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最終章『光を紡ぐ』(54)


 アレウス王国西の沿岸部、水都バージェス前面の海域に、小高い山の姿にも似た街が浮かぶ。


 そこに街が現われたのは僅か九か月前の昨年四月末日。西海軍の侵攻と共に古の海から浮上した。

 西海の皇都イス。深い海の中を留まることなく回遊していた移動都市だ。

 その外見はアレウス王国の王都アル・ディ・シウムをそのまま写し取り、街のみ小規模にしたかと思うほど似ている。千年前に交わされた盟約と海皇の妄執とが、そこに炙り出されたかのようだった。


 アル・ディ・シウムは十万の人口を擁する都市だが、イスの人口は五千人が限度――

 ただし、海皇の支配下において、好んでイスに暮らそうという住民はほとんどいなかっただろう。


 玉座だけが暗がりの高みにあり、街を、領海を、その住民達の魂を睥睨し続けた。





 笑い声に目を向け、ミュイルは明るい声を散らして街の路地を駆ける子供達の姿を束の間追った。

 太陽の光に照らされ、イスの街は海中にあった頃とはまるきり違う場所に思える。

 そして、アレウスとの戦いが――海皇、ナジャルとの戦いが終わった、昨年十一月までとは。


 自然浮かぶ笑みを口元に残したまま、ミュイルは城へと歩いて行く。独り身の彼にはまだ子はいないが、ああして他愛なく遊ぶ姿を見ると深い感慨と淡い喜びを覚える。


 アレウス国への侵攻において西海は多くの兵を失ったが、街そのものは戦渦を受けることなく残り、イスには住民が集まり出した。当初こそまばらだったものの、海皇やナジャルの死がようやく実感され始めたのか、ここひと月で住民が急増し始め、居住希望者の整理や街の拡張が急務だ。


 イスだけではなく国の復興に向け、大きな変革が幾つも起こっていた。

 国家体制。国内、国外関係。軍の体制。

 慌ただしく日々は過ぎ、終戦から気付けば三か月が過ぎようとしていた。


 城の玄関をくぐり、広間を抜けて階段を上がる。五階まで上がり、ミュイルは左右に伸びる廊下を右へ歩いた。廊下にも陽射しが明るく差し込んでいる。


 変異種と呼ばれるミュイルは海上でも問題なく行動できる。ミュイルには海水が肌を包むのも大気が肌に触れるのも、共に心地良い。

 同じく海上の陽光と大気を喜ぶ者も多いが、とは言え元来の海の種族にとっては海上の環境が向かないのも事実だ。


 その為、この先の謁見の間はある工夫が施された。

 ミュイルの姿を見とめ、謁見の間の扉横に控えていた兵が両開きの扉を引き開ける。扉の向こうは目を見張るほど青く、光を含んで澄んでいる。


 扉を境に広い謁見の間を高い天井まで、海水が埋めているのだ。開いた扉から溢れ出るる事もなく、弾力のある塊に似て揺らいでいる。

 踏み込んだミュイルの身体を、水が迎え入れ包む。冷えたそれが肌になめらかに触れていく感覚は、懐かしい場所に()()ような感情を(いだ)かせた。


 とん、と床を蹴り、浮遊して進む。海上では身体は重石のように思えるが、その重量から解放してくれる海中は、やはりより心地良い。

 天井から降り注ぐ陽の光が水中で揺らぎ、拡散し、壁や柱に色とりどり鮮やかな青の陶版が波の煌めきにも似た光景を、より一層美しく際立たせている。

 青灰色の大理石の床や壁、柱に光の模様が一時も形を留めず落ちる。


 扉から玉座のあった(きざはし)へ伸びる絨毯は、漆黒から濃紺へと変えられた。

 玉座は無い。


 ミュイルは玉座のあった壇上へ、一度顔を上げ、それを階下に戻した。

 (きざはし)の前には円形の卓が置かれ、既にミュイル以外の十名が着座している。階の前に卓を置くのは意図せずアレウス王国と同じ構図だった。

 現在の西海の体制に、それが相応しい為だ。


「お待たせした」


 ミュイルは一礼して卓の顔触れを見渡し、そして階の正面に座るレイラジェへ目礼した。


「お疲れ様です、ミュイル殿。草案の詰めが佳境でしょう」


 手前に座る人頭姫(ハゥフル)、オローキが笑って最後に一つ空いている椅子を示した。オローキはまだ若く、かつての三の鉾ゼーレィとは血統が異なる。


「締結まで、あとほぼひと月だからな。慣れない文書作業はザルカ殿とエブラーン殿に任せきりだが。オローキ殿こそ交易への準備は何かと骨が折れるだろう」


 答えて着座する。つい先ほど、バージェスへ修正した草案を届けてきたところだ。そのやり取りももう何度目か、すっかり慣れた。

 月に二度、アレウス国王都とこのイスとで行われる実務者間の協議も、順調に重ねられていた。

 軍務ばかりしか能がないと自分を考えていたミュイルだが、この協議にはとても充実と手応えを感じている。


 加えて復興中のバージェスに駐屯するアレウス王国正規軍、西方第七大隊大将ワッツがヴィルトールと昵懇と聞き、前回ヴィルトールがイスへ来た時以来、ワッツを交えて酒を酌み交わすのがミュイルの密かな楽しみだ。


 ミュイルの他にも地上と親交を持ち始めた者も多い。それは彼等の元軍都ファロスファレナにおける戦いの最中、ヴィルトールが彼等へと見せた姿によるものでもあり、そして終戦後、アレウスの王太子ファルシオンがまずレイラジェ等を対話の場に迎え入れたことも影響が大きかった。


 レイラジェは笑みを浮かべ、卓を改めて見渡した。


「ミュイルも揃った。評議会を始めよう」


 卓に座るのはミュイルも含めて現在十一名。

 この一月末に成立したばかりの西海の新体制――『評議会』と、その十一名で名付けた。


 評議会は武官、文官で構成される。

 武官として七名、レイラジェを筆頭にミュイル、ゲイラ、ノウジ、アルビオルが旧第二軍、イフェルが旧第三軍、ベンゼルカが旧第一軍の大将だ。


 文官としては四名がまず選ばれた。オローキは原種であり、人頭姫(ハゥフル)。三十代。グンニルは変異種の二十代男で、エブラーンが小変異種の三十代、女。そしてザルカは水人種、三十代、男。

 文官は今後あと三名増やし、三月末には武官と同数となる。


 西海はそもそも海皇が永く力と恐怖により統治してきた歴史があり、国家基盤が脆弱というよりも更に悪く、海皇という(くびき)が無くなった時、ほとんど国家としての(てい)を成していないことが明確になった。

 誰に従えばいいのか、誰が自分達を導いてくれるのか、多くの者が辺りを見回した。


 その中で、穏健派が率いる西海軍第二軍は終戦時最大兵数を有しており、第二軍の兵力を以って武力統治を行なう道は単純かつ簡潔だったが、レイラジェはその手法を取らなかった。


 レイラジェは第二軍だけではなくヴォダの遺した第三軍、シメノス戦で壊滅した第一軍とアレウス国王都侵攻の第四軍残兵を纏め、かつ新たに文官制度を作り、二者による『評議会』という合議体制を作り上げた。


 評議会はまず第一に、『海皇』の地位を廃止。

 これを持って西海は、君主制から共和制へ移行した。


 長く海皇の支配の証だった玉座は破壊されたまま壇上に残り、支配者、独裁者としての国主の存在を拒否する意志を示している。


 次に軍が再編され、評議会の指揮監督下に入った。防衛時を除き、軍を動かすには評議会の四分の三の同意を必要とすることを定めた。


「軍の編成状況について、私から」


 そう言って武官のゲイラが立ち上がり、現況を説明していく。


 西海軍の兵総数はアレウス国侵攻前の十二万から、終戦時には六万弱までその数を減らしていたが、現在は兵の離脱もあり更に五万名に縮小している。

 主力はレイラジェの旧第二軍、ヴォダの旧第三軍の兵、それに加えて第一軍、第四軍の残兵の内、軍に残ることを選んだ兵達だ。


 評議会は国政に関するあらゆることを議論し、決定する機関であり、元首以外はその地位を同列とした。

 初代元首には、レイラジェが合意により選ばれた。


 目下、アレウス国との和平条約締結が急務として動いている。


 その和平条約締結を担当しているミュイルが立ち上がる。


「続いて、和平条約の草案についてですが――」


 締結に向けては武官であり変異種であるミュイル、同じく武官、原種のイフェル、文官からは水人種のザルカ、小変異種のエブラーンが担当し、アレウス側と三か月に渡り検討を重ねてきた。

 現在の草案は評議会でも何度も議論している。


 草案に盛り込まれた条文は不戦、互いの不侵攻、国交樹立、領事の交換、交易、相互協力、領海の通航権、両者の通行・通航に於ける安全の確保などだ。


 領海の通航権についてはアレウス国に対する戦後賠償の一環でもあり、これによりアレウス側は西海に特段の許可なく海上通航が可能だが、西海側は許可なくアレウス国の領土を通行することはできない内容となっていた。


「――既に二度、草案の相互確認が終わっております。今後は大きな修正はなく、文言の調整になるでしょう」


 ミュイルは報告を終え、椅子に座り直した。

 続いて武官であるアルビオルが立ち上がり、国内の状況を報告する。


「二か月を過ぎ、海皇派の残兵の動きもほぼ見られなくなりました」


 国内の平定、治安維持には、ゲイラ、ノウジ、アルビオルの武官中心に取り組んでいた。

 初期には海皇派の幾つかが自らの覇権後継を主張し、極小規模の兵によって局地的な争乱に発展したものの、海皇派同士の横の連携を取ることなく鎮圧されるか、瓦解した。


 アレウス国との戦いがその後の西海に利をもたらしたとしたら、海皇やナジャル、そして三の戟と呼ばれた存在――いわゆる際立って特異な能力を持ち圧政者側だった者達が、軒並み舞台から去ったことがあるだろう。

 そしてまた、それまでの海皇の統治の結果が、大きく影響していた。


 海皇は自らの意に添わない存在を容赦無く滅ぼした。海皇は恐怖しか、人民に与えなかった。

 ナジャルは相手がどれほど恭順の意を示そうと、気が向けば見逃し、気が向けば喰らった。


 後に残ったレイラジェ等は、謂わば嵐に薙ぎ倒された大木の間から芽吹いた若芽のようなものだ。永く埋もれ光を待って眠っていた種が、新たな苗を芽吹かせ、それまでとは異なる環境を創り出していく。


「国内の平穏こそが、この先の国づくりの基盤だ。そこに向けて慎重に、かつ果断に進めなくてはならない」


 レイラジェは穏やかにそう言い、続いて文官のオローキの発言を促した。

 オローキが立ち上がり、微笑む。


「では、交易準備について、私から――」


 和平条約締結、国内の平定に加えてもう一つ、新体制の中心的政策として進めるのが諸外国との交易だった。

 その準備をベンゼルカとオローキが、今後加わる二人の文官と共に担う。


 四月の和平条約締結後、次により詳細な通商・航海条約を制定、締結し、まずはアレウス王国と交易を開始する。

 国内の安定を図る中で交易品を増やしつつ、交易の相手をマリ王国へと広げ、二年後にローデン、続いてトゥランとの通商条約締結を目指す考えだ。

 その為には、これまで脆弱だった貨幣制度の基盤を早急に整えなくてはならない。


 為すべき事、手を付けるべきことは山積していてどこから手を出せばいいのか、何が足りていないのか、手探りの中誰もが目を回しそうになりながらも、新しい国作りを自分達の手で取り組むことができる喜びは、何より彼等の糧となった。


 一通りの現状報告と議論が終わると、レイラジェは改めて卓を見渡した。

 次に用意された議題も、この新しい国作りの大きな目玉の一つだ。


 皇都であったこの街、イスの在り方について。


「まずは遷都――イスを現海域から、バージェスより七海里(約28Km)沖へ移動し、固定する」


 これまで海中を回遊していた街をまず固定し、西海の中心を明確にする。


「その上で、全ての者がここを拠り所とできるよう、街の()()()()()()()()。移動の日は三月二十日とすることを、先日の評議会で決定した」


 これも様々な種が併存していく為の方策の一つだった。


 レイラジェは一呼吸、間を置いた。

 レイラジェやミュイル、円卓に座る者達の上に、光が揺らぎながら降り注ぐ。


 みなレイラジェの次の言葉を待っている。


「遷都に先んじて、本日を以って皇都を首都と改め、名称も新たに定める。評議会の意志により決定した名だ。新たな首都名を、この国を照らし我らの航路の道標となるよう、灯台(ファロス)の名を冠し――」


 それはナジャルとの戦いで砕け役割を終えた移動都市、灯台鯨(ファロスファレナ)を引き継ぐ名でもある。


 レイラジェは口元に、微かな笑みを浮かべた。



「イス・ファロスとする」




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