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最終章『光を紡ぐ』(29)

 

「今動かないと戻らない。それでもいいのか?」


 否とは言わせない脅しめいた口振りに、ロットバルトはもう一度息を吐いた。

 こうと決めたら止まらないところは、どこか懐かしい。

 だからかもしれない。


「――最近の王太子殿下の御予定は、地政院の案件が多く入っています。関係各所と調整をした上で予定を動かさなければなりませんが、急な視察を入れる名目が立ちますか?」


 アスタロトが顔を輝かせる。

 抑えきれない気持ちを表すように一歩前に出て、脛を低い卓にぶつけて「痛っ」と言った。


「め、名目なんていくらでも立つでしょ。十四侯の協議って次、明後日、二十九日だよね? まずは十四侯の協議で私から提案する。もう二月まであと三日しかない、殿下が告示しちゃう前にバージェスに来てもらわなきゃ」

「無理に予定をねじ込むのではなく、下話を通した上で調整をする必要があるということです。まずはランゲ侯爵、それから――」

「じゃあ明日、ランゲと話をする」

「――」


 ロットバルトはアスタロトを見つめた。


「何」


 少し不安になったのか、アスタロトが身構える。


 ロットバルトはアスタロトの提案に、もう一度思考を巡らせた。

 目的に向かって最短距離を進もうという意志はアスタロトらしい。拙速でもあるが、今更慎重になりすぎては目的そのものが損なわれるのも確かだった。


 そして現時点で大事なのは、レオアリスが近衛師団総将に就くかどうかではなく、()()()()だ。その為にはファルシオンの存在が鍵になる。

 ただしファルシオンの心を守る為に、ファルシオンがそのことを知るのは帰還と同時が望ましい。


()との道を開くとしたら、バージェスの水盆が最も確実性が高い。バージェス復興に関わった人々の慰労を、即位を控えた王太子殿下が行うことは、殿下ご自身の財産にもなる)


 ファルシオンが王都から動く理由としてバージェス視察は適切であり、バージェスに行くのならばファルシオンが近衛師団総将を示すのは、その後がいいだろう。

 アスタロトの言う通り。


(最短距離か)


 アスタロトの性質が炎だと、改めてそれを知る思いがした。


「えと、……急ぎすぎ?」

「――いいえ。貴方は貴方のやり方を変えない方がいいでしょう。ランゲ侯爵には明日、私がまず根回しします。貴方はお考え通り、その後ランゲ侯爵と話をして頂いた上で、十四侯の場で提案を」

「ありがとう! すごく助かる」

「それから」


 輝きかけた瞳を、アスタロトはぐっと抑えた。


「何?」

「老公にも。スランザール殿は理解を示していただけるでしょう。もうお一人――大公について。今回の近衛師団総将任命が大公のお考えですので、下話の段階で反対なさる可能性もありますが、どうされますか」


 アスタロトは束の間悩み、顔を上げた。


「ええと、ベールには、今回は結果から見せた方がいい気がする。下話で反対されたら、そこから先がきついし」

「承知しました。また、バージェスの水盆を開くのであれば、西海の協力が不可欠です。レイラジェ将軍に協力を求めるのが良いでしょう。その点も私が下調整は行いますが、正式にはあくまでも、公のお立場からお願いします」


 アスタロトは意志を込め、こくりと、大きく頷いた。


「それと」


 続けると、まだあるのか、と言わんばかりにアスタロトが肩を引く。

 挙げかけた課題を、ロットバルトは口にせず収めた。


「――いえ」


 これは今回だけの話でもない。いずれファルシオンが向き合っていくことだ。


「十四侯の場で、賛同が得られるよう話を進めて頂くこと。貴方に掛かっています」

「大丈夫、これだけ力を貸してもらえたら――ありがとう!」


 もう一度そう言い、アスタロトは再び瞳を輝かせて陽が差すように笑みを広げた。







 謁見の間を出るランゲの姿を捉え、ロットバルトはやや遠間から声をかけた。


「ランゲ侯爵」

「これは、ヴェルナー殿。財務院はこれからですか」


 ランゲはロットバルトが近付くのを待って、破顔した。

 午前も早いこの時間は、各部門ごとにファルシオンとの謁見の予定が組まれている。


 国内復興の調整、和平条約の草案、王の国葬の準備と、その翌日に行われるファルシオン即位に向けた準備、それから新たな体制づくりへの人事。付随、波及する大小様々なものを含め、取り組まなければならない案件は途切れることがなく、その多くがファルシオンへと奏上され、ファルシオンの裁可を得る。


 ランゲに付き従っていた地政院官はロットバルトと、それからその後ろの主計官長ドルトへ一礼して下がった。

 東方公派だったこともあり一時期ランゲの立場は不安定だったが、ファルシオンを支える立場を明確にし、地政官長に任命されてからは復興の為に尽力する姿を見せている。


「先だっては減税措置と新規開墾への報奨金、お骨折り頂き御礼を申し上げる」


 戦乱や魔獣の影響を受けた農民への農業税の一年間の免除と、人頭税の減税、一定の区画内で新規に開墾した農地についての報奨金は、財務院だけの施策ではない。地政院の進める重点復興策の一つでもあった。


「開墾の申し出が各地の領事館に入り始めておるようで――森林等に食い込まないか、各地で調査しながら進めているところですが、早い所は三月には作付けが始められるようですな」

「それは良かった。そうお聞きすれば制度を整えた財務官達も喜ぶでしょう。ランゲ侯爵の陣頭指揮あってのことと、こちらこそ感謝しております」


 ロットバルトはランゲへ会釈し、ところで、と繋いだ。


「明日の十四侯の場で、バージェス復興の進捗について、アスタロト公爵から御報告があるとか」

「お耳が早いですな。さすが、アスタロト公爵と親交が深いだけはおありだ」


 ランゲは一人頷き、


「バージェス復興が予定より早く進んでいると仰っておられましたな。それについて一つ、お考えがあるようで私にご相談をと――触りはお聞きしておりますが、詳しくは今日の午後にお会いして伺います。ヴェルナー殿は御用件を御存じで?」


 自分の職分を侵すのではないかと、やや警戒する目でランゲはロットバルトを見た。


「財務にも協力依頼がありました」

「財務院に?」

「バージェスの復興が予想以上に早く進んだことから、職人達を慰労したいと。二月上旬にバージェスを離れる職人もいるとのことですので、急いでおられるようですね」

「そのようです。アスタロト公も財務院に先に下話をされるとは、(こな)れていらっしゃいましたな。財務の理解を得られれば有難い」


 ランゲがまた頷く。「それともう一つ、条約の館の天井絵が完成し、それを設置するにあたっての披露も大々的にできないかと、そういうことのようです」


「天井絵が。それは復興事業進捗の大きな目安でもありますね」

「お話中失礼致します、閣下、王太子殿下との謁見がそろそろ」


 ドルトが促し、ロットバルトはランゲへ一礼した。


「王太子殿下は少し、気が張りすぎてもいるように見受けられます。バージェス復興の明るい報せが、殿下のお気持ちを緩めて差し上げられればいいのですが」


 ランゲが頷く。


「確かに――明日、十四侯の席でバージェス復興の状況をお聞きになれば、王太子殿下はお喜びになるでしょうな」

「復興作業を担い、工期が早まるほど力を尽くしてくれた兵や労働者達へも、金銭以外にも報いられれば尚良いのでは」

「いや、当然です。それはしっかり考えたい。とはいえ財務院には、資金面にぜひ配慮いただけると有り難いですな」


 ロットバルトはにこりと笑んだ。


「ランゲ侯爵が――地政院がそうお考えであれば」








 二十九日の午後、十四侯の協議は王城南棟五階にある議場で行われた。


 アスタロトが手を上げて発言したのは、その冒頭だ。予定されている議題が始まる前――居並ぶ諸侯を見回し、ファルシオンへと一礼すると、バージェス復興の進捗報告にあたり提案したい、と切り出した。


「提案とは、なんだ?」


 首を傾げたファルシオンを、アスタロトは明るい瞳で見つめた。


「バージェスの復興はほぼ八割、進んでいる状態です。職人達、近隣から来てくれた農民達や兵達が皆頑張ってくれたお陰です」


 アスタロトの報告を聞き、ファルシオンが嬉しそうに笑みを広げる。


「ほんとうに、ありがたい。彼等には心から感謝している」

「それから、以前からご報告している条約の館の天井絵についても、昨日完成して、あとは設置を待つだけになりました」


 周囲から期待のこもった感嘆が漏れる。

 条約の館にあった天井絵は、アスタロトが以前この十四侯の場でその美しさを語ってからというもの、バージェス復興における諸侯の期待の一つとなっていた。


「天井絵が――それはとても楽しみだ。私も早く、アスタロトが美しいと言っていたそれを見てみたい」


 ならば明日にでも、と言いかけ、アスタロトは一旦言葉を抑えた。

 ロットバルトの視線がある。


(分かってる、しっかり、手順を踏んで――)


 けれど昨日、ランゲとも話をしてランゲの賛同も得た。西海のレイラジェとも調整が取れている。

 もうファルシオンがバージェスに赴き、あの館で、天井絵から降り注ぐ色鮮やかな光の下で、水盆の道を開くだけ。

 それだけだ。


 ほんの束の間、このまま慎重に進めることも考えたが――

 アスタロトは顔を真っ直ぐ上げ、明瞭な口調で告げた。


「ファルシオン殿下に、バージェスの視察をお願いしたいのです。明後日」


 斜め前の席でロットバルトがこめかみに手を当てる。

 少し申し訳なさを覚えたが、ロットバルトはスランザールへも話を通し、それからアルジマールとゴドフリーへも話をしてくれた。


 だからもう、ファルシオンが行きたいと言えば、話は進む。

 単刀直入の方がより気持ちが動くと、そう思った。


「天井絵を嵌め込むにあたり、王太子殿下にその瞬間をご覧いただきたいと思っています」

「二日後の話だろう。急すぎるのではないか」


 ベールがやや眉を寄せる。


「段取りが悪くて、申し訳ありません。つい一昨日思い付きました」


 内心鼓動が跳ねたものの、アスタロトは平静を装ってそう言った。


「以後、気を付けます。でも、作業の進捗が思いの外早まって、天井絵の職人達が自分の街に戻ってしまうので、彼等が全員揃っているところで殿下に是非、お言葉をかけていただきたいんです」

「――明後日」


 もう一言、ベールは呆れて口にした。


「はい」

「よ、宜しいかと――」


 思いの外早い展開に慌てつつ、ランゲが乗り遅れないようにと口を開く。ランゲが国家を、ファルシオンを大切に考えているとこの場で示すことは、ランゲにとっても重要なことだ。


「王太子殿下もこれから一層お忙しくなりましょう。職人や従事者達へ直接お言葉をかけて頂ける機会も、そうは得られますまい。民にお心を示して頂くのは重要です。地政院関係の日程は私の方で調整させていただきます」


 ゴドフリーも片手を持ち上げる。


「急ではありますが、条約の草案はひと段落しておりますし、四月一日の条約締結はバージェスの条約の館で行われる予定です。直前の視察では何かと慌ただしくなるでしょう、今の時期が一番かと存じます」


 もう一人、アスタロトが気にしていたのは、ファルシオンに告げることに否定的だったアルジマールだ。道を繋ぐのにアルジマールの力は欠かせない。


 そろりと合わせた目に、アルジマールは頷いた。

 アスタロトがそっと息を吐く。


(良かった――あとは)


 ベールが賛同してくれれば。

 場の空気は好意的だ。それでも一人、背筋が張るような感覚をアスタロトは覚えていた。

 ベールは束の間、吟味するように思考を巡らせていたが、ややあって瞳を、ファルシオンへ向けた。


「王太子殿下、如何なさいますか」


 ファルシオンに委ねられた――ベールの反対が無かったことに、アスタロトは卓の下で人知れず、ぐっと両手を握り締めた。

 ファルシオンが僅かに首を傾ける。


「バージェスの復興にたずさわってくれた人々にも、お礼を言いたい。王都からとおく離れているから、今回を逃せばもう、しっかりと感謝を伝えられる機会はないと思う」


 安堵しかけた気持ちを引き締めたのは、続くファルシオンの言葉だ。


「それに私はまだ、バージェスを見たことがない。かつての不可侵条約締結の場所で、これから和平の約束をする場所だ。すべてが始まった、新しく始まる場所を知っておくのは、私の責務でもある」


 言外にファルシオンが想いを寄せたのは、父王の姿でもあっただろう。


「バージェスを見たい」


 アスタロトは顔をまっすぐ持ち上げているファルシオンを、瞳を逸らさず見つめた。


 まだ悲しい記憶の色濃い場所だからこそ、ファルシオンにとってバージェスが、喜びの記憶の一つにもなるといいと、そう強く願った。




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