表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/536

第4章「言祝(ことほ)ぎ」(1)

 ボードヴィルの砦の上から、急斜面の谷底を流れる大河シメノスの濁流を透かし見て、ワッツは感嘆の籠もった息を吐いた。昨日は明け方近くまで雨が激しく降った。

「なるほどねぇ、こりゃあ確かに攻め難いなあ。大戦時に造られて以来ここが軍都になったのも頷けるってモンだ」

 西方第七軍が駐屯するこの軍都ボードヴィルに、ワッツは今朝早く到着した。

 王都を一昨日、四月二十五日の朝に発ち、第七軍の管轄地を幾つか見て通り過ぎながらの道程だった。

 到着した朝の六刻は、まだ辺りはシメノスから立ち昇る薄い霧が城壁の足元まで立ち込め、小高い丘の上にある砦と街は朝日に照らされて、あたかも雲海に浮かぶように見える。

 しんと冴え、遠くを飛ぶ鳥の声さえ聴こえそうな空気は、王都とはやはり違う、と思う。

「ワッツ中将、こちらへ。この鐘楼から入ると城内の四階に繋がります。ウィンスター大将は五階の執務室でお待ちです」

 案内の少将に促され、ワッツは首を巡らせた。着いたばかりでまずは、西方第七軍大将ウィンスターへの着任挨拶が予定されている。

 ワッツはもう一度シメノスの対岸に広がる林や砦周囲の起伏の多い地形を見渡し、少将グリッジについて鐘楼の扉を、広い肩をすぼめるようにして潜った。



「良く来たな、ワッツ」

 ウィンスターは壁に掲げられた正規軍軍旗を背にワッツを迎えた。

 ワッツがウィンスターの執務机の前に立ち、右腕を胸に当てて敬礼し踵を打ち鳴らす。

「中将セオドア・ワッツ、本日付けを以って第七大隊左軍中将を拝命いたしました」

 ワッツが立つ右側に、二人の将校が並んでいる。ワッツは目礼と同時に彼等を見た。

 まだ若い二十代の男が中軍中将ヒースウッド、四十に差し掛かった方が右軍中将エメルだろう。反対の窓側に、ワッツと入れ替わりで引退する元左軍中将シモンがいた。ウィンスターは彼等へ、ワッツを改めて示した。

「ワッツとは私が第六軍の時、カトゥシュ森林の黒竜の一件で行動を供にした」

「存じております」

 一番感じ入った顔をしたのは若いヒースウッドだ。

「黒竜の先遣部隊はこの国の英雄でもあります。その中心的役割を果たせられたワッツ中将が第七軍にと聞いて、ぜひ話をお伺いしたいと思っておりました」

 と上気した顔で言った。

 いかつい外見に似合わず、どうやら少し夢見がちだ、とワッツは心の中で苦笑した。偶像に憧れるのは年若い将校には珍しく無い話だが。

 確かヒースウッドは、このボードヴィル近隣を所領するヒースウッド伯爵の弟だと聞いている。

「私こそ、精鋭の集まるこの第七大隊に引っ張って頂けて光栄です」

 そう返し、ワッツは改めてウィンスターと二人の中将を見た。

「しかし、私の初任務は不可侵条約再締結の一里の控えと伺って参りましたが、先達の中将お二人がおいでの中、新参者には少々荷が勝ちすぎるのでは」

「軍議の決定の上、陛下へ奏上したのだ。問題はない。左軍だけではなくエメルの中軍も半個中隊を出す。左軍を中心に据えたのは貴様のこれまでの実績もあるが、特にヒースウッドが貴様を推してな」

「ヒースウッド中将が」

 ワッツは意外さを感じヒースウッドを見た。何よりそうした任務を誉れと感じそうな男だが。

 ヒースウッドがウィンスターの言葉を補足して頷く。

「黒竜と相対した貴殿をお迎えするとあって、左軍の兵達の意気も上がっております。左軍は我が第七大隊の第一部隊でもありますし、兵達もその誇りが強いのです」

「それは、改めて身が引き締まる思いです」

 ワッツが真っ直ぐ視線を返すと、ヒースウッドはやや緊張した面持ちで黙礼した。ウィンスターが場を区切るように三人を見渡し、最後にその鋭い視線をワッツへと据える。

「では早速任務に着け。今日は初日だ、まずは全体の演習を見てもらう」

「演習は、どちらで?」

「街の北面、サランセラム丘陵だ」




 緑なす緩やかな斜面を、正規西方軍第七大隊計三千名の兵列が、それそのものが有機的な生物のように動く。あたかも絵筆の柔らかな毛先が地上に絵を描き出すように滑らかだ。

「さすが第七軍――見事な動きです」

 ボードヴィルの街の西から北面に広がるサランセラム丘陵の二つの丘を覆うように、現在駐屯する左中右の全兵が展開する勇壮な演習が展開されていた。

 街攻めと、それに対する防御を想定している。

「どう見る」

「そうですね……見たとこ北西部は緩い丘陵地が広がっている分、間口が広く障害物がほとんど無くて守りにくい上、防御線も横長に引き延ばさざるを得ませんので、保有する兵の同等の数を当てられたとしたら消耗戦になりそうです。砦そのものが北西部を余り意識した造りじゃない」

「正しい」

「ただまぁここの要は南面、シメノスでしょう」

 ワッツは騎馬の上で太い首を背後の街へ巡らせた。影になった砦の尖塔が威圧する。

 ウィンスターは満足を表して笑った。

「それも正しい。南面は見たか」

「ご挨拶の前に見ました。いい位置取りです。シメノス側はほとんど壁のような斜面になっていて、守るに易い」

「シメノスから攻撃を受ける状況はかなり限定される上、それもほとんど過去の話だがな」

 ワッツはウィンスターの眼を見た。

 過去の話――西海の脅威は今は無い、と、ウィンスターがどこまで本心からそう考えているのかは、計りがたい。

 今回の赴任ではワッツはもう一つ、王都から任務を抱えてこのボードヴィルへ来た。

 先日のルシファーの館復元時に生じた懸念――内通者の存在の調査だ。

 王都以外で館を復元すると伝わっていたのは、この西方第七軍のみ。

 指示は西方将軍ヴァン・グレッグから下りており、一定の目処がつくまでは、ウィンスターにも秘しての任務だった。

(大将が関わってる訳ぁねぇが)

 どこに耳や目があるとも限らない。また相手はそれだけの存在だと心している。

 こうしている今も或いは、ワッツの赴任や目的に気付き、彼の発言を注視していないとも限らない。

ここ(・・)が相手――ルシファーにとって重要ならって話だがな)

 重要だろう――確実に。

 ルシファーと西海との関わりは深い。ルシファーが何かを画策しているとしたら、シメノスの遡上を見張るこのボードヴィルは、双方にとって戦略上重要な場所だ。

 まずはシメノス河口にフィオリ・アル・レガージュという天然の堅塁があるにせよ、ボードヴィルが軍都として最前線の司令機能を担う事は間違いが無い。

(と――、考え過ぎか。いつの間にか西海を想定しちまってる。上はまだそんな事、一っ言も口にしてねぇからな)

 まずは情報がどこから漏れているか、ボードヴィルの正規軍からか否か、ワッツの役割はその調査だ。

「南面の攻防訓練は明日行う。第七大隊の本分だ、見応えがあるぞ」

「楽しみです」

 幾分力を込め、ワッツはそう言った。



 演習を終えた兵士達がずらりと丘陵に並ぶ。北西に丘陵の延々と折り重なる向こうは、幾つかの細々とした村を経て――西海との国境に行き着く。

 そして、もはや三日後に迫った条約再締結の地となる西海の皇都イスへのとば口、かつての不可侵条約締結の地、今は打ち棄てられた水都――バージェスに。

「――見事な演習を見せてもらった。頼もしい限りだ」

 馬上のワッツは自分の前に整列した中隊左軍の兵士達を見回し、声を張り上げた。まだ激しい演習の余韻を残す兵士達の上を、なだらかな丘陵を撫ぜる風に運ばれ、ワッツの太い声が響く。

「午後の訓練と明日の南面演習についても様子を見させてもらうが、俺は今の演習方法をさほど変えるつもりはない。程度によっては日々の訓練の底上げはするがな。それから、まあ俺も新参だ、溶け込む為に一人一人話する位の努力をするつもりだ」

 一旦言葉を切り、改めて兵士達の顔を見回す。

「三日後には条約再締結の一里の控えもあり、諸君等は重要な任務を負っている。日ごろの訓練の成果を最大限に発揮する事を期待している」

 兵士達が一斉に右腕を胸に当て、敬礼を向ける。打ち鳴らされた革鎧の音がサランセラムの丘を渡った。

「グリッジ少将」

「はっ」

「夕飯後、第七軍在籍が長い奴とボードヴィル出身の奴、それから新人、それぞれ一人ずつ、選んで俺の所に寄越してくれ。話を聞きたい」

「承知致しました!」

 グリッジは背筋を張り、緊張した面持ちで敬礼した。

 ワッツは兵士達の前を離れ、ボードヴィルの城門へと馬を巡らせた。流した視線の端で、最前列にいた二名の兵士が不安気に目を交わし合う様子を捉える。

(――)

 ワッツは経験と情報、そして勘、それぞれ重んじる事を旨としている。

 その兵士の上にはどこか、彼の意識に引っ掛かるものがあった。

(身構え過ぎか?)

 ワッツの調査目的が目的だけに、些細な事をそう感じるのかもしれない。しかし中軍の前を抜ける際には、彼等の緊張とワッツを窺うような気配を感じた。

 右軍の様子が同じか違うか、ワッツの位置からは良く見えなかった。ワッツは岩のような顔の中の小さな眼を更に細めた。

「上官が代わりゃ緊張もするか。もう少し踏み込んでみねぇとなぁ、判らねぇや」

 ぼそりと呟いた声に気付き、傍らで馬を進めていたウィンスターが視線を寄越す。

「どうかしたか」

「いえ。早いとこ馴染まねえとと思いまして。まあ暇を見付けて兵士達の間を歩いて回るつもりです」

「それがいいだろう」

 彼等に続いて馬を進めていたヒースウッドは、手綱を握る自分の手に力が籠もるのを感じつつワッツの背中を見た。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ