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第9章『輝く青3』(41)

 

 アスタロトは空を睨んだ。

 法術士とファルシオンが張っていた障壁は失せ、蛇のような長い首が空からゆるゆると降り、城壁や屋根越えて這う。


 首達は全て、一点に向かっていた。

 ファルシオンのいる、北の棟に。


「行かせない」


 身体の周囲に炎を創り出す。

 下流の時よりも更に、浄化の意志を込めた炎を。


 夜に青く輝いて揺れ、中庭から空へと奔った。首を包み、燃え上がる。軋む叫びが耳障りだ。


「タウゼン、殿下を!」


 北棟へ向かう兵達を背に、アスタロトは更に意識を凝らし、炎を次々と生み出した。

 炎に包まれ、身を捩っていた首が一斉にアスタロトへ顔を向ける。

 口々に上げる声がアスタロトの耳に忍び入る。


 ――炎帝公

 ――アスタロト様


 苦痛混じりの、呻きに近い響き。


 ――閣下


 アスタロトは引き結んでいた唇を、我知らず薄く開いた。


「――ゴルド」


 南方軍副将ゴルドと、そして第二大隊大将ヨルゼンの顔がある。二人もまた、下流でナジャルの炎――アスタロトが支配を奪われた炎に呑まれ命を落としていた。

 奥歯を噛み締める。


 ――何故です


 恨みが篭った響き。

 首達を包んで燃え盛る炎の一点に、黒い染みが生じた。


 ――何故私たちを二度も殺すのです

 ――何故炎で焼き、苦しみを与えるのです


 炎が黒く染まっていく。

 アスタロトは眉を寄せた。

 黒い染みが広がり、炎を侵食する。


 ――何故、何故、何故


 何故。


 アスタロトは顔を伏せた。


「何故?」


 きっと呑まれてしまった兵達の苦しみは、アスタロトを蝕んだ闇よりも深く、濃く、続いているのだろう。あの首がそこにある限り――ナジャルの中に取り込まれている限り、終わること無く。


 アスタロトの指先が、再び黒く染まる。苦痛が忍び入る。


 何故。


「決まってる」


 死んでもなお苦しみに縛り続ける、そんな冒涜は許せない。

 顎を持ち上げ、瞳を空へ向ける。


「私が、みんなをそこから解放するんだ」


 指先を侵食し始めていた闇が、アスタロトの中から溢れた炎に押し出され、消える。

 澄んで青く輝く炎がアスタロトの周囲に数十の矢を作る。炎の矢が走り、空を埋め、そして北棟に群がる首を撃った。


 炎に包まれた首が身を捩り、うねる。そのまま一つが、砦城北棟へ振り下ろされる。ファルシオンのいる直上の階だ。


「しまった――」


 屋根と壁を砕きかけた首は、だが直前で両断された。断ったのは風を纏う白い光だ。

 首は中庭、アスタロトの目の前に落ち、炎の中で灰になった。


 北棟の屋根の上にティエラが降り立つ。彼女自身、幾つかの負傷を負い、疲労が見える。


「炎帝公、ファルシオン殿下のところへはティルファングが行った! ここは私が守るから! 貴方の炎が一番有効なの!」

「――ありがとう!」


 声を張り、アスタロトは右足を踏み込み、再び炎の矢を創り出し放った。

 空に首が絡み合い蠢く首の塊へ叩き込む。


 幾つかを切り裂き焼いても、次から次に無数に生まれ、降りてくる。


 あれが、その無尽蔵さがナジャルがこれまでに喰らった命の分だというのなら、自分がそれを解放する。


「絶対に――!」







 フィオリ・アル・レガージュの街は海の玄関口として港があり、そして内陸に向かう街の門がもう一つ、丘の上にあった。

 石造の門の上部にはこの街の名が冠する女性の横顔が刻まれ、門から西へと街道が続いている。


 街道を辿り続けた先、遥か東に王都があった。

 今、その街道の先からナジャルが吐き出した鼠の群れがこの街へと向かっている。


 ファルカンとレガージュ船団、そして南方軍第六、第七大隊の兵達は残された僅かな時間の中で門の手前、百五十間(約450m)先に木材を組んだ防御柵を並べ、油を掛けた。

 壺に差し込んだ松明をその後ろに幾つも並べている。火の粉が空へと立ち昇りながら舞う。


「間に合いはしたが――心許なすぎる」


 自らも柵の後ろに立ち、ファルカンは口の中で呟いて柵の向こうの闇を睨んだ。まだ闇は動かない。


 街道の左側はシメノスの岸壁に遮られている為、フィオリ・アル・レガージュの陸側の間口は岸壁から南、ザインの家がある南海に面した岸壁までの、およそ二百五十間ほどだ。

 そこを完全に遮断できるほどの木材などこの短時間で用意できる訳がなく、木材は丸太もあれば家の柵や小屋の壁、この数ヶ月の西海との戦いで破壊された船の柱や甲板などもあり、それらを無造作に組んでいる。


 一部は大戦時の砦の遺構を障壁代わりにし、それでもところどころ半間近くもの隙間が空いていた。

 ファルカンの傍らに立つ南方第七大隊大将ダイクは、後方に並んだ歩兵と十名の法術士団兵へ首を巡らせた。

 歩兵は前一列と後ろ五列。後列五列には弓を持たせている。


「この短時間では充分だ。あとは炎と、弓、法術、それからザイン殿に頼る」


 ザインは中央に立ち、既にその右腕に剣を顕していた。

 その傍らにユージュも、同じく剣を顕して並んでいる。


 住民達は港へ集まっている。いざという時――それがあまり先のことではないと誰しも解っていたが――船で海へ逃れる手筈になっていた。


 ユージュはちらりと父の横顔を見上げた。ザインの視線がすぐに返り、夜の中で目元が柔らかく笑む。

 踊っていた鼓動が少し落ち着くのが分かる。


(これで最後じゃない。まだ、ボク達にはやることがある)


 この街を食い尽くされるわけにはいかない。


「ユージュ」


 低い声にユージュは視線を戻した。前方の闇へ。まだ夜明けまでは五刻近くある。

 早くその光が見たいと思った。


 騒めきが夜の中に広がる。


「来た――」


 夜よりも黒い闇が空と地との狭間(はざま)に広がる。無数の鼠が立てる足音、鳴き声、互いの体が擦れる不快な音の波。


「火を放て!」


 ファルカンと第七大隊ダイク、第六大隊バーランドが同時に号令を発し、船団の男達や兵士等がそれぞれの手に松明を掴み取り、柵へと投げた。

 夜に松明が放物線を描く。


 油を染み込ませた柵に落ち、炎が燃え上がった。

 鼠の軋る声。燃える柵に遮られ鼠の群れが止まる。

 群れは柵の隙間から内側へと、水が流れるように漏れ出した。


「弓兵、法術士団!」


 漏れ出した群れへ弓が突き立ち、光弾が降る。その死骸を貪り(たか)る塊りと、その上を乗り越える群れ。


 二筋の剣光が走り鼠の群れを吹き飛ばし、更に矢と光弾が降る。


「手を休めるな! 押し止められているぞ!」


 号令、弓の弦が空を打ち、矢羽が風を切る。光弾が空を切り裂き、ザインとユージュの剣が群れを薙ぐ。


 押し止めているように見え――


 だが鼠の群れは炎の柵の向こうに、際限なく増え続けた。






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