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第五話

 それから二ヶ月ほど経った頃でしょうか。

 私はその日、いつもの食事を殆ど口にできず、エルフさんに心配されました。

 大丈夫ですと告げて寝室に戻り、水を一気に喉へ流し込んですこし気分が悪くなりました。

 鏡の前でなんども深呼吸を行い、三十分ほど時間をかけてようやく通信を始めます。


 鏡を開いて少し驚きます。彼は薄く日焼けをしていました。

 どうやら厳しい受験勉強のさなかに一日だけ気晴らしにプールへ遊びに行ったとのことでした。本来は一泊二日の計画だったそうですが、彼は私に合わせて帰ってきたそうです。

 もちろん遊び相手も男の人限定だと彼は誠実に打ち明けました。


 私はすこし間を置いて、

「柏原さん。可愛い女の子はいましたか?」

「そういう意地悪な質問は止めてください」


 たしかに酷い質問だったかもしれません。

 ですが。


「……真剣なお話、です」


 私は鏡の前に用意した椅子に深く腰掛けました。

 それはもう、私達にとって避けては通れない道でした。


「柏原さん。私はあなたとお話できることを、とても嬉しく感じています。……ですが以前のように、私はあなたの恋人として振る舞っても良いのでしょうか」


 彼は頬を強ばらせ、勉強椅子から腰をあげました。


「もしかして、怒ってますか? 俺がプールに行ったの……でも、俺はそんなつもりは全然! 一緒にいたのは友達だし」

「いいえ。そういう話ではないのです」


 彼のことは私にも分かります。嘘をつく人ではありませんし、義理堅い人です。

 それだけに、痛む胸を押さえてでも、……告げなければなりません。


「あなたは昔、私に触れたいと仰りました。それが恋仲にある普通の男女だと思います。ですがいまの私達は、例えどんなに願っても、指の一つすら触れることは叶いません。私は、言うなれば鏡に映る死者の亡霊です」

「……そんな悲しい言葉を使わないでください」

「でも事実ですから」


 彼はそれから色々と述べました。鏡越しでも構わない。あなたとお会い出来るのが嬉しい、ただそれだけで幸せだと。

 優しさが痛い。

 私は前もって言葉を揃えていたつもりでした。それでも指が震え、ひどく喉が渇きました。

 彼から投げかけられる言葉を無視し、平静を装って冷たい口を開く。


「私はあなたを庇って亡くなりました。もしかしたら、あなたに忘れることができない想いを刻んでしまったかもしれません。……でも、それが重荷になるようでしたら、私のことは忘れて欲しい、と」

「違うんです! 俺は本当に、あなたのことが、ただ好きで」

「では一生、窓越しの女に恋しますか? ――目標とする大学にも行かずに」


 彼がひるんだのを私は見逃しませんでした。

 医学部受験校。帝華大学は少なくとも、彼の実家から通える場所にはありません。

 そして鏡の魔法は、この四畳半の部屋にしか繋がらない。

 なにより、ずっと実家住まいで毎夜のように窓に向かって話をする男など、一般的に考えてもおかしなことなのは誰の目にも明白でしょう。


「私はあなたの重荷になりたくありません。ですので大学への進学は、必ず成し遂げてください。……そこにはおそらく、私より魅力的で、身近なパートナーがいるはずです。……その時は。私のことなど気にせず先へと進んでください」


 口にしながら、胸から見えない血が零れ落ちていくようでした。

 嫌だ。

 離れたくない。

 せっかく彼と奇跡の縁が結べたのに、こんなこと。


 彼が手を広げ、私の返事を拒否します。

「城木さん。……そんな話を、勝手に決めないで下さい。俺だって、それ位のことは考えたことがあります」

「そうですか。それで、具体的に答えはでましたか?」

「それは……」


 彼は口ごもってしまい、それから的外れな言葉を並べました。

 私が図書室でふらふらと本を探し、その指先が面白そうな新刊を見つけた時にふと見せる笑顔が眩しかったこと。

 私がほうじ茶を選んでしまい、思わず赤面させた顔があまりに愛らしかったこと。

 私が凶刃に倒れ伏したとき、その唇が微かに、無事で良かった、と彼に告げていたこと。

 すべて無視していましたが、最後の一言だけは引っかかってしまいました。


「私は……声にしていましたか?」

「はい。それしか、口にしていませんでした。だから本心なのだと思って、とても悲しくて、嬉しかったんです。……あなたの口から、初めて俺のことを聞けた気がして……」


 彼は喉をすり潰すように呟き、小さく項垂れました。

 ――そんなこと。いまになって話すなんて、反則です。

 彼は聞いてしまっていたのです。私の最後の想い。


 私は瞼を閉じて鼻をすすり、それでも。

「柏原さん。一週間後に、またご連絡致します。それまでに考えてください」


 最後の一言を絞り出し、返事を待たず通信をぶちりと切って、疲れたようにベッドに倒れ込みました。


 その日は静寂が耳にうるさくて、何度瞼を閉じても眠れませんでした。

 頭は茹でた鍋のように煮立ち、水をたくさん飲んだのに喉が渇いて寝付けません。

 机に置いた水差しに手を伸ばし、指が滑ってがちゃんと割ってしまいました。刺繍の施された贅沢な絨毯に、硝子と水が染みました。


 ふらふらと水を求めて食堂へ歩いたその時です。

 ふと通りかかった骸骨さんが私を見つけて「わーっ!」と悲鳴をあげました。

 何事かと驚くと、骸骨さんはその骨をカタカタ鳴らしながら猛然と詰め寄り、冷たく優しいその手で私の頬に触れました。


「魔女様、魔女様、どうしたんですか!」

「何がです?」

「お涙が、溢れんばかりに!」


 そのときはじめて、私は自分が泣いていることに気がつきました。

 私服である黒服の袖で何度拭っても止めどなく涙が溢れ、ついには我慢できなくなり地べたに座り込んでしまいました。

 骸骨さんは私が帝国軍に苛められたのだと思い、的外れな励ましを一生懸命に投げかけ背中をさすってくれました。その優しさが彼にすこし似ていて、たまらなく胸が苦しい。


 どんなに取り繕っても誤魔化しようがありません。

 ――彼といたい。

 もっと話をしたい。一緒にいたい。

 罪深いことと理解しつつもそんなことを考えてしまい、私は一週間後という自ら決めた期限を恨めしく思いました。

 否が応でも、そのとき答えを出さなければ、いけない。

 別れの時を、自ら決めてしまったのです。



 それから数日が過ぎても私の心はかき混ぜられた卵のようにぐちゃぐちゃでした。骸骨さんはおろおろと心配し、小鬼さんは私のために手料理を振舞い、エルフさんは私が落ち込んでいる理由を察したようでしたが答えは出せません。


 そして神様は――

 私達が、一週間後に会うことすらも、許してくれませんでした。


 当たり前の話ですが、魔女に強力な転生者がいるように。

 帝国に降り立つ勇者にも、ときに恐るべき転生者が生まれるのです。


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