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最終章『光を紡ぐ』(69)

 

「レオアリス、ヴィルトールだ。ゆっくり話をするといい」


 ファルシオンの視線の先には、西海のミュイルやエブラーンと会話しているヴィルトールの姿がある。


 和平条約締結の儀を終え、やや遅い昼餐の席も終わり、場は海に張り出した半円広場で開かれた園遊会に移っていた。

 昼餐の場はまだ堅苦しさを残していたが、園遊会は海から吹く風も心地よく、時折雲間から差す陽光の中でアレウス国側も西海も、マリ王国も入り混じり、思い思いに語らっている。


 ファルシオンはレイラジェと、互いの国のことを一つ一つ、交換し合うように話していた。


「セルファンにそばにいてもらうから」


 ファルシオンの言葉に共に控えていたセルファンが頷く。


「――有難うございます」


 レオアリスは素直に受け止め、セルファンにも頭を下げた。


 ヴィルトールは今日を境に、西海の首都イス・ファロスの領事館に赴任する。任期は三年、イス・ファロスに滞在する間はファルシオンが召喚するかイスを訪れない限りは、基本会う機会が無い。

 バージェスに着いた昨日からずっと警護の為にファルシオンの近くに控えていたレオアリスが、ヴィルトールと話をする時間を持てていないことを慮ってくれたのだ。


 レイラジェへと一礼し、ファルシオンの傍を離れてヴィルトールへと歩み寄る。

 ヴィルトールはすぐに気付いて普段と変わらない穏やかな笑みを浮かべ、レオアリスが近付くのを待っている。


「――ヴィルトール」


 領事に任命されてから、話すのは初めてだ。


「上将、いえ、大将閣下」

「レオアリスでいいよ。今は領事の立場だし。ロットバルトもたまにだけど名前で呼んでくれるぜ」


 そう言うとヴィルトールは「おや、聞いていませんか?」と笑って眉を上げた。


「聞いて?」

「名前で呼ばせていただくのもいいですけど、私は今も部下ですよ。近衛師団の職は解かれていませんし、解かれたくないですしねぇ」

「そうなのか。てっきり、近衛師団は一旦離れるのかと思ってた」


 ここのところの慌ただしさもあり、よく確認しないままにそう思い込んでいた。


「総将が私を免じた記憶がなければ、私は近衛師団のままです」

「ああ――その立場はちょっと早いけど――そうか」


 なんとなくほっとして頷く。

 ヴィルトールは微笑んだ。


「上将、改めてご紹介します。西海の領事エブラーン殿と、ミュイル大将です」


 ヴィルトールはそれまで話をしていた二人へ、手を延べた。

 エブラーンがまず進み出て会釈し、レオアリスと握手を交わす。


「エブラーンと申します。お初にお目に掛かります」

「初めまして、レオアリスと申します」


 三十代半ばの穏やかそうな女性で、差し伸べた手の甲を覆う鱗と僅かに見える水掻きが、いわゆる『小変異種』であることを示している。


 もう一人、ミュイルは『変異種』で、レオアリスがこれまで目にした相手――三の戟ビュルゲルやヴェパールと同じ外見的特徴だが、陽気さや人柄の良さがその上に現れているようだ。


「閣下のことは、ヴィルトール殿から良く聞いています。ヴィルトール殿にはあの戦いの間我々を助けて頂きました。今回、ヴィルトール殿が領事としてイス・ファロスに来て頂けるのは嬉しい限りです」


 ミュイルの声の響きにレオアリスも自然と笑みを零した。


「私も、ミュイル殿のことをヴィルトールを通じてお聞きしています。ヴィルトールの命を救ってくださったこと、お礼を申し上げます」


 彼がボードヴィルで捕らえられかけたヴィルトールを助け出し、そして互いに交流を持ち、その結果がナジャルとの戦いの、ファロスファレナの参戦に繋がった。

 ヴィルトールとミュイル達との繋がりが生まれなければ、二国間で和平条約を締結することは無かったか、別のものになっていただろう。


「あの海中で、ファロスファレナの姿を見ました」


 とても美しかった、と、そう伝えるとミュイルは微笑んだ。


「有難うございます。我々があの戦いに参戦できたことを誇りに思います」


 海中でずっと探してくれていたことにも礼を伝え、ひとしきり言葉を交わすと「お二人のお話があるでしょう」、とミュイルはエブラーンと共に一旦その場を離れた。


 二人に目礼して再びヴィルトールと向き合う。

 穏やかな表情は、変わらないな、とそう感じられた。


「今回、婦人とお嬢さんも一緒だろう。そのことは良かったけど、慣れない環境が少し心配かな」

「王都とはまず気候が違いますしねぇ。海の上だし――けど、イス・ファロスが街の半分を海上に出して固定してくれたのでその点は安心してます」

「良かった。海の中も行動に問題はないんだろ?」


 ヴィルトールがファロスファレナに滞在した時の話は聞いている。

 海皇側との戦いで、深海の亀裂に深く沈んでいく情景は肝が冷える思いがしたが。


 そう思いながらヴィルトールの顔を見て、レオアリスは思わず半歩引いた。


「いやあ、そこが素晴らしくて。早くそこをですねぇ、娘に体験させてやりたくて。どんな顔をして喜ぶか、楽しみで楽しみで……」


 理性的な顔が笑み崩れている。


「あの青い海の中で空を飛ぶみたいに遊ぶ娘、最高に可愛いと思いませんか! 間違いなく!」


 ツッコミ役がいない。

 レオアリスは「ははは」と笑った。


「上将も見に来てください。ぜひ。私の娘を。めちゃくちゃ可愛いですから。今年で五歳になりますが、ますます可愛さが増してますから。いついらっしゃいますか? これから夏ですからね、海の中も一層映える季節で」

「う、うん、行きたいな」

「ぜひぜひ、ぜひ!」


「クライフ中将がいないと止まりませんね」


 聞き慣れた声に振り返る。

 声を掛けたのはロットバルトだ。それから、


「ヴィルトールは娘ちゃんのことにならなければカッコイイままなのに」


 アスタロトが続く。


「公――。ヴェルナー侯爵」


 ヴィルトールは恭しく一礼した。が、顔は溶けたまままだ。


「想像してください、私の娘の愛くるしさを――早く見たいですよね?」

「うんうん、うん」


 アスタロトが頷く。


「見に行くよ!」


 多分ほんとにすぐ行くだろうな、という口調でアスタロトはにこにこ頷いた。


「ロットバルトもね。ほら」

「いずれ」


 どうやら別の相手と話をしに行く途中らしく、ロットバルトは微笑むと、少し先にいる西海のベンゼルカの方へそのまま歩いて行く。ベンゼルカは交易関係の調整を担っていた。その横にマリのメネゼスがいるのは、マリ王国との交易について話をしているのだろうか。


「行っちゃうの?」


 てっきりロットバルトも一緒に話に加わると思っていたのか、アスタロトは狼狽えた様子でレオアリスをチラリと見る。


 何とも言えない顔だな――、と思った矢先、アスタロトはたっ、と駆け出した。


「アスタロト――」

「挨拶あるから!」


 先ほど離れたミュイル達のところへ駆けていく。


「――」

「何かありましたか、公と」


 ずい、と踏み出したヴィルトールに、「何でもない」と首を振る。まあ何でもなくはないと思うが、この場で簡単に説明できるかと言えば難しい。


 ヴィルトールは今度はまた違った笑みを浮かべつつもそれ以上は尋ねず、しみじみと空を見た。


「色々と、状況は変わっていきますね。想像した方にも、想像もしなかった方にも」

「――そうだな。けどどっちかと言えば、今の状況は思いもよらなかったな、俺は」


 王都を目指した十四の頃からは。

 今の状況全部。


「そうですねぇ。確かに私もまさか、西海に領事として来ることになるとは思ってもみませんでした」

「だよな。今の状況で、想像した方って、何かあるか?」

「上将が近衛師団総将になることですね」


 レオアリスは瞳を見開いてヴィルトールを見つめ、それから、空へと風に靡く三つの国旗を見上げた。


 薄い雲を浮かべた青い空に、翻りはためく。

 風と波の音。


「俺は――」


 ファルシオンへと視線を戻し――


「あ、俺戻る」


 アルジマールが必死な形相でファルシオンとレイラジェのいる方へ駆けて行くところだ。


「レイラジェ殿……! ちょっと、お話が……!」


 顔だけなら猛烈な勢いがある、が、いかんせん遅い。

 レオアリスは取り敢えずアルジマールを追い越し、ファルシオンの傍に戻った。ファルシオンがレオアリスを見上げ、にこりと微笑む。


「レイラジェ殿……!」


 アルジマールの息切れ気味の呼びかけに、迎えるレイラジェは礼節を保って一礼した。


「法術院長殿」

「ふ、ふ、船――」


 俯き、息を切らし、十数呼吸整えた後、アルジマールは顔を上げた。


「船、見せてください!」


 挨拶もそこそこ、アルジマールがずいと身を乗り出す。


「どんな原理で動いてるのか、船体の構造とか、素材とか――じっくりなでまわした……解体……眺めたいんで! ていうか一艘欲しいなって!」


 ずいずい。

 レイラジェはやや驚いた顔を見せながらも、穏やかさは崩れていない。


「よろしければ今、ご案内しましょう」

「貴国の船を見せて頂くのならば、ぜひ私も」


 割って入ったのはメネゼスだ。つい先ほどまでベンゼルカと話をしていたはずだが、すいとアルジマールの隣に立った。


「可能であれば操船させて頂けると有り難い」


 丁寧に頷き、それからファルシオンへ向き直った。


「ファルシオン殿下、私共の船をご覧になりませんか」

「嬉しいです」


 ファルシオンは幼い頬を輝かせるように微笑んだ。






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