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最終章『光を紡ぐ』(63)

 

 (のみ)が、白と薄桃色混じりの花崗岩に一筋、最後の線を刻む。その高質な音が水路の水面を、ほんの僅か揺らした。


 最後の、仕上げの工程を全て終え、水都バージェスの修復は完了した。

 三月十二日、穏やかな陽射しと風の中だ。


 アスタロトは息を吐き、傍らのワッツと、それからこのおよそ四か月に渡る修復作業を共に指揮してくれた工人頭(こうじんがしら)、バスクイールの顔を、それぞれ見上げた。


「終わったね」


 彼等の前にあるのは、たった今最後の鑿を入れ終え、完成したばかりの橋だ。

 条約の館が建つ広場に架かる、縦横に水路を巡らせたバージェスでも最も広い橋で、馬車が通れるように車道と歩道とに分かれている。


 水嵩が上がった時の影響を避ける為、バージェスの橋はどれもゆるく優美な弧を描くか、階段が両端に設けられて地面より高く造られているのが特徴だ。


 この橋も水路の上に緩やかな曲線を描き、海に半円に張り出した広場と街とを繋いでいる。以前架かっていて、西海の侵攻と共に崩れていたところを、元に近い形で架け直したものだった。

 欄干を腰高に設け、新たに彫刻を刻んだ。


 その彫刻は、アスタロトがこの復興を完成させる、最後の仕上げと考えていたものだった。

 王からファルシオンへ、未来に繋ぐ象徴として。


 ファルシオンは三月末日にバージェス入りする予定になっており、その時に初めてこの彫刻を目にする。


「来月――いらっしゃるのは今月末か、王太子殿下を迎えた時、これを見てもらうのが楽しみだね」

「喜んで頂けるといいのですが」


 初お目見えを想像して緊張しきりのバスクイールに対し、アスタロトはにっこりと笑った。

 自分では意識していないが、その微笑みは向けられる人の心を癒すもので、エレノア・コットーナ伯爵夫人が常々口にする『貴婦人』という基準を充分満たしている。


「大丈夫。みんなで一所懸命作ってきたんだもん、殿下はそのことだけだってお喜びになるし、そもそもみんなの腕は私が保証する」


 見回せば、集まっていた職人達もみな誇らしそうだ。


「みんな有難う」


 と改めて言うと、職人達の間から拍手と歓声が湧き起こった。

 橋の正面へ視線を投げれば、広がる青い空と広場の前面を埋め尽くす海に吸い込まれるような気持ちになる。


 視線の先では条約締結の館が、屋根にその特徴的な半円状の硝子の天蓋を戴き、空と海との間に静かに建っている。

 気持ちは前へ、前へと動いてくように思える。


「よし。予定してたより二日早く終わったし、王太子殿下をこの街に迎えるまで手をつけることはまだあるけど、この二日は思う存分休んじゃおう。今日は一切合切私の奢りだ、いくらでも飲んでいいよ」


 再び拍手と歓声が上がり、解散、という工人頭の声に、集まっていた職人達は足取りも軽く散っていった。





 復興完了を待ち、三月二十四日を以て、バージェスは王家の直轄領となることが決まった。

 それまでにもう一つ、バージェスでは重要な調整が残されている。


 この復興作業の間、バージェスには多くの人が集まって来ている。労働者、彼等を目当てにした商人、屋台。彼等は復興が終わればほとんどが自らの家に帰る。

 その中で一つ、喫緊の課題があった。バージェスの復興を聞いて集まってくる、この街への移住を希望する人々への対応だ。


 バージェスはいずれ一万人が暮らせる街に発展させる方向だが、まだ街そのものは従来の二千人規模のものであり、現状、受け入れには限界がある。

 領事館の事務室には今でさえ居住申請書が山積みになっていて、その審査も半ばだ。


 移住条件の第一は、交易関係者およそ二百人と橋大工や大工、建具職人など職人およそ百人、復興従事者の内の希望者が三百五十人ほど。

 街路や水路、上下水道など街の管理の技術者がまずは二十人。

 そして彼等が伴う家族を合わせると、現時点でおよそ七百人。


 他にも、王家の直轄地警備の為、正規軍第七大隊小隊が常駐するのが決まっている。その百名と家族でおよそ三百人。

 これだけでほぼ、二千人の内千名は埋まっている。


 その上で単純な移住希望者は現時点で七百人。まだ増えていた。


「設計も終わってるし街の拡張許可はもう下りてるんだけど、工事の人手がね。今まで作業してた内半分以上、自分の村に帰っちゃうし」


 もう種まきの季節に入り、一足先に帰った者もいる。

 傍らのワッツも頷いた。


「和平条約締結の王太子殿下がおいでの際に、街の外に天幕だらけって状態にしとく訳にもいきませんからねぇ」


 とはいえそこはアスタロトがいつまでも関わることではなく、地政院と、それから西方公に課される役割だ。南方公であるアスタロトが復興に関わっていたのが限定的な対応だった。


「まあ、ヴェルナー侯なら上手くやりますよ」


 ワッツは脳裏に顔を思い浮かべ例の如く放り投げることとして、その横でアスタロトもうんうんと頷いた。


 手を後ろ手に組み、うんと後ろへ伸ばす。そのまま両拳を握り、空に突き上げた。広がる空は抜けるように青い。


「さてと、ワッツもお疲れ様!」


 ワッツは十二月はボードヴィル、一月は主にバージェスに軸足を置き、二月はボードヴィルとバージェスを行ったり来たりしていた。


「さすがにボードヴィルに落ち着かなきゃね」

「そうさせて頂きます。また月末には警備に戻りますが――公はどうなさるんで」

「明後日、地政院と内政官房の確認が終わったら王都に戻るよ。これで私の役目もおしまいだもん」


 その二部署で街の管理や居住関連を調整し、その後商業許可などを財務院が検討した上で、三月二十四日にはファルシオンへ報告することになっている。

 直轄領として正式に王家の管理下に入るのは、四月一日だ。

 まだまだ慌ただしい。


 二人は条約の館に背を向け、通りを歩き出した。


「そういやレオアリスはだいぶ調子も戻ったんでしょうね。どうしてましたか」

「最初数日間寝込んでたけど、すっかり元気になったよ」

「五月には近衛師団総将ですか、あいつが」


 ワッツはしみじみと言葉を落とした。


「何て言うか、会った時はまだ小生意気なガキだったんですがねぇ」

「あいつ、自分のことも王都のことも、何もわかってなかったよね。でも私はわかってたし」


 顎を持ち上げたアスタロトの面は、陽射しを受けて輝くようだ。


「絶対総将になるって」


 ワッツは目を細め、笑みを滲ませた。ワッツにとってはこの少女も、初めて目の前にした時は――立場上口にするのは憚られるが――未熟で、自分を知らなかった。

 生来の炎、その向かう先の在り方を。


 そんな二人が揃って成長していく様は、勝手な想いだが親戚の子供を見るようで心地良い。


「そういやぁ……」


 ワッツが更に目を細める。


「レオアリスとはどうなってんで。前、何やら仰ってましたよね。一里の控えでお会いした時に」

「――」


 返事がない。


「公?」


 昂然と上げられていたアスタロトの面が、じりじりと下がる。


「――こないだ、話をしようと思ったんだけど」


 妙な反応だな、と思いながらも興味深く、ワッツはずい、と身を乗り出した。


「ほう」

「途中から記憶が無い」


 ワッツはちょっと考えた。記憶が無いとはどう言う状況だろうか。


「――どうしたんですか?」


 アスタロトは完全に俯いている。

 ワッツは聞いたら悪かったか、と思い始めた。

 アスタロトがぽつりと呟く。


「逃げた」

「嬢ちゃん」


 つい素に戻って声が出た。


「だって……あいつが……、……から……」

「何、ですか?」


 よく聞こえない。


「きゅ、急に、かっかっかっか」


 ワッツは緑の目を細めた。


「かっ」

「――か?」

「肩……」

「肩? 肩がどうかしましたか? 肩が? 肩に? 肩の?」


 違うようだ。


「……肩を?」

「かっ」


 俯いたまま両拳を握りしめ、硬直している。

 正規軍全兵士がうっとりする美少女なんだがな、とワッツは内心呟いた。


「肩を、だっ、いやっ、手、そう、手を回してっ」

「――」


 雲行きにワッツはずい、と一歩寄った。


「ほお!」

「ぎゅって……っ」

「ほおー!」

「背中ぽんぽんて……っ」

「ほおおー」


 進歩したじゃねぇか、とにんまりする。


「それで、嬢ちゃ、じゃねぇ、公は動転して逃げてしまったと」


 初々しいなぁ、とほくそ笑む。


「けど、いい傾向じゃないですか。レオアリスだって憎からず」


 アスタロトは俯いたままだ。


「違う」と、絞り出すように言った。


「はい? え、何……故、でしょう」

「ハヤテと同じだもん」

「うん?」


 話が飛躍している。飛竜だけに。


「ハヤテ?」

「あいつ、その前に、ハヤテのこともぽんぽんしてた」

「はい……?」

「ハヤテと扱い、同じだもん!」


 ワッツはあーともんーともおーともつかない相槌を打った。


「んあおー」

「私、ハヤテと同列なんだー! うわぁぁあん!」

「いや、まあ……はい」


 俺の手に負える分野じゃないな、とワッツは一人頷いた。





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