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最終章『光を紡ぐ』(55)


 二月十日、この時期には珍しいくらい空はよく晴れていた。

 一昨日に降った雪はまだ王都の家々の屋根や通りに厚く残り、それらが陽光を拡散させて街は眩しいほどだ。


 レオアリスは王城五階のファルシオンの執務室で、ファルシオンが座る執務机の右脇にグランスレイ、セルファンと並んで立ち、膝をついた法術院長アルジマールの面を見つめた。

 外の眩しさを映したのかと思うほど、アルジマールの面は輝いている。抑えきれない喜びというか、なんというか。


(胡散臭い……)


 いや、その印象はどうなのか、とレオアリスは自省した。

 アルジマールには何度、どれほど助けられ、支えられてきたことか。アルジマールがいなければ西海との戦いを、何よりナジャルとの戦いを勝ち抜けてはいない。


 それを思えばアルジマールには信頼しかないはずだ。はずなのだ。


「国王代理、王太子ファルシオン殿下。本日は奏上したい旨があり、参上いたしました」


 ちらりと正面を見れば、執務机を挟んで内政官房長官ベール、そして財務院長としての立場なのか、ロットバルトが立っている。

 一昨日ヴェルナーの長老会に招かれた折、ロットバルトは今日のアルジマールの面会のことを、レオアリスにも興味深いだろうとそう言っていた。


「どのような話なのだ、アルジマール」


 ファルシオンにはまだ大きい執務机は、これでも元の王の執務机から小振のものに入れ替えている。

 幼い国王代理は柔らかな銀色の髪に窓からの陽光を纏わせた。

 アルジマールがずい、と膝を進める。


「我が国の、新たな移動及び大規模輸送手段について、提案をさせて頂きたく存じます」

「新しい移動と、ゆそう、手段――?」


 まだ使い慣れない言葉をファルシオンは、響きを確認するように繰り返した。


「輸送とは、ものを運ぶことだな。今ある、荷馬車や、シメノスを使った船のほかに……たとえば、転位といったそなたの法術だろうか」

「はい。御明察です」


 ファルシオンの返した内容にアルジマールはにこにこと頷いた。


「とは申しましても、殿下が今想像なさっているものとはおそらく異なります。けれど運用されればより画期的に、そして飛躍的に、輸送量の拡大と時間及び労力の短縮に繋がるものと、自負しております」


 ファルシオンが黄金の瞳を期待に見開く。

 ベールとロットバルトを見たが、二人はアルジマールの提案内容を承知しているようで、ファルシオンはアルジマールへ視線を戻した。


「それはとても良い提案に思える。どのようなものか、はやく聞かせてほしい」


 アルジマールにしては珍しく自らを抑制しているのか、一度ゆっくりと呼吸した。


「まずは御自身で、直接御覧頂くのが良いと考えております。試作品がございますので、これからそこへご案内致します」

「案内? どこへ行くのだ」


 アルジマールはもう膝が浮いている。今すぐにでも転位の術式を唱え始めそうだ。


「王都北西、アル・ゼローゼ城へ」






 王都北西、アル・ゼローゼ城は四百年前の大戦の折、前線への補給の拠点として大規模な転位陣が敷かれていた城だ。


 そうした城や拠点は王都周辺に複数あり、街道沿いにあったものは大戦終了後転用されるか都市へと変貌したが、主要街道から外れた場所にあった幾つかは、寂れるままになっていた。

 アル・ゼローゼ城は後者だ。




 王城中庭から転位陣を用いて、ファルシオン達は一息にアル・ゼローゼ城へと跳んだ。

 レオアリスは法術による転位による軽い目眩の中、ファルシオンの立ち位置を確認しつつ、周囲を見回した。

 左手に城――


(ゼローゼ城か)


 マグノリア城を思い起こす。あの城もかつて同じ機能を有した拠点だった。そして、西方へ跳ぶ転位陣が、王の消息を知る手掛かりがあると、トゥレスが告げた場所。

 レオアリスは離れるべきではない時に、ファルシオンの傍を離れた。


 あの時を思い起こすごと、強く浮かぶ慚愧の想いを喉の奥に呑み込み、息を吐く。

 あの失態を、自分を忘れずに、二度と繰り返すことのないよう何度だろうと心に刻み付ける。


 転位陣がある広場の左側は無骨な壁が聳え、その向こうに幾つかの尖塔を覗かせている。今レオアリス達がいるのは開けた、城の屋上部分と広場が一体となった場所だ。


 身体を包む温度が一息に冷え、足元の、除けられていない雪の厚みにかなり北に転位したのかと思ったが、目を上げた視線の先、遥か遠方に王都の影を捉えた。

 雪に覆われた大地が雲海にも似て、王都は空に浮かんで見える。


「ここが、アル・ゼローゼという城なのか?」


 ファルシオンの幼い声にベールが答える。


「はい。王都より北西におよそ十里の位置にございます」


 尖塔となだらかな屋根が白い雪で美しく化粧され、今いる屋上広場も、そして城の周囲に広がる平原とそれを覆う雪景色も、穏やかな静けさに満ちている。


 その中に時折響く音がある。城壁の向こうからだ。

 槌の音。木と木が撃ち合う音。よく耳を澄ませば話し声も混じっている。


「さあ、どうぞこちらへ。みんな殿下を待ちかねてます」


 アルジマールはさくさくと雪を鳴らし、城壁に見える扉へと歩いて行く。

 ベールが続き、ファルシオンとロットバルト、グランスレイ、その少し後ろをセルファンが歩く。レオアリスも最後に歩き出した。


 古い造の城らしく、通路は石積みが床も壁も剥き出しで、しんと冷えている。

 だが埃っぽさを感じないのは、アルジマールだけではなく屋外で聞こえた音や声などからしても、今は日常的に使われているからだろう。


 廊下を抜け、アルジマールは階段を上がっていく。

 二階分を上がると、階段から伸びる通路の一番奥にある石の扉を両手で押し開け――


「うう、重い。開けてくれる?」


 とグランスレイを振り返った。

 グランスレイが石の扉を押し開ける。

 外の光が差し込み、同時に冷たい風も吹き込んだ。それから音。


 出たのはおそらく城の中央部分に当たる、中庭を見下ろす先ほどよりも小さな張り出し広場だ。

 下から槌の音と話し声が立ち昇る。


「さあ、どうぞ、ファルシオン殿下――これが我が国の、新しい輸送手段です!」


 アルジマールは興奮も露わに両手を広げた。


 レオアリスはファルシオンに一礼してから、先に張り出し広間の手摺りに歩み寄った。

 下を見下ろし、思わず息を呑む。

 中庭は細長い造りで、長辺は十五間(約45m)ほどあるだろうか。そこに下から足場が組まれていた。

 その中央にあるもの――


 レオアリスは驚きと鼓動と共にファルシオンを振り返り、ファルシオンが歩み寄るのを待った。


(移動――輸送手段。新たな……)


 けれどこれは、どう見ても。


 ファルシオンが中庭を見下ろすと、それまで鳴っていた槌の音と話し声は止み、足場にいた十数名がファルシオンを見上げ、それぞれ膝をついた。


 彼等に笑みを向けて答え、それからファルシオンの驚きを含んだ呟きが溢れる。


「……船――?」


 そう、船だ。

 一艘の船、帆船が、中庭いっぱいに組まれた足場に固定され、宙に浮かんでいるように見える。


 全長七間(約21m)ほど、幅は三間近くあるだろうか。船体の深さからすると、船倉は二層になっていそうだ。

 深い飴色の板が貼られた甲板、三本ある帆柱。

 足場が外れ、帆が張られれば今にもそのまま漕ぎ出しそうに思えた。


 だがこのアル・ゼローゼ城の周辺は平原に囲まれ、一里ほど北に深い森があり、船の通航が可能な広い川は見当たらない。シメノスはここからおよそ十里は離れている。

 そもそも中庭は城の棟に四角く囲まれ、船首方向にも船尾方向にも城から出る為の開口部は見当たらない。


「これが、新しい輸送手段なのか?」

「然様です」


 アルジマールは明瞭に、そして誇らしげに頷いたが、ファルシオンはやや戸惑って眉を寄せた。アルジマールと、ベール、ロットバルト、グランスレイとセルファン、それからレオアリスへ視線を送る。


「美しい船だと思う。レガージュで見た船と同じだ。けれど、さっき王都が見えたが、シメノスも遠い。ここからではこの船を出せないのではないか?」


 ファルシオンの問いに、アルジマールは我が意を得たりとばかりに頷いた。

 ずい、とファルシオンへ大きく一歩踏み出す。さりげなくセルファンがアルジマールの近くに寄った。


「ふっふっふ、ご心配には及びません、殿下。これが我が国の新たな輸送手段となることを、僕は確信しています。今、その証をご覧に入れます――」


 そう言って、アルジマールは小さく、術式を唱え始めた。


 三節ほど唱えた時、中庭で震動音が鳴った。

 足元に微かな振動が伝わる。

 何かが外れる音。


 覗き込めばそれは、船を押さえるように横から伸びていた丸太が左右にずれた音だ。

 船首と船尾、そして甲板中央左右に光が灯っている。目を凝らすと丸く小さな球体が埋め込まれるように配置され、それが内側から光っているのが見えた。


 詠唱と共にその光は強さを増した。


 ごん、と重い音を立て、船体が浮かぶ。


 ファルシオンは――レオアリスも、グランスレイとセルファンも息を呑んだ。


「これこそが、新たな空の移動手段――」


 船はゆっくりと浮かび上がり、やがてファルシオンやレオアリスの目線の高さへ、船体の重さを感じさせずに浮遊した。


「名付けて、飛空艇――!」


 アルジマールの声は興奮に輝いている。


「船体はレガージュの舟大工達の技術の粋を尽くして軽量化と強度を備え、そこに僕の飛空法術理論を組み込みました。この第一号は全長七間、乗組員合わせて定員は三十名ほどと、まだまだ試作品ですが――」


 広げた手をそれぞれぐっと握り込む。


「浮遊を制御するのが今ご覧になっている光球です。船首船尾船腹左右に一つずつ甲板中央に一つ船体中央左右に一つずつ合わせて七箇所に制御球を配置し術式によって連動させ船体を支えます。飛行最高高度は地上からおよそ二十間(約60m)! 一刻につき二里(約6km)を進むことができます! 飛行継続時間は二刻! どうですか! とても素晴らしいですよね?! この僕の発想、発明、技術、経験、人生、全てを傾けて生み出した革新的な芸術作品――!!」

「二里――飛べて四里」


 ロットバルトが平坦な声を挟む。


「現時点では徒歩での一日の移動範囲を下回りますね」


 アルジマールはびくりと肩を跳ねさせた。


「い、い、い、今はね! だって船重いし! 木組みだよ? 言ってしまえば木の塊を空に浮かして動かすんだよ?! 水の浮力も使わずに! それがどれだけの技術と労力を有するか、君分かってる?!」

「あくまで現時点の性能について述べているだけです」

「言い方ぁ!」

「まあ試作品として、短期間でここまで至ったのは本当に素晴らしい。あとは調整して五月の即位式に間に合わせて頂ければ。まずは飛空距離と高度を伸ばしていただき、特に飛空距離は騎馬の一日の移動可能距離を超えて頂きたい。それから船体規模ですね。定員を倍に増やせれば収益が見込めます」

「うう。出資者が好き放題言う……」


 レオアリスは二人のやり取り、上擦ったアルジマールの声を半ば意識外に、浮かぶ船を見上げた。


「飛空艇――? すげぇ。かっこいい……!」


 感嘆の響きを聞き逃さず、アルジマールはがつりとレオアリスの腕を掴んだ。


「でしょ!? でしょ!?」

「はい――さすがです」


 アルジマールはやや照れ臭くなったのか、へへ、と鼻先をこすった。


「当然船体は、レガージュの船大工達の労働と技術の賜物だけどね。僕の高度な飛空術を既存の、既に確立してる高度な造船技術に合わせたから可能となったことだよ。ふへへ」


 アルジマールが一回りも二回りも大きく見える。


 理論はある程度推測できるが、これを実現させる為の術式構成と、構成するための知識。どれもレオアリスには爪先にすら辿り着けない領域だ。

 さすがは、この国の法術院長であり、大法術士だと。


「……胡散臭いとか思って、すみません」

「そんなこと思ってたのか、君」

 アルジマールは黄色味の混じった緑の瞳を細めた。


 見ればセルファンも、普段冷静なグランスレイも、目を見開き呑まれるようにして浮かぶ飛空艇を見つめている。


「船が空に浮かぶなど、まるで、夢でも見ているようです」


 セルファンの率直な言葉にグランスレイも頷く。


「新しい御世だな……」


 二人の表情から、レオアリスは視線を下ろした。ファルシオンへ。

 先ほどから、一言も発していない。


 ファルシオンは大きな金色の瞳を限界まで見開き、柔らかな頬を紅潮させ、呼吸も忘れたように船を見上げている。


「――ファルシオン殿下」


 そっと声をかけると、ファルシオンは瞳を見開いたまま振り返った。瞳がきらきらと輝いている。


「レオアリス――すごい。すごい。船が空を飛ぶのか」


 微笑んで頷くレオアリスから、アルジマールへ瞳を移す。


「乗りたい――アルジマール、もう乗れるのか? 今日乗せてもらえるのだろうか」

「もちろ……」

「却下する。まだ飛空試験は数回しか行っていないのだろう」


 それまで黙っていたベールが低く遮る。


「それもこの中庭を上下する程度と聞いた。まだ王太子殿下にお乗り頂ける状態ではない」

「大丈夫です!」


 アルジマールは反らせた胸を拳で叩いた。


「この僕の法術を、信じて――」


 わあっと、中庭から緊迫した声が上がった。舟大工達だ。


「傾くぞ――!」


 ぎょっとして振り返る間にも、彼等の正面に浮かんでいた船体が、船尾を斜めに落とし、傾きながら中庭へ沈む。

 舟大工達は慣れた様子で次々足場から城の中へと逃げ込んだ。


「ぎゃー! 四度目ー!」


 アルジマールが頭を抱え鎮痛な雄叫びを上げた。


 船尾が木材を組んだ足場にゆっくりと窘められて落ちかかり、そのまま足場を薙ぎ倒す。

 ばきばきと、足場がへし折れ崩れる非情な音が中庭に響いた。





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