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第4章「言祝ぎ」(14)

 レオアリスは近衛師団の士官棟に戻る僅かな間にも、ハヤテをロカへ向かわせようとする思いを何度となく堪えた。

 ロカにはおそらく、手掛かりは無い。

 手掛かりはヴィルトールからの連絡にあった、転位の法術で飛んだ先にこそある。

 アルジマールからの連絡を今は待つしかないが、これまでもそうだったように、今度もまた、間に合わせてくれるはずだ。

 間に合う(・・・・)

 ぐっと胃の奥が重くなる。間に合うか間に合わないか、それは自分が何を(・・)一番恐れているかを前提とした考えだ。

(初めから俺が行っていれば)

 ルシファーか西海か、いずれかが関わっていると想定していたのに、何故その決断をしなかったのかと今更ながら悔やまれた。

 レオアリスは自分の考えに潜む最悪の状況を、頭を振って追い払った。

(間に合う。――それまでに王にお会いして、動く許可をいただくのが先だ)

 ルシファーだとまだ決まった訳ではないが、アルジマールの術を破るほどの相手ではレオアリスが動かなければ解決しない。

 士官棟の屋根が見え、その奥の厩舎へと、ハヤテが下降する。レオアリスはハヤテが地上に着く前に飛び降りた。



 執務室に駆け込んで来たレオアリスの上にただならない空気を感じ、グランスレイは目を見開いた。

「上将? 何が」

「ヴィルトールと連絡が取れない。今、アルジマール院長に辿って貰ってる」

 返った端的な言葉を聞くなりグランスレイは立ち上がり、だがそこでもう冷静さを取り戻してレオアリスの次の言葉を待った。

 レオアリスは一旦執務机に歩み寄り、内心の焦りを表すように机の前ですぐ足を止めた。

「クライフとフレイザーにはウィンレットから戻るように伝えてもらってる。来るまでに対策を考えよう。ただ現場の情報がまるで無い、まずはヴィルトール達の跡を追えればいいが」

 ふ、と右側の席に目を止め、レオアリスの声に滲む焦燥が強くなった。

「ロットバルトは? 隣室か?」

「第二大隊に行っています。トゥレス大将に話があると」

「トゥレス――?」

 その名を口の中で呟いた後、さっと頬を張りつめて踵を返し、レオアリスは扉へ向かった。

「上将?」

 レオアリスを追うグランスレイの緑の双眸が翳りを宿したが、レオアリスはそれには気付かなかった。

 正体の判らない感情が鼓動を押し上げる気がする。

(トゥレスって、まだ全体が見えてない段階で)

 襲撃の目的も判らず負傷も完全に癒えた訳ではない。

 そもそもトゥレスと、何を話すのか――万が一、万が一だが、トゥレスの関わりがロットバルトの読みどおりだったとしたら。

(何考えてんだ)

 把手に手を掛ける前に、扉が開いた。

 視線を上げた先にロットバルトが立っているのを見て――、レオアリスはゆっくり、詰めていた息を吐いた。

 明らかな安堵の表情に、ロットバルトは瞳を細めた。

「――上将?」

「お前、トゥレスと何を話したんだ」

「それは」

 ロットバルトは室内のグランスレイと目を合わせると、彼の上に浮かぶ険しい色を見て取り、後ほど、と言った。

「それより、何か問題がありましたか」

 レオアリスは時計を見た。当然戻ってから僅かも経っていないが、まだアルジマールからの連絡は無い。

 一度息を吐き、浮かぶ焦りを抑える。

「――ヴィルトールと連絡が取れない。カイが追えないし、アルジマール院長の護符も無効だ」

「――」

 ロットバルトの表情も変わる。

「アルジマール院長は」

「依頼はした。連絡待ちだ」

「伝令使もアルジマールの護符も――」

 レオアリスの言葉を確認するように呟き、ロットバルトは室内に入って扉を閉ざした。

「袋小路ですね。我々が秘密裡に動く限界か」

「そうだ。これ以上同じ事をしても意味が無い。王に師団を動かす許可をいただく。できれば――」

 レオアリスは一旦言葉を切り、すぐにはっきりと口にした。

「いや、俺が出る」

「――」

 ロットバルトは口を(つぐ)み、思考を巡らせるように腕を組んだ。

「グランスレイ、悪いが今から陛下へ面会の申し入れを」

 それまで黙って聞いていたグランスレイは、一歩前へ出るとレオアリスと向かい合った。

「上将、まずは冷静になられるべきです」

 思いがけない返答にレオアリスは顔を巡らせ、グランスレイを見つめた。

「冷静?」

 グランスレイは厳しい表情を浮かべている。レオアリスの焦りを抑えるように、静かに続けた。

「状況も判らない内に一軍を動かす判断を、貴方がされる事には賛成致しかねます。ましてや大将である貴方が自ら動くなど以っての他です」

「状況が判るまで待ってたら間に合わなくなる」

「何に間に合わなくなるとお考えですか」

「何にって――」

 グランスレイが何を言おうとしているのか理解しかねて、レオアリスは眉を寄せた。

「貴方が急ぐ必要があるとお考えなる理由がヴィルトール達であれば、それは違うと申し上げさせていただきます」

「――」

「軍人として、任務に危険や犠牲は付き物です。任務の過程で命を落とす事も当然ある。常々貴方は、その覚悟が甘い」

 ロットバルトはレオアリスが怒り反論するかと思ったが、レオアリスは茫然とした様子で立ち尽くし、言葉を失っている。

 グランスレイは口調を崩さず言葉を継いだ。

「貴方は近衛師団の一大隊を預かる大将です。任務を部隊に命じた場合は、それにより生じる犠牲をも負う責務があります」

「犠牲――」

 ようやくレオアリスは声を絞り出した。

 肩でゆっくりと呼吸をする。

「――ヴィルトール達が、もし危険に曝されていても、動くなっていうのか」

「少なくともそれは大将が動く理由ではないと考えます」

 グランスレイはレオアリスを見つめ返した。

 一瞬瞳に浮かんだ激情を抑え、レオアリスは少し離れた場所に立つロットバルトへ視線を向けた。

「お前も、そう思うのか?」

 ロットバルトは口に出さなかったが、その面に答えを読み取って、レオアリスは痛みを堪えるように眉を寄せた。

「――そう言えば、前にそんな話をしたな」

 握りしめた拳と呼吸を抑えた肩から、レオアリスが極力冷静になろうと努めているのが判る。

 グランスレイの言葉がレオアリスにとって非常に重い事もあるが、レオアリス自身が既に、理解しているのだろう。

 近衛師団の大将として、自分自身がどう判断し、どう動くべきか。

 どこまで動けるか――動けないか。

 ロットバルトは内心で苦い息を吐いた。

(副将も厳しい選択を示すな。だが確かに、今の状況では公式に師団を動かす訳にはいかない。それだけの対外的な理由がない。当然上将自身が動く事もできないだろう)

 レオアリスはそれを、理解している。

 そしておそらく、今回の事を仕組んだ相手も。

 グランスレイは改めて姿勢を正し、既に判り切っている事を敢えて口にした。

「貴方にこれを言うまでもありませんが、近衛師団とは王と王家を守護する為に存在するのです。近衛師団が動くという事は、王の意思を表す事でもあります。表立っては何も起こっていない中で、何を理由に近衛師団が動きますか。ましてや王の剣士と呼ばれる貴方が」

「――」

「貴方が軽々しく動けば国が混乱するでしょう。もう既にそうした立場にいると、ご自覚ください。そして今の貴方に王が与えられた任務は、王太子殿下の守護です。明日の夜会では殿下のお傍に控えるという役目があり、また条約再締結の儀は二日後――、今貴方が王都を離れるという選択肢は無いのです」

 レオアリスは唇を噛みしめ、足元に視線を落とした。

 その抑えた感情が室内を支配している。

 束の間そうしていたが、ぐっと瞳を上げた。

「それでも――例え近衛師団としての立場はそうだったとしても、ヴィルトール達が危険な状況にいるのは事実だ。俺が命じた事だ、俺が責を負う。だが」

 レオアリスは迷わず、はっきりと告げた。

「だからと言って見過ごす事はできない。絶対にだ」

「――」

「グランスレイ、ロットバルト、それはお前達だって同じだろう。なら俺が動けない前提で、最良の手を考える」

 グランスレイはレオアリスの意志を受け止めるように、深く頷いた。グランスレイも何も手を打たずに傍観する事を良しとしている訳ではない。

「我々部下を信頼し、任せてください。アルジマール院長から連絡があったら、私にご命令を」

「もしイリヤ・ハインツという存在を利用しようとするのであれば、彼等(・・)がその目的を成し遂げる為にはそれなりの兵力を要するでしょう。正当な王位継承者という旗を振る為の、体裁と一定の圧力です。それが出来るのは限られた立場の者だけになる」

 レオアリスはロットバルトを見た。その瞳に懸念があるのは、ロットバルトが襲撃の件で推測した、トゥレスと――ヴェルナー侯爵家長子ヘルムフリートの関わりの可能性を思い浮かべたからだろう。

 ロットバルトはレオアリスへ視線を返し、先ほどのトゥレスとの面会をどう伝えるか考えを巡らせた。

 トゥレスが関わっていたとして、あれが牽制になったかどうかは疑わしいところだ。

「ある程度の規模の守備隊を保有する地方貴族、あるいは地方に駐屯する軍、そうした処にルシファーなりが働きかけている可能性はあります。まずその線で探るのが一つ」

「軍? 正規軍を言っているのか」

「可能性です。ただ、正規軍は旗印を掲げるのに最も効果的な存在でしょう」

「まさか、それは――」

 レオアリスは苦いものを噛むように眉を顰め、ややあって何に思い至ったのか、僅かに瞳を見開いた。

 詰めていた息を吐くように、ゆっくり口にする。

「――ルシファーの館を復元する事が、予めルシファーに伝わっていたかもしれないと、そういう見解があったな。あの館は西方第七軍の管轄地域にあって、正規軍ではおそらく王都と、西方第七軍だけが知っていた。ワッツは――第七軍への赴任にあたってヴァン・グレッグ大将から内密に調査の指示を受けたと」

 グランスレイとロットバルトの視線を受けて、レオアリスは両手を下ろした。

「――まずはワッツと連絡を取ろう。グランスレイ、アヴァロン閣下に状況をご報告する。同席してくれ。それからロットバルト、悪いが探れるところは全て、頼む」

「承知しました」

 ふとロットバルトは引っ掛かりを覚え、その原因を探った。

(我々からは公式に動きようがない。だが、陛下はこの事態をどうお考えなのか)

 これまで確実に、王は状況を静観しながらも最終的な要点で指示を下し、近衛師団を動かしてきた。或いはレオアリスを。

 イリヤを連れ去った者が、イリヤの立場を利用して事を起こそうとするのは想像に難くない。

 一見しては何も起こっておらず、情報すらない中で軍が公式に動ける状況ではないが――それでも事態は既に静観すべき段階を過ぎようとしているように思える。

 危険域に今まさに踏み込もうとしていると。

 それとも――

 王が見ているその一線は、まだ先にあるのか。

(不可侵条約再締結の儀――それが)

 扉が開き、視線を上げるとクライフとフレイザーが緊張した面持ちで入ってきたところだった。

「遅くなりました、何が――」

 その場に漂う空気を感じ、クライフが足を止める。

「何があったんですか」

 グランスレイは二人を手招き、前に立った二人の――クライフの顔を真っ直ぐ見据えた。

「ヴィルトール達との連絡が途絶えている」

 二人は顔を見合わせた。驚きと緊張、不安がそれぞれの面に浮かぶ。

「ヴィルトールは、無事なんですか」

「判らん。そうである前提で動く。当然、公式には動けず上将も王都を離れる事はできん」

「――」

「アルジマール院長の助力を得て、我々が対応する。いつでも動けるようにしておけ」

 クライフは居ても立っても居られず拳を握り込むと部屋を横切り、空席の執務机の前で止まった。両手をその上に強く降ろす。

 ばん、と重い音が響いた。クライフの背中に視線が集まる。

「――あいつはまあ、俺みたいにヘマはしねぇし、大丈夫です。問題ねぇ」

「クライフ」

 フレイザーは一度名を呼び、ただそれ以上は口を閉ざした。

 レオアリスが彼等の前に立つ。

「とにかく今は情報収集を徹底して行う。フレイザー、ロットバルトが幾つか回る、補佐してくれ。俺とグランスレイは一旦アヴァロン閣下へ報告に行く。クライフ、お前はここに残ってアルジマール院長からの連絡を待ってくれ。すぐ戻る」

 全員が無言で頷く。

 ロットバルトとフレイザーがまず部屋を出て、レオアリスはカイを呼び出して指示を与えた後、グランスレイと共に執務室を出た。

 クライフはヴィルトールの机の上にどかりと腰かけ、腕を組むと、溜めていた息をゆっくりと吐き出して目を閉じた。



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