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第4章「言祝ぎ」(8)

「飛竜が落ちたのは西方軍の空き官舎です。現在は誰も使ってません」

 クライフは椅子に腰かけているレオアリスの傍らに立ち、幾分声を抑えて告げた。

 飛竜の回収と現場の調査を終わらせて戻ったところだ。

「周辺を捜索しましたがやっぱ何も出ませんね。襲撃者は単独行動だったようです」

「そうか」

 報告を受けているのは医務室だ。エンティの治癒を受けた後、意識を失ったままのロットバルトを運んで寝かせ、しかしさすがに執務室に引き上げる気にはなれなかった。

 誰が、何の目的で襲撃したのか、狙いが近衛師団なのか個人なのか、それが判らなければ落ち着かない。

「正規軍も調査を始めていました。当たり障り無く言っときましたが、まあ隠しようもないでしょうね」

「騒ぎになるだろうな」

 王城区域の、軍の士官棟が立ち並ぶ第二層での襲撃、その目標が近衛師団の将校で、おまけにヴェルナー侯爵家の子息とあれば、様々な憶測も飛び交うだろう。

「それで情報が出てくりゃいいが」

 襲撃者に繋がる事――、その先、イリヤの失踪に繋がる事。

 そしてまた、当面の問題もすぐ表に出てくるだろう。

 ヴェルナー侯爵へは取り急ぎグランスレイに書状を届けに行ってもらったが、連絡を書状だけで済ます訳にも行かない。ロットバルトが目覚めたら、レオアリス自身が面会を申し入れて状況を説明しなくてはと思っていた。




「侯爵」

 内政官房副長官付き一等秘書官は書状を手にしたまま、緊迫した面をヴェルナー侯爵へ向けた。

「ご、御子息の」

「ヘルムフリートが、時間の変更でも言い出したか?」

 内政官房の業務上の面会がもうすぐ予定されていて、それについてまた直前の変更を希望しているのかと、書類に視線を落としたまま侯爵は眉をしかめた。

「い、いえ。ロットバルト様が、お怪我を」

 負傷と聞いて顔を上げ、険しい色を昇らせる。

「どういう事だ」

「只今近衛師団第一大隊の副将、グランスレイ殿が、この書状を持っておいでになりました」

 差し出された書状を開き、目を通す内にヴェルナー侯爵の面には蒼白な怒りが浮き上がった。

 ぐしゃりと書状を握り潰す。普段見る事のない強い憤りを目の当たりにし、秘書官は表情を引き締めた。

 侯爵が席を立つ。

「近衛師団へ行く。飛竜を用意させろ」

「ご、ご自身ででございますか」

 侯爵はじろりと秘書官を睨んだ。

「この書状だけで状況が判るか。そもそも書状一つ寄越すだけとは、礼を欠くにも程がある」

 秘書官が急いで外套を手にして侯爵へ差し出そうと歩み寄ったところで、扉が開いた。

「父上、前室に何故近衛師団の士官がいるのです。お約束は私とだったはずではありませんか」

 入って来るなりそう尋ねた長子ヘルムフリートに対し、ヴェルナー侯爵は「後にしろ」と、一言だけそう返した。

 そのまま執務室を出て行こうとする父の前に、ヘルムフリートが慌てて立ち塞がる。

「ち、父上、一体どういう事です、後にしろとは――この時間は私と、お約束を」

「後にしろと言ったのが聞こえなかったか」

 ヴェルナー侯爵はヘルムフリートへ一度冷徹な視線を向けたものの、すぐにそれも反らした。

「公の場では職位で呼べと常に言っているだろう。何度言わせれば気が済むのだ、お前は」

「父……ふ、副長官。私とのお約束は」

「戻ったら呼ぶ。下がっていろ」

 そのままヘルムフリートを残し、侯爵は扉を出ていった。秘書官が慌ててヘルムフリートへ一礼する。

「ヘルムフリート様、ご連絡が間に合わず申し訳ございません。弟君であられるロットバルト様が、負傷をされたと、その知らせが参りまして――。その為侯爵は急いでおられるのです」

「負傷……?」

 秘書官はその言葉でヘルムフリートが納得すると思ったのだろう。

 そしてまた、ヘルムフリートがロットバルトの容体を心配するかもしれないとも思い数呼吸待ったが、ヘルムフリートが何も言わない事に瞬きをしつつ再び礼を向け、ヴェルナー侯爵の後を追った。

 ヘルムフリートはしばらく閉ざされた扉を睨んでいたが、やがて低く声を絞り出した。

「――負傷だと?」

 瞳にはねっとりとした光が滲む。

「死んだ訳でもあるまいに、わざわざ騒ぎ立てて気を引こうなどと、さもしい考えだ」

 父侯爵も、その程度で長子である自分を(ないがし)ろにするなど、許しがたい。

「いっそ死んだならまだいいが」

 いや、それでは自分の気が納まらない。後悔し、反省させた上で、ヘルムフリート自身の手で締め括らなくては。

 どうせもう後二日、たったそれだけの我慢だ。

「しかしまさかトゥレスめ、余計な手出しをしたのではあるまいな」

 それはヘルムフリートの命令を軽視したという事だ。

 忌々しさを噛み締め、ヘルムフリートは主不在の執務室を出ると、荒々しく扉を閉ざした。

 どうせトゥレスを信用して使用している訳ではない。都合良く使っている内はいいが、ああした男は事を成した後は、要求も面倒になる。

 あれも事が済むまでだな、とヘルムフリートは改めて忌々しくそう呟いた。




「上将」

 内政官房へ行っていたグランスレイが医務室の扉を開く。その声に含まれた緊張を感じ取り、レオアリスは椅子から立ち上がった。

「どうした」

「ヴェルナー侯爵が訪ねておいでです」

 クライフとフレイザーが驚いた顔を見合せ、レオアリスもまた同様に、緊張を覚えた。

 不安も。

「――ヴェルナー侯爵……」

 まだ意識の戻っていないロットバルトの面に視線を落とす。

 この件で来たのは明白だ。

(侯爵自ら、ここに――)

 何を言う為か、想像が付いた。

「……すぐに行く。応接室に?」

 グランスレイが頷いた時、扉越しに声が掛かった。「ここで良い」

 グランスレイが驚きと緊張を合わせ、廊下へと敬礼を向ける。

「ご案内もせず、大変失礼致しました」

 ヴェルナー侯爵は身を避けたグランスレイの横を抜け、室内に入った。

 室内を見回し、「医務室か」と、そう一言口にする。

 身に纏う独特の威圧感に、室内の空気が重く感じられた。視線が寝台に向けられ、蒼い瞳が細められる。

 レオアリスは侯爵を迎えてその前に立ち、深く頭を下げた。

「ご子息の負傷について、改めてお詫び申し上げます。王都の中にあって――私の対応の甘さが今回の事態を招いたと理解しております。本来ならば私からご説明に伺うところを、失礼を致しました」

「軍の任務に於いて危険は付き物だ。その任務に口を差し挟む考えも、この件で貴殿の責任を問うつもりも無い。――執務室ではなくこの部屋にいるのを見れば、書状一つになった理由も理解できる」

 クライフとフレイザーは意外さと安堵を一瞬滲ませた。だがレオアリスはまだ、この先に来る言葉を待っていた。

 その予想に(たが)わない瞳が向けられる。

「しかしこのような事態が起きた以上、ヴェルナー侯爵家としては子息をこのまま近衛師団に置く事は了承しかねる。これに関しては我が侯爵家の問題だ。近衛師団が口を差し挟む事でもない。それは大将殿にもご理解頂けよう」

「――」

 レオアリスはぐっと唇を引き結んだ。

 フレイザーがヴェルナー侯爵に言い募ろうとしたクライフの腕を抑え、レオアリスを心配そうに見つめる。

 フレイザーやクライフの視線が求めているものは判っていて、そもそもレオアリス自身引き下がりたくはないが、どう返すのがいいのか言葉が浮かばない。

 元からヴェルナー侯爵は、ロットバルトが近衛師団にいる事を良しとしていなかった。今回の件でその想いを強くしただろう。

(だが今、何か言うべきだ――反論を)

 このまま反論できなければヴェルナー侯爵の言葉を肯定したと取られてしまう。近衛師団を退団する事をロットバルトが納得するとは思っていない。

 ただ、この状況の責任は、レオアリス自身に依るところも大きいのも事実だった。

 もしもう一度同じ事があったら、次は最悪の結果になるかもしれない。

「後任の参謀官の選定に苦慮するのであれば、相応しい能力の者を探して紹介しよう」

 ヴェルナー侯爵はそれで決まったと言うように、レオアリスを見据えた。

「本日を以って任を解いて頂く。了承頂けますな、大将殿」

「――」

「貴方の私的なご意志で左右される問題ではありません、侯爵」

 レオアリスの背後から呆れと刺を含んだ声が割って入る。

「ロットバルト――」

 振り返り、ロットバルトが寝台に身を起こしている事にまず、深い安堵を覚えた。寝台を降りるのを見咎め、片手を上げる。

「まだ起きるのは」

 レオアリスをやんわりと(とど)め、ロットバルトは普段と変わらない足取りで侯爵の前に立った。

「エイセルを付けて頂いた事に、まずは御礼申し上げます。貴方は今回の状況を想定されて対処を求めましたが、私は必要性を感じていなかった。状況把握が甘かったと反省しております」

「――」

「しかし組織の事に私論を持ち出すのは筋違いではありませんか」

「私論であろうが、今回の事態は許容を超えている」

「許容ですか。私自身の許容はどれほども超えておりませんが。そもそも負傷する度に除隊させると家が干渉して来るのでは、軍など成り立たないでしょう。三つの子供ではあるまいし、そんな事を押し通せば、それこそヴェルナー侯爵家の名を地に落としますよ」

 辛辣とも言える口調に、ロットバルトが苛立っているのが判る。

「正直、先ほどの発言をされた貴方にかなり呆れているところです。内政官房の――国政の一端を担う立場にある方の発言とは到底思えない。しかしまあこの話は、後日別の場で、冷静になった上で二人だけで結論を出すべきでしょう」

「ヴェルナー侯爵家はお前が継ぐのだ、ロットバルト」

 ヴェルナー侯爵はロットバルトを見据え、宣言するように告げた。

 一瞬室内は静まり返り、その後息を飲む音がした。

「そうなればお前は自らの行動がヴェルナー侯爵家と所領、引いては国の利益になるか否かをまず考えねばならん。お前一人の我を通し続ける道理はもう無い」

 第三者がいる場所で侯爵がそう明言したのは、おそらく初めてだ。

 会話を打ち切り背中を向けかけていたロットバルトは、振り返り、冷ややかな視線を投げた。

「――」

「条約再締結が終了した後、そう公表する事に決めている。陛下へは条約再締結後に、継嗣変更をお伺い申し上げるつもりだ。近衛師団にも、予め承知しておいてもらいたい」

「私はヴェルナーの継承を望んではいない」

 返す声はひやりとした怒りを孕んでいる。

「陛下が認可される事だ。そうであろう、大将殿」

 レオアリスはヴェルナー侯爵の問いかけに頷きこそしなかったものの、焦燥感を覚えて拳を握り込んだ。

(陛下に――)

 王はその申請を許可するだろうか。

 近衛師団に取っては損失だ、ならば王の許可は下りないかもしれない。

(いや)

 ヴェルナー侯爵の決定を、王は認めるだろう。

 王が認めれば、ロットバルト個人の意思は通らない。

「本来、家を継ぐのは長子でしょう。長子を差し置いて次男に継がせようとすれば、余計な争いを生むのは明白です。貴方のその考えが、今回――」

 そう言い掛け、ロットバルトはふっと口を閉ざした。

 ヴェルナー侯爵がロットバルトを見据える。

「後継者を決めるのは現当主である私の権限だ。ヘルムフリートが何と言おうと、侯爵家を生かす能力を持つ者を取る。能力を育てなかった本人の招いた事だと理解し、判断すべきだろう」

「――勘弁してくれ、話にならない」

 ロットバルトは苛立ちを押さえ込むように額を手で覆い、顔を背けた。

 その額に汗が滲んでいるのに気付き、レオアリスは一歩前へ出た。

「ヴェルナー侯爵、ここは議論の場ではなく医務室です。それに我々は、ご子息に休息を取らせたい。お話は、改めて」

 じろりとレオアリスを睨み付けたものの、侯爵もそれ以上引き伸ばそうとはせず、踵を返した。

「退団については条約再締結後まで待つ。それまで時間があるだろう、必要な整理をしろ」




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