った。妹はカップ麺といえばカレーラーメンだ。僕はあのよくわからない乾燥タマネギが大嫌いだが、妹は大好物だという。僕は自分のシーフードラーメンと妹のカレーラーメンを取り出し、湯を注いでこたつの上に載せる。


「いただきます」

「だから、早ぇよ」


 妹はいつも3分待てない。「だって硬めのほうが好きなんだもん」とか言っているが、普通に堪え性がない。いつも1分半くらで蓋を開け、半ば塊のままの麺をぞばぞばと啜っていく。


 呑み込むようにカレーラーメンを平らげると、満足そうに腹を撫でる。僕が食べ始めるより早いんだから信じられない。


「漫画見してね」

「汚すなよ。ってか、血を拭け。あまりにもナチュラルにしてるから忘れてた」

「そう言えばそっか。お風呂……はゼータクか。濡れタオルで済まそ。要らないタオルある?」

「ねぇよ。好きなの使え」

「はぁい」


 言うが早いか立ち上がり、勢い良くシャツを脱ぎ捨てるので思わず啜りかけの麺を噴き出した。


「洗面所で脱げっていつも言ってるだろ!」

「えー、別に良いじゃん」


 外したブラをひらひらさせながら妹は口をとがらせる。幼稚園児の帽子くらいあるそれをむやみやたらに振り回すんじゃない。


 妹は典型的な栄養を胸に吸われているタイプなので、頭の中身に反比例して立派な発育をしている。身内だから特にこれといって元気になったりはしないけど、見ていて冷や冷やする。お前、よくそれで無事に高校生活送れたな……。


「はあ、なんだかすげぇ疲れた。僕はもう寝る」

「ん、おやすみ。私どこで寝れば良い?」

「布団敷いとくからそこで寝な。僕は寝袋出す」

「りょーかい。ごめんね?」

「半分趣味みたいなもんだから気にすんな。早く体を拭いて寝ろ」


 僕はこたつを部屋の隅に押しやり、押入れからせんべい布団と寝袋を取り出すと、ついでに押し入れの中身を確認した。


 備蓄食料と水が1週間分。テントが1組と飯盒のセット。マチェット、手斧、鋸、メタルマッチ、サバイバルナイフが様々なサイズで5本。LEDランタン、ガスバーナーと燃料が5缶。あとは応急処置のキットが少し。これだけあればしばらく生きていけるだろう。事実、僕はこの装備でしょっちゅう山に籠っている。


「それでもふたり分となると話は別だ。明日辺り、ちょっと様子を見に行くか」


 僕は独り言ち、寝袋をキッチンに広げてすぐさま泥のような眠りに引き込まれた。


     ・     ・     ・     ・


 翌朝、キッチンの窓から差し込む朝日で目が覚めた。時計を見ると6時。

 寝袋から這い出し、静かに居間の引き戸を開けると、妹はもう目を覚ましていた。


「おはよう、早いな」

「うん。お兄ちゃんはよく眠れた?」

「寝れた。ちょっと外の様子を見てくるけど、どうする?」

「私も行く。着替えも欲しいし」


 そう言って、ゴミ袋に詰め込まれた血まみれの下着類を指差す。シャツやズボンくらいなら僕のを着れば良いけど、さすがに下着の替えはない。今は仕方なく、新品のボクサーパンツを穿いている有様だ。


「ああ、確かに。他にもこまごま必要なもんあるだろうし、ひとりで残しとくよりは一緒に行ったほうが良いか」


 案外、ひと晩経ったらいつも通りなんてのを心のどこかで期待していたけど、そんなことは全然なかった。

 妹は相変わらずゾンビだし、住み慣れた町はこの世の終わりのように荒れ果てていた。むしろたったひと晩でよくもここまで荒れ果てたもんだと感心すらする。


「うへぇ、思ったより世紀末してんな」

「むしろ新世紀だけどね」


 まあ、確かに。


 そんなくだらない会話をしながら、近所のスーパーまで歩く。このスーパーは田舎にありがちな複合商店で、2階は激安の衣料品チェーン店が入っている。食品類を扱う1階は外から見ても惨憺たる有様だったけど、2階はざっと見た限りそれほど荒れていない。


「うわあ、映画みたい」

「だな。僕たちが寝てる間に本格的な略奪とかあったみたいだ」


 衣類はあんまり重要じゃなかったのか、2階は略奪の後というよりは大パニックの後といった感じだ。あちこちでマネキンやらスタンドやらが倒れ、ワゴンの中身なんかが床に散乱している。


「誰もいない感じ?」

「パッと見はな。別に安全なわけじゃないから気を付けろよ」

「はぁい」


 妹は僕が渡したナイフを腰に提げ、ぶらぶらと店内を物色し始めた。まるで日常のショッピングと変わらないその肝の太さにはつくづく舌を巻く。


 僕はといえば、2階の窓から外の様子を伺った。


 町のあちこちから黒煙が上り、道端には乗り捨てられた車が玉突き事故を起こしていて、完全に塞がってしまっている道もある。そして、居た。


 やたら顔色が悪く、ボロボロの服を着て、ふらふらと歩いているゾンビ。妹とは違い、その動きに人間の意思なんてものはまったく感じられない。やっぱり、妹の状態は異常なんだと再認識した。


「あー、この店、ブラがFカップまでしかないー」


 そんなことを考えている僕の耳に、店の奥から妹の非常識な嘆きが飛び込んでくる。僕は眉間を押さえながら溜息を吐いた。


「普通それだけ揃ってれば十分だろ……お前が合わせろ」

「えぇ!? 嫌だなぁ、キツいし」


 妹はぶつくさ言いながら、比較的サイズに融通が利きそうなデザインのブラを物色し始めた。御苦労なことだ。


 ポケットに手を入れ、タバコを取り出そうとして家に忘れてきたことに気が付いた。


「僕は下でタバコ吸ってるから、適当に選んだら降りてこいよ」

「りょーかい」


 レジ横のケースから煙草をまとめて取り出して袋に詰めると、代金をとりあえずレジの上に置いておく。自己満足に過ぎないけど、僕は泥棒になったわけじゃない。


「さぁて、これからどうするかな」


 大きく息を吐き、空に上っていく煙を眺めながら呟く。

 まあ、なるようになるだろう。なるようにしかならないのが人生だ。

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