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最終章『光を紡ぐ』(60)

 

「また王都に来てください、カラヴィアスさん」


 レオアリスは王都街門の厩舎の前で、王都を発つカラヴィアスにそう言った。これから飛竜が飛ぶ空は気持ち良く青く澄んでいる。

 彼等が王都に滞在したのは二日間のことで、帰りはプラドとティエラも共に発つ。


「そうそう自分の里を離れてばかりもいられん。だが五月にはまた会えるだろう。我々にまで即位式の招待を頂いているからな」

「即位式にはお二人がいらっしゃるんですか?」


 カラヴィアスとトールゲインが出席だろうかと、傍らに控えるトールゲインを見る。

 カラヴィアスは頷いた。


「そうさせてもらう。だがティルファングも同行させようと思っている。あいつにも見識を深めさせたい」

「それは、ぜひ会いたいです」


 会って話したい。

 実年齢はかなり年上なのだが、何となくティルファングは年下のような気がしてならない――が、それは口に出さない方が花だろう。


 その時にレーヴァレインが目を覚ましているのが望ましいが、とカラヴィアスは薄く笑った。


 翼の音、それから頬に風が当たる。

 視線を向ければ厩舎の主人が、預けていた柘榴の飛竜二頭を厩舎正面の大扉から引き出してくるところだ。


 レオアリスの後方で大人しく身を伏せて待っていたハヤテが、引き出されてきた柘榴の飛竜を見て首を起こす。

 柘榴の飛竜も銀色の飛竜の姿を見つけ、短い後ろ脚をどたどたと動かして近寄ると、互いに鼻先を寄せ合い、短く鼻を鳴らして挨拶を交わした。柘榴の飛竜を前にすると、速度を誇る銀翼の翼もやや小振りに見える。


 三騎の飛竜の周りには厩舎の男達が十人ばかり集まり、目を輝かせてあれこれ言葉を交わし始めた。騎手である剣士五人は一般的にはかなり珍しいのだが、厩舎の男達は滅多に見ない大型と銀翼の揃い踏みの方に興味津々だ。


 とは言え厩舎の主人は近衛師団大将が見送りにきたことで、やはり飛竜の扱いを疎かにしなくて良かったと内心胸を撫で下ろしているところだった。


「飛竜は二騎で足りますか。四人なら、もう二騎用意しましょうか」


 プラドがルベル・カリマから借りていた飛竜は、カイル達を連れて王都に着いた時、里に返していた。


「問題ない。里から迎えを寄越すよう連絡した。途中で飛竜を受け取れるだろう。銀翼でもない限り、通常の飛竜ではこいつらと同じようには飛べないだろうからな」


 レオアリスは目を輝かせた。


「てことはやっぱり、銀翼って速いんですね!」

「食い付くなぁ、そこか」


 笑い、カラヴィアスは改めてレオアリスへ向き直った。

 もう旅立つと、その仕草が告げるようだ。


「レオアリス。近い内に――機会ができたら一度、里を訪ねて来い。せっかく残ったのに滅多に会えないのではプラド達も甲斐がない。氏族の者達もお前に会うのを楽しみにしているのだしな。盛大に歓迎するぞ」

「必ず」

「可能であれば、王太子殿下を招待させて頂きたいが」

「その言葉を、ファルシオン殿下はお喜びになると思います」


 即位後、国政がある程度落ち着いたら、ファルシオンは視察の為に国内を巡ることになるだろう。それも国主としての役割の一つだ。

 ルベル・カリマの里も、訪問の候補地の一つなのは間違いない。


『色々なところに、一緒に行きたい』


 いつだったか、ファルシオンはそう言った。

 それが現実のものになりそうだ。


 カラヴィアスとトールゲイン、プラドとティエラがそれぞれ柘榴の飛竜の背に上がる。

 騎上した二人を見上げ、レオアリスは片手を上げた。


「プラドさん、ティエラさん、また」

 プラドはやや戸惑った顔をして、「次に会える時は、また、って言うものなの」とティエラに肘で突かれると

「ああ、また」


 とだけ言った。

 ティエラが微笑む。


「またね、レオアリス。早く会いにきてね。プラドが心配するし寂しがるから」


 悪戯っぽい口調で言い、プラドが眉を顰めたのを見て頬の笑みを更に広げる。

 カラヴィアスの乗った柘榴の飛竜が翼を広げる。一つ、羽ばたきが風を煽り、青みを増し始めた下草を煽る。


 二度、三度、羽ばたきを重ねると、柘榴の飛竜は宙へと浮いた。

 次の羽ばたきで、ぐん、と目の高さまで浮揚し、速度を増したかと思うとあっという間に空へと駆け上がる。

 もう声も届かない。


 レオアリスはちょうど中天に上がり始めた太陽に手を翳し、南へ、小さくなっていく二騎の飛竜をしばらく見送った。





 見送りから戻り、ハヤテを王城南棟、四階にある駐騎場へと降ろす。

 通常、飛竜は城門手前の厩舎で預けなくてはならないが、侯爵以上と近衛師団の副総将以上は直接王城の駐騎場へ飛竜を降ろすことができた。レオアリスは現時点では大将級だがファルシオンの近くに速やかに控えられるよう、王城の駐騎場の使用が認められたところだ。


 両手を伸ばし、ハヤテの顔を挟むと両目の間に額を当てた。


「お前、柘榴の飛竜と同じくらい速いんだって。凄いな」と首回りを軽く叩く。ハヤテも嬉しそうに――心なしか得意げに見える。

「一緒に飛びたかったか?」


 首を縦に振ったハヤテの顎が肩に乗る。

 レオアリスは笑みを零した。


「だよな。今度、ルベル・カリマの里に行ったらさ――」


「お前いつも、そんな感じでハヤテと会話してんの?」


 すごいな、と――

 聞き慣れた声に振り返ると、駐騎場の扉にアスタロトが立っていた。


「私もアーシアと話すけど、アーシア人型になるし」

「人型にならなくたって大体言いたいことは分かるだろ」

「分かるけど、お前のそれ、もろ普通の会話だよね」


 アスタロトはすたすたと歩き、レオアリスのちょっと前で立ち止まった。


「――あのさ」


 ひと呼吸、ふた呼吸、言葉を探すように口を噤み、息を吐く。

 長い黒髪が揺れる。


 昨年の五月、アスタロトは腰まであった髪をざっくりと切っていた。

 肩までの長さだったそれも、もう背の半ばまで掛かるほどまで伸びていた。


「――どうするか、決めたの――?」

「どうするか?」

「だから……カラヴィアスさんとか来てて、プラドさんとかと会ったんだろ?」


 アスタロトは、一つ、決意を込めるように息を吸った。

 顔を真っ直ぐ上げる。


「プラドさんと、ベンダバールに……」

「ああ。行かないよ」

「行くか――――えっ!?」


 アスタロトが身を反らす。

 レオアリスはほんの僅か首を傾け、笑った。


「ここにいるって決めた。ていうか俺はこの国の生まれだし、初めからこの国の人間だし。まあちょっとは考えたけどな」

「でも……いいの。たった一人の、肉親だし……」

「だから残ってくれって頼んだ」

「えっ」

「まあ、ずっとじゃないかもしれないけど、しばらくはルベル・カリマの里にいるってさ」

「えっ。……」


 しばらくレオアリスの顔を見つめていたアスタロトは、しみじみと息を吐いた。


「お前、すごいね」

「すごいって何だよ」


 レオアリスは笑って、


「そもそも、ファルシオン殿下が信頼してくださって、大役を俺に任せてくださった」


 その役割に――信頼に、自分が応えられるのであれば。

 そして。


 ファルシオンがこの剣を受けてくれる限り。


「どこにも行かない」


 顔を上げてレオアリスはぎょっとした。

 アスタロトの真紅の瞳に涙が浮かんでいる。瞬きと共に幾粒か、頬を伝った。


「えっ、どう――」

「良かった……」


 絞り出した声は震え、明らかに涙交じりだ。


「アスタロト」


 アスタロトは乱暴に手首の辺りで涙を拭った。


「泣いてないぞ!」

「……」

「でも、レ――レオアリスが、いなくなるんじゃないかって、思って――ファルシオン殿下がいるから、大丈夫って、思ったけど……」


 俯いたアスタロトの肩も小さく揺れている。


「意外とすぐ泣くなぁ」

「泣いてないって――」


 レオアリスは笑ってアスタロトに近寄り、その肩に両腕を回してぽんぽんと、二度ほど背中を叩いた。

 アスタロトは声もなく、息を呑んでいる。


「有難う。色々、本当に、今ここにいるのはアスタロトのお蔭だ」

「――わ、私だけじゃないし……」


 伏せた面が零す声は消え入るようだ。


 もう一度肩を叩き、ハヤテを管理官に預けようと手綱を取る。

 その手をふと止めた。


「そう言えば、アスタロト、前に俺に聞いたよな。俺がアスタロトを好きかどうかって。あの話だけど――」


 ハヤテがきゅう、と鳴く。

 レオアリスはハヤテの顔を見上げ、それからアスタロトがいた方を振り返った。


「えっ」


 二度ほど瞬きを繰り返す。


「――いねえ」


 奥行き五間(約15m)ある駐騎場の城内への扉まで、レオアリス以外は管理官が二人。

 視線の先で城内への扉が閉まっていくところだった。


「えぇ……」








 やがて三月に入り、王都では街路樹の白や黄色、淡い桃色などいくつもの花が咲き綻び始めた。肌に触れる空気も柔らかい温もりも、穏やかな季節の移り変わりを教えてくれる。

 三月に入ったことで、王都は慌ただしさを増した。


 西海との和平条約締結式が来月四月一日に迫っていることもあるが、式典が行われるのは遠く西のバージェスでの話であり、王都や王都近隣の住民達にとっては目下、王都の行事が関心の中心だった。

 王都の四月と言えば、春の祝祭だ。


 ただ、住民達は二月の終わりまで、今年は祝祭はないだろうと、半ば諦めていた。まだ王の喪中でもあり、四月末に国葬を控えているからだ。

 五月には即位の儀という慶事も控えているのだから祝祭が行われないのは仕方がない、と多くの住民達が考えている中、三月初日に王太子ファルシオンは、祝祭の実施を決め、布告した。


 日程は、例年四月半ばからのところ、今年は条約締結の翌日から七日間。喪中であること、また五月の即位式典など警備の関係上、例年行われていた正規軍や近衛師団による出し物は無い。

 全てこれまで通りとはいかなかったものの、このファルシオンの決定を聞き、住民達の間には残った雪を溶かさんばかりに気分の高揚と活気が広がった。


 昨年は戦乱の中にあり、最大の祭りである秋の祝祭ができなかった。

 日常を取り戻す想い、そしてこれから続くだろう平穏が、祝祭によって確たるものになるようにも感じられた。


 何より、父王を失った悲しみの中にあっても、ファルシオンが民の喜びの為に祝祭を行うと決めた、その心を住民達は尊んだ。

 そしてもう一つの慶事も、楽しみの一つに含まれる。


 春の祝祭に加えて――その前に、と言うべきか、この三月の二十四日に、王太子ファルシオンがいよいよ六歳を迎えるのだ。

 これもまた大々的には行わず、昨年行った祝賀の行進などは予定されていないが、その分即位式典では王都の各層、四方面の大通りを全て回ることも、春の祝祭実施の知らせと併せて発表された。


 彼等の王太子が、一歩一歩成長していく様を共に喜ぶように、王都は賑やかさを増していく。





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