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最終章『光を紡ぐ』(13)

 

 プラドとティエラはルベル・カリマの里から飛竜で発ち、二日目の朝に北のカレッサの街に立ち寄った。


 昨晩は雪が降っていたようで、街の通りは雪を避けた上に更に新雪が積もっている。

 カレッサはこの国の北限の森、ヴィジャへと伸びる北西街道の、最後の街だった。


 長居はせず、飛竜の温油を補充し、簡単な食事を済ませがてら店の主人に目指す村の位置を確認した。

 再び黒森を目指して再び飛竜を駆る。

 徒歩であれば一日は要するが、飛竜であれば一刻もかからないと言う。


 足元を雪を被った平原が過ぎて行く。この国の北の果てだからか、雪の印象だけではなく、これまで見た西の大河シメノス沿いの土地とは違った痩せた印象を受ける。


「春や夏は畑か、牧草地なのかしら――」


 風が身を切るように冷たく、襟元をかき合わせる。

 ティエラは柘榴の飛竜の首元を撫でた。冬でも暖かい砂漠から一転、凍てつく雪原の上を飛ぶのは、温油を塗ってやっていたとしても骨が折れるだろう。


「この国には色んな顔があるのね」


 正面に視線を戻せば、地平をどこまでも埋めるように黒い帯が広がっている。少しずつ、その帯は奥行きを増して行く。

 あの帯が黒森、ヴィジャだ。


「プラドは、ヴィジャへは行ったことがあるの?」


 ずっと昔、ベンダバールがこの国を出る前にあったのかと問うと、


「ある」と、プラドは短く答えた。


「ルフトを訪ねたわけではないが」


 一月十八日にルベル・カリマの里を出て二日――途中王都アル・ディ・シウムを遥か右に眺め、大陸を斜めに横断するように飛んだ。柘榴の飛竜の翼は早く、予定より一日前倒しで二人は黒森に辿り着いた。





 目指す村は黒森の縁にあった。

 森に入り過ぎず、そしておそらく一般の人間ならば踏み入らないだろう深さ。雪に埋もれた、注意していなければ見過ごしてしまいそうに小さな村だった。


 何の前触れもなく、二頭の柘榴の飛竜が降り立った中央の広場に、驚いた様子の村人達が集まってくる。

 ティエラは飛竜の背から降り、顔を上げ、瞳を見開いた。

 村人達は皆、黒い羽毛に包まれた鳥の頭をしていて、背には翼を有している。


 レオアリスが育った村とだけ聞いていて、剣士の氏族ではないのは分かっていたものの、この国では初めて見る種族だったからだ。

 集まった内の一人がプラドとティエラに歩み寄ってくる。


 プラド達からは彼等の年齢、表情は掴み難かったが、慎重な視線は二人への警戒が明らかだ。


「あなた方は――この村に、何の用ですかな」


 嘴の為か、少しくぐもった、けれど穏やかな声が尋ねた。

 プラドもまた、彼等と向かい合った。


「我々は剣士の氏族、ベンダバールの者です。レオアリスの、母方の」


 レオアリス、という名前を聞いて、村人達は表情を変えた。





 ティエラはプラドの斜め右に座り、自分達を迎えた家の住民を見つめた。

 ティエラ達を迎え入れ、小さな囲炉裏を囲んだ二人は、黒い羽毛に全身を覆われたいわゆる半鳥人だ。ミストラ越えの際、幾度か彼等のような半獣人の村や姿も見かけた。


 この国ではこれまで姿を見ていないが、ティエラ達が暮らす土地の更に北東には、半獣人が半数を占める国や彼等だけの国もあると聞いている。

 ミストラでは面倒を避け、見かけた人々とは極力関わりを持たなかった。ただ、遠目に見た彼等とこの村の人々とに違いが感じられるとすれば、この村の人々の持つ空気だろうか。穏やかで、ひっそりとした。


 ムジカと名乗った高齢の――おそらく――男が、二人の前に薬草で入れた茶を置いた。

 湯気と共に立つ柔らかな香りが、日差しのあまり入らない室内に静かに漂う。


 壁には所狭しと小瓶が並び、薬草が乾燥のために吊るされている。壁際、艶やかな黒い木の板を張った床の上には、幾つか書物が積まれている。それでも整った印象があった。

 小さな窓は雪に反射する外の光を四角く切り取っている。


「今回、この村にお越しいただいたのは――」


 ムジカともう一人、プラドの正面に座ったのがこの家の主人で、カイルと名乗った。

 肩に黒い鳥を乗せている。鳥の小さな目が囲炉裏を挟んで座るプラドとティエラを交互に映す。


「改めて――私はベンダバールの、プラドと申します」


 レオアリスと共にナジャルと戦ったことをプラドは簡潔に告げ、カイル達の前に深く頭を下げた。


「レオアリスが今ここにいないことを、あなた方にお詫びします」


 ほとんど前置きもなく頭を伏せたプラドを前に、カイルとムジカが顔を見合わせる。

 ムジカが片手を上げた。


「顔を上げておくれ。あなたはあの子の母方の、血縁と――」

「レオアリスの母、アリアの兄に当たります」


 ジンの、奥方の――と小さく呟き、ムジカが涙ぐむ。


「あの子に今も血縁がいるのであれば、それは喜ばしいことじゃ。きっとあの子も、あなたと会えたことを喜んだじゃろう」


 まだ頭を伏せたままのプラドへ、カイルが口を開く。


「レオアリスのことは、王都から聞いておりました。先月――ヴェルナー殿が使者を立ててくださった」


 西海との戦い、ナジャルとの戦いの様子。

 首を振る。


「他の剣士も、数人いたのだと。それがあなただったのですな」


 プラドが顔を上げる。

 カイルの声は響きを変えず、それは彼等の過ごした年月の在り方を感じさせた。

 長い時を過ごし、ただそれはティエラ達剣士の在り方とはまた異なる。


「わしらは、誰かを責めようとは思ってはおりません」


 その言葉の奥、そして彼等の間に漂う悲しみは、なめした革が次第に深く色を変えていくかのようだ。時間を経て、深く。


「誰に何を言っていいか、正直に言えば判らないのです」


 だだ、と、カイルは言葉を続けた。


「何もできずに見送る側になることを、二度とただ受け入れはすまいと、思っておりました」





 カイル達の案内で飛竜を降ろしたのは、黒森の奥に一角、ぽっかりと開いた空き地だった。一月に入り雪は日を置かず降り続き、樹々の幹を見れば半間近くの高さまで雪に埋もれている。


「ここに、彼等の家がありました」


 ルフトの里があった場所――十八年前にほとんどが炎に消え、石造の建物は崩れ瓦礫しか残らなかった。


 今は見渡す限り白く埋もれ、雪が(えが)く緩やかな隆起から瓦礫の跡を窺えるだけで、他には何もない。

 雪の上は野うさぎや狐の足跡が印を残し、人の足跡は自分達が今付けたものが足元に散らばっているだけだ。


 風が吹き、樹々を揺らす。どこかで枝に積もった雪が落ちる音。

 静かな墓標。


 プラドは雪を踏み、樹々の空白の中に進んだ。半ばで足を止める。

 ぐるりと見渡せば、ごくこじんまりとした里だったことがわかる。家は十数軒あればいい方か。


「ルフト――」


 呟いた言葉が何を想ってのものだったか、ティエラはプラドの心の内に想いを巡らせた。


 ジンという剣士を有しながら、ルフトが滅んだことにだろうか。

 この国を出た自分達ベンダバールとの結末の違いにだろうか。

 それとも彼が残して来た家族――彼の妹と兄が、一時期ルフトと共にあり、そして共に失われたことに。


(でももう、プラドは、残った彼等の想いを知ったから)


 連綿と続く時のように、命もまた続いている。


 プラドはカイルを振り返った。


「アリア――二人はどこか、教えてほしい」


 カイルが雪の中を、空き地の一番北側へと歩く。

 雪を踏む音。新雪の下の、凍った雪が崩れる音。

 更にその下に、今年降った雪が解けず積層となっている。


 やがてカイルが足を止め、その視線の先をプラドは静かに見つめた。

 森が鉈を一息に振るったかのように、その奥の丘まで一直線に樹々が刈り取られている。

 剣の余波で削られたもの――カイルが語った、バインドという剣士とレオアリスとの戦いの名残りだ。ほんの一年前の出来事だった。


 もう一歩、プラドは雪を踏んだ。この雪の空間から汲み取れるものなど、ほとんどない。

 カイルが傍らに並ぶ。


 プラドは身を屈め、足元の白い雪を二度ほど掻き分け、それから一つかみ、手に掬った。

 冷えた手のひらで、雪の塊りは表面を僅かに溶かして透き通らせる。雫が数滴、雪の上に落ちる。


「――レオアリスは、この国に残った妹達は幸せだっただろうと、そう言っていました」

「わしらも、そう思っています」


 カイルの言葉に、温もりが混じる。


「わしらは一度会うただけじゃし種族も異なるが、新しい命を宿した姿は、何より輝くようでした」


 その二言だけでまたしばらく会話はなく、溢れる息だけが時折白く、冷えた空気を染める。

 風がやや強く吹き、ティエラの長い黒髪を揺らした。小さく身体を震わせる。


 プラドは顔を上げ、振り返った。


「充分だ」


 ティエラの傍らを抜ける。「帰ろう」


 どこへ――と、ティエラはプラドを振り返った。ルベル・カリマの里に? それとも――


 それはプラドが納得したということだろうか。

 この国に来た目的を。


「プラ……」

「――プラド殿」


 カイルがプラドを呼び止める。ティエラへと視線を向けかけていたプラドは、カイルを振り返った。

 視線を合わせる。


「わしを、このまま王都へ連れて行ってはもらえぬだろうか」


 ムジカが驚いて声をあげる。「カイル? 何を」


「わしらはもう、何もせずただ受け入れたくはない」


 その手は肩に乗せた黒い鳥の長い尾に、ほんの僅か指先を触れている。

 プラドはカイルの意図を測るように、年経た目の奥を見つめた。


「わしはまだ、受け入れられない。何度も試した。これはあの子に譲り渡した優秀な伝令使じゃ。ここに一人で帰ってきた。何度もあの子を探した」


 見つけることはできなかった。

 それでも、プラドが見つめる双眸は揺るぎなく、ここにはない何かを見据えている。


「確認したいことがあるのじゃ、どうしても――それを確かめるまでは、受け入れられぬ」

「……王都へ連れて行くのは、可能です。だがどこへ」


 カイルはプラドの視線を捉え、口を開いた。


「王都の、法術院に」






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