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第二話

 私が彼を意識したのは、高校の図書室に通い始めて半年が過ぎた頃でした。

 当時の私は図書室でいつも本を開いている面白みのない女だったのですが、ふとした拍子に視線を感じるようになりました。図書室で時々見かける彼でした。

 気になった私は、思い切って声をかけることにしました。


「すいません。私に、なにか?」


 と、彼は途端にしどろもどろになりながら。


「し、城木さん! 俺の、絵のモデルになって貰えませんでしょうかっ!」


 聞けば彼は美術部に属しており、私の絵を描きたいとのこと。私なんかで絵のモデルが務まるかは不安でしたが、彼が是非にと頼み込むので二人で美術室に赴きました。


 ところが絵は一向に完成しません。

 彼は私を前にすると、どうにも手が震えて筆が動かないというのです。


「やはりモデルの外見が悪いせいで手が震えるのでは」

「ちがっ、そ、そうじゃなっ……」


 彼はあわてふためき、私がその理由を尋ねたところ、一週間ほどして彼はようやく打ち明けました。


 私のことが好きです、と。


 ……?

 ……???

 首を傾げずにいられません。


「ひとつ、お伺いしたいのですが。どうして私なのでしょうか」

「え!? それはどういう意味で」

「私より魅力的な女性は、世にたくさんいるのではと思いまして」


 当時の、といいますか今もですが、私は同学年の女性と感性がだいぶズレておりました。

 たとえば会話の最中に「接吻の適正年齢について」という話題が持ち上がったところ「ヤダ城木さん接吻って言いかた古い、キスだよキス! てゆうかチューくらい小学生で当たり前じゃん!」と、言葉の修正及び私の思考のズレを指摘されました。

 私は家柄のせいか、どうにも古風な口癖と思考概念が染みついておりました。そのせいで自分でも、可愛げがないなという自覚があるのです。


 そんな私への告白。

 もしやと思いました。


「これは噂に聞く“カラダ目当て”というものでしょうか。でしたら私は丁重にお断りさせて頂きます」

「え、ち、違っ! 俺は本気で……あ、いやでも、……そう、なのか……?」

「そうなのですか?」

「そ、そうなの、かも? すいません考えてきます!」


 彼は翌日なんと学校を休んでしまい、翌々日に釈明にやってきました。


 彼曰く、

「男の子である以上やっぱり可愛い顔とか胸とかつい目が向いちゃうし、やましい下心がないかと言われれば嘘になるのでカラダ目当てといえば否定はできませんゴメンナサイ。でも貴女のことが好きな気持ちも本当なんです、俺は真剣です!」

 ということでした。

 それから改めて、お付き合いしたいと願われました。


 正直に申し上げますと、……私はなにがなんだか分からず呆然としていました。このように迫られた経験は初めてで、全身が蒸気を吹くヤカンのように火照っていたのを覚えています。

 その戸惑いを彼は拒絶と受け取ったのか、続けてこのように告げました。


「俺、城木さんの言う通りやましい気持ちがない訳じゃないから、えっと、だから! 城木さんが良いというまで絶対に触れませんから!」


 そう。

 彼は許可がなければ手を繋ぐどころか、指一本触れません、と。


 一般的にお付き合いする男女として、距離のありすぎる関係だと理解はしていました。しかし私も慌てていたので、つい、

「では私が許可を出すまで絶対に触れないでください」

 と、彼の条件をあろうことかそのまま了承したのでした。


 迎えた一度目のデートは、なんとも微妙な距離を空けたまま手近なコーヒー店で顔を合わせることになりました。

 彼に案内されたカフェは、過剰にライトアップされたじつに今風のお店でした。

 緊張しながらドアをくぐると、お洒落に精を尽くした世の女性方がネイルを輝かせながらカップを手に取り、携帯を片手に友達と「マジやばい」と何が危ないのか分からないけれどヤバイらしい言葉を盛んに投げ合っておりました。


 カウンターで差し出されたメニュー表には未知の言語がずらりと並んでいて、思わずくらくらしました。

 メニューが理解できないのです。

 モカだの、ラテだの、……マキアート?


 お恥ずかしながら、私はこの時まで澄まし顔で「コーヒーを一杯」と注文すればコーヒーが出てくると思っていました。そもそも私は親の食事方針により、コーヒーを口にしたことがなかったのです。


 とはいえ聞くのは一時の恥、聞かぬは一生の恥。

 今日は初のデートです。ここは教えて貰いましょう。


「柏原さん。こちらのラテとモカとは、一体なにが違うのですか?」

「えっ……えーと。そ、それはですね……………………ご、ごめんなさい……」


 彼はすぐに私の前で格好つけようとしたことを白状し、その話を聞いた私は少しだけほっとしました。

 良かった、分からないのが私だけでなくて。

 そう安堵したのが不味かったのでしょう。店員様からご注文を聞かれ、私はついメニュー表にあった馴染みのものを。


「では、私はほうじ茶で」


 注文して、はたと我に返りました。

 お洒落な若者ご用達カフェにて、ほうじ茶!

 いけません。こんな出涸らしみたいな女性とお付き合いしては、彼が可哀想です。


「柏原さん。別れましょう」

「ええっ!? すいません、次までにラテとモカとか勉強しておくので!」

「いえ、そうではなく、……私のことを嫌いになったのではと」

「何がどうなってそうなったんですか!?」


 私がほうじ茶を頼んだ枯れ草のような女であることを伝えると、彼はそこが良いのだと褒め称えました。私は首を傾げ、かねてからの疑問をぶつけることにしました。


「そもそも私の、どこに好意を……?」


 彼は職員室で起きた、ある事件の話をしました。

 以前、私の友人である女子生徒がプリントを配り忘れて先生に叱責された事があったのですが、よく聞けば原因は先生が指示を忘れていたことだと発覚したのです。

 私は理不尽に叱りつける教師に対し「自分のことを棚にあげ、彼女に責任を押しつけるのは如何かと思います」と正面から切り込んでいた覚えがあります。

 たまたま居合わせた彼はそんな私の横顔に見惚れ、私が友達を安心させようとはにかんだ笑顔に心を奪われたというのです。

 ……そういうもの、なのでしょうか?


 ともあれ、一度目のデートで互いの感性を察したのが功を奏したのでしょう。

 二度目からは背伸びをせず、気楽に行ける場所を相談しました。


 それは公園の一画だとか、人気のない寂れた喫茶店でゆるりと本を読むといった、およそ最近の男女とはかけ離れたものでした。

 また実際のデート中は、会話の八割方を彼が担っていた気がします。

 会話のさなか、彼は時おり不安げに尋ねてきました。


「城木さん。俺の話って、面白い……ですか?」


 私は素直に頷きます。むしろ私こそ面白い話ができず申し訳ない気持ちになり、そのことを謝ると彼はニコニコと笑顔のまま「私と会えるだけで嬉しい」と応えてくれました。

 混じり気のない笑顔に、トクンと胸が心地よく跳ねたのを覚えています。


 ――三度目くらい、だったでしょうか。

 彼からお誘いを受けた前日、気づけば胸が高鳴って眠れない時がありました。


 たわいもないメッセージへの返信を、待ち遠しく感じました。


 互いに『おやすみなさい』のメッセージを送り終えたあとの名残惜しさ。

 ベッドの上で携帯をきゅっと握りしめ、なにとはなくもう一度『おやすみなさい』と打ち込むと、彼からもやっぱり『おやすみなさい』と届いて、互いにじゃれあう猫のように『おやすみなさい』をやり取りしたの覚えています。

 そんな小さな言葉を交わす度に、私のなかにゆっくりと、小さな花のような気持ちが優しく育っていきました。


 ――それは何度目のことだったでしょうか。

 季節が冬から春へと移り変わり、桜の合間から零れるような夕日が私達を照らしていた帰り道のこと。

 子供が母親に手を引かれておうちへと帰る小道にて、彼はすこし緊張しながら私を伺って。


「あの……城木さん」

「はい」


 彼は空を見上げ、大きく息をついてから。


「手を。……繋いでも、いいでしょうか」


 小さな、でも決意に満ちた声でした。


 私は彼を見上げ、彼は私を見ていました。

 唇を固く結んだ男の顔をしていました。

 彼のドキドキが伝わりそうなほどの距離で、私もまた心臓が高鳴っていたことを覚えています。

 たった指ひとつの距離。

 焼き切れそうな程にじれったいやり取りだったかもしれません。

 でも、私達にとっては大切な儀式でした。


 私は手癖で髪をいじり、すこしだけ彼の視線から逃げました。

 そのときには覚悟を決めていたと思います。


 私は静かに「はい」と頷いて。

 彼の言葉に応えてその指先を触れようとした――……と、思います。


 叶うことはありませんでした。


 私の胴に、銀の包丁が突き刺さっていたからです。


 突如現れた通り魔からとっさに彼を庇って倒れ、初めて彼の腕に抱きかかえられた私は、ごく自然に思ったのです。「彼が助かって良かった」と。

 そうして私は魔女として目覚めました。





 ……私は。

 いまになって自覚したのですが、彼に好意を寄せていました。そして彼のことを思うと、申し訳ない気持ちが溢れてくるのです。


 指ひとつ触れさせず、私の気持ち一つ伝えずこの世を去ったこと。

 ――せめて。

 私が別の世界で元気に過ごしていることを伝えたい。

 そう思うのです。





 しかし希望も空しく、エルフさんはなかなか私に報告を上げず、また私も多忙な日々を迎えることになりました。かの黒の帝国が私の結界を破るべく、様々な手を駆使するようになったのです。


 私は強力な魔女でしたが、じつは私の使える魔法はただ一つ、結界を張ることのみでした。

 エルフさんの話によりますと、私はどうやら『人を守る』力を強く受け継いでいるとのことで、結界はその性質を反映してか非常に強固な守りを持つ一方、攻撃する力を一切持ちませんでした。

 私は帝国から身を守ることはできましたが、帝国を追い払う術はなく、戦況は膠着状態に陥っておりました。


 帝国は結界に物理的な衝撃を与えたり、酸を撒いたり、鉄の攻城兵器を撃ち込んだりしました。

 その威力は結界を揺るがす程のものではありませんでしたが、私は念入りに結界を作り直していたため、割と忙しい日々が続きました。


 ――やはり彼との再開なんて、高望み。

 そう思い始めた、ある日のこと。


「あのぉ。魔女様。……これを、プレゼントする、ッス」


 最近仲良くなった骸骨さんが、私に一抱えほどある箱を持ってきました。

 それは厳重に封をされた木箱でした。


「これは?」

「……俺が渡したってことは、親分には言わないで欲しい、ッス」


 ちなみに骸骨さんの親分とはエルフさんのことです。

 彼はエルフさんの部下であり小間使いなのですが、ときどき好き勝手にやってはお叱りを受けています。

 たまに罰として首の骨を取られ、頭蓋骨だけの姿でしょんぼりと広間の隅に置かれていることがありました。


 寝室に戻り箱を開くと、それはくすんだ大きな鏡でした。

 ずいぶんと埃を被っていましたが、外装には高価な銀の装飾が施され、一目でただものではないと分かりました。


 姿見をたてかけ縁を支える銀細工をなぞります。

 私は魔女の力のおかげか大抵のものはすぐ理解できるのですが、不思議とこの鏡だけは鑑別不能でした。

 ただ強い念を送ることで動くと直感し、試してみようと思いました。


 彼。

 鏡に手を触れ、瞼を下ろしてその姿を描きます。

 私よりすこし背が高くて。優しくて、ほのかに臆病だけど繊細で。

 私のワガママを優しく包んでくれる、彼。

 ――大切なひと。


 ふわりと淡い光と熱を感じて瞼を開くと、鏡はいつしか光を取り戻し、そのなかに四畳半の小部屋が映り込んでいました。

 入口はなんだか懐かしく感じる古びた襖と、部屋の隅に押し込まれたベッド。その反対側に勉強机が添えられ、男の子が分厚い本を開いてペンを走らせています。

 赤い書物の表紙には『大学入試/帝華大学(医学部)』と記され、熱を入れて勉強に励む男性の姿に私はしばし言葉を失いました。

 それは彼でした。


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