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最終章『光を紡ぐ』(42)


 アスタロトが顔を跳ね上げる。


「年齢とか――! そんなの、それは問題じゃないよ! 本人がどうこうできることじゃないんだから!」


 立ち上がり、卓に両手をついた。


「私――私は、グランスレイもセルファンも相応しいと思うし、めちゃくちゃ悩むけど、レオアリスは今だって充分務まるよ!」

「ふふ」


 つい笑ったのはカントナで、気付いて顔を真っ赤に染めた。次いで青くなる。


「も、申し訳ございません、ご無礼を――」

「ぜんぜん。それより、カントナはどう思う?」


 アスタロトは卓に手をついたまま乗り出した。二十代、それから女性。アスタロトにとって身近にも思える存在だ。


「私は――」


 カントナは若い面を生真面目に引き締めた。


「王太子殿下が、信頼できる方であれば――」

「う。それを言ったら全員なんだけど、でも――」


 息を吸う。


「ファルシオン殿下は、甘えられた方がいい。お母上や、エアリディアル殿下がおられるけど――でも、もう一人、めちゃくちゃ甘えられる相手がいてもいいと思う!」


 ひとつ、咳払いが落ちる。

 ソーントンだ。


「それは、近衛師団総将でなくともと思いますが」


 今度はアスタロトが頬を赤くする。

 ソーントンはやや呆れを含みつつ、アスタロトの投げかけを引き取るように、卓を見渡した。


「諸兄等が一つ懸念とされているように、率直に申し上げれば、レオアリス殿は近衛師団総将としてはかなりお若い。そこに課題が無いとは申しません」


 細い面を厳粛に引き締める。


「しかしながらレオアリス殿が、二心無く、そして誰より強固に王太子殿下を守護し奉ること、これについては疑う余地はございません」

「私も、同意致します」


 北方公派のデ・ファールトも頷く。


「懸念が年若いということ以外に無いのであれば、左右をしっかりと固めれば良いことかと。それこそグランスレイ殿とセルファン殿がおられる」


 ゴドフリーが同意を示す。


「グランスレイ殿、そしてセルファン殿の功績もまた、他に比し難いところではありますが、ナジャルを断った剣士が王太子殿下の――我等が国主の傍らに控えることは、民の意識を、そして国威を一層高揚させることと考えます。諸外国に対しても、印象浅からぬものとなるでしょう」


 それまで推移を見守っていた正規軍や司法庁からも同意の声が上がる。


「公と釣り合いが取れて良い」


 南方将軍ケストナーが言い、タウゼンの視線を受けて背筋を張った。「ご無礼を」


「では、議論は固まったと見て良いか」


 ベールの問いに楕円の卓を囲んだ十人の侯爵に加え、正規軍、司法官、そして法術院長アルジマールが頷く。

 アスタロトはぐっと顎を持ち上げた。


 ベールは十四侯の意思が固まったのを見て取り、立ち上がると、階の半ばに仮の玉座を置くファルシオンへと身体を向けた。

 十四侯がベールに倣い、席を立つ。


「国王代理、王太子ファルシオン殿下。此度の御諮問に対し、十四侯として、答申致します。次期近衛師団総将として、現大将レオアリスを、副総将として引き続きグランスレイ、そして現第三大隊大将セルファンを、推挙致します」


 ファルシオンは光の落ちる謁見の間と、自分を見上げる――支える、十四侯の顔触れを見つめた。

 息を吸い、ゆっくりと吐く。


 スランザールはその手が一度胸元に上がりかけ、そして、そっと下ろされたのを、斜め後ろから見つめた。

 もうその細い鎖に揺れるものに支えを求める必要はないのだ。


「三名をここへ」






 迎える十四侯、そして同席の副官等は扉から真っ直ぐに伸びる深緑の絨毯の両側に立ち、さきほどまで置かれていた協議の卓はすっかり片付けられている。


 グランスレイ、そしてセルファンが続き、最後にレオアリスが扉を潜った。


「おお。すっかり、回復したようだな」


 ケストナーが感心気味にランドリーへと囁く。


「ナジャルの牙を受けたのだろう。剣士の回復力には驚かされる――しかし」


 少し変わったか、と、ランドリーは双眸を細めた。あのボードヴィル砦城で見た姿――そしてナジャルとの戦いにおける姿。

 その時よりもどこか、纏う空気が静かで、落ち着いている。

 それは他の参列者も同様に感じているようだった。


 張り詰めた――だが温度のある静寂の中、三人は侯爵等が左右に並ぶ、その中央辺りで足を止めた。グランスレイが右に、セルファンが左に立ち、レオアリスは二人より一歩下がった位置で、膝をつく。


 ファルシオンに対し、深く上体を伏せる。


「グランスレイ、セルファン、待たせてしまった。ありがとう。レオアリス」


 二人だけの場で、レオアリスがファルシオンの前に膝をついたのは、まだおとといのことだ。

 それでも、レオアリスがこの謁見の間にいること、自分の前にいることに、懐かしさと、改めて安堵が胸の奥を満たすように思える。


 過去には戻れない。

 振り返れば平穏で、満ち足りていたと、気付いても。


 唐突に――ファルシオンは自分が悲しみを覚えていて、けれどそれは過去を背後に未来へ進むからこそのものだと、思い至った。


「……よく、戻った――身体はどうか」


 レオアリスは伏せていた上体を起こし、顔を上げると、その双眸を真っ直ぐにファルシオンへと注いだ。


「充分に、回復致しました。長く御前を不在にし、自らの任を果たせずにいたことを、改めてお詫び申し上げます」


 謁見の間に流れる声は、明け方に触れる大気を思わせる。

 ファルシオンは微笑んだ。

 ゆっくりと、自分の心を表す言葉を探し、口にする。


「前近衛師団総将アヴァロンは、わが父に、心の底からの信頼とともに、仕えてくれた。どれほど、アヴァロンの存在が大切か、今、わたしはあらためて、そのことを知ったように思う」


 常に寡黙に控え、そして最後まで王の傍らに在った。

 レオアリスの瞳が足元へと落ちたが、それもほんの束の間で、再びファルシオンへと向けられる。


「私はこの場にいるみなに、正規軍に、そして近衛師団に支えられてここまできて、ここにいる。そのことにあらためて、心から礼を言う」


 ようやく中天近くに昇り始めた太陽は二月初旬、まだ南へと傾いている。

 ファルシオンは仮の玉座から降り、その前に立った。


「不在となっている近衛師団総将を、五月の即位式に正式において任命するにあたり、今、十四侯の考えを聞いた。私はここで、みなにその名を示したいと思う」


 黄金の瞳が天窓から落ちる陽光を映し、柔らかく光を含んだ。


「まずは近衛師団副総将として、引き続き、ヴォルフガング・セオ・グランスレイを任命し、さらに、ナダル・セルファンを、第三大隊大将との兼務を解き、正式に任命したい」


 一呼吸置き、続ける。


「そして、次期近衛師団総将として、現近衛師団大将であるレオアリスを任命する。五月の着任に向けて、準備を進めてほしい」

「謹んで、拝命いたします」


 グランスレイ、セルファン、そしてレオアリスは静かに答えた。


 アスタロトがじっと、その様子を見つめ、そしてごく細く、ゆっくりと息を吐く。

 居並ぶ十四侯の諸侯諸官の間から、短く、だが明瞭に拍手が沸き起こった。


「王太子殿下――」


 拍手の余韻が消えるのを待ち、ベールがファルシオンへと向き直り、促す。


「この場にて、もう一件――国家の体制として、現在不在となっている東方公、及び西方公の封領を布告いただけますよう」


 場がざわりと揺れる。

 ファルシオンはベールに頷き、スランザールを振り返った。


 スランザールが進み出た内政官房事務官から、一巻きの書状が載った台座を受け取り、ファルシオンへと捧げ持つ。


 ファルシオンは書状を手に取り、止めていた組紐を解くと、体の前に広げた。

 緊張を深め、口を開く。


「長く不在となっていた、東方公、そして西方公について、おなじく五月の我が即位をもって、新たに封領する。東方公としては、ランゲをこれに封領するものとして、同時に、公爵へと陞爵させる」


 名を呼ばれたランゲは五十代半ばの皺を深め始めた面を紅潮させ、背筋を張り、ファルシオンの前に進み出た。


 膝をつき、深々と上体を伏せる。

 興奮に震える声を張った。


「拝命の光栄に浴し、恐悦至極に存じます。一身を賭して、王家をお支え致します」


 ファルシオンは微笑み、視線を次に移した。


「西方公としては、ヴェルナーをこれに封領するものとして、同時に公爵へと陞爵させる」


 ロットバルトはランゲと同様、新緑の絨毯の上に進み、膝をついた。


「謹んで拝命し、王家、国家を支える責務を果たす為、若輩ながら力を尽くすことを誓います」


 謁見の間が声を吸いこみ、束の間、ぴんとした静寂に満ちる。


 ファルシオンは広げていた書状を元の台に戻し、そして広い階下へと向き合った。


「四大公、そして近衛師団、空白だったものがこれでようやく、ふたたび整う。五月の即位に向けて、そしてその後も、私に力を貸して、支えてほしい」


 居並ぶ諸侯は踵を軸に、(きざはし)の半ばに立つファルシオンへと向き直り、衣擦れの音と共に、上体を伏せた。




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