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最終章『光を紡ぐ』(85)

 

 ファルシオンも、そしてレオアリスも、参列者達もカラヴィアスが何を語るのか、続く言葉を待った。


「かつて、先王陛下と、我々剣士の四氏族は、この国に棲まう――いわゆる『四竜』の監視役となることを約束致しました。文書を交わした訳ではなく、先ほども申し上げた通り、それ自体が既に、遠い、私も含め今ここにおられる方々の誰一人目にしたことのない、過去の話です」


 剣士達とこの国との関わり。


 向かいの席ではアルジマールがうずうずと身を揺すり、今にも椅子から飛び出してカラヴィアスへと駆け寄りそうだ。


「口約束の(たぐい)、元々効力など無いに等しいでしょう。そして我々剣士はアレウス国に従属するものではありません」


 漆黒の双眸は穏やかに、内に潜む剣を思わせる澄んだ光。


「しかしながら、ルベル・カリマを始め、ベンダバール、カミオ――ルフト。四氏族は前国王陛下の意志に共感し、長らくこの地にありました。我等の存在が四竜という存在に対し、どれほどの効果があったのかはまた測り難いところですが、残念ながら四氏族の内、現在この国に残るのは我が氏族のみ。

「先ほど、前王陛下との約束を以って従属を意味するものではないと申し上げたように、ベンダバール、カミオのように、この地を離れるという選択権は常に我々にあります。その上で」


 カラヴィアスは真紅の絨毯の上で身体を巡らせ、その動きに合わせて双眸が流れる風のように大広間の参列者達を見渡す。


 正規軍の列に座る南方軍第一大隊大将アルノー。

 フィオリ・アル・レガージュの席のユージュ。

 自らの氏族、トールゲイン、ティルファングに戻り、ティエラとプラドへ置き――

 そして正面、玉座の右に座るアスタロトへ。


「我等はこの数年――二十年近くと言うべきでしょうか、この国を改めて見て参りました」


 視線はレオアリスへと流れ、笑み、最後にファルシオンへと戻った。


「この数年、そしてこの一年、王都を、王太子殿下――国王陛下、貴方と、貴方を取り巻く方々を、我々なりに見てきたつもりです。そこで得たものを元に、申し上げます」


 すっと改めて背筋を伸ばした姿は、見る者に一振りのつるぎを想起させた。

 ファルシオンを護って立つ彼等の剣とは、異なる鋭利さ。


「この国に残る最後の氏族、ルベル・カリマの長として、私は改めて新王陛下へ、かつて、前国王陛下と我々がお約束したと同様のことを、お約束したい。この地にあり、この地の――新王陛下が敷かれるであろう賢政と、それによる安寧の一助となることを」


 カラヴィアスの後ろで、ティルファングは長を見つめて可憐な少女を思わせる頬を得意げに膨らませたが、自分をまじまじ見ているアスタロトに気付いて「ふん」と唇を尖らせた。トールゲインに横目でジロリと睨まれる。

 プラドはカラヴィアスの横顔を束の間眺め、それをただ戻した。ティエラがレオアリスへ微笑む。

 ユージュはファルカンやカリカオテの隣で誇らしそうに瞳を輝かせている。


「これを、我々剣士の氏族からの祝辞に変えさせて頂きます」


 立ち上がったファルシオンはぎゅっと唇を引き結び、数歩、玉座より前に出た。

 カラヴィアスとの距離は一間半。

 レオアリスを振り返り、戻したその頬を、振るわせる。


「――あなた方に、深く、感謝を……」


 カラヴィアスは微笑み、膝を軽く曲げて一礼した。


「もう一つ、我等からも国王陛下の御即位に、心ばかりのお祝いの品を」


 歩み寄ったトールゲインが、手の上に乗るほどの小さな、艶のある黒木の木箱をカラヴィアスへと手渡す。蔦模様の中に剣と、そして眠る竜の彫刻が施されている。

 カラヴィアスは木箱の蓋を開き、ファルシオンが立つ正面へと木箱の中を示した。


 大広間が箱の中で揺れる光を受け、淡い影を移ろわせたように思える。

 硝子の内蓋の下に納められているのは、一粒の宝玉――紅玉だ。

 小鳥の卵を二回りほど上回る大きさを持ち、目を奪う澄んだ紅の内側には、焔――


 ファルシオンが戴く宝冠の白色虹石にも似て、ただその焔はゆるゆると踊って見える。


「何と美しい」


 今度こそアスタロトは、瞳を見開き腰を浮かせた。


「まさか、赤竜の……?」


 どよめきの中、硬い木を鳴らす音がして、目を向ければカラヴィアスの向かいでアルジマールが立ち上がったところだ。

 二つ隣のグランスレイが何事か宥めるように告げ、袖を引かれて不本意そうに座り直す。

 その間もアルジマールの目は爛々と光り、カラヴィアスの手元に釘付けになっている。


「アスタロト将軍の仰る通り――彼の竜の宝玉です」


 カラヴィアスが頷き、木箱をやや上に持ち上げる。

 宝玉は陽光を吸い込み、硝子の内蓋の中から四方へ、焔の輝きを放った。


「つい先日、赤竜(オルゲンガルム)が珍しく、私へ寄越したもの――国王陛下の御即位に持って行けという意味と捉えました」


 ファルシオンは瞳を宝玉から、カラヴィアスへと持ち上げた。


「赤竜の宝玉は、ナジャルとの戦いにおいて、我々を――この国を、助けてくれました」


 ロットバルトがファルシオンの背後に控えるレオアリスを見て、その瞳をカラヴィアスへ移し、口を開いた。


「僭越ながら――国王陛下が仰ったように、貴殿が用いられた赤竜の宝玉がなければ、ナジャルの転位はなお困難だったでしょう。その際の宝玉は確か、風竜の葬送に赤竜が吐いた息が凝ったものと認識しておりました。お手許の宝玉の、由来は」


 カラヴィアスはロットバルトと、そしてファルシオンへにこりと笑み、頷いた。


「御安心を。昨日今日、やたらと()()()ものではありません。彼の竜が自らの足元に長きに渡り溜め込んでいる一つを、掘り起こしてきたものです」


 赤竜が(すみか)に溜め込んだ宝物――カラヴィアスは時に不用品と呼んでいるが――、その山の中にまだ数個、転がっているだろう。長年の積層の中から人の手で掘り出すのは至難の技だが。

 改めて、カラヴィアスはファルシオンと向き合った。


「さて――私どもからの祝意の辞は以上とさせて頂きますが、国王陛下。ぜひ一度、彼の竜にお会いになられませ。この国の新たな王として」


 原初と呼ばれる竜と直接会い、意思を交わしておくことは、カラヴィアスの言う通りこの国王としての初めの、重要な経過点でもある。


 ファルシオンはカラヴィアスの意図を汲み取り、しっかりと頷いた。

 何より、赤竜を自らの目で見たいと願う。



「いろいろなお教えをいただき、ありがとうございます。ぜひ――ぜひ早いうちに」




 国賓、来賓の祝辞を終え、祝辞は内政官房、地政院、財務院、正規軍の長へと移った。

 次いで祝辞は十侯爵筆頭。これは次期筆頭侯爵家であるゴドフリーが担う。続いて王立学術院。司法庁。


 王都の各層地区代表が祝辞を述べ終えると、残るのは皇位継承者の立太子、空位となっている二公の叙爵――そして、近衛師団総将の任命。

 最後に大公ベールの祝賀唱和を持って、即位式は終了する。


 ファルシオンはその足で王城前庭に出て、集まった国民を前に抱負表明演説を行う。

 その後四院を訪問し、四公が主催する国賓、来賓との昼餐の場が用意されている。

 午後一刻からの祝賀行進では、王都の全ての大通りを五刻をかけて回り、国民へ新たなる国主の即位を報せる。

 六刻からは王主催の晩餐会を開き、そのまま夜の十二刻まで、四公が主催する夜会が行われる。


 そして王都の街や各都市では、新王即位を祝う祭りが五日に渡り行われる。

 新たな国王による新たな世が始まる。


 その、新たな世に向けて――


「国王陛下――それから、御来臨、御参列の全ての方々」


 祝辞が全て終了した即位式の場に、アルジマールが立ち上がり、胸を開くように息を吸い込んだ。


「この喜ばしき日の為、僕はこの日まで王太子殿下の――今は国王陛下からの任を受け、我が国の新たな国内長距離移動及び輸送手段について、日々、日夜、研究開発に勤しんで参りました」


 普段の彼ならば溢れ出す興奮を抑えられず拳を振り上げるところだが、アルジマールは自席前にじっと身を置き、ゆっくりともう一つ、深く呼吸した。

 即位式の場だというだけではない、湧き起こる心の内を抑えようとするように。


「陛下――御前に披見する許可をお与えください」


 アルジマールの言葉にファルシオンは光が射すように笑った。

 ファルシオンの面もまた、待ちきれない秘密を今ようやく口にすることができる少年のそれだ。


「法術院長、アルジマール。貴方の叡智と、そしてフィオリ・アル・レガージュをはじめとする船大工達の技の結実を、ここに見せてほしい」


 懸命に抑えていた枷は解かれ、アルジマールは赤い絨毯の上にさっと踏み出した。


「陛下の御下命のままに」


 参列者達が何事かと顔を見合わせる中、アルジマールはファルシオンの前へ出て恭しく一礼した後、四公の前を横切り、意気揚々と大広間南面の窓際へと向かった。四公の前を横切る合間、ロットバルトへ問うような得意げな瞳を向ける。


 騒めく参列者達の声を背に、アルジマールは露台へと出る広い両開きの硝子戸の前に立った。

 くるりと振り返る。


「新たなる国王陛下の偉業の第一歩として、陛下より我が国への贈り物です。とくと――」


 アルジマールが硝子戸に手を置き、短く数行の術式を口ずさむ。

 硝子戸が、その向こうの陽光によってアルジマールの姿を影のように滲ませながら、静かに開いていく。

 左右に連なる三連の窓も。


 風が流れ込み、広間の中に漂う空気を運び去り、新しい空気を持ってくる。

 戸枠と窓枠に区切られた空が、大広間に並ぶ参列者達の目に眩しく映った。


 アルジマールは両手を広げた。


「――御照覧あれ!」


 青く染まった空の中、ゆっくりと。

 空から、降りてくる。


 誰もがその光景に息を呑んだ。

 マリのイグアス三世、海軍提督メネゼス。初めに呆気に取られたメネゼスの表情は、すぐにでも駆け寄りたい気持ちを抑えているのが手に取れる。


 バリエドは大柄の身体の肩を反らし、双眸を見張り見入っている。


 トゥランのワ・ロウ・イの目が驚きに広がり、次いで鋭さを増した。

 一人、アルジマールの興奮を抑えられない声が、息を呑む大広間に響く。


「本当なら場を移し、もっと効果的にお見せしたかったんです、ここにいる五百人を超える人達全てがこの全貌を目にして、息を呑み、感嘆して頂けるように! けれどファルシオン様の国王即位と同時に、披露するのが一番かと!」


 アルジマールは自らは一歩、空へと繋がる露台へと出た。


「我等が新たなる国王陛下の、その御世と治政を言祝ことほぐものとして――!」


 狭いと感じるほどの窓の枠へ、姿を現わしたのは



 船――






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