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最終章『光を紡ぐ』(3)

 

 広場で上がった歓声の響きが、硝子窓を通して室内へ伝わってくる。

 ファルシオンはその声を背に、少し微笑み、卓を囲む顔触れを一人一人見つめた。


 そして西海のレイラジェを。


「初めて、お会いします」


 八日前の十一月十七日、王都で西海穏健派との和平に向けた会談が行われた時、ファルシオンはその場に同席していなかった。国王代理としてのファルシオンが同席する段階ではなかったからだ。


 場を取り仕切ったのは大公ベールであり、そしてその場で西海との――正確にはナジャルとの、この戦いの道筋が描かれた。


 ファルシオンはレイラジェと、そしてミュイルの二人を真っ直ぐに見つめた。


「今回はまず、このたびの共闘へのお礼を、申し上げます。わたし達は、お互いの力になれたはずです」

「お目にかかれたことを光栄に思います。王太子殿下。我々の力はほんの僅かでした。共闘によりナジャルを倒せたこと――これは、何よりこの先の西海に、光を照らしたと考えます」


 レイラジェが青白い面を下げる。

 ファルシオンはこくりと頷き、それから右隣に座るロットバルトを視線で促した。

 ロットバルトが代わってレイラジェと視線を合わせる。


 レイラジェと直接会うのはこれで三度目だ。一度はヴィルトールの意思によりレイラジェが密かにヴェルナーを訪ね、もう一度は王都での和平に向けた会談の折り。

 レイラジェとの繋がりが生まれなければ、この結末は無かった。


「我々はこの戦いで、互いに身を以って和平への意志を確認できたものと考えております。あなた方は自らの拠点、軍都そのものを、その先を掴む為の力と意志として――(いしずえ)として示された」


 その犠牲は決して小さなものではなく、ナジャルを倒す最後の一押しとなった。

 そして彼等がこの戦いの中でそれを示すことが、この先の和平に必要不可欠なものだった。


「今後――和平、そして我が国と西海との国交の樹立に向け、新たな条約締結が必要です。今、我々アレウスが考えている案として、締結の地は水都バージェス。そして時期は、来年四月」


 今はまだバージェスは西海軍との戦いの中で泥に沈み、打ち捨てられたままだ。

 だが、今回の戦いの発端となった、かつての不可侵条約締結の地として、これまでの歴史を塗り替える地に相応しい。


「バージェスの復興、そして条約内容とその条文の擦り合わせも考えれば、四月が妥当と考えますが、貴国のお考えをお聞かせ願えますか」


 貴国と口にしたのは意図したものだ。

 この場で行われているのは半非公式ながら、二国――メネゼスの出席を以って、三国の間で交わされる、国としての意思の確認になる。


 レイラジェは頷いた。


「異論はありません。我等もイスを整え、まず住民達の暮らしを立て直す必要があり、国の今後の方向性を定めるに時間を要するでしょう」


 ロットバルトは頷き、


「マリ王国、メネゼス提督」


 メネゼスへ視線を移した。隻眼が応える。


「貴国を代表して、調印の場への立ち合いを依頼します――お引き受けいただけますか」


 こに流れを想定していただろうメネゼスには、驚いた様子はない。


「一存ではお答え致しかねる。まずは本国へ伺いを立てる――が、西海海域の航行が可能になること、海域が安定すること、そしてレガージュを始め貴国との交易を活性化させることは、我が国の利益あり、我等がマリ国王陛下の真意でもある。いずれは西海とも」


 レイラジェとミュイルがやや驚いた顔を上げる。


「交易――」

「貴国の資源は、海洋の産物か。我々交易国家であっても、海中の資源はなかなかに得難い」


 ファルシオンはにこりと微笑んだ。

 銀の柔らかな髪が陽光の淡い金色を纏う。


「ありがとうございます、メネゼス提督」






 ふわふわと、足元が、周囲が覚束ない。

 昨日からのことが、あの海での戦いが、夢の中の出来事のようだ。


 アスタロトは床の上に落ちる陽の光と、細い板を貼り合わせ組み合わせた床の、磨き上げられ艶やかな色合いを見ていた。

 先ほどのファルシオンとメネゼス、レイラジェ等の会話を頭の中で反芻する。ロットバルトの言葉は、王都、十四侯の場で既に話し合われたものだろう。


(すごく、いつもどおりだ……)


 国としての動きは続いていく。着実に。

 もちろんこの方向をアスタロトも知っていた。これまで、そうなるよう準備し、整えてきたのだ。この戦いの半ばから、国としての未来の姿をどう定め、どう進むか。


 けれど今、それが実際に目の前にあり、大きく動いていこうとしていることは、どこか信じられない思いの反面、深く差し込むような実感を伴った。


 その理由は解っている。

 この先西海との和平を締結し、そして、王の喪が明ければ、次代の王が即位する。ファルシオンが。

 即位式がいつ行われるか、それは王都に戻ってからのことだが、多くの人々の前で厳粛に、そして盛大に、戦いに勝ち平穏を取り戻したことを祝うのだろう。


 ファルシオンの戴冠。

 でも、その傍らには、新たな近衛師団総将が居なければならない。

 王家の紋章を刺繍で縫い込んだ、近衛師団総将だけが纏うことを許される、王布を纏って。


 それはどれほど眩しい光景だっただろう。


(いない――)


「疲れたでしょう、公爵」


 目を上げた先、幼い面が微笑む。

 短い会談は終わり、室内にはアスタロトとファルシオン、二人だけだ。セルファンは二人の心情を慮り、廊下へ退がっている。


「――殿下」

「夕方には、ボードヴィルヘもどるから、今は少し休みましょう」


 窓の外はもう既に、街を復興しようとする住民達が交わす声が聞こえてくる。木槌の音や、荷車の音。冷えた皮膚を暖めてくれるようだ。

 それでも室内はしんと静かだった。


 幼い王子の柔らかな微笑みを、アスタロトは返す言葉もなく見つめた。


(だめだ、私が、しっかりしてなくちゃ)


 一番辛いのはファルシオンのはずだ。

 それでもファルシオンは一国の王太子として、国王代理として、気丈に振舞い続けている。

 飛竜を降りた時からずっと――、おそらく飛竜を降りる前、ボードヴィルでアスタロトの送った伝令使の声を聞いた時から、ずっと。


(まだ、五歳なんだ)


 時折驚くほど大人びていてとても聡明だが、一方で誰からも、わずか五歳で大人び聡明であり、国を担うことを期待され、そうならざるを得ない場所に置かれた子ども。

 小さなファルシオンが気を張りどおしで、大人でさえも重い役割を担い対応し続けている様子を、そして今でさえまだ気を張り詰めたままでいることを、アスタロトは痛ましいと思った。


 解きほぐしてあげられればと思う。ファルシオンの不安や、悲しみ、淋しさを。

 けれどファルシオンに何と言葉をかければいいのか――自分はどんな言葉を発したいのか、思考は取り止めもなく掴めず、混乱して、まとまらなかった。


(見つかってない)


 ファルシオンはそのことに、レガージュへ来てから一度も触れていなかった。


(レオアリスが――)


 それを考えると、呼吸が、心臓が、凍るようだ。懸命に呼吸を整える。

 海に、沈んだまま。


 レガージュ船団も、マリ海軍も、西海軍も、ナジャルが沈んだ海域を探してくれている。

 さきほどの会談でも、レイラジェは探し続けると約束してくれた。

 だから見つかると、信じている。


(レオアリス――戻ってこい)


 ナジャルに勝った。あの途方もない、気の遠くなりそうな存在を倒した。

 でも、それだけでいいはずがない。

 今すぐ探しに行きたい。それができない立場なのがもどかしい。


 アスタロトは結果を待つだけで、この後すぐにボードヴィルに戻り、そして王都へ戻らなくてはいけない。

 正規軍の再編をして、そして十四侯の――、それから四公爵家も、再編が必要だ。

 ファルシオンを支える体制を作らなくては。


「――」


 窓の外の海が眩しく目を射り、アスタロトは反射的に滲んだ涙をぐいと拭った。

 扉を軽く叩く音が耳を捉える。

 はっとして顔を上げ、もつれそうな舌で「入れ」と、ようやく押し出した。


 声を待ち、扉が開かれる。

 そこにロットバルトの姿を認め、アスタロトは深く、安堵に似た息を吐いた。


 ロットバルトは室内に入り、部屋の中央で片膝をついた。

 一度伏せた面を上げる。

 ファルシオンはじっと、その姿を見つめていた。


「ヴェルナー……」


 肩をゆっくりと、上下させる。


「――ロットバルト」


 心許なくそう口にした瞬間、ファルシオンは五歳の子どもに戻った。


「戻ってくるって、約束した」


 細く震える声を、絞り出す。


「わたしは、」





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