表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
442/536

第9章『輝く青3』(58)

 

 レオアリスの剣を青い光が爆ぜて走る。

 右前方にいたアスタロトは瞳を見開いてその光を見つめ、それから束ねた黒髪を背で跳ねさせ、真紅の瞳をナジャルへと据えた。数十もの炎の矢がアスタロトの周囲に生じ、揺れる。


 火球砲に撃たれ長大な蛇体を軋ませるナジャルへ、炎の矢を放つ。

 同時にレオアリスが足場を蹴る。カラヴィアスもまた足場に降り立ち、光る盤を踏んで宙を駆けた。


 炎の矢がナジャルの蛇体に突き立つ。次々と――鱗を砕き、燃やす。

 二つの青い剣、白熱する剣が左右から光の弧を描く。

 既に六割方、鱗が爛れ捲れたナジャルの躯を炎が取り巻き、剣が裂く。


 硝子を引っ掻くような苦鳴にも似た咆哮が空に響き、肌を震わせた。

 螺旋状に伸びた光る盤が震え、皹を生じたかと思うと、砕けた。


 足場を失う寸前身を蹴り上げ、レオアリスは再び短い術式を唱えた。視線の流れに沿って新たな足場が縦に、巨大な輪のように空に浮かぶ。


 降り立ち、身を返す。カラヴィアスの設置した足場が横に二つの円を描き、レオアリスのそれと十字に交わる。

 膝が落ちかかるのを堪え、踏み出す。


(攻撃を重ねろ――)


 膝を落とすのは全て終わった後だ。剣に力を巡らせ、身体と気力を()たせろ。

 ここで終わらせる為に。


 右の剣が弧を描き、その回転を取り込んで左の剣を切り上げる。剣はナジャルの胴を捉え、だがまだ浅い。足場を蹴る。

 身を捻り、交差させた剣を左右へ払う。二筋の剣光がナジャルの胴を裂く。足場を蹴り、身を縦に捻る。


 ナジャルへ、炎の矢が降り注ぐ。レオアリスは空へと伸びる足場を駆け、斜め下のナジャルへ、身体を蹴り出した。落ちながら剣が大気を集め、光を帯びる。

 青く爆ぜる剣がナジャルの胴を斜めに深く断った。


(届いてない)


 骨までは。

 だが炎に包まれ、裂傷を重ね、ナジャルの動きは重い。


「倒せる――」

「――躱せ!」


 カラヴィアスの警告――

 レオアリスは左斜め下の光る盤を蹴り、横に円を描く光る盤を疾駆した。そこにいたアスタロトを左腕に抱え、空へ身を蹴り出す。


 ナジャルが限界まで(たわ)めていた発条(ばね)のように、爆発的に身を揺すった。

 大気を叩き、押し上げ、長大な蛇体全体が嵐の如くのたうつ。


「レオ――!」


 叫ぶアスタロトを更に抱え込み、衝撃を背で受ける。

 避けようもなく、蛇体が身体を弾き上げた。


「ッ――」


 全身が砕けそうに軋む。

 落ちる。


「大将!」


 掛かった声は海からだ。海に幾艘もの船が浮かんでいる。


「レガージュ船団――」


 アスタロトを抱えたまま宙で躯を捻り、落下先を船上へと変える。

 降り立った甲板で、レオアリスは体勢を崩し片膝を落とした。左手をつき崩れそうになる身体を支える。


「レオアリス!」

「平、気だ、ナジャルを――」


 アスタロトは言葉を飲み込み、空を振り返ると同時に炎の矢を放った。数十、数百――空のナジャルへ突き刺さる。


「レオアリス殿!」

「……貴方は――」


 空の熱から身を庇いながら甲板の上を駆け寄ったのは、レガージュ船団長ファルカンだ。

 周囲に白い帆を張った船が何艘か見える。風を受け、帆が激しくはためいた。


「大将殿、指示を。うちの船は足が速い、足場は任せてくれ」


 船は帆で風を掴み、ぐんと波を分け進んだ。

 宙に浮いたナジャルの蛇体を、回り込むように帆走(はし)る。

 視線の先、カラヴィアスが降りた船の上に、ザインの姿が見える。もう一人、ルベル・カリマのトールゲインという剣士も。


 空を影が揺れる。

 ナジャルは燃えながら、身を下ろしていく。海面へ。

 海へ逃れるつもりだ。


「海へ入れさせるな!」

「止めろ!」


 湧き起こる声と共に矢が、銛が、鉤をくくりつけた縄が船団の船から空へ走る。

 アスタロトの炎の矢が追う。


 沖の船団の司令艦甲板に立ち、隻眼に燃える蛇体を睨み据え、メネゼスが声を張り上げる。


「次弾急げ!」


 再び火球砲が光り始める。


 ナジャルの頭が海面へ辿り着き、沈んだ。

 追おうとして甲板を踏んだレオアリスは、そのまま甲板に倒れた。膝に力が入らない。全身が痛みで軋む。


 ナジャルの長い胴と、尾。

 レオアリスの剣が断った断面を見せたまま、黒々とした海へ――


 消える。


 海面が一瞬、凪いだ。


「海に――」


 船上は騒然となり、直後、恐ろしいほどの静寂に満ちた。


 ナジャルが回復する。

 海から生命を吸って――


「――ッ、まだだ! 海中で、戦えばいい……!」


 膝を押さえ苦痛を噛み殺し、レオアリスは無理矢理身体を起こした。

 舷縁を掴みかけた手が止まる。


 視線の先で海面が膨れ上がり、海中に逃れたはずのナジャルの蛇体が飛沫を纏わせ、長い身をくねらせながら空へ駆け上がる。

 受けた傷がその身に、消えることなく残っている。


「何だ――」


 その身が空で、苦痛を表すように捩れた。


『馬鹿な――』


 愕然とした声が降る。


『馬鹿な』


 苦痛が滲む。


 これまでに蛇体に受けた無数の裂傷、熱と焔で爛れた鱗――

 膨大な海水はそれを包み込まず、激しい苦痛を与えた。

 あたかも、海がナジャルの身を拒否したかのように。


 ナジャルの存在、宿す力は海の如く計り知れず――だが決して、海そのものではない。

 あくまでも、ナジャルもまた一個の生命でしかないのだと、その事実を厳然と突きつけるかのように。


『ならば、この海の上の命、全てを喰らうのみ――』


 その命で回復する。


 双眸が血の色に染まる。

 呪縛――


 瞬間、見上げていた者達はみな、身体の自由を奪われ、そして呼吸すら奪われた。

 沖に並ぶマリ海軍艦隊から、火球砲の輝きが薄れていく。


 ナジャルの尾が直下の一艘の船へ振り下ろされ、船は真っ二つに砕けた。レガージュ船団の男達が船から海へと落ちる。身体は硬直したまま悲鳴も無い。

 尾が更に唸る。海面を叩き、身じろぎすら叶わない二艘の船を砕く。

 海へばら撒かれる破片、人。


 レオアリスは呪縛を(ほど)こうと全身の力を込めた。それすら、肺の中に残った僅かな酸素を奪っていく。


「――ッ」


 視界が回る。呼吸は止められたままだ。

 傍らで、アスタロトが甲板に崩れ落ちる。


(――動、け……ッ)


 ナジャルの尾が、更にもう一艘を砕く。レオアリスのいる船の、左隣。


 呪縛の中一歩、踏み出したのはカラヴィアスだ。

 白熱した剣。身を包んで陽炎が立ち上がる。

 だが、その一歩が激しく体力を消耗させているのがわかる。


「長――」


 トールゲインが辛うじて手を上げ、カラヴィアスの左手首を掴んだ。

 既にカラヴィアスの状態も限界に近い。筋肉は軋み、受けた裂傷が血を滴らせ、足元を染めている。


「それ以上は、命に」

「今、動くのが、肝要だ」

「しかし――」


 視線の端、誰かが動く。

 ザイン――自ら切り裂いたのか、左の二の腕から流れる血が駆け抜けた甲板に滴り落ちる。


「――ザイン!」

「トールゲイン殿、長を頼みます」

「ザイン! 待て!」


 視線だけを向け、ザインはカラヴィアスを見た。


「最後まで、自分の望みばかりを言ってきた――」


 姉さん、と。


「ザイン! この愚か者が……! 勝手ばかり許さんぞ!」


 ザインは笑った。


「それでも俺は、満足している」


 カラヴィアスからトールゲインへ視線を移し、甲板を蹴って舷縁に降り、身を蹴り上げる。

 追おうとしたカラヴィアスをトールゲインの手が引き戻す。


 迫る尾へ、ザインは剣を跳ね上げた。鱗を削りながら弾く。

 宙に残っていた光る足場を踏み、更に身を跳ね上げる。


 足元に広がる海。

 今、この海に在るのはレガージュ船団やマリ海軍の船、人びと、そして港から丘へと、斜面に連なり続く街――


「フィオリ――」


 海の玄関口として栄えてきた、美しい街。門に刻まれた横顔。


 自分に向けられた、かつての彼女の顔を覚えている。笑みも、声も。

 出会えて、幸いだった。

 何よりも。


 三百年、この街を護り続けたことが誇りだ。

 命を繋いだことが。


「もう君の傍に行くことも、許してくれるだろう」


 ザインの剣が白く輝く。


『ザイン――』


 怒りと、嗤い。

 剣を振り下ろすザインを喰らおうと、ナジャルの顎が開く。


『我が糧となるがいい――そなたの主に会えるやもしれん』

「笑わせるな。フィオリはもう、そこには」


 ザインの左足をナジャルの顎が捉える。

 ザインは自らの膝下を断ち、閉じた顎を右足で蹴った。


「いない――!」


 ナジャルの右眼に、ザインの剣が深々と突き立つ。

 軋る咆哮が大気を震わせ、周囲を圧していたナジャルの呪縛が、失せる。


「ザイン!」


 ナジャルはザインの身体を空へ跳ね上げた。身体を追って顎が開く。


 カラヴィアスの剣が白熱して輝く、寸前、振り下ろされたナジャルの尾がカラヴィアスの乗った船を砕いた。人も船の破片も構わず、そのまま薙ぎ払う。


 ザインの身体をナジャルの顎が捉える。牙が腹部を貫いた。


 ザインの右腕が上がり、ナジャルの上顎の肉と牙を断つ。

 沖から放たれた火球砲が蛇体へと突き刺さる。

 アスタロトの炎の矢が降り注ぐ。


 その炎の中、光る盤がナジャルを二重に取り巻いた。カラヴィアスが駆け上がる。白熱した剣を薙ぎ、ザインの身体を貫く牙と下顎を斬り裂いた。


 青白い光が爆ぜる。

 レオアリスは光る盤を蹴り、頂点へと駆け上がった。

 眼下に、炎を纏い身を捩るナジャルの蛇体がある。


 カラヴィアスがザインの身体を抱え、足場を蹴って離れるのが見えた。その剣からは既に光が失われている。


「――」


 奥歯を噛み締める。

 レオアリスが成すべきこと――


 二つの剣を、身体の前に掲げる。

 ナジャルを倒すこと、この戦いに勝つことだけではない。

 自らに課した、この剣が果たすべきもの。



『剣とは――』



 いつかの、王城の庭園。

 黄金の光。



『剣とは敵を切り裂くのみに非ず、そなたら剣士がこれまで心を以って示してきたように、誰かを、何かを護るものでもあろう』


『そしてまた、そなたが自らそうしてきたように、未来を切り拓くものでもある』



 激しく、青く爆ぜていた光が、収まる。

 剣が光を放つのではなく、光を収斂(しゅうれん)していく。


 一つに。



 レオアリスは剣へ手を伸ばした。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ