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の子ソロアルバム『神聖かまってちゃん』感想&レビュー(2013年)

神聖かまってちゃんの中心人物「の子」の初ソロアルバム。の子がソロで発表するアルバムなのに、アルバムタイトルは「神聖かまってちゃん」。この倒錯、人を喰っているようにしか思えない。


の子が神聖かまってちゃんの曲をセルフカバーした作品だ。バンドメンバーとして椎名杏子(Piano / チーナ)、柴由佳子(Violin / チーナ)、リーダー(G, Syn / チーナ)、林絵里(Contrabass / チーナ)、後藤大樹(Dr / ex. andymori)、小宮山純平(Dr / MAGICAL CHAIN CLUB BAND、ex. cutman-booche)、楢原英介(G / VOLA & THE ORIENTAL MACHINE、YakYakYak)が参加している。


このアルバムは、の子の音楽的な可能性の追求という側面が強いのではないか。

の子はこのアルバムに関する一切の取材を辞退している。

より多く売れるためのプロモーションをしていないのだ。

の子は曲作りは趣味でバンドは金もうけのためにやると露悪的に言っているが、このアルバムに関しては金もうけよりも趣味の側面が強いのではないか。


普通のバンドサウンドになってしまったな、というのが第一印象だった。


神聖かまってちゃん特有のいびつさがない。

「ダサい」「チープ」「グロテスク」なのがかっこいい、神聖かまってちゃんのキッチュな魅力が乏しくなっている。


インパクトがない。

切迫感がない。

の子の歌唱は際立って良いが。

の子の歌唱が世界の真実に肉薄しているのに、

周りのサウンドはどこか悠長だ。


正直に言って、神聖かまってちゃん名義のアルバムの方がずっと好きに思えた。


しかし、このアルバムを聴き込むと別の表情が見えてくる。とにかく美しい。

神聖かまってちゃん名義の楽曲が魔界の泥沼だとすると、このアルバムはそれをメタ視点で浄化して、神聖かまってちゃん名義の楽曲にもあったホーリーな部分を更にふくらませたアルバムになっている。


の子は神聖かまってちゃんのバンドサウンドでは出せない神聖さを違うバンドで追及してみたかったのだと思うのだが、どうだろう?


この機会に自分の神聖かまってちゃん論を書いてみたい。


の子の数々の奇行、2ch・ネットでの自作自演、タブーへ切り込んでいく無謀にも思える姿勢は、常識に凝り固まった窮屈な世の中を少しずつ変えていく。

mono、ちばぎん、みさこは、それぞれに輝く個性がありつつ、の子が与える衝撃の良い緩衝材になっている。


神聖かまってちゃんは、ネットでの炎上をロックに結び付け、炎上を繰り返して大きくなったバンドだ。

世の中を見渡せば、大言壮語をはばかり、社会の醜い部分に反抗する姿勢を見せずに、社会の多数派に従順なアーティストばかり。今の世の中は少しの摩擦も嫌っている。


そこに現れたのがの子だ。の子は社会に摩擦を持ちかける。

もちろん、摩擦やごたごたを嫌うアーティストもいてもいい。

でもそういうアーティストばかりだと寂しい。

社会は摩擦がないと成長できない、新しい世界を見れないと思うから。


社会に摩擦を仕掛けるアーティストは他にもいるだろう。だが、神聖かまってちゃんが他のアーティストと違うのは繊細さだ。少しの摩擦で崩れてしまう人一倍の繊細さを持ちつつも、摩擦を果敢にしかけていくの子の姿勢に感動する。


社会に摩擦を起こすの子の衝撃は、神聖かまってちゃんを追いかけている者にとって、ビートルズやピストルズ、ニルヴァーナが時代に出てきた時に彼らのフォロワーが受けた衝撃に匹敵するものがあるのではないか。


ビートルズやピストルズ、ニルヴァーナと違うのは、神聖かまってちゃんが僕らにとってリアルタイムであるということ。インターネット時代の現実を突き貫く衝撃がここにある。


そして、神聖かまってちゃんの魅力は摩擦だけではない。


神聖かまってちゃん名義のアルバムを聴くと、の子の音楽性がいかに稀有で豊かであるかということが確認できる。彼の奔放な言動や大言壮語は確かな音楽性に支えられていることが分かる。


ピストルズの衝撃の上に、ビートルズのような幅広い音楽性、筋肉少女隊などと共通するサブカルの要素、の子の原点であるB'zの大衆性、メッセージの強さを

アンダーグラウンドの地下室で繰り返し実験しながら出来上がったのがの子の音楽である。


それって僕にとって理想で完璧な音楽じゃないか。



いやいや、神聖かまってちゃんは不完全な音楽だ。

何より演奏がチープだし、小綺麗なリア充にはなれない欠落感がある。

しかし、ロックの神を名乗る全能感もあり、不完全だけど、完璧なのが神聖かまってちゃんの音楽なのではないか。

だから、神聖かまってちゃんはいびつで新しいのだ。


だが、このソロアルバムはそのような新しさはない。


本作は演奏がチープではなくゴージャスになり、

欠落感や孤独のようなものも薄くなり、完璧なアルバムになっている。

だからこそ、不完全さが欲しいと思ってしまう。


でも、密度の濃く、リズムも整然とした上手い演奏のもとでの子の曲を聴くと、

歌詞の天才的な詩情やメロディの良さ、の子の歌唱の切実さが浮き彫りになる。

そして、「おっさんの夢」を筆頭に、の子の曲の中で鳴る凛としたピアノと悲しみをたたえつつ麗しいバイオリンはここでも美しい。

一つの可能性に挑戦したの子の姿勢を高く評価したい。


新曲「躁鬱電池メンタル」はかっこ良く、今後の神聖かまってちゃんに期待できる佳作だ。

躁をON、鬱をOFFとして、自分の心を電池に例えながら、今、こうしている間にも過ぎ去っていく夏、団地に住みながらアルバイトしている自分、刃物やナイフを取り出してでも誰かに伝えたい思いを感情豊かに歌っている。

声が裏返る箇所が、鋭利なナイフで心を刺されるように急迫している。


歌詞カードの最後には、メンバー4人の名前がクレジットされている。

神聖かまってちゃんとは、の子自身であり、メンバー4人のことなのだ。

このアルバム『神聖かまってちゃん』が神聖かまってちゃんの理想の形だとするならば、それは寂しすぎる。

の子もソロライブで「かまってちゃんの良さがある」と言っていたように、神聖かまってちゃんの4人ならではの良さで2010年代とその先を駆け抜けていってほしい。


の子と神聖かまってちゃんには本当に期待している。

の子にそう言ったら、「うるせぇ!」と返すだろうけど。

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