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最終章『光を紡ぐ』(8)


 アーシアは開け放たれたままの扉の横に立ち右手を小さく上げ、指の背が扉を叩く前に止めた。

 アスタロトはお気に入りの白い椅子に両足を引き上げ膝を抱えて座り、首をやや傾けて窓の外を見つめている。


 十二月に入り、館の前に広がる庭はもう半ば、冬の侘しい風景に変わっている。常緑の植え込みと組み合わせ、敢えて色枯れた草木、花が配され、趣き深い。

 自分の部屋で一人の時間を過ごす姿を見るのはとても久しぶりだったが、庭を見つめるアスタロトの横顔は、どこか遠くにあるように思えた。


 アーシアが手にした茶器のお盆に視線を落とした時、アスタロトが首を巡らせた。


「入って、アーシア」

「――はい」


 微かに微笑み、アーシアは部屋の右奥へ進むと、壁際に置かれた小ぶりの卓に茶器一揃えを下ろした。

 温めておいた白磁の杯へ、琥珀色の液体を注ぐ。

 アスタロトの前の卓にそっと置くと、仄かな花の香を含んだ湯気が広がった。


「ありがとう」


 アスタロトは両手に包み込むように持ち上げ、白い縁に唇をつけた。


「あったかいね。アーシアが淹れてくれた紅茶はいつも美味しい」


 今のアスタロトはこの半年間とは違い、今年の春頃に戻ったように思え、やはりどこか違った。

 それを(いたわ)しいと思う。


 毎日王城では様々な会議が行われている。正規軍の再編について軍部で、国政については十四侯で。ファルシオンと四院の長、スランザールの間で行われている、国家としての大枠の方向性検討もその一つだ。

 内政官房や財務院、地政院での議論も合わせれば、一日に行われている会議は主だったものでも十を降らない。


 加えて、具体的に動き出した国土復興では、王都の街やボードヴィル、フィオリ・アル・レガージュの修復を始め、破壊されたシメノスの堰の修復や河川の治水工事、荒れた農地の再整備と新規開墾、魔獣によって荒廃した村や街の復興、街道の修復と、手をつけるべきことは枚挙に(いとま)がない。


 そして目下、最重要の一つと位置付けているのが、西海との新たな条約締結の場となる水都バージェスの再興だった。


 西海との戦いで泥に埋もれたあの街を元の美しい水路が巡る姿へと戻す作業は、正規軍を主体に近隣住民から人工を募り、十二月の半ばから始まる。

 アスタロトはバージェス復興の総指揮を買って出た。


「明後日には一度、バージェスへ行かれるのでしたね」

「うん。工事が十日後だから、その前に一度全体を見ておく。水路が泥で埋まってるから浚渫と、それから条約の館も、かなり破損がひどいし――」


 アスタロトは思い起こすように瞳を上げた。


「ほんとうに綺麗だったんだ、あの街は。しっかり、元に戻したい」


 アーシアは微笑んだ。目的があるのはいい。当面、打ち込めるものがあるのは。


「僕も、お供できますか? バージェスの街を見てみたいです」

「当然」


 微笑むアーシアへ、アスタロトは笑みを広げた。


「アーシアにはバージェスの周辺も、一緒に飛んでもらいたいしね」








 止まることなく慌ただしく過ぎていく日々の中で、財政再建についても議論が重ねられた。

 七か月に及ぶ戦乱によって多大な影響を受けた事柄の一つに、国の歳入――税収がある。


 西方域を主として農業の生産性が低下、特に収穫期への影響が大きかったこと、また魔獣の跋扈も加わって一時期は商業活動も落ち込み、国税の徴収は例年より二割弱落ち込むと見込まれた。

 それでも戦乱の終結後、主に商業分野における活動は、これまでの停滞期間を取り返すかのように速度を上げ動き始めていた。


 ロットバルトは十四侯の場を見回した。西に傾いた太陽が、謁見の間の天井辺りに光を(とど)めている。


「現在、西方以外の都市間の物流が活発に動いています。先月、今後半月で従前の六割まで回復が見込めると推計しましたが、それより早い状態と考えて良いでしょう。西方域についても、フィオリ・アル・レガージュを中心に復調が堅調であり、そしてエンデという新たな要素が出てきています」

「エンデ? 西方第五軍の軍都ですね」


 ゴドフリーが尋ね、ロットバルトは頷いた。


「サランセリア地方の住民達の避難は従来の生産性に影響を及ぼしましたが、避難したエンデ周辺では新たな耕作地の開拓と人流、物流の増加など、都市圏の拡大が進んだことは正の要素として捉えられます」


 見合わせた顔、とりわけアスタロトはその情報にやや憂いを解いたように見える。


「また、西方域だけではなく、魔獣の流入により東方ミストラ山脈近郊、北方ヴィジャ近郊については物流、生産性は七割がた低下していましたが、これも緩やかな回復傾向にあります」


 明るい要素を少しでも多く見出そうとするように、十四侯の手元に配布された資料を繰る音が重なる。

 ロットバルトは彼等の表情を見渡した。

 整った彼の面は、状況をまだ厳しく捉えているのが判る。


「対して、問題はこの度の戦乱に係る軍務費です。正規軍の行動にかかった一連の経費は、兵士一人当たりの月の経費に割り戻した時、通常時の五割り増しの百五十ルスとなり、総額は七か月で七千三百五十万ルス――七十三万五千ルーアンに上りました」


 平時の正規軍年間予算である百二十万ルーアンの、大半を喰ったことになる。加えて一月から四月までの通常経費を合わせれば、軍務費は既に予算枠を超えていた。

 予備費として計上しているのは十万ルーアン。


「これに戦没者への弔意金、国葬にかかる経費、被害を被った村や街への補償金、また軍再編と、軍による街や街道の修復活動等、国土再建にかかる活動経費も含めれば、更に七十万ルーアンを必要とします」


 アレウス国は軍務費を国庫全体の一割以下に抑制している。


 年間の国家予算はおよそ千七百万五千ルーアンを計上し、その内の二割は各都市への交付金が占める。

 院別の予算配分は地政院の経費が六割、内政官房、財務院、法術院がそれぞれ一割、そして正規軍が一割以下だ。


 また、王家は国家予算の枠外にあり、概ねの経費は直轄地からの税収を元にしたいわゆる『固有資産』から賄われ、近衛師団に係る経費の八割もここから支出されている。

 国税の内訳は人頭税、都市税、土地資産税、商業税、農業税などで、その他国の承認を経て各領主が定める独自の税があり、これは国へ二割を収めるものと定められていた。


「国内の状況、そして人心に鑑みれば、国税の率は一割もしくは最低限五分(ごぶ)(5%)を下げなければ各地方、都市が保たないでしょう。特に農業税については現状の作高一割について、来年一年は全額免除すべきと考えます。全体では今年を含め二年間減税し、その後三年を目処に下げた税率を現水準まで戻します」

「一割か、それとも五分か――」


 地政院長ランゲが眉を寄せる。


「大胆な話だが、ヴェルナー殿、なかなかに厳しい。特に国土回復については金が掛かる。農業税は税収の二割強を占めているのだし――」

「特に西域に対して、傾斜的に減税を行なっては」

「東方も北方も荒れています。含めて見て頂かなくては」

「南方だけ何も、というのはそれはそれで不満が溜まろうが」


 ランゲに続いてゴドフリー、カントナ、ソーントンが口を開く。それぞれ西方、東方、南方に所領が多い。

 ひとしきり持ち上がった議論はただ、減税やむなしの論調だった。


 ロットバルトはしばらく議論を聞いていたが、ベールと、そしてファルシオンへ視線を向け、再び口を開いた。


「減税は必要――ただ暗い要素ばかりではなく、増要因として新たに見込めるものが復興にかかる分野の特需です。新たな雇用、石材や木材等の資材の動き、従事者の衣食住や移動など付随する消費。こうした動きは期待できるでしょう。

「また、フィオリ・アル・レガージュを玄関口とした交易は、西海の脅威が無くなったことにより、一層発展すると考えられます」


 提示された明るい素材に諸侯達の愁眉も色を潜める。

 議論が落ち着いたのを見計らい、ベールは姿勢を改めた。


「では、財務院提案の内容を大枠可としたいが、よろしいか」


 ベールが問い、十四侯が賛同の意を挙手で示した。


「王太子殿下」


 ファルシオンは頷き、財務院の席へ顔を向け


「すみやかに詳細をつめてほしい」


 と告げた。

 ロットバルトが立ち上がり、頭を伏せる。後方に控えていた財務官長ルスウェント、主計官長ドルト、税務官長ノイラインと地方税務官長ロスウェルも席から立ち上がり、それに倣った。






「減税の実施案は先日のものを再度精査し、今年度最後の賦課に間に合わせる為にも五日後にまた十四侯の場に示したい。お願いできますか」


 ロットバルトは廊下を歩きながら、ノイライン、ロスウェル両伯爵へ顔を向けた。


「承知しました。我々の作業はいつまでに」

「明日夕刻、五刻までに主計官長へ回してください」


 両者の顔がやや引き攣ったが、頷く。

 次にロットバルトは会計を担当する主計官長ドルトを見た。


「提出された案を精査し、各方面予算にどのように反映させるか、それを示して欲しい。できれば明後日の昼までに」

「お任せください」


 ドルトが慣れた顔で頷く。

 ロットバルトは青い双眸を財務官長ルスウェントへ向けた。


「税務部、及び主計部の案を確認し、必要であれば副案と共に私へ――明後日夜に間に合いますか」

「畏まりました」


 ノイライン、ロスウェル、ドルトの三名が一礼してロットバルトの前を辞した後、ルスウェントは束の間、ロットバルトの傍らに従って長い廊下を歩いた。

 西陽が斜めに差す廊下を行く当主の背を見つめる。


「ロットバルト様」


 ヴェルナーの当主としての名を呼んだルスウェントへ、ロットバルトは足を止めて振り返った。


「少し、休息の時間を設けられるべきと考えます。ヴェルナーの所領など、内部の案件も重なっておられる」

「必要な時間は取っていますよ」

「――充分とは申せません」


 やや苦笑し、ロットバルトは再び歩き出した。


「ルスウェント伯、気持ちは有り難いが、とは言えこの時期は仕方がないでしょう。ファルシオン殿下でさえ寸暇を惜しんで国政の様々な課題に対応されている。我々が手を尽くさなければ、そもそも殿下を支えることが叶わない」

「しかし、それ以外の――」


 財務院の業務に加え、ヴェルナー侯爵家内部の案件、西海との和平条約締結に向けた調整があり、またイリヤ・ハインツの処遇についてもロットバルトが対応を進めている。

 もう一つ、アスタロト、そしてファルシオンとも三日と開けず話をしていた。


 明らかに負荷が限度を超えているが、今はその状況に身を置くことが必要なのだろう。


 普段と変わりなく見える当主の横顔を見つめて言うべき言葉を探し、だがルスウェントは喉元まで出かかったそれを飲み込んだ。





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