第一話
彼と数度目のデートを終えた帰り道にて、私はご近所にお住まいの通り魔にぶすりと刺されました。
あふれる血と薄れる意識のなか、彼の声を耳にしながら思ったことは「良かった、彼が刺されなくて」でした。
背中に触れるアスファルトの熱と救急車のサイレンを聞きながら、そのときの私はもう、ここで死ぬのだなと覚悟していた気がします。その予感に間違いはなく、私は齢十七歳でその生涯を終えました。
それから、どれ程の時が過ぎたでしょうか。
ふと目を覚ますと私は黒い魔術服のようなものに身を包み、薄暗い小部屋に横たえられておりました。ぼんやりと天井を見上げる私の傍から、ほのかに人の気配を感じます。顔を向けると耳の尖った麗しい金髪の女性と、骨だけの人間、そして小さな角をもつ小鬼が私を覗き込んでいました。
彼女達(?)は私が身体を起こすと、おお、と驚き、
「魔女様、お目覚めでございますか」
「ほ、本当に魔女様が現われたッス! 親分すごいッス!」
声をあげるお三方を前に、私はただ首を傾げることしかできません。
部屋の外では激しい雷雨が轟き、まるで嵐のようでした。
彼等の話を聞くに、どうやら現世で死を迎えた人間が別世界にて新たな生を受ける、いわゆる異世界転生というものだと知りました。
そういえば目を覚ます前、羽の生えた天使様が何やらお話していた記憶があります。
『己に一切の非がなく、強い情念を持ちながら死を迎えた者よ。あなたに転生、そして第二の人生を与えましょう。そしてあなたの次なる生ですが、前世での高い英雄性を認め、守護の力を……ちょっと、城木恵? あなたのことです。聞いていますか?』
天使様は長々とお話ししていた気がしますが、なにぶん当時の私は出血多量でショック死という一大イベントの最中でした。
ベッドの上で心臓をぐいぐい押され、電気ショックで頭から爪先までびりびりされた挙句、お棺の中でベリーウェルダンに焼かれて大忙しだったのです。
意識がもうろうとしていたのも詮なきこと。世に聞くトラックに轢かれて転生される方々は、じつに強靱な精神力をお持ちだと思います。
こうして気がつくと魔女になっておりました。
……転生時の強引な契約は無効だと、クーリングオフを申請すべきでしょうか?
そもそも『魔女様』という言葉には大変不穏な響きを覚えます。
私のお側にいる耳の長い女性はともかく、骸骨さんや小鬼さんからは、失礼ながら悪役の香りが致します。私はおそるおそる尋ねました。
「あの。失礼ですが、私は魔女になったのですか? 見ての通り私は普通の人間ですし、それに魔女と呼ばれるような悪事に荷担したくはないのですが……」
「いいえ魔女様。私達が望むのは穏やかな生活。どうかご助力を頂けませんか?」
彼女達の話を簡潔にまとめますと、現在私が居るこの白の国は、隣接する黒の大帝国より侵略を受けているとのことでした。
黒の帝国は人間至上主義者であり、骸骨さんや小鬼さんはもとより耳の長いエルフと呼ばれる種族ですら存在を認めない国だとか。
骸骨さんが手関節を床に叩きつけ「我々の骨権を認めるべきッス、筋肉反対ッス!」と主張するあたり相当なものなのでしょう。筋肉がなければ声帯もないと思うのですが不思議です。
とりあえず真偽を確認すべく、私は魔女ぱわーを用いた結界を自身に張り、黒の帝国にお住まいの皇帝様に直接ご面会を申し出ました。
その後の詳細は省きますが、私はかの帝国が放った五十の勇者と五百の衛兵に追われ、慌てて逃げ帰る羽目になりました。帝国はひどい国でした。
帰国した私はエルフさんと骸骨さん、小鬼さんにコトの顛末を告げたのち彼女達に謝り、彼等の住まいである白の国に身を寄せることになります。
こうして私の魔女生活が始まりました。
ここでひとつ朗報です。幸いにして私は、この異世界でも史上最高のおれつえー……失礼、わたしつえー魔女だと判明しました。
エルフさんの話によりますと、この世界では男性の転生者を『勇者』、女性の転生者を『魔女』と呼び、勇者や魔女はこの世界で数百年の寿命を持つうえ、転生前に高い善行を積むほど強い力をもつとのこと。
私は彼を救った英雄性により、とても強い力を持っていました。
とりあえず帝国の侵略が凄かったので、帝国と白の国との間に出入り不能の結界を張りました。
皆さん泣いて喜びました。
帝国は私のことを悪鬼羅刹のように罵りましたが、本国のお城に引きこもっていればそれも全然聞こえません。
かくして国には平和が訪れ、私達は穏やかな暮らしを始めたのでした。
めでたし、めでたし。
……という話は歴史的な事実ですが、それで終わりではありません。
私はたしかに国の最重要人物として大変なもてなしを受けました。
城一番の寝室には豪華すぎて勿体ないほど背の高い天蓋付きのベッドに、一点の曇りもなく磨かれたアンティーク調の家具一式。
濃厚なチョコレート色のテーブルには純白のクロスが丁寧に敷かれ、並ぶ食事は取れたての野菜や鴨肉のスープに、希少な砂糖をふんだんに用いたブリオッシュ。宝石のように眩しい赤ワインを添えてのおもてなし(私は未成年なので遠慮しましたが)。
エルフさんや骸骨さん、小鬼さんをはじめとした皆は、とても優しく明るい方々でした。
生活に不自由はなく、私が申し訳なく思うほど。
ただ。
どことなく、もの寂しさを感じたのも事実でした。
空には眩しいほどの青空が広がり、ぽかぽかとした日だまりのような日々。
……。
ぼんやりとしていた、私の気持ちを見抜かれたのでしょう。
ある日、エルフさんが私にこう尋ねました。
「私達は魔女様のご加護をあまりに受け過ぎています。しかし魔女様に何一つお返しできておりません。なにか、お望みはありませんか?」
そう聞かれて、私はすこし考えて……
いいえ。
本当は考えるまでもありませんでした。
いまの望みは、たった一つ。
「彼に、お会いすることは、できないでしょうか」
彼。
私が亡くなるその時まで、私の手を握ってくれていた、大切な人。
いつも不器用だった私に、それ以上の不器用さで寄り添ってくれた、彼。
エルフさんは深々と頷きました。
「すこし、お時間を頂けませんか」
「できるのですか?」
「わかりません。ですが、調べてみようと思います」
エルフさんはそう応え、静かに退室していきました。
……一度死した身で、彼に会いたい。高望みかもしれません。
ですが、もし以前の世界との交信が叶うのなら。
私の死を悼んでいるであろう彼に、せめて、別の世界で元気にやっていると伝えたい。
そんな想いが……こちらの世界に来てから、静かに。
しかし降り積もる雪のように、私の胸の内に芽生えはじめていたのです。