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最終章『光を紡ぐ』(27)


 

『即位後のことを、考えなくてはと思っている』



 午後、ロットバルトが居城に呼ばれて面会した際、ファルシオンはそう告げた。


『きちんと、示さなくてはならないから――、意見をもらえるだろうか、ヴェルナー侯爵』


 黄金の瞳にあるのは僅かな迷いと、それよりも明確な決意だ。

 父王の姿を目の前から失ってから、常にそのようにあろうとファルシオンが努めてきたもの。


『近衛師団総将に、私は――、現在の副総将グランスレイを任命しようと、思っている。国のために体制をあいまいにしておくわけには、いかないのだ』


 告げながら、ファルシオンの瞳は僅かに揺らいだ。

 押し隠していた迷いが一瞬、揺れる瞳の奥に有り有りと浮かぶ。


 一度公にすれば、簡単にそれを撤回することはできない。幼く即位するからこそ尚、不安定さを見せる訳にはいかない。


『私の判断を、ヴェルナーならばどう考える』


 ヴェルナー侯爵家の当主としての立場なら、と。


 ロットバルトは現状をファルシオンへ伝えるか、思考を巡らせた。

 レガージュ沖での探索の結果はアルジマールから入っていた。アルジマール、そしてカイル達の術式が導き出したのは、確かに希望だ。


 ただ、ファルシオンに告げることへの懸念は、ロットバルトも同様に感じている。


『――現時点では相応しいお考えだと、思料致します』


 ファルシオンは一度瞳を伏せた。

 開けた瞳はひどく大人びて、その頬に笑みを刷く。


『有難う。ヴェルナーにそう言ってもらえると、安心する』

『内示されるのは、いつをお考えですか』


 ファルシオンは二月に入ったら、と答えた。

 頷いたロットバルトへ、ファルシオンがもう一つ、と、続けた。


『そなたについても、話があるのだ』





「反対する理由はございません」


 そう言ったルスウェントの双眸には、いつになく驚きと、一種の感情の昂りが覗いている。


「これまで前例は聞き及びませんが、それも当然のこと――」


 何より、ヴェルナーにとってこの上無い話だと、ルスウェントは頷いた。


 ルスウェントが退出し、ロットバルトは見送った扉から窓へと、視線を移した。

 窓の外はすっかり陽が落ち、王都の街の明かりが通りの存在を浮かび上がらせている。

 窓や街灯の灯りの一つ一つは、王都、それから国内が平穏を取り戻してきた証だ。


 国の復興を進め、平穏を取り戻し、維持していく為には、自分自身に目を瞑らなくてはならないこともある。

 幼い王太子がそう決めたように。


「意思か。他者には責任を負わせておいて、都合のいいことを言ってくれるものだ」


 先ほどは口にすることを避けた皮肉を、零す息と共に吐いた。








「お戻りですか、公」


 ワッツがアーシアの背から降りたアスタロトを迎える。

 バージェスの街はすっかり日暮れて、昼間よりも一層賑やかだった。一日の復旧作業を終えた正規軍兵や労働者達が、今日の疲れを癒そうと酒場や食堂、通りに出た屋台に集まって、王都とはまた違った賑わいがある。


 日を追うごとに人も、店も増えていく。それにつれ正規軍が現在担っている事務作業も初めは復興関連だけだったが、今では商業許可や滞在許可関係が復興関連の事務量を追い越し、地政院と分担を調整しているところだ。

 落ち着く暇もなく日々に追われているものの、アスタロトはそれがとても嬉しい。前に向かって進んでいくこの街が。


「ワッツはもう終い?」

「はい。これで休ませて頂きます」

「飲みにいくんでしょ? 今日はどこ?」

()に」


 外は街の本来の区画外のことを指し、日雇い、月雇いの人工達が簡易な天幕を張っている。本来の街区の復興が終わったら、間を置かず街を拡張する必要があると、そう思わせるほど人が集まっていた。


 ワッツは日ごとに飲む区画を移し、兵や労働者達と交流していた。彼等の様子の確認と、顔つなぎと、治安維持の為だ。ちょっとした喧嘩程度なら、ワッツが顔を見せればすぐに収まる。

 アスタロトも日々街を回り、時には彼等に混じって酒宴を楽しんだりもするが、酒量も体力もワッツに遠く及ばない。


「ワッツがいてくれて助かるよ。毎日飲むのも大変だよね、有難う」

「ま、水みたいなもんですからね。そもそも任務より楽しんでます。これで御礼を言って頂いちゃ心苦しいってもんで」

「けどシアンに申し訳ないよ。せっかくようやく二人で暮らせてるのに」


 シアンはワッツの妻で、結婚してまだ五年ほどだ。ワッツが西方第七大隊に赴任した昨年四月からほぼ一年、離れて暮らしていたが、今はバージェスに同行している。


「まあシアンも半分は法術院の仕事ついでですんで」


 照れ臭いのか、首筋を手のひらで荒っぽく擦る。

 余り見せない姿に、アスタロトはまた嬉しくなった。


「明日はどこをやるんだっけ。もう大体修復も終わってきたよね。細かいとこが残ってる感じ」

「明日からは海側の区画の壁面修復です。建物の中と通りの清掃と――人数が増えたもんだから予定より進みが早いんで、他の仕事をそろそろ考えないといけません」


 近隣の農民に、農閑期の三月まで雇うという約束で来てもらっている。加えて、西海との戦いの影響で荒れた土地が多く、三月は正規軍が彼等の農地の整備などを支援する予定だ。


「それから広場の館の仕上げもですね。王都の職人が作ってた天井絵が仕上がって来てますんで、そいつを組みます。嵌め込む作業がそこそこ難関ですが、大工も腕の良いのが揃ってるんで」


 王と共に西海へ赴いた、あの館――アレウス国側で不可侵条約を再締結する際に用いられた館だ。

 美しい天井絵とそれを映した水盆。向かい合う二つの世界を示したもの。


 あの館が本来の姿を取り戻すことが、この街の、そして未来へ向けての復興と繁栄の象徴のように思える。


「そうか、いよいよだね――」


 ふっと呼吸を止め、アスタロトは瞳を見開いた。


「……バージェスだ」

「え?」


 ワッツは怪訝そうな顔をした。

 真紅の瞳に希望が宿る。


「そうだ。ここの、あの館の水盆――」

「公、館がどうか」

「西海とを繋ぐ『門』だ。道だよワッツ!」


 嬉しさにワッツの無骨な右手を両手で握りしめ、アスタロトはその手に力を込めた。

 天井絵の世界を映した水盆。

 向かい合う二つの世界。


()だ――」


 門は今は繋がっていない。四月の末の、不可侵条約が破棄されたあの日、二つの世界を繋ぐ道は閉ざされた。


「公?」

「レオアリスを、連れ戻せる!」


 ワッツの右手が跳ねる。アスタロトの手に力が伝わった。


「レオアリス――? 公、そりゃ一体」

「連れ戻せるよ、絶対! そうだ――」


 あの道を、繋げる。

 その為に必要なのは二つだ。

 西海の協力と、ファルシオン。


 ファルシオンが今の時期に王都を離れる理由が、バージェスならば立つ。


「殿下に、バージェス復興の視察をお願いする」


 アスタロトは瞳を力強く輝かせ、まっすぐ顔を上げた。




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