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最終章『光を紡ぐ』(72)

 

「この度の西方ボードヴィルにおける、ミオスティリヤ――即ち被告人イリヤ・ハインツを王太子と偽り旗印に掲げた上での一連の計画、そして行為は、国内の騒乱を生み、また王家に弓を引くものであったことは否定の余地がない」



 大法廷に裁判長の声が響く。



「――よって、本案件に係る罪状は、原告の主張する通り国家騒乱罪及び王家に対する反逆罪、並びに第二王妃の遺児という身分詐称及び王太子僭称による罪となる。

「ただし、昨日の審理における一連の証言に基づき、身分詐称及び王太子僭称は本人の意思とは無関係に行われたものと認められる。よって被告人イリヤ・ハインツに対する量刑から、身分詐称及び王太子僭称の罪は除外する」



 傍聴席、そして関係者席で人々の頭が揺れる。

 イリヤはその中心に立っている。



「当該罪状に対する被告人の量刑は、第一級犯罪人としてこれもまた原告の主張する通り、死罪が相当する」






 心地よい風が窓から流れ込んで来る。

 窓の外は芽吹いた若い緑が陽光に輝き、小さな果樹園の林檎の樹々も穏やかに身を揺すり、果樹園全体が陽光の中に微睡むようだ。


 園内を流れる水路に光が踊っている。粉を引く水車の、眠気を誘う回転音。

 鳥――雲雀(ひばり)が歌う声。

 子供達の笑い交わす声。


 フェン・ロー地方、ロカの街の郊外にある小さな果樹園。一年前、イリヤと暮らしていたこの場所に、ラナエが戻ったのは昨年十二月のことだった。

 共に暮らすのはラナエの腕の中で眠る小さな命と、それから――


 子供達の賑やかな笑い声が、林檎の樹々の間でわっと弾けた。隠れんぼや駆けっこ。手伝いはいつも、いつの間にか遊びに変わってしまう。それが心を温もりで満たしてくれる。

 そして腕に抱いた小さな、暖かな存在が。


 赤子が腕の中で身動ぎし、ラナエは視線を落とした。まだ眠そうな、緑色の瞳がじっと見上げてくる。

 イリヤの、右の目の色。


「起きてしまった? シオン」


 そっと揺らしてあやすと、赤子はにこにこと笑った。


 イリヤがシオン、と名をつけた。けれどイリヤは、まだ数度しかこの子の名前を呼べていない。

 それでも、それが彼等の償いの一つだと。


 庭から子供達の賑やかな声が家へ入り、居間へ、階段が騒がしくなり廊下へ、そして廊下から二人のいる室内へ、わっと雪崩れ込んだ。


「先生!」


 七人ばかりの子供達だ。

 元気に飛び跳ね、ラナエにまとわりついた。たった今まで外で駆け回って遊んでいたせいで、誰も彼も息を弾ませている。


「先生も外で遊ぼう」

「行こう」


 ラナエは肘や服を引っ張る子供たちを、微笑んで見回した。

 黒髪の子も、鳶色の髪の子も、灰色の髪の子も、赤毛の子も。

 年齢もまちまちで、顔立ちもそれぞれ違う。


「今日はもう遊びはおしまい。もうすぐ夕飯の支度をするから、手伝って? 当番はだあれ?」

「はぁーい」


 声は渋々と押し出しだされたふうだが、夕飯の支度、そしてラナエの手伝いをするのは彼等の楽しみの一つでもあるようだ。子供達は誰が何の手伝いをするか、今日の順番を確認している。


「夕食当番は僕とディーと、ミリ」


 そう言ったのはジェス、少し眠たげな面立ちをした九歳の少年で、ディーとミリは同じ六歳の男の子と女の子だ。


「わたしがシオンをみる」


 と、今月十一歳になったばかり、一番年長の少女キーナがラナエから赤子を抱き取った。

 仕事を割り振られなかった三人がぱっと瞳を輝かせる。


「残りはあそび――」

「残りはお勉強ね」


 ラナエがにっこり笑って言うと、三人は首を竦めた。


「がんばって」


 笑って階下へ駆け出した食事係たちを、ラナエの声が追いかける。


「あなた達はご飯の後よ」


「ええー」という声と一緒に、賑やかさは階下に移動していく。


「勉強組は学習室へどうぞ」


 ラナエに促され、勉強組の三人はやや肩を落としつつも学習室へ向かった。








 判決の日、イリヤに下された量刑は、第一級犯罪人として、死罪。

 裁判長の言葉はそこでは終わらず続いた。



『被告人イリヤ・ハインツに対しては、元西方公及びヒースウッド伯爵家と共謀した王家への謀反の罪、及び国家騒乱罪。この二点により死罪が相当である。


『しかしながら、被告人がボードヴィルに於いて主張していた第二王妃の遺児は事実ではなく、本人の意思とは関係なく周囲に強制的にその立場を仕立てられたこと、また元兵士達の嘆願を考慮した結果、減刑するに値する。よって被告人への刑は第一級監獄塔への投獄、無期限の幽閉、これが相当である』


 更に、と続く。


『被告人が西海との和平に向けた一定の役割を担っていること、和平は国政の重要事項であることに鑑み、前述の刑の一部を留保することが適切であることから、最終的な刑として第一級監獄塔への投獄、幽閉を申し渡す』





 第一級監獄塔――赤の塔へイリヤの身柄が移された後、ラナエは一つの贖罪を願い出た。イリヤの為――そして自分と、シオンの為に。


 この戦乱で親を失った孤児達を育てたい。

 イリヤにその意志を告げた時、ラナエが生まれたばかりの子供を抱えながら孤児達を育てることに、イリヤは初め頷かなかった。


 もし、イリヤ自身がその贖罪を行うことを許されるのであれば、そうする。

 けれど、無期限という条件が外れたとは言え、イリヤが赤の塔を出ることができる状況には無い。


「ラナエに無理をさせたくはない。君には、俺とは離れて、幸せになってほしい」


 またそんなを言う、とラナエはイリヤを睨んだ。


「すぐ忘れてしまうのね。言ったでしょう。貴方と生きることが私の幸せなの。例え離れていても」


 下を向きかけたイリヤの顔を、頬に当てた手が持ち上げる。

 正面から真っ直ぐ、瞳を合わせる。


「もう一つ、これも言ったわ。私は貴方と一緒に罪を償うって」


 ラナエは笑って、イリヤの手を取った。


「それが私に――私達に、今できることだと思うの」





 両手を目一杯に広げても、自分に抱えられる人数は多くはない。

 それでもラナエはこの果樹園で、十歳のキーナを筆頭に七人を預かって暮らし始めた。西の、特にボードヴィルで命を落とした正規軍兵士達の、身寄りのない遺児ばかりだ。


 ラナエがどういう人間か、誰がシオンの父親か、子供達には最初に告げた。もし、イリヤが戻ってくることが許されるのであれば、一緒に向き合いたいと。


 当然、子供達がラナエをすんなり受け入れてくれた訳ではなく、年長のキーナなどは初め、ラナエを憎しみの目で見据えた。

 罵り、責め、泣いて――


 一人一人と向き合い、そして子供達がこの場所で屈託なく笑えるようになるまで、ラナエは子供達の前に立ち続けた。


 けれど、この償いがラナエに許されたのは、とてもありがたいことだった。

 果樹園での生産物を売るだけでは家計は苦しいが、子供達が困窮しないようヴェルナー家が目を配ってくれている。

 一つの苦もない。恵まれ過ぎているくらいだ。

 未来に向けて、彼等の成長を助けられるのならば。


 初めは警戒していた子供達も、一日、一日と過ごすごとに心を開いてくれた。けれどまだ、夜中に寝台の中で泣くことがあるのを知っている。


 食事の支度を手伝ってくれている子供達を眺め、ラナエはその視線を暮れ始めた空へ上げた。








 紫と赤と橙が混じり合った夕暮れの空が、南から西へ広がっている。

 西の端、高い位置にある細い窓から見えるぎりぎりのところに太陽が沈んで行く。

 イリヤが赤の塔に入り、およそ五か月が過ぎた。


 西海との戦いが終わったこと。ボードヴィルは第七大隊大将となったワッツが差配していること、ヴィルトールが繋いだ穏健派と和平条約を締結するのだということ。レオアリスが近衛師団総将に就任する予定だということ。

 ファルシオンが五月に、即位すること。


 それらは赤の塔の番兵達が、それから半ば彼の後見となったヴェルナーの従者が月に一度ほどここを訪ねて来て、教えてくれた。


 今、自分がこうしていられるのは、多くの人々が助けてくれたからだ。ヴィルトール、ワッツ、レオアリス、ヴェルナー。ボードヴィルの兵士達。

 ファルシオン。


(彼も)


 ヒースウッドも。彼とはもっと、違う言葉で語れたら良かった。


 ファルシオン――共に生きることは、ないだろうけれど。

 これから国を背負い、厳しい道を行くだろうファルシオンを直接助けてあげられないことが、苦しいけれど。


 幸せを祈っている。


(レオアリスが近衛師団総将なら、彼がファルシオンの傍にいるのなら、大丈夫だ)


 心から安心できた。ヴェルナーやヴィルトール、ワッツもいる。

 そして――


 沈み行く夕陽の、最後の光に願う。


 ラナエが、そしてシオンが。彼女が向き合う子供達が、幸せであるように。




 そうして祈る日々の中、王城の賑わい――春の祝祭の夜会が行われた、翌早朝に、一人の人物がイリヤの元を訪れた。


 面会人だと番兵に起こされたのは、まだ東の地平に太陽の気配が差し始めた頃、イリヤのいる部屋の窓からは暗い空しか見えない時分だ。


「こんな時間に――? 誰が」


 イリヤは顔を上げ、訪れた人物を見て驚いた瞳をした。


「貴方が、こんな場所に来るなんて――」


 今連れている従者はこれまで何度も訪ねてくれていたが、彼自身が来るのは初めてだ。そもそも牢獄に足を踏み入れる必要がある立場でもない。


 扉を潜り、二人の従者――ブロウズとエイセルのみを室内に残し、番兵は一礼して扉を閉ざした。


「ヴェルナー侯爵」

「貴方は『ヴェルナーの血族』とさせて頂いていますので」


 そう言い、ロットバルトはイリヤの前の椅子に腰掛け、向かい合った。




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