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第4章「言祝ぎ」(19)

 数百に及ぶ燭蝋が、大広間の高い天蓋を埋め尽くしている。

 それらが楽団が奏でる楽の音に合わせてゆらゆらと揺れる様は、あたかも天井が輝く波で満たされているように見えた。光の水面の下は、華やかなさざめきが揺蕩(たゆた)う。

 諸侯らの座る長い食卓は五列とも全て、純白の布と藍地に金糸で刺繍を施した布が掛けられ、美しい生花と料理とで飾られた。

 中央の卓の正面奥に王と王妃、左右にファルシオン、エアリディアルの為の席があり、続いて四大公の席が設けられているが、三人の公爵が既に席に着いている中、西方公の席は一つ、空席だった。

 用意されたその空席が、不在を――離反を一層際立たせるように思え、アスタロトは正面の空席から視線を逸らせた。

 四大公の席の隣には明日、王に就いて西海へ赴く隊士達の為に、王の席近くに席が設けられている。

 近衛師団総将アヴァロンの席はまだ空席だが、第三大隊大将セルファンや揮下の隊士達は既に着座していた。

(アヴァロンは王と一緒に来るんだろう。ファルシオンには――レオアリスが付いて)

 もうすぐ、広間の奥にある大階段上の居城に続く扉から、王が姿を現わす。ファルシオンと、レオアリスも。

 アスタロトは階の上に引き寄せられている視線を、引き剥がした。

 その拍子に隣の卓の斜め向かいに座っていたブラフォードと視線が合い、ブラフォードは彼女の視線を逆に辿って、薄く笑った。

 アスタロトがさっと頬を張り詰めさせた時、大広間に高らかに喇叭の音が響き渡った。両開きの扉の前に控えていた近衛師団隊士が進み出て、王の出座を告げる。

 列席の諸侯が一斉に席を立つ。衣擦れの音が微かな余韻を引いた。

 扉が開き、傍らに王妃を、すぐ後方に近衛師団総将アヴァロンを従えた王が、まずは張り出した(てすり)の前に立った。傍らに王太子ファルシオンが並び、王妃と王女エアリディアルはやや後ろに控えている。

 立ち上がったアスタロトから、見下ろす王の姿の後ろ、壁際にアヴァロンと並んで控えるレオアリスの姿が見えた。礼典用の軍服を纏い王家の後ろに控える様はまるで、次代の近衛師団総将が誰か、明確に示しているかのようだ。

 誇らしさと、胸の奥をぐっと掴まれるような息苦しさを感じた。



 王を讃える声と拍手が鳴り響き、大広間を埋める。

 王は束の間、黙ってその黄金の瞳を、大広間を埋める列席者達に向けていた。

 その時間がやや長く――、拍手と歓声の中に困惑に近い感情が、微かに混じり始めた。

 ファルシオンが父王を見上げる。

「陛下――?」と、王妃の呼ぶ声がそっと掛けられる。

 レオアリスは王の背を見つめた。

 唐突に、自分の鼓動が万雷の拍手を貫いて聞こえた。

 ここから見ると王の姿は、天井から釣り下がる幾百もの燭蝋の光に包まれ、レオアリスが立っている場所とは違う世界にいるようだ。

 鼓動が響く。

(何だ)

 王は何故、黙っているのだろう。

 階下に居並ぶ諸侯に、この華やかな平穏に満ちた空間に、何を思って――

「陛下、お進みください」

 アヴァロンがすっと進み出て、王へと階下への階を示す。

 王は諸侯へ向けて右手を上げた。万雷の拍手が、すうっと収まる。

 そこに安堵したような空気があると感じたのは、レオアリスの思い過ごしだっただろうか。

 王は通常と変わった素振りなど欠片もなく、広い階段を大広間へと降りて行く。

 ファルシオンが王の後に付いて階段を降り始め、レオアリスは王妃とエアリディアルが続いて歩き出すのを待って、足を止めていた。

 前を通り過ぎるエアリディアルの瞳が、一度、レオアリスに向けられる。

「――」

 藤色の瞳がどこか、微かに、憂いを帯びて告げて来るようだ。


『陛下の御身を――』


 先月の、ファルシオンの生誕の祝賀で――


 すぐエアリディアルの瞳は伏せるように逸らされ、あの言葉をもう一度王女が思い浮かべたかどうかなど、読み取る事はできなかった。

(――思い過ごしだ)

 自分が勝手に、エアリディアルの瞳の中に疑問を投影しただけだ。

 王はただ、広間の様子を見渡していただけだろう。

 長いと感じたのさえ、ヴィルトールやイリヤの事がある為に、自分が神経質になっているからに過ぎない。

 いや――。だからこそ。

 イリヤの事を想ったからこそ王は、この場の華やかさとの対比を感じていたのかもしれない。

(そうだ、きっと(・・・)

 きっと――?

 まるで希望だ。そうであればいいと。

 心の奥で呟く微かな声を押しやり、何故自分がそう強く願った(・・・)のか、レオアリスはそれを、王のイリヤへの言葉には決して出す事の無い想い故だと、そう考えた。

 階段へ足を向ける。

 大広間へと広い階段を降りる間のほんの一瞬、階下に広がる美しく飾り付けられた空間が、硝子で造られた脆く繊細な、過去の写し絵のように見えた。




「トゥレス大将」

 第二大隊副将キルトは街から吹き上がる風を受けながら、王城を囲む城壁の回廊を、トゥレスへと歩み寄った。高い位置にある回廊は、強い風を受けると体を運ばれそうになって危うい。

 トゥレスは丸く張り出した塔屋の低い壁に左腕を預け、街を眺めているのかすっかり闇に消えた地平を眺めているのか、顔を向けていた。

「よろしいのですか、このような所で」

「祝祭の最後で部下が警護に張りついてんのに、俺が来なくてどうするよ。まあ夜会は顔は出したから、礼を失しちゃいないだろう」

「しかし」

 キルトへ向き直り、トゥレスは口の端を上げた。

「今日の主役は第三(セルファン)第一(レオアリス)だ。だから俺もひがみっぽくなってな」

 トゥレスは喉の奥に笑いを納め、低い壁に凭れかかって首を巡らせ、再び夜の街を眺めた。住民達が祝い楽しむ灯りが通りを埋め、王都の裾野の遠くまで、光の筋を升目状に浮き上がらせている。

 キルトもトゥレスの視線を辿るように王都の街へと視線を落とした。

 明日はもう、今日までの平穏とは違う顔を見せる。

 キルトの心を読み取ったように、トゥレスの低い声がした。

「俺達が主演になるのは明日からだ」

 声には心底楽しんでいる響きがある。キルトもまた、奥底から湧き上がる身震いと興奮を覚えた。

 この大将の成す事を自分も共に行えるのは、畏れと同時に強い喜びがあった。

 ただ漫然と平穏な日々を過ごし、無風に組織に収まり続けるのではなく、己の力を試す事――

 栄光か、破滅か。

 例え限り無く破滅に近くとも、掛ける価値はある。

 第一大隊か第三大隊に配属されていたら、キルトは恐らく現状に満足していただろう。だが第二大隊だった事を嘆いた事は一度も無い。

 そしてまたトゥレスには、この存在に自分の意義を掛けてもいいと、そう思わせるところがあった。

 忙しくなるぜ、と言ってトゥレスは身を起こし、キルトの肩を叩いて回廊を歩き出した。

「お前もせっかくだ、夜会の華やかさを味わっておけよ。しばらく味わえねぇからな」




 人目を引く光景だった。

 晩餐後の談笑の場で、ファルシオンと列席する諸侯とのやり取りを、四大公筆頭である北方公ベールが取り仕切っている。

 ベールは普段王への謁見を取り仕切る場面と何ら変わり無い所作を示し、そしてそのすぐ後ろに警護の為、近衛師団第一大隊大将レオアリスが控えている様は、アヴァロンが王の後方に控える姿を彷彿とさせる。

 それが明日、ファルシオンが国王代理を担う為の配置だと全員が理解していたが、誰しもがこの光景に、いずれ訪れるファルシオンの戴冠を思い(えが)いた。

 その時には恐らく、王を支える立場の者達も、世代交替が行われるだろう事も。

「やはり、近衛師団総将は第一大隊大将でしょうか」

 婦人と娘を伴った四十半ばの男は、傍らに立っていた同年代の夫妻にそう言った。地政院の街路保全官長である、グレナダ子爵だ。途切れる事のないファルシオンへの挨拶に加わる順番を待っていたが、恐らく難しいだろうと半ば諦めてもいた。

「いや、この光景を見ると確かに」

 傍らの夫妻もグレナダ子爵と同じ立場で、順番は回って来そうに無く、諦めて噂話に花を咲かせる事にしたようだ。

「でしょう。まあ間違いない。となれば大公のお役目はどなたがと、俄然興味が湧きますが」

 もう一人、傍にいた男が興味津々に口を挟む。それは誰しもに興味を湧かせる話題だった。

「大公のご子息ラーシャ様は王太子殿下よりご幼年でいらっしゃる、やはり大公ご自身が引き続き務められるのではないですか」

「それが妥当ではありましょうが、もしかしたら殿下とご年齢の近い方が、そうした役割を担われるかもしれませんよ」

 内心、自分達の息子なども、新しい国王が即位する頃には相応の年齢になると、淡い期待はあった。娘はそう――グレナダはちらりと妻の隣にいる娘を見た――器量はそこそこ――例えば上位の貴族の子息や、次期近衛師団総将の妻という未来もある。

 それぞれの思惑は違えど、幼いファルシオンの凛とした様子は、これまでの体制とはまた違った新しい光景を想像させた。

「私は東方公のご長男か、ヴェルナー侯爵家のご次男も有り得ると思いますね」

「おや、ご次男ですか」

 返す声には少なからず含み笑いがあり、聞いている者にもそれは感じ取れた。

 ヴェルナー侯爵が侯爵家を誰に継がせようと考えているかは、今や城内のほとんどの者が想定が付いていて、その上で出た言葉だ。

 そこには日ごろ傲慢な態度を隠そうともしない長子ヘルムフリートに対する、面と向かっては表せない腹立たしさや侮蔑、それから余り権力に縁の無い自分達と、彼も大して変わりないではないかと、自らを慰めようとする心の動きも少なからず含まれている。

「それは、もう――」

 グレナダは口にしかけて、ふと目に留まった姿にさっと青ざめた。「い、いや、長子には家督を継ぐという重責がございますからね」

 二人は突然グレナダの口調が変わったのを訝しんで彼の視線を辿り、その先に当のヘルムフリートが不快さを隠さず自分達を見据えているのに気付いて、全員咄嗟に頷いた。

「し、然り――」

「当然、長子となれば、まずは家の基盤を」

 普段身分の低い彼等の事など石くれのように顧みないはずが、ヘルムフリートは細い面に眉をしかめ口元を歪めたまま、彼等の前に歩み寄った。

 五人は視線を落とし、呂律も怪しく挨拶の言葉を探した。

「こ、これはヘルムフリート殿――内政官房でのご活躍は、私ども地政院でもしばしば話題になりますぞ」

「今宵は一層、風格が」

「媚びへつらうのなら、相手はそこにいる男にしたらどうだ」

「は? い、いや」

 冷笑と苛立ちを含んだ言葉に振り返り、まるで彼等を挟んで対峙するように、少し離れてロットバルトが立っているのに気が付いた。

 ロットバルトには彼等の会話は聞こえていなさそうだったが、ヘルムフリートの視線で雰囲気は伝わっているようだ。

「こ……」

 間の悪い話だが、ファルシオンへの挨拶や、警護を担う近衛師団第一大隊中将の立場として、二人が今ファルシオンの近くにいても何ら不自然ではない。

 公の場で迂闊な発言をしていたと気付いて、四人は冷や汗をかいて黙り込んだ。周囲で好き好きに会話していた参列者達も、状況に気付いて声を潜める。

 辺りのさざめきが目に見えて抑えられ、ファルシオンの後ろに控えていたレオアリスも、その様子に気が付いた。

(ロットバルト、と――)

 直接の面識は無いが、ヴェルナー侯爵家の長子、ヘルムフリートだとすぐに判った。

 レオアリスからはロットバルトの表情は見えなかったが、ロットバルトは一言二言、恐らく当たり障りの無い挨拶をし、その場を離れようとした。ヘルムフリートの言葉が追い掛ける。

「久しく顔を見なかったが、息災のようだな」

 ロットバルトは足を止め、体半分ほど向き直った。

 あの襲撃について、ロットバルトの口にした推測がレオアリスの頭を過る。

 襲撃を指示したのは兄ヘルムフリートではないかと、そう言った。

(……まさか。――少し考え過ぎなんだ)

 ヴェルナー侯爵家の中でどのようなやり取りがあるのか、レオアリスには判りようもない。ロットバルトが兄との間の確執の存在をはっきりと口にしたのも、あれが初めてだ。

 ただこうして向かい合うのを見ると、再びロットバルトの推測が脳裏に浮かぶ。

「この祝祭では、何やら芸人の真似事をしたそうではないか」

 ヘルムフリートは侮蔑の色を隠しもせず、意図して声を強め、周りで様子を伺っている者達に聞かせているように見えた。

「何と、劇とは――」

「そう言えば第一大隊では、たしか祝祭の演目に劇を披露していたようですが」

「まあ、侯爵家のご子息が」

 囁きが洩れ、参列者達が顔を見合わせる様子に、ヘルムフリートが、満足げに口元を歪める。

「よくできたものだ。どんな気分だか教えてもらいたいものだな。何にせよ、侯爵家の立場を考えれば、軽挙な振る舞いは控えるべきだろう。今宵参列している諸侯の子息の中で、どれだけお前のような振る舞いをする者がいる?」

 揶揄する響きは誰が聞いても判るほどだ。周囲の参列者達はロットバルトがどう返すのかと、興味津々に見つめている。

 長子をやり込める様が見れたら面白い、と大半の者が心の内で期待していた。

 レオアリスはこんな場で明らかに挑発しているヘルムフリートに、苛立ちを覚えた。

(そもそも襲撃で怪我を負ったのは知ってるはずだ。ロットバルトの推測が当たってるかどうかじゃない。知らないはずがない。――それに対する気遣いは無いのかよ)

 ヘルムフリートがロットバルトに対して、一言でも体を気遣う言葉を掛けたなら――襲撃を指図したのがヘルムフリートではないかという推測を、ロットバルトも思い違いと考え直すのではないかと、期待があった。

 こんな公の場で、せめて、例え見せかけだけでも。

「そんなことはないぞ、ヴェルナー」

 緊張と興味の満ちた空気にすっと入り込んだ、幼い、だが威厳を感じさせる声は、ファルシオンのものだ。

 ファルシオンはヘルムフリートへと数歩歩み寄り、周りにいた者達はさっと表情を改め、場所を広げて恭しく膝を付いた。ヘルムフリートも膝をつき、一礼する。

「私も劇を観たが、おもしろかった。第一大隊だけじゃなくて近衛師団と、正規軍のみなががんばって楽しませようとしていて、だからどれもいいものができたのだと思う。それに我々がああしたことをして、たくさんの人に見てもらうのは、とても大切なことだ。うまく言えないかもしれないけど――、わかってもらうことと、身近に感じてもらうこと、だ。だから毎年、みなががんばっているのだと思う」

 ゆっくりと、言葉を一つ一つ選びながらそう言い、顔を伏せているヘルムフリートへ、ファルシオンはにっこりと笑った。

「ここにいるみなも、そなたも、それが大切なことだってわかっているだろう」

 それまで漂っていた空気はすうっと溶けてもとの華やかさが戻り、どことなく安堵も感じられる。レオアリスは感心してファルシオンの姿を見つめた。

 祝祭はただ賑やかに祝い騒ぐ為だけのものではない。また、軍部のある第一層の一般開放の意義も。

 王か、誰か教育官か、そうした考え方を教えたのかもしれない。

 けれどファルシオンはどんな意味かをきちんと理解して、使うべき場で使っている。

 日々王太子としての教育を受けている事が大きいが、それにしてもまだほんの五歳の王子の、ここ一ヶ月の成長ぶりは目を見張るものがあった。フィオリ・アル・レガージュでの経験や、明日の国王代理の任務がそうさせているのだろう。

 きっといい王になるのだろうと、そう思うとレオアリスまでも誇らしくなった。

 ヘルムフリートは頭を伏せ、ファルシオンへ騒がせた事を詫びる口上を述べ、退席した。ロットバルトとは目線を合わせなかったが、ファルシオンへ見せた表情には危ういものは無かった。

 ロットバルトもレオアリスへ目礼して詫び、ヘルムフリートとは反対の、壁際に退いた。

 辺りの賑わいもすっかり戻っている。

 レオアリスは改めてファルシオンを見つめた。

 居城にファルシオンを迎えた時からずっと緊張していたものの、今日の夜会でのファルシオンの対応は、先ほどの事も含め、五歳とは思えない立派なものだ。

 ただ、ほんの少し気掛かりな事もあった。

 明日の国王代理の重責に対し、微力ながらお支えする、と、ほとんどの参列者がその言葉を告げていく。

 ファルシオンは晩餐の終わりから途切れる事無く続く挨拶を、一つ一つ真剣な面持ちで受けながら、ただ目の前の相手が入れ替わる時にふと、瞳を王の座る席へと向ける事が何度かあった。

 何か気になる事があるのか、明日の重責を前にやはり不安なのか、それはその視線の動きだけでは判らない。

 王は玉座に移らず晩餐の席のまま、諸侯の挨拶を受けている。

「レオアリス」

 それまで黙っていたベールに呼ばれ、レオアリスは視線を戻し、向き直った。

 ベールはレオアリスに近寄ったものの、そのまま束の間、何も言わずレオアリスを見据えている。

「大公閣下?」

 鋭い両眼の奥には意識を引っ掻く何かがあったが、次の口調は普段と何も変わりがなかった。

「ファルシオン殿下は王位継承者として様々なものを求められ、それに充分に応えておられる。次代の国王に相応しいが――まだ御年を重ねられる必要もある」

 この場に立つファルシオンの姿は凛とした、好ましい威厳を持ち、そして幼い。

(あと十年か、もう少し)

 現王の偉業を考えれば、それでも尚足りないのだろうと思う反面、ファルシオンならばさほど困難ではないだろうとも思った。

「この先殿下をお護りし、お支えするのが貴侯の役割だ。それを常に肝に命じよ」

 一瞬――、レオアリスはベールの言葉の奥に潜む意味を探ろうとしている自分に気が付いた。

 ベールはレオアリスの答えを待っているのかどうかファルシオンへ面を向け、ややあって場を仕切る為にファルシオンへと歩み寄った。




 一通り参列者の挨拶を受け終え、八刻を越えたところでファルシオンは大広間を退出した。

 居城の門までは今日の王城警護を担う第二大隊隊士十名が付き従い、居城の門で侍従長ハンプトンが王室警護官と共に出迎える。

 第二大隊隊士はそこで王太子の警護を引き継ぎ、レオアリスはファルシオンと共に居城の門を潜った。

 いつもならファルシオンは、居城に入ると緊張から解き放たれて歳相応の表情を見せるのだが、今日は柔らかな頬をずっと引き締めたまま、眩しいほど白い廊下を歩いていく。

 ハンプトンはファルシオンの様子を気掛かりな面持ちで束の間みつめ、だが特に問う事は無く、ほどなく一行は会話の無いままファルシオンの住まう館に着いた。

 今日の役目を無事終え、館に戻ればファルシオンもようやくほっとできるのだろう。

 レオアリスは膝をつき、一礼した。

「ファルシオン殿下、本日のご公務を恙無(つつがな)く成し遂げられた事、喜ばしく存じます。明日に備えてごゆっくり、お身体を御安めください」

「ありがとう」

 ここまでで、今日の王太子警護の任務は終了だ。

「私はここで御前を退出させて頂きます。明日、六刻過ぎに、改めてお迎えに参ります」

 ずっと何か考えていたファルシオンは瞳を瞬かせた後頷き、それから一呼吸間を空けて、レオアリスを呼んだ。

「レオアリス」

 レオアリスは顔を上げ、ほんの少し高い位置にあるファルシオンを見つめた。

 向かい合い、ファルシオンは何を言えばいいか迷うように、口を開いては閉じて、を二度ほど繰り返した。

 どうしたのかと、ハンプトンや王室警護官長のブラントも気になってファルシオンを見つめている。彼等の眼差しに気付いたファルシオンは、また瞳を瞬かせた。

「その、私は今日、本当にちゃんとできていただろうか」

「ご立派に、対応されておられました」

 ほんの一瞬、返すのが遅れたのは、それがファルシオンの聞きたい事とは違うように思えたからだ。

「そうか、良かった――」

 ファルシオンは笑顔を見せた。

「ちゃんとできていたか心配だったのだ。レオアリスはまた、大広間に戻るのか?」

「そのつもりです。幾つか挨拶がありますので」

 明日は朝の七刻には王が西海へと出立する。その前にアスタロトと話ができるのは、たぶんこの夜会の場くらいだろう。少し話をしておきたかった。

 王ともし、話す機会を得られたらと、そうも思っていた。

 明日の出立の前に。

「そうか。今日はありがとう」

 レオアリスは続く言葉があるかと束の間待ち、それから一礼して立ち上がった。左腕を胸に当てて敬礼し、一歩退く。

 ファルシオンは館の扉を潜りかけ、ふいに振り返った。

「レオアリス――」

 再び躊躇ったファルシオンを見て、今度はハンプトンは警護官長ブラントと視線を交わし、「わたくしと警護官は少しさがっております」とファルシオンから離れた。

 レオアリスはもう一度、ファルシオンの前に膝をついた。

 俯きがちな顔を見つめる。

「殿下――どうかなさいましたか。もし何かご不安があるなら、お聞かせください」

 それでもまだファルシオンは迷う様子を見せてていたが、ややあってぐっと顔を上げた。

「私――、私は、レオアリスは、明日は父上のお側にいなくちゃいけないと、思うんだ」

 レオアリスは驚いて、思わずまじまじとファルシオンの顔を見つめた。

 黄金の瞳はどこか不安そうだ。

 その色は、大広間で挨拶を受けている間、時折王へと視線を向けていた眼差しを占めていたものと同じに見えた。

 その前の、王が大階段の上から大広間を見渡していた時に、ファルシオンが父を見上げた、その色と。

 ただファルシオン自身、自分の言っている事が難しい事も判っているようだった。何故、と尋ねると首を振った。

「わからない。でも何となくだけど、やっぱりそうしなくちゃいけない気がするんだ。もう変えることはできないだろうか」

「――」

「だって、西海とは昔、戦争をしていたんだろう。この間の、レガージュの時だって、西海の三の戟がたくらんだんだ。でもあの時私には、レオアリスがいてくれたから」

 レオアリスは言葉を探して、膝に置いた自分の手に視線を落とした。

 王の傍らに付きたいという想いと、条約再締結の為とは言え今、王が西海へ向かう事への不安がレオアリスにもある。

 ファルシオンの言葉はほとんど、レオアリスの本音と言っていい。

 だがもし問題があるなら、王は違う判断をしたはずだ。

(そうだ)

「――大丈夫です。陛下のお考えがあってのご決定です。陛下が王都を離れられるのは珍しい事ですので、殿下がご心配なさるお気持ちも良く判りますが、第三大隊のセルファンや隊士達が陛下の警護をさせていただきますし、何よりアスタロト公とアヴァロン閣下がお側におられます」

 ゆっくりと、力を込めてそう言うと、ファルシオンは曇らせていた表情を、やや恥ずかしそうに緩めた。

「そう……そうだな」

 取り越し苦労だと照れる気持ちとまだ僅かな不安とが見て取れる。

「姉上も、そうおっしゃった。心配ないって」

「王女殿下が?」

「この間、おたずねしたの」

 にこりと笑ってみせる。

「王女殿下がそう仰るのであれば、なおさら心配いりませんね」

 不安は解れただろうか。

 レオアリスは姿勢を改めて、ファルシオンの瞳を見つめた。

「明日、殿下は国王陛下の代理として、陛下からこの国を任されておいでです。俺は殿下を少しでもお助けできるように、務めさせていただきます」

 ファルシオンはじっとレオアリスを見返し、やや頬を上気させて頷いた。

「うん――よろしく頼む」




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