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最終章『光を紡ぐ』(23)



 上下左右へと都度変わる船の揺れは、カイル達には馴染まない感覚だ。

 海を見たのも初めてで、過去の長い放浪の中でも、これほどに広大な光景には巡りあわなかったように思う。


 太陽が黒森のそれより近く感じられる。冬の寒い日とは言えこの熱は、彼等の身を覆う黒い羽毛にはやや暖かすぎた。


「こんなにも、世界は多様なのじゃな」


 セトの呟きを風が攫う。

 カイルもまたセトと同じ想いだった。

 黒森とはあまりに異なり、果てしない。

 揺蕩う海面の下には、更に深い世界があるのだと教えられた。


「こんな、広大な場所に」


 レオアリスが、まだ動けずにいるかもしれないのだ。いいや、カイルもセトも、レオアリスがこの海にいると、そう信じている。

 きっと、幼い頃そうだったように、探し出してくれるのを待っているはずだ。

 この広い海のどこかで。


「海の水は冷たそうじゃ……身体も冷えとるじゃろうし、腹もずいぶん空かせてやせんか」


 セトは甲板の欄干に手をついて身を乗り出し、彼等の養い子の姿を見出(みいだ)そうとするように沖合の波間を見つめた。

 すぐ近くにいるのかもしれないと思うと、今、海に飛び込んで探しに行きたい。


「早く見つけてやりたいのう」




 法術院長アルジマールと面会した四日後――、一月二十七日。

 フィオリ・アル・レガージュの港の、レガージュ船団の船の甲板に、カイルとセトは立っていた。ここ数日の目まぐるしい変化に息もつけないほどだ。


 王都から、レガージュ手前の古戦場の転位陣を用いて移動し、用意されていたレガージュ船団長ファルカンの船で、アルジマールの到着を待っているところだった。

 プラドとティエラが同行してくれていることが有り難い。それともう二人、船団長ファルカンと、レガージュの剣士であるユージュが今回新たに加わっていた。


 目まぐるしさとはまた別に、この数日の中で、レオアリスが村を出てからどれほど多くの人々と関わってきたのか、それをカイルもセトも、深く感じていた。


 無謀に飛び出した、いつまでも未熟な子供のように思っていたが、彼の前に広がった世界は、どこまでも広いのだ。


(まだ世界はお前の前に広がっとる。まだ途切れとらんよ。多くの方が繋ごうとしてくれておる)


 カイルは一つ、ゆっくりと息を吐き、それから甲板の中央へ足を向けた。


 ティエラと、そしてユージュという剣士の少女が甲板の樽に腰掛け話をしている。


「ユージュはまだルベル・カリマの里には行ったことがないの?」


 ティエラに問われ、ユージュは頷いた。

 ユージュは初めて会った二人の剣士に最初こそ遠慮がちだったが、半刻も経たない内にティエラとすっかり打ち解けている。


「ボクはずっと寝たり起きたりだったから。ていうかほとんど寝てたんだ。だからほんの一年前まで見た目も十歳くらいだったし、剣が出てきたのも、同じくらいだもの」

「そんなこともあるのね。剣の回復の眠りと近いけれど、全く同じと言うわけではなさそう。プラドは聞いたことがある?」

「聞かないな」


 端的な答えではプラドが知らないだけなのか、そういう例がないのかは判らない。


「もう」


 言葉が足りないとティエラは膨れたが、ユージュはじっとプラドを見た。

 明るい声にふと滲んだのは、まだ拭いきれない喪失と悲しみと、思慕の想いだろうか。


「プラドさんは、ちょっと父さんに似てる」

「ザインさんに?」


 返したのはティエラだ。


「うん。父さんよりずっと無口だけど」

「そうなのね――私達も会いたかったわ、あなたのお父様に。最後の戦いは、プラドは剣を失っていたから、私が止めてしまって。私も――、私は」


 ティエラはプラドと共にサランセラムに残った。ティエラ一人ならばまだ戦えたが――プラドの側にいることを選んだ。

 ティエラが言葉を続ける前に、ユージュは首を振った。


「ボクは行けなかった。すぐ目の前にいたのに――あの戦いは、こわかった。ナジャルは――あんな、大き過ぎる存在(モノ)


 それはユージュにとって、後悔よりも、振り返った時に覚える純粋な感情になっている。

 ナジャルはあまりにも――戦おうと思える範疇を超えていた。自分は、どうなれば、いつならばあの存在に向かって足を踏み出せるだろうと、今考えてもそれは判らない。


 だからこそ、ユージュは誇らしげに笑った。


「父さん、いつもかっこよかったし、強かったよ。とっても。この街を父さんがずっと守ってきて――あの戦いでも、守ってくれた」


 だから、と――


 カイルとセトへ、瞳を向ける。


「レオアリスも、帰って来ると思う。絶対。父さんはレオアリスも守りたかったと思うから」


 ユージュの笑みに、カイルは微笑みを返した。


「わしらも、そう思っておる。ありがとう」


 ふいに陽が翳り、見上げた瞳が太陽を覆った翼を捉えた。

 上空に滑り込んだのは青い鱗の飛竜だ。その背から人影が飛び降りる。


 ユージュは思わず身構えたが、プラドとティエラは動いてない。

 船を束の間揺らして甲板に降り立ち――少女は顔を上げた。


「失礼――すみません!」


 カイルとセトは突然現われた見知らぬ少女に驚いて、その面をまじまじと見つめた。十七、八歳ほど。よほど急いで来たのだろう、まるい額に前髪が幾筋か、汗で貼り付いている。


「アスタロト将軍――閣下」


 ファルカンが驚いて背筋を伸ばす。


「いきなり降りて、ごめん」


 ファルカンへと詫び、アスタロトはカイルとセトへ向き直った。


「あの――、は、――初めまして!」


 カイルとセトに対し、今度は直角に身体を折る。背後に一つに括った黒髪が肩の辺りで跳ねた。


「私は、アスタロトと言って、レオアリスの友人です!」


 そのまま懸命に声を張る。


「四年前、カトゥシュ森林で会ってから、レオアリスはずっと、ずっと大切な友達で、いっつも一緒にご飯食べたり遊んだりしてました! お祭りに行ったり――いっぱい助けてもらったし――あの時――あの時も」

「もし、顔を――」


 驚きながらもカイルが手を伸ばす。


「あの時だって、私は一緒に、戦ってました――! でも、私が一緒にいたのに、レオアリスを連れて帰って来れなくて――本当に――、本当に、ごめんなさい!」


 カイルはアスタロトの側に寄り、首を振った。


「どうか顔を上げてください」


 それでも頭を下げたままでいるアスタロトに、呆気に取られていたセトも近寄る。


「顔を上げておくれ。友人なら尚更じゃ」


 セトが笑みを含み、穏やかに促す。


「あの子は危なっかしいことばかりしよるが、誰かにその責任を負わせたりなぞせんじゃろう?」


 おずおずと、アスタロトは顔を上げた。カイル達と目を合わせる。


「あなたが、アスタロト公爵でいらっしゃるのじゃな。お名前は何度もレオアリスから聞いております」


 真紅の瞳が驚いたように瞬くのを見て、カイルは声に柔らかさを滲ませた。


「あの子と親しくしてくださって、御礼を申し上げます」

「お礼なんて――わた、私こそ……!」


 アスタロトは背筋をぴんと張り、胸に右の手のひらを当てた。


「私、潜ってでも探しにいくんで! 前に黒竜と地下に落ちたとき、レオアリスが探しに来てくれたから――今度は私が、絶対、絶対そうします!」

「ボクも行く。レオアリスにまた会いたいし、父さんだったらやっぱりそうするもん」


 ユージュも身を乗り出す。

 二人は改めて顔を見合わせ、アスタロトはいつだったか――レオアリスがユージュを抱き抱えるようにして転位した時のことを思い出し――やや慌てた顔をしたが、ユージュは「がんばろうね!」と両拳を握った。


「あ、う、うん! がんばろう! あの、私、前にあんまり話とかできなかったけど、」

「ボクも。会えて嬉しいです」


 握手を交わした二人の後ろから声がかかった。


「えーっと、人いっぱいいるけど、これは僕が場を仕切る役回りなのかな?」

「アルジマール!」

「法術院長殿」


 いつの間にかそこに立っていたアルジマールはやや呆れて甲板を見回し、「ヴェルナー侯爵も、アスタロト公に知らせるなら自分も来てくれればよかったのに」と息を吐いている。


 アスタロトはアルジマールへと身体を向けた。


「段取りは聞いた。私にできることがあったら言って。潜れって言われたら潜るから」

「うんうん、君は本当に潜りそうだよねぇ。まあそこら辺は、西海のミュイル殿に対応をお願いしてるから問題ないよ」


 アルジマールはアスタロトをいなしたが、(はや)る気持ちはおそらく、この場の全員に共通している。


 この法術が成功するのか。

 レオアリスを引き戻すことができるのか。

 今、どんな状態でいるのか。


 いずれにしても、残された機会と手段はそう多くはないと、誰しもが心の奥で判っていた。


「さて、早速出港しようか――ミュイル殿達が海中で待ってる」







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