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第4章「言祝ぎ」(9)

「何だ失敗か、残念だな」

 近衛師団第二大隊士官棟の大将執務室で、トゥレスは憚る事もなく飄々とそう口にした。

「申し訳ございません」

 自分の前に膝をつき頭を下げる部下を見下ろす。

「いいさ。飛竜を落としてその結果なら、相手の悪運が強かったって事だ。呆れるくらいにな。まあしばらくは騒がしくなる、おとなしくしとこう」

 第一大隊に――レオアリスにとって重要な位置にある駒を一つ、取れなかったのは残念だが、全く無駄手間でもない。ヴェルナー侯爵家が騒げば混乱には繋がる。

(レオアリスがどんな顔してるか見てみたかったけどな――ああ)

 トゥレスは音を立てず、口元を笑みに歪めた。

(やべぇ、俺、結構楽しくなって来てんな。性に合ってたって事か)

 トゥレスは窓辺に寄りかかり、斜め後ろの白っぽい午後の空を眺めた。

(どこまで掴んでるかな、弟君は)

 入邸記録を見ればトゥレスがヘルムフリートに接触していたのは判る。もともとあのブロウズという男を監視に付けていた位だから、ロットバルトは疑いを濃くするだろうが、その辺は多少処置をしている。

 部下の男が顔を上げる。近衛師団第二大隊副将のキルトだった。

「おそらく今晩にでもヘルムフリート殿から呼び出しがあると思われますが、いかがされますか」

「今、のこのこ会いに行ったら疑われるからと断わればいいさ」

「承知しました、そのように――まあ後二日の事です。事が動いてご自身の周りが慌ただしくなれば、ヘルムフリート殿も我々どころではないでしょう」

 後二日で、事態が動く――。言葉にしてみればひどく単純だ。

 しかし幾つかの要素が予定通り運んで、その上に立ってなお、成功の確立は五分といったところだろう。

 朽ちかけた吊橋を駆け抜けようとするようなものだと、トゥレスは我ながら苦笑を覚えた。

 だが――、心が沸き立つ。

 命を落とす覚悟のもと、御前試合の会場に立った時のように。

(久しぶりだ――悪くない)

 トゥレスは組んでいた腕を解き、キルトを見下ろした。

「なぁ、お前、本気で俺に付いてくるか」

「当然です」

「当然ね。いい度胸だが、相当茨の道だぜ」

「ここ数年、陛下がお選びになるのは常に第一大隊です。貴方もまた同じ御前試合の出身であるにも関わらず――」

 トゥレスの面には特に感情は浮かばなかったが、視線はまっすぐキルトの上に落ちている。

「抑えてはいるものの、隊士達の間にも不満はあります。特にこの第二大隊は一度汚名を着ています。ですがその間接的な原因は、第一大隊大将でしょう」

 キルトは拳を固め、決意の籠もった眼を上げた。

「もし――陛下が……。そうなれば第一大隊だけではなく、我々が王太子殿下を掲げる資格もあるのです。事が起こった時、貴方が指揮すれば半数は動くでしょう。本当は全隊と言いたいところですが、無理な根回しは危険が伴いますから」

 トゥレスの口元に、昂揚を含んだ笑みが浮かぶ。

「上等だ。半数が動きゃ、その更に半数くらいは勢いで動く。西からの追い風(・・・)があればな」






「ロットバルト、気分はどうだ?」

 ヴェルナー侯爵を見送って医務室に戻り、レオアリスは寝台に腰掛けていたロットバルトへそう尋ねた。

「良くはないですね、目が覚めた途端あれでは」

 珍しく、まだ苛立ちが収まっていないのか、固い口調だ。室内に残っていたクライフが辟易した声を上げる。

「お前の親父さんマジおっかねぇなぁ。うちの親父も頑固でさ、いかにも家長って感じだけどよ、お前んとこは文字通り君主だよな……家が面倒くせぇって言ってたのが良く判ったぜ」

 座ったまま頭の後ろで手を組み、椅子の背を軋ませる。

「けど、辞めねぇんだろ? 近衛師団のがいいって、絶対」

 レオアリスはクライフへ視線を送った。クライフはすぐに心得て廊下へ出るのと入れ替わりに、クライフの座っていた椅子を引き寄せて座る。

 ロットバルトはもう身支度を整えていて、それに呆れた。

「まだ寝てた方がいいんじゃないか」

「負傷の方は何も問題ありません。治癒のおかげで腕も普段通り動く」

 レオアリスはロットバルトの言葉に眉を寄せたものの、すぐ解いて息を吐いた。

「エンティはすごいな。怪我を見た時はどうなるかと思ったが、良かった」

 そう言った後、レオアリスは組んだ膝に片肘をあて頬杖をつき、口を閉ざした。

 言葉を探しながら、室内に視線を流す。普段とは違う気まずさがあった。

 ヴェルナー侯爵がこんな場ではあっても明言した以上、侯爵の考えを覆す可能性はかなり低いのだろう。

 それが判っているせいか、表面には出していないながらもロットバルトは明らかに、機嫌が悪い。レオアリスがこれまで見た事が無いほどだ。

(どう……)

 どうすればいいだろう。

 レオアリスは近衛師団大将として部下を預かっている立場でしかない。隊に留まるよう要望は伝えられても、辞めさせないという権限は無い。

 沈黙を破り口火を切ったのはロットバルトの方だった。

「父の勝手な理論を、貴方が納得されかけていたのは不満ですね」

「――え、俺?」

 てっきりヴェルナー侯爵の言葉そのものに苛立っているのだと思っていたレオアリスは、不意討ちを食らったように瞳を瞬かせた。

「別に俺は」

 しかし確かに、あの場でレオアリスが黙っていたのは、異論は無いからと取られるかもしれない、とそうも思った。

 現に侯爵は、半ば強制的ながら、そう捉えていた。

「――だが、侯爵からお預かりしているって考え方もあるとは思う。隊士を預かる責任は俺にあるし……」

 座っている椅子の脚が一本、一瞬浮いた。ロットバルトが右手を伸ばし、椅子の背を掴んでいる。

 纏う空気がすっと冷えたのが感じられた。蒼い双眸がこれほど苛立ちを帯びたのを見たのは初めてだ。

「預けられたという認識はありませんが」

 しまったと唇を引き結ぶ。

「――」

「まあ今更、家の関係有る無しと子供じみた事を言う気はありません。しかし近衛師団として私はさほど必要ではないと、組織を束ねる観点から貴方がそうお考えであれば仕方が無い」

「――はぁ? 何言ってんだ」

 驚いたのは初めだけで、言葉の意味を理解する内に、段々腹が立ってきた。

「――そんな訳無いだろう……そんな事は言ってない!」

 思わず声を上げ、反省する傍から余計怒りが込み上げた。

「大体お前、怪我は大した事はないとかなんとか、軽く考え過ぎなんだ。一番軽んじてるのは自分じゃねえか。万が一があったらうちにとってどれほど損失だと思ってんだ! そもそも俺には必要だからな、お前は!」

 今度はロットバルトの方が面食い、先ほどまでの憤りも失せた顔でレオアリスを見返した。

 一瞬加熱した空気が、また一瞬で払拭される。

「――済みません」

「――おう。俺も悪かった」

 少しばかり顔に血が昇ったのを感じて斜めに反らし、レオアリスは浮かせかけていた腰を改めて降ろした。漂っていた息苦しさももう無い。

「何にしたって、親父さんがお前の事を心配してるのは事実だと思うぜ。家を継ぐ継がないとは別に、わざわざ師団にまで来るくらいなんだから」

 ロットバルトは余り有難くなさそうに眉を顰めたものの、それについては何も言わなかった。

「まあ、それはそれとして、退団は回避したいと思ってるしその為の交渉だってするけど、具体的な手とかあるのか」

「……もう一度話してみるしかないでしょうね。簡単に納得するとは思えませんが、実際長子が健在の内に長子から継承権を移そうとすれば当然問題も生じます。それを呑んでまで、無理に通すほどの事とは思えない」

「話し合いか――やっぱりそれしか無いんだろうけどな」

 あまり期待できないのは、先ほどのヴェルナー侯爵の態度に少しの揺るぎも無かったからだ。

 レオアリスが考え込む一方で、ロットバルトは後継問題について、別の点での厄介さを感じていた。

 あの襲撃者は、トゥレスか、ヘルムフリートの指示かと尋ねた時、確かに反応した。ただそれが思いがけない問いだった為に、戸惑っただけかもしれないが。

 あの時、ヴェルナー侯爵が後継者を決めるのは自分だと言い渡した事に対して、だから(・・・)今回の事態を引き起こしたのだと口にしかけ、止めた。

 ヘルムフリートが襲撃を指示したと示唆するだけでも、侯爵の考えをより強固にしてしまうだろう。

(三人ともお互いを許容できていないのが、一番の問題だな。馬鹿らしいが仕方ない)

「――個人的な事は取り敢えず置いておいて、問題はまず書状とそれに関する事です」

 レオアリスが瞳を上げる。

「書状は父に届いていませんでした。その前にブロウズは消息を断っています。書状を持って侯爵家に戻り、ただ父はその段階では執務から戻っていなかった。退館の記録を取っていないせいもありますが、ブロウズの足取りはその後は不明です」

「――館を出て内政官房へ行くまでの間に何かがあったんだろうな」

 ロットバルトもそう思っていた。

 館でブロウズの入館記録だけでなく、トゥレスの記録もそこにあったのを見た時もだ。

 だが、今は疑問がある。

(ブロウズは館を出たのか――?)

 ブロウズの不明と、トゥレスを呼んだヘルムフリート、襲撃――その三つが無関係だとは考え難かった。

(ルシファーがどちらかに接触していたのかもしれないな。特段難しい事じゃない)

 トゥレスか、ヘルムフリートか、或いはその両方か。

「ロットバルト?」

 レオアリスがじっとロットバルトへ視線を注いでいる。

 その瞳を束の間見返し、ロットバルトは方向を決めた。今の確証がない推測に対してレオアリスが頭から否定する事はないだろうが、トゥレスへの信頼もある。

「上将。今回の襲撃は、ヴェルナー侯爵家の私的な事情が原因とも考えられます」

「――どういう事だ」

「ブロウズの足取りを追う中で、一人意外な人物が浮かびました。先ほどご説明した館の入館記録にブロウズと共に名前が記入されていた」

「意外な人物? 誰だ」

「トゥレス大将です」




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