名前がないから。
男? 男だ。間違い無く男だろう。男らしい女ではない。オネエでもなさそう。綺麗な女性の要素満載な容姿だが、細身のダークスーツの「彼」から、特別、フェロモンは感じられない。
なんていうか中性的。ピュアで中性的。何の加工も飾りもナシで「綺麗」な若い男が、カウンターにもたれ、マティーニのグラスをいじっている。
完全無防備。だいぶ酔いが回っているようだ。薄暗いライトに照らされ、揺れるオリーブをうっとり眺めている。瞳がトロンと眠そう。
これって、ヤバくね? 夜の歌舞伎町でコレはヤバいだろう。お前。一人でフラフラになるまで酔いやがって。何があっても知らんぞ!!!
「これ美味しいですね。も少しおかわりしよっかなぁ。オリーブ抜きで・・・」
なんで抜きなの?お前。
「クップ。ちょっと酔っちゃったかなぁ?」
「だいぶ回っているようですよ。お客様」
マスターだって分かるよこれじゃ。べろんべろんじゃね。
「回ってますかぁ?そうですかぁ。でも、もっといっぱい飲みたい気分。お家じゃ飲めないもん」
おこちゃまか?お前は? 全く一人じゃ歩かせられない。
「こいつにはミネラルウォーターにして下さい」
俺が横に来てやっと気づいたようだ。
「せんぱぁーい」
「お客様はいかがいたしますか?」
「ウーロン茶で」
「はい」
「あー、やっと来た。ずっと待ってたんだよぉ。待たせやがってこのやろう」
「待ったって、せいぜい15分だろう?」
「もっとずっと長かった!」
何言い張ってんだよ。
「長くねえよ。俺の方が先に、そこのボックスで待ってたんだから」
「えー」
俺がゆっくり隣に座ると、こいつはすっかりブウブウ機嫌をそこねている。膨れっ面で頬杖ついた顔は、少年。というより子供。
「いたんですかぁ。先に来ておいて、黙って見ているなんて酷いじゃないですか。意地悪だなぁ。先輩」
「遅れて来ておいて、ロクに人を探しもせず飲み始めるほうがおかしいだろ。しかも、マティーニを水みたいに何杯も」
「だってぇ、喉が渇いてたし、美味しかったんだもん。つーか、遅れました?僕」
「遅れてたよ」
「あー。やだなぁ。やっぱり。アナログの時計って、イマイチ覚えらんない」
「ケータイ見ろよ」
「え?なんですか、それ?」
「携帯する電話機。時間見れるだろ」
「そうなんですか。平成はそこまでいってたんですか。ヤバいなぁ。僕ポケベル持ってきちゃった」
「バカかっ・・・」
「そうかも・・・」
「だいたい、無理なんだぞ。外見も服装も、名前も知らないで待ち合わせなんて!」