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最終章『光を紡ぐ』(61)

 

 窓を風が鳴らす。

 カイルが窓へと目を開けた時、玄関が開く音がした。


「ただいま」


 居間にいたカイルとセトは繕い物の手を止め、居間に入って来たレオアリスを迎えた。


「早かったのう。外の気温はどうじゃ。寒くなかったか」

「陽射しがあってじっとしてればあったかいけど、飛ぶと風を切るからやっぱまだ寒いよ。風も強いし、温油を持ってかなかったから遠出は止めたんだ」


 今日は久しぶりの公休だ。

 ずっと王都にいなかった為、レオアリスの周辺については様々なことが止まっていて据え置かれていたこともあるが、ファルシオンの誕生祝賀式、四月の和平条約締結、国葬と、即位――近衛師団の体制や各式典の警備、配置、もろもろの準備に向けここのところレオアリスも忙しく、昨日は官舎に戻ったのは深夜近くになっていた。


 朝も六刻に起き出し、カイル達と一緒に朝食をとり、家のことをあれこれ片付けて、二刻前に飛竜の世話に出かけたばかりだった。

 本当は一刻くらい遠駆けをしたかったが、風が思ったよりも冷たく、無理に飛ぶのは諦めた。ハヤテはちょっと不満そうだった。


「眠い……」


 最近ばたばたと忙しかったせいか、つい癖でいつも通りの時刻に起きてしまったのだ。その分簡単な掃除と洗濯ができたが。


「朝もゆっくり休んでおればいいものを。掃除洗濯などわしらがやっているのだし」

「じいちゃん達こそ、俺がいる日くらいのんびり好きなことすればいいだろ。せっかく王都にいるんだから。それ俺の?」


 カイル達が繕っているのはレオアリスの私服だ。自己鍛錬の時や、特にハヤテの世話をしているとちょくちょく穴が開く。


「俺がやるよ」

「いいから、昼までゆっくりしておれ。身体を温めたらいい。外にいて冷えたじゃろう」


 孫が伸ばした手から縫い物を遠ざけ、カイルは暖炉の前の椅子を示した。


「じゃあ」


 と、カイルの指示通り――ではなく、レオアリスは椅子に畳んで置かれていた毛布を取り、一番陽射しの当たる窓辺に行くと、毛布を枕及び敷布代わりにしてごろんと寝転がった。

 背中を陽射しに向けると、身体にじわりと温かな熱が広がる。


「床にごろごろ、行儀が悪いのう」


 とセトが眉を寄せる。


「ここだと背中に陽が当たってあったかいんだ。だいぶ冷えたし」

「外に長時間おるからじゃ」


 セトは傍らにひょいと座り、レオアリスの背中を撫でた。

 その手の温もりに黒森の村にいたころを思い出す。陽だまりでうたた寝をしていると、誰かしらがこうやってよく背中を撫でてくれた。


 温かい、優しい手の記憶だ。


 雪が降っている時は、囲炉裏のそばで。




 そのままうとうとと眠ってしまったようだ。


 起こされたのは、寝入ってから半刻程度、陽だまりが小さくなり出した頃だった。

 懐かしい香りが漂っている。


「レオアリス。茶を淹れたぞ、飲みなさい」

「うん……」


 もぞもぞと起き上がり、卓の前の小振りの椅子に座る。

 差し出された器は、紅茶よりも薄い、黄金色の茶で満たされている。

 懐かしい香りが何か、その色を見て思い出した。


「ピールのお茶だ」


 雪の下に芽を出す、北の地に春を告げる花だ。


「去年摘んだ葉じゃがの。またそろそろ、黒森でもピールの白い花が春を告げるじゃろう」

「そういやもう花明け月か。けどあそこじゃ名前だけじゃん」


 花明けの月は三月――けれどあの土地は、いつまで経っても地面は雪が消えず凍ったようで、四月半ばにならないと春の訪れを感じられない。

 一年の半分近く雪で覆われ、実りも少ない。

 相変わらず厳しい土地だ。


「――じいちゃん達、あの場所――」


 器を両手に包み、それから、息を吐いた。


「何でもない」


 レオアリスの前に座ったセトは、羽毛の中の両目を細めた。

 カイルも卓に茶器を置き、セトの隣の椅子に座る。


「わしらは明後日、村に帰る」

「えっ」


 器の中の黄金色に視線を落としていたレオアリスは、思い掛けない言葉に顔を跳ね上げた。


「帰るって――」


 いや、そうだろう。

 祖父達が暮らす場所だ。帰るというのは当たり前のことだ。


「でもまだ」

「もう一月以上、王都にいるからのう。わしらもすっかり垢抜けたもんじゃ」


 セトが笑う。


「――」

「これから春じゃ。色々とやることが増えてくる。そうそう村を空けてもおれん」


 雪が薄くなってくれば畑に手を入れ、冬の間に乾燥させていた薬草などをカレッサの街へ売りに行く。歩いて丸一日かかる距離だ。

 冬の間に不足してきた食糧も日用品も、あれこれ買わなくては。

 また雪が降り始めるまで、季節は短い。


 買い出しの荷物を持つ役が要るよな、と思う。自分がそれをできないから、今は一番若いセトが重い荷物を持っているのだろうか。


 先ほどの想いがもう一度沸き起こり、それをぐっと(こら)えた。

 どれほど環境が厳しくとも、カイル達があの村を離れることはない。

 レオアリスの父母達の――彼等の友人達の墓標が、そこにあるのだから。


 祖父達の生きる場所、故郷だ。

 けれどそこは、自分の帰る場所でもある。


「……俺の誕生日までいればいいのに」


 レオアリスは卓の上に置いた腕に顎を乗せ、小さく息を吐いた。


「何を幼な子のようなことを言うとる」


 カイルの言葉は柔らかく、陽射しのような温もりを帯びている。


「これ以上いたら、村のもんにお前たちばかりずるいと恨まれるわ」


 祖父は手を伸ばし、レオアリスの頭にぽんと置いた。


「お前がたまには帰ってこい」

「――うん」


 飛竜でならば一日、転位陣が使えるのなら、距離などあっという間に埋められる。


(そんなに遠くない)


「それからレオアリス」


 セトが得意げな、少し揶揄うような顔をした。


「今は法術で荷物を持ち運んどる」

「えっ」


 レオアリスは卓に手をついて立ち上がった。


「何だよ、俺がいる時はそんな法術使えないって言ってたじゃないか」


 重い荷物を抱えたカレッサからの帰り道は何だったんだ、と抗議の目を向けたレオアリスに、セトは尤もらしく腕を組み反り返った。


「あの時はあの時、今は今じゃ。誰だろうとやる気になればどんな歳であっても進歩するもんじゃ」


 得意げなセトに、カイルが補足する。


「デント商会が香木を仕入れてくれたろう。だから新しい法術を買う金ができたんじゃよ」

「これもお前が王都に出てきたお蔭じゃな」

「だから手伝えないとかを、お前が気にする必要はないよ」


 レオアリスは瞳を見開いて祖父達を見つめ、しみじみと息を吐いた。


「――そうか……」


 少しずつ変わって行くのだ。

 いい方に変わっている。


「今度、デントさんにお礼を言っておくよ」

「くれぐれもな。お前とこうして話ができているのも、彼等のお蔭もあるのじゃから」


 カイルは穏やかな面に笑みを浮かべた。

 レオアリスも笑みを返し、それから卓に手をついたまま身を乗り出す。


「ところでさ、荷物運ぶやつ、それ俺にも教えてよ。荷運びに便利だし、もしかして自分を浮かせられるんじゃねぇ?」


 カイルが嗜めるように目を細める。


「そういう見栄えのする術ばかり覚えたがるもんじゃない。そもそもお前は法術の基礎をもっと身に染み込ませねば、どんな術も中途半端になるばかりじゃ」


 首を竦めたレオアリスにセトが畳みかける。


「そうじゃ。未熟なくせにお前、探索の術式を使ったらしいのう。溶けて消えたらどうするつもりだったのじゃ」

「上手くいったって。二回とも。随分前だけど」


 二回も成功したのかと、カイルとセトは驚いて顔を見合わせた。


「何とまあ」

「まあ一回は途中で意識飛んだけど……」


 途端にカイルの眼差しが突き刺さる。


「結果良かっただけで、お前が未熟なことに変わりはない。もう使うな」

「使うって言うか、今は術そのものがちょっと。剣が出てきてから法術は上手く使えなくなったんだ」

「上手く使えないのと、使わないよう意識をしておくのとでは違う」

「分かったって」

「きちんと約束せえ」


 思いの外厳しい口調に驚きつつも、レオアリスは頷いた。


「使わない」

「なら良い」


 理由を問う顔に、カイルは慎重な眼差しで答えた。


「わしらも封印する。アルジマール院長殿いわく、禁呪の域だそうじゃ」

「禁呪? ええ? あの術が?」


 そんな恐ろしいものには思えなかったが、セトの


「一般に流布したら、法術士がどれだけ溶けるか分からんと仰っとったぞ」


 という言葉でレオアリスも腑に落ちた。


「確かに、熱心な法術士ほど一度術に入ったら止まらなくなるかもな」


 森の意識に深く入っていくあの術は、高位者ほど自分の望むように情報を聞き出せるのだろう。

 知の探索に耽溺する法術士にはどれほど魅力的なことか。


「院長、溶けるんじゃないか……?」


 ちょっと笑えないな、と思った。




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