三月記
三月のことである。
私の彼氏こと2年2組14番阪上裕二(16)が猫になってしまった。
始まりは月曜日の朝、自転車で彼の家の前まで乗り付けたことだった。
普段通りの朝、彼は私と顔を合わせず、静かに後ろに乗り込む。
挨拶は必要ないと思っている。彼にとって私の自転車に乗る事は当然で、私にとって彼を自転車に乗せる事は当然だったのだ。
お互いに、お互いがいる事が日常であって、日常がなくならない限り、二人は半永久的に関係が続くと、無言で言っているようなものだった。
ところがその日、その日以来、私の自転車の荷台が重くなる事はなかった。
その代わりに、申し訳程度の、バトミントンの羽でも当たったんじゃないかというくらいに軽いゆれがあった。
あれ、と思った私が振り返ると、そこには毛並みのいい黒猫がちょこんと座り込んでいた。
目を見張った。何故だか彼だとわかった。
私が絶句していると、彼はやぁ、と言う代わりに「にゃあ」と鳴いた。
かのひと曰く、
「元より僕は怠慢な人間であった。人の好意に甘んじ、あわよくばそれを利用した。その上に媚びすら与える事を拒み、与えられた愛情にぷいと顔を背けもした。暇になると誰かに絡み、気紛れに人心を惑わした。だがそれは、僕の脆弱な心のなせる業だった。僕は人に嫌われる事を恐れた。馴々しくして軽んじられることを忌避した。僕は人に煙たがられたくないが為に人を煙のようにふり払った。それでいていつも口寂しくなって、誰かにしっかと縋りついた。
それこそが僕の中に潜む獣だった。僕の中の獣とは、気紛れを装った恐怖心だった」
黒猫が小さな赤い口をむにゃむにゃと動かして宣うことを、私は理解できなかった。
よくわからない。よくわからないが、どうして猫なんかになってしまったのだろう。
こうなってしまったら私と手を繋ぐことだってできなくなってしまうのに、なんて、なんて考えなしなんだろう!
「どうして相談もなしに猫になっちゃったの?私のことは思いの外だったの?」
「それもまた僕の惰性なんだ。いいや、面倒だったというのは只の言い訳で、真実は猫になることを君と真剣に話し合うことで、別れ話になるのを恐れたんだよ」
「じゃあ私が嫌いになったんじゃないの?」
私は泣いた。泣きながら彼の肉球をふにふにした。彼の手の平はとても柔らかく、信じがたいほどに小さくなっていた。




