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最終章『光を紡ぐ』(7)

 

「それでは、よろしいか――」


 ベールは広い議場を見渡した。天窓からの光が謁見の間へ白い筋を落としている。僅か四日前までは重苦しい空気を浮かび上がらせているかに思えた光の筋は、今は早朝の香気を伴うようだった。

 沈黙と視線が賛同を表す。


 大公ベール。王立文書宮長であり王の相談役であるスランザール。正規軍将軍アスタロト。

 財務院長官であり十侯爵家筆頭のヴェルナー、地政院長官ランゲ、内政官房副長官ゴドフリー。ソーントン、カントナ、デ・ファールト、レント、オッドレイク、ハノファ、ウルビリアの侯爵達。

 司法庁長官クロフォードと法術院長アルジマール。


 『十四侯』の主だった顔触れが謁見の間に揃っていた。

 階の上の玉座には、依然座る存在は無い。


 王が不在となって七か月、それまで(まつりごと)は王を頂点にし、関係部署間の協議を経ながらも王の判断、裁可により定められ、執り行われていた。

 この七か月、国政は十四侯の協議の場において進められ、国王代理である王太子ファルシオンは時に議論に加わりながら、十四侯の場で出た結論を承認する形式に変わっている。


 ベールは議論が落ち着いたことを確認し、その双眸を階を背に座る王太子ファルシオンへと向けた。

 視線を受けて頷くファルシオンの面は、天窓から注ぐ光を受け、年齢よりも大人びて見える。

 光に透ける黄金の瞳は今日の幾つかの議題を受けてもなお、穏やかだった。


「次の三点を決定事項とすることを、国王代理王太子殿下へ奏上致します」


 十一月二十八日。

 十四侯の協議の場で、アレウス国はこの先の国家の方向性を三点、定めた。

 一つ目は、アレウス国王の崩御について。


「国王陛下の国葬を五か月後の四月末日に執り行うものとし、その間、喪に服すること」


 ベールの声が謁見の間に流れる。

 五か月の間は荒れた国内の回復、そして水都バージェスの復興に取り組む。

 そして二つ目。


「西海――西海軍第二軍将軍レイラジェ殿を中心とした新体制と新たに和平条約を締結し、国交を樹立すること。その為の調整を二国間で進め、条約締結を四月に行うこと。締結の場は水都バージェスとします」


 そして、最後の一つ。


「王太子ファルシオン殿下の即位を、国王陛下の喪が開ける五月一日とし、即位式を執り行うことと致します」


 謁見の間は天窓からの光を受けたまま、凪いだ海のように静かだ。

 ファルシオンはそっと息を吐き、ベールの視線を受け止め、それから自分を見つめる一人一人と、視線を合わせた。


「私を支えると言ってくれた皆に、心から感謝したい。今、各地は戦いと魔獣の出現で荒れていて、これから戻さなくてはいけない。西の地のひとびとは戦火をさけて、西方第五大隊軍都エンデのまわりで慣れない生活を送っている。まずは、国内の復興を――」


 幼い声は暖かく、謁見の間の空気に溶けるようだ。


「五か月のあいだに、疲れてしまったこの国の人たちの活気を取り戻して、土地を離れた人たちがまた、もとの地にもどれるようにしたい」


 ゆっくり、噛み締めるように告げる。


「その上で、西海と、新しい条約を結んで、安心して、豊かに暮らせる国にしよう」


 卓に座していた全ての者が立ち上がり、ファルシオンへ一礼する。



 王城は王都住民と国内の各都市に向け、同日正午、国王代理、王太子ファルシオンの名の(もと)にこれらを布告した。






 近衛師団第一大隊士官棟の中庭は午後三刻を過ぎた日差しに照らされ、中央の噴水が光を弾く眩しさに、ヴィルトールは目を細めた。あと三日後には十二月を迎えようというこの時期には珍しく、空気も暖かい。


 白い柱の並ぶ回廊を歩いて執務室の扉を開けると、窓辺に立っていたクライフとフレイザーが顔を上げる。開いた窓から少し低い陽の光が室内にたっぷりと注ぎ、平穏そのものに思えた。


「おかえりなさい、街はどう?」


 フレイザーはクライフに手を貸し、部屋の中央に置かれた長椅子に腰掛けた。

 ボードヴィル砦城の防衛戦でクライフは左膝を負傷し、法術の治癒を受けたものの膝はまだ半ばまでしか曲がらない。

 近衛師団の医官の話では、二か月ほど訓練を続ければ歩行に問題はなくなるだろうという見立てだった。


「やっぱりかなり動揺してるよ。と言っても喜ばしい布告も同時にあったから、複雑というか、落ち着かない感じかな」


 中層から下層を歩いてきたヴィルトールはそう言いながら二人の前に腰掛けた。


 王の崩御、西海との和平、そして王太子ファルシオンの即位。

 三つの布告を一度に受け、城下の街ではどの区画も広場や通りに人が集まり騒めいていた。


「陛下のことは――城下でも想定はしてたと思う。けど、それでも期待はしてたし、実際に聞くとね」

「そう……」


 フレイザーが息を吐く。

 王の崩御に対する動揺は近衛師団の中で特に大きい。

 おそらく多くの者が内心ではその()()を一度ならず浮かべながらも、今回の公式の布告は抑えがたい衝撃と共に受け止められた。


 誰もがどこかで、この戦いが終われば王が戻るのではないかと、微かな期待を抱いていた。

 自分達の前に王が在り、王の治世があるのは意識するまでもない当然のものだったからだ。長く続いて来て、これからも変わらず続くものだと――


 これから、国葬までの間を喪に服すことにより、王の崩御が真実なのだと、ごくゆっくりながらも人々の心に落ちていくのだろう。


「けど、ファルシオン殿下が陛下の仇を討たれたことは誇らしいって声でいっぱいだ」


 来年の五月になればファルシオンも一つ年を重ね、六歳になる。

 もう既に五歳とは思えない聡明さを備え、国民の前に真っ直ぐに立っている。


「お若くはあるけど、今回見事に成果を出されたし、期待も大きい」

「俺達近衛師団が守って差し上げねぇとな、殿下を」


 ふっと、会話が止まる。

 その理由は三人とも良く知っている。


 開けた窓から柔らかな風が吹き入り、室内を巡った。コの字形に置かれた六台の執務机の内、三台の上はどれもきちんと整理されていた。

 総将代理を兼ねるグランスレイは月の半分、この机に座ればいいほどだ。後任の参謀官の配置については今、近衛師団の再編も含めて検討している。


 それから――、窓を背に置かれた、中心の席。


「街でマリーンにも会ったよ。あまり話す時間はなかったけどね。彼女来月結婚するらしい。デント商会の護衛やってたダンカと」

「へえ! そりゃめでてぇな」

「いい知らせね。マリーンの結婚はすごく嬉しいわ」


 歳の近い知人の祝い話を聞き、フレイザーは少し普段と違った声の色で溜息をついた。


「ちょっと憧れる……」


 傍らでクライフが挙動不審になっている。

 ヴィルトールは平たい目で「まだなのか……」とこっそり呟いた。


 それから、マリーンとの会話を思い起こす。

 布告に伴い、もう一つ、城下に伝えられたことがある。


 西域での西海、ナジャルとの戦いに於ける戦死者数。その数は三千名に及んだが、戦いの規模に比して最小限で済んだとも言える。対西海軍のシメノス包囲戦に於いては岸壁上に布陣したアレウス軍にほぼ損害が出なかったことと、ナジャル戦では通常兵の用兵がなかった為だ。


 王城は主だった戦没者名と、消息不明とされた者の名前を公表した。正規軍参謀総長ハイマンスを始め、南方軍副将ゴルド、第二大隊大将ヨルゼンも戦死者に名を連ねている。

 そして不明者の中の一つの名前が、三つの布告とはまた異なる驚きと衝撃を住民達の間に広げた。


 近衛師団第一大隊大将、レオアリスの名が。


『私は、戻るって信じてるんです。あの子が――そんなこと、信じられないし』


 自分に言い聞かせるように、マリーンは顔を伏せてそう言った。


『私達もそう信じて、探しています』


 ヴィルトールが答えると、気を取り直したように笑った。


『来月の式には、出てもらわなきゃ』


 それから、


『――冬になる前に、一度、黒森へ行きたかったわ……』


 マリーンはぽつりと、そう言った。


「俺は信じてるし」


 クライフの声にヴィルトールは顔を向けた。

 クライフは長椅子に斜めにもたれかかり、窓を背に滲む執務机を、じっと見つめている。


「そうだね。私もそう思う」

「そうよ」


 ヴィルトールとフレイザーも頷く。


「さて」


 とヴィルトールは立ち上がった。戦いには参加していなかったが、その影響でヴィルトールが今は一番忙しい。西海との条約締結に関する事務官級会議に参加していて、この後は王城で会議だ。


「頑張ってこい」と気楽そうなクライフと、ヴィルトールを見送る為に立ち上がったフレイザーをそれぞれ見る。


「君達も、早く決めたらどうかな」

「何が」

「何の」


 慌てた二人の様子に、ヴィルトールはにこにこと、純粋な善意だけとは言い難い笑みを浮かべた。

 クライフが負傷して戻り、一時は命の危険すらあったと聞いた時のフレイザーの様子は、いわゆる怪我の功名というやつだ。


「何のって、私が言っていいのなら言うんだけど、それはちょっとねぇ。けどそう、色々変わってれば――」


 ヴィルトールははっきりと、口にした。「上将がさ」


 陽光の落ちる執務机に、瞳を細める。

 声に期待と、願いを込めた。


「戻ってきた時に、少し驚くかもしれないねぇ」






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