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第六話

 私が初めてこの世界に降りたとき、雷鳴が轟いていたのを覚えています。

 この世界の天候において雷迸る荒れ模様は珍しい。私はそう思っていましたが、エルフさんによれば強大な転生者の前触れだそうです。

 エルフさんや骸骨さんは祈るように天を仰ぎ、私にはその理由が分かりませんでしたが、翌日いやというほど思い知らされることになりました。


 黒の帝国に現われた新たな勇者は、私と同じ転生者でした。

 後の調査で判明したことですが、若き勇者はかつて消防士を務め、幾度となく炎から人々を救った英雄でした。その最後は炎に飲まれ非業の死を遂げたとのこと。


 私の目線では帝国は侵略者ですが、帝国からすれば版図を拡大し民を潤わせることは国益です。

 また肥沃な土壌がある私達の国と異なり、帝国本土は寒冷地でやせ細った土地を多く抱えていました。

 私達の国を制することが彼等の悲願だということも、この頃には理解していました。


 立場の違いから相対した勇者は持ち前の水魔術により、私の結界を水の刃でバターのように切り裂きました。

 気を散らしていた私はこの世界に来て初めて掠り傷を負い、なんとか結界を維持して帰宅しました。


 その日は彼と約束をした日でした。

 心配するエルフさんや骸骨をよそに寝室へ飛び込み、鏡の前へと立って、……はたと気付いたのです。


 古い姿見に写っていたのは土と泥と僅かな血で汚れ、目元はひどく落ちくぼみ、ほつれた髪をそのまま放り出した哀れな女の顔だったのです。

 まるで枯れ落ちて腐った花のよう。


 ――こんな姿を見られたくない!


 私は急いで水浴びを行い新しい衣服に袖を通しましたが、その時にはもう深夜を回り約束の時刻を過ぎていました。

 鏡の前でゆっくりと手を伸ばしましたが、その指先が震えて、どうしても鏡を開くことができませんでした。


 ……こんな時間では彼に迷惑かもしれない。

 もう寝ているかもしれない。

 悩んだ末に、話は明日にしようと思い、そのままベッドに突っ伏しました。


 ――嘘です。本当は返事を聞くのが怖かったのです。

 次に鏡を開いてしまえば、それが彼との最後の会話になってしまうかもしれない。

 自分から別れ話を提案しておきながら、その答えを聞くのが途方もなく怖い。


 そうして翌日に持ち越した私ですが、例の勇者は翌日もやってきました。

 やはり苦戦は免れず、国を守る結界こそ破られないものの、じりじりと押し込まれるようになりました。

 そんな私に苦言を呈したのはエルフさんです。


「魔女様。あなた様のお力は、あの程度の勇者に負けるものではありません」

「そうなのですか? でも、今も精一杯で……」

「違います。魔女様は普段、鏡を開くのに力を使いすぎているのです」


 言われて初めて気がつきました。

 私は鏡を開くのに、無意識のうちに多くの力を注いでいたのです。

 彼の姿がもっとよく見えるように。長くお話できるように。

 となれば答えは簡単なこと。


「では。鏡を使わなければ……?」

「魔女様でしたら、あの程度の相手は容易いかと」


 それは見事な口実でした。

 私は勇者との対決を理由に、一日、また一日と鏡を開く時期を先延ばしにしていき、気がつくと一月以上が過ぎてしました。

 エルフさんの言葉通り、鏡を開かず時間をおけば、新たな勇者など二週間もすれば相手にならなくなりました。


 こうなると、もう鏡を開く気力は私にはありませんでした。

 勇者対策のため。

 彼も受験勉強で忙しいし。

 返事を聞いても、どうせ断られる。

 一度死んだ女のことなど、いつまでも考えても仕方ありません。


 幾重もの言い訳を重ね、たくさんの蓋をせっせと被せていくうち、やがて夏が終わり秋風が訪れました。その後もごく稀に転生者が現われ私に挑みましたが、すべて軽くあしらえる程度の相手でした。


 戦いが楽になったのは鏡を使わなくなったから、……という理由もありましが、ひとつ、私には疑問があります。


「エルフさん。……私はどうして、こんなにも強いのですか?」


 私は確かに彼をかばって亡くなりました。しかし転生者の中には先の消防士や救急隊員、警察官など私よりはるかに素晴らしい出自の方もいるようなのです。ですが、私の力はそれらを悉く上回っていたのです。


 エルフさんもその理由は分からないと話します。彼女達が行ったことは、転生者がこの国に誕生して味方になって貰えるよう、祭壇で祈りと多少の魔法を使っただけなのだ、と。

 疑問は残りましたが、原因を突き止める術もありません。


 その間に木枯しも吹き終わり、やがて雪の影がちらつく季節を迎え。

 私はそれでもなお、彼と顔を合わせることはありませんでした。





 豊かな土壌に粉雪が降りしきる、ある日のこと。

 私は骸骨さんから懐かしい質問をされました。


「魔女様、魔女様ッス! 向こうの世界では、クリスマスってのがあるって聞きましたッス!」

「あら、よく知ってますね」


 どうやら私以外の転生者から骸骨さんが小耳に挟んだというのです。

 骸骨さんはこういう細やかな気配りがとても得意な方でした。


「はい! それで魔女様に俺からプレゼントを贈りたいッス! 何がいいッスか?」

「そうですねぇ。……では、なにか可愛い小物が貰えると嬉しいです」


 骸骨さんは薄給らしいので適当に頼んだところ、彼は紐のついた小さな髑髏を持ってきました。細工はとても精巧で、おめめが真っ黒なうえ人間の歯型まで綺麗に掘られた一品もの。彼曰く『お洒落』だそうで。


 勢いで受け取ってしまいましたが、いざ身につけるとなると困りました。

 魔女らしくはありますが、女子力は明らかにダダ下がりです。

 元々いま着ている黒服もどうかと思っていたのですが、エルフさんを始め皆が『魔女の威厳のため』と進めるので仕方なく着ていたりします。

 このうえ髑髏まで付けてしまうと、もはや魔王にしか見えません。


 どうしよう……と手元で遊びながら寝室に戻り、ふと鏡の傍に転がした携帯電話に目をつけました。すでに充電も切れ、ただの置物と化していたそれには、いまも彼のアクセサリが下がっていました。


 ――星形のストラップ。


 あれから月日が経ち、私の中でも少しずつ整理がついたから、でしょうか。

 私はその星形の飾りに指を伸ばし、お洒落だという骸骨を結ぼうとして、……ふと、彼のウサギ型の小物を咎めたことを思い出しました。

 私はカラカラと髑髏を弄り、やはり結ぶことができず机に置いた上で、ひとつ、大きく息を吸いました。


 久しぶりに鏡を開こうと思ったのです。

 あれから半年近くが過ぎていました。

 さすがの彼も諦めがついたはず。

 ……いえ、諦めたのは私の方なのか……。


 鏡の前に立ち、緊張をほぐしながら鏡面をそっとなぞります。

 久しく力を受けた鏡は以前と同じように輝きを増し、ぼんやりと四畳半の世界を照らしていきます。


 そこに彼は、

 ――…………居ませんでした。


 その代わり。

 部屋の中には小さなクリスマスカードと、そして一人の女性を描いたラフスケッチが、イーゼルに立てかけられた姿でこちらを見つめていました。

 その絵は単一の黒の衣服に身を包み、ふんわりと微笑む少女を描いたものでした。


 私、でした。



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