水がめトレーニング
男と兄弟3人がにらみ合っていると、奥からチェン爺が顔を出した。
すると、はっとした表情になり、男の名を呼んだ。
「グエン!」
「お久しぶりです。師匠」
兄弟は顔を見合わせる。
「師匠って、この人お弟子さん?」
思わずリンユーが言った。
グエンはリンユーを一瞥し、
「面影がありますね」
とつぶやく。
何か懐かしむような表情だったが、次第に険しい顔に変わる。
「だが、あの男の血が混ざっていると思うと、虫唾が走る」
「この店はリンの夢だ」
チェン爺が前に歩み出た。
「夢なら私が引き継ぎますよ」
グエンが見下ろしながらそう言う。
「この人とチェン爺って一体……」
サモが彼らのやり取りを見て、そうつぶやいた。
10年以上前、リン、シン、グエン、この3人はチェン爺のもとでカンフーを学ぶ弟子だった。
シンは兄弟の親父の名である。
その中でも一番の使い手はリンだったが、彼女にはある夢があった。
この3人で中華料理屋を開こうという夢だ。
グエンはリンに恋心を抱いていたが、結局シンと結ばれる。
そしてリンが殺される事件が起きた。
グエンは、リンの夢を叶えることの方が大事だと言ったが、シンは復讐を選んだ。
それに激昂したグエンも、自分のやり方でリンの夢を叶えると言って、ここを出て行った。
「あの男は戦うことにしか興味はなかった!」
グエンが殺気を放った。
それを感じ、チェン爺はとっさに身構える。
(くるか!)
しかし、グエンは仕掛けてこない。
かわりにこう言った。
「やはりリンの面影を残す彼女は殺すには忍びないですね。1か月猶予を与えます。その間にここから立ち退いてください。もしそれに逆らえば、次は戦うことになるでしょう」
結局、そう通告しただけでグエンと手下は去っていった。
「どうしよう?」
ソウハが不安げな顔で聞く。
「この店を手放すわけにはいかん。やっと軌道に乗ったかも知れんのじゃ」
チェン爺がそう言い、みなうなずく。
「やっぱりそうよね、やるしかないわ!」
リンユーがみんなの気持ちを代弁した。
「あんなもん返り討ちじゃ。やつはシンを見返すために、リンの夢を追うことに躍起になっているだけじゃ。それでは夢の先にはたどり着けん」
「夢の先?」
サモが問いただす。
「自分が幸福になる、ということじゃ」
兄弟は店を守るために、チェン爺からカンフーを教わることになった。
翌日、中華街界隈の雑貨屋にやって来た。
「各々好きな水がめを買うんじゃ」
店の中で3人は水がめの品定めをする。
ソウハが小声でこう言った。
「漫画で見たことあるよ。これを頭に乗せて移動して、バランス感覚を養うんだ。2人とも小さいのにした方がいいかもよ」
「そんなのバカみたいじゃない。もっとマシな鍛え方があるに決まってるわよ」
そんなことを言いつつ、選んだ水がめを自腹で購入した。
元町中華街駅の近くにある、港の見える丘公園にやって来た。
ここは、坂道を上ると街の眺めが広がる公園である。
「今から水がめを頭に乗せて、公園を移動する。割ったらまた買ってきてもらうからの」
チェン爺がそう言うと、
「ほ、ほんとだった……」
とリンユーが引きつった顔でそう言った。
兄弟は1週間、この訓練を続けた。
早朝水がめを持って公園に来て、それを頭に乗せて落とさないようゆっくりと移動する。
それが終わると、次の一週間では水がめに水を入れて、それをこぼさないよう移動する、というものに変わった。
訓練が終わったある日、店の中でリンユーが愚痴をこぼした。
「あほくさいわね、いい笑いものよ」
すれ違う人に笑われるのが耐えられなくなっていた。
「まともに続けるのはしんどいよな。俺、筋トレって一番苦手だし」
サモも同調する。
ソウハは黙ってそれを聞いている。
「明日はサボってもいいんじゃない?日曜日だし」
リンユーがそう言って、部屋に戻って行った。
「あれ?ソウハは?」
リンユーがソウハがいないことに気付いて、サモに聞いた。
「いや、知らないな。そう言えば、水がめがないかも」
「え、もしかして一人で行ったの?」
2人で急いで公園に向かう。
20分後、公園にたどり着くと、一人頭に水がめを乗せて道を進むソウハの姿があった。
ノロノロと亀みたいに遅いが、額は汗でまみれ、必死の表情で坂を上っている。
そこからは、ソウハの意地が伝わって来た。
「サモ、前言撤回するわ」
「俺も」
その日も3人で公園内3周、という訓練をやり遂げた。
「基礎訓練は昨日で終わりじゃ」
チェン爺が店の中で3人に告げる。
「やった!これで本格的にカンフーを教えてくれるのね」
リンユーが喜びの声を上げた。
「お前たちに教えるのは、気功法じゃ」
「え?」
3人ともキョトン、とする。
チェン爺が両手を合わせ、おもぐろにサモの足に触れた。
「足つった!」
と声をあげて、地面に転がった。
「今、サモに対して気功で攻撃をした」
「……爺ちゃん、冗談でしょ?」
ソウハが言う。
「サモ、起きろ。3人とも目をつぶれ。もう気を扱うことができるはずじゃ」
言われるがまま、3人は目をつぶった。
「頭に水がめを乗せたイメージができているはずじゃ。これが、気を入れる器じゃ」
「!?」
チェン爺に言われた通りのイメージが、3人の頭の中に出来上がっていた。
「今から気を練る方法を教える」