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第9章『輝く青3』(35)

 

 黒い波が次々と丘を呑み、広がる畑を呑む。群れに覆われ通り過ぎた後、緑や黄色の布を敷き詰めたようだった美しい大地は貪られ、茶色の土がまだら状に剥き出しになった。


 シメノスを越え南へ向かったカロラスは上空で飛竜を駆りつつ、夜目にも見て取れるその急速な変化に不快さと、それから驚きを飲み込んだ。


「これほど、暴力的だとは」


 どこまでも貪欲に、生命という生命を飲み込もうとしている。どこまで行っても勢いが衰える気配が無い。

 視界前方に村を捉え、飛竜を急がせて村に降りる。


「誰かいるか!」


 数度声を張り、返答を待つ。ただ、この辺りの住民達が半年も前に避難しているのはカロラスも聞いていた。村は夜の中でさえ閑散とした様子が明らかで、道を雑草が埋め尽くし、木の桶が虚しく転がっている。


 更に呼び掛け、返答が無いのを確認して再び飛竜を空へ上げた。北へ目を向ければ黒々とした()が見て取れる。止まらない、その騒めく音。


 無駄な行為かもしれないが、自らの剣、そしてアスタロトの炎でさえあの存在を滅することができない以上、村や街を探し、呼び掛けを可能な限り繰り返すしかない。


「あれがどこまで広がり続けるか――」


 止まるのか。

 いつ。


 何に満足したら。






 エストが向かった南方軍は、未だシメノス北岸から一里も離れていない位置にいた。想定よりも進行が遅い。


 そもそも南方軍は昨夜レガージュを出てからこれまで、避難する住民達の警護、レガージュの奪還に加え、シメノス下流域での西海軍との戦闘、そして海魔との戦いと、各部隊が限界まで動いてきた。

 アスタロトの炎により壊滅の危機から逃れ、その安堵も加わって兵達はもう一歩も動けないほど疲れ果てている。


 エストの報せを聞いた南方将軍ケストナーも、日頃は抑え難いほどの血気を(みなぎ)らせている面に、隠しきれない疲労を滲ませていた。


「ナジャルめ、どこまでも……」


 とはいえ、もう一刻の猶予も無い。エストの情報では鼠の群れの動きは速く、あと半刻も無く、この場所まで到達すると思われた。


「どう退くか――」


 夜の中を無為に退いても仕方ない。脱落して行った者達から呑まれるだろう。


「レガージュに戻るか、ボードヴィルへ戻るか」

「ボードヴィルへ戻る方向が良いでしょう。このまま北進すればグレンディル平原とサランセラム丘陵地帯の間で『壁』にぶつかります。西へ転進してもバージェス――イスに近付いてしまいます」


 南方軍参謀長イルファンが地図を示す。

 第二次サランセラム戦役で北方軍が展開し、水都バージェス方面から侵攻した西海軍に勝利した地だ。布陣に『壁』と呼ばれる地形上の断層を利用した。

 断層を東へ、サランセラム丘陵へと抜ける道はあるが、細い。狭隘な道を二百間(約600m)ほど進まなければならない。


 ケストナーは椅子に(もた)れたまま地図を見下ろした。そこにあるだろう『壁』を睨む。


「『壁』に阻まれると兵列が伸びる。後ろから順に喰ってくれと言うようなものだな」

「レガージュに戻るにしても、ここから東進し――ただシメノスに寄り過ぎれば、ナジャルの放った敵に出くわすことになりましょう。兵の損害を更に増やすことになりますので位置取り、それから速度が重要です」


 既に副将ゴルド、第二大隊大将ヨルゼンを、先程の黒い炎に呑まれ失っている。

 将校、一兵卒に至るまで、まだ詳細の把握はできていないが、あの炎の損害は半個中隊ほど――千五百名ほどにも上ると想定された。


「よし」


 地図に手を置き、ケストナーは重い身体を起こした。


「動くぞ。気合いを入れ直せ」


 居並ぶ大将達、第一大隊アルノー、第三大隊ホセ、第四大隊ケッセル、第五大隊グロウの顔へ、一人一人視線を据えていく。第六、第七大隊は現在フィオリ・アル・レガージュに兵を置いている。


「竜騎兵はまず伝令だ。アルノー、お前が指揮して近隣の村や街に兵を報せに向かわせろ。この辺一帯は避難してるはずだが、残っている住民がいないとも限らん。ホセ、ボードヴィルへ北岸での対応を要請しろ。ルベル・カリマの剣士だけに負わせる訳にはいかんからな。それともう一つ、うちの奴等の救援も依頼しろ」


 そう言ったが、ケストナーはボードヴィルが今、竜騎兵を出せる状態に無いことまでは把握していない。

 ボードヴィルならば無事だと、王太子ファルシオンがいて、本隊が陣を置いているのだから、と、そう信じてはいるが。


「伝令以外はとにかく、兵達を乗せられるだけ乗せて距離を取れ。何度か輸送を繰り返す。ケッセル、指揮を取れ。それからグロウ、お前は悪いが俺とこの場だ」


 大将等が頷く。


「あと法術士団。前面に障壁陣を構築しろ。陣を置いたら撤退、百五十間置いて二陣目を敷設。どこまで繰り返せる」


 無茶だ、と法術士団中将バルケイの顔に出る。今この場に抱えている法術士団兵はバルケイを入れても二十名程度しかいない。だが、口に出しては「できる限り」、と言った。


「うむ。悪いがやってくれ。兵達の命がどれだけ助かるか、お前達にかかっている」

「は」


 バルケイは頷き、すぐにケストナーの前から下がった。法術士団兵を呼び寄せる。

 エストはケストナーと向き合った。


「ケストナー大将。障壁を張る間、私が群れの進攻を抑えよう。広範囲の対応は難しいが、それでも一定の足止めにはなる」

「何を言う、ルベル・カリマの――ええと」


 ケストナーは名を尋ねた。


「エストと言う」

「エスト殿。助力に礼を申し上げる。ただ我々はこの国の兵だ。この国の危機に助力を申し出てくれた方々だけに犠牲を払わせる訳にはいかん!」


 もともとやや爆発気味の蓬髪が昨夜からの戦闘の中で更に絡まり、野性味溢れた外見でケストナーは豪快に笑った。


「もちろん、助力をいただければ有難いが」


 エストは厳しく引き締めていた頬を、束の間綻ばせた。


「当然だ、将軍閣下」







 トールゲインがレガージュに辿り着いたのは、僅か四半刻後のことだ。

 十一月二十三日早朝に始まった西海軍との戦いから、深夜、日付を変え二十四日に至っていた。


「トールゲイン殿!」


 港前の広場に飛竜を降ろしたトールゲインに、まずザインが駆け寄る。


「貴方が、このレガージュに――戦場で何が」


 トールゲインは束の間言葉を探した。

 あの黒い群れにどう対応すればいいか――方法は多くはない。いや、ほとんど無いと言って良かった。


 語られた状況を聞き、ザインと集まった男達、レガージュ船団長ファルカンや交易組合長カリカオテ達は張り詰めた顔を見合わせた。


「ナジャルの――」


 進攻が内陸からというのが問題だった。

 フィオリ・アル・レガージュの街は海から見れば難攻不落の造りだが、陸からの攻撃に対してはシメノスの断崖と海とに退路を絶たれているに等しい。


「船で皆を連れ沖へ出るか、ザイン。今ならば、沖は」


 ファルカンが集まった顔触れを見回す。

 ザイン、交易組合長カリカオテ、ビルゼン、エルンスト、オスロの四人の幹部と領事スイゼル子爵。レガージュ警護に残った南方軍第六大隊大将バーランドと第七大隊大将ダイク。そしてユージュだ。

 バーランドが眉を寄せる。


「――海はそもそもナジャルの領域だろうし、海上で船を沈められる可能性が高いのでは」

「しかし、今から住民達を移動させるとしても、もう陸路は難しいのだ。住民達が動き始める頃に、ナジャルの放った群れがこの街に到達してしまう。海の方がいい」


 カリカオテの言葉にビルゼンが頷く。海はレガージュにとって、陸よりも親しんでいるとさえ言っていいものだ。

 ファルカンは筋肉の張った腕を組んだ。


「船団はもともと沖へ出るつもりだった。俺達だけが陸で安全を取る考えなど無いからな。もし、船団の船に同乗したい者があれば受け入れる」


 彼等の会話を聞きながら、トールゲインはその中心にあるザインへと視線を向けた。

 その視線を沖合へ投げる。


 暗く揺蕩う海面は、細い月に微かに照らされ、今は水平線も朧な影に溶けている。

 滅多に目にすることの無い海。故郷の砂漠の代わりにザインはこの海を見続けて来たのだと、その茫洋にほんの僅か想いを馳せる。


 遠く沖合に揺れる、幾つもの漁火(いさりび)


(この地、この海が戦場となるのは――)


 どんな想いか。

 三百年を経て、再び。


 ザインが首を振る。


「やはりそれは危険だ。最終手段としてはあるだろうが。西海の領域ではなくとも――、ナジャルがここに戻った時」


 ザインは斜面に重なるように連なる街の上を見上げた。

 夜に灯るのは、昨晩からようやく落ち着いた家々の窓。


 それらが陸を目指す船乗り達の安堵と郷愁の灯火になっていた僅か半年前が、もう遥か遠い日のことに感じられる。


「まずは街前面に松明を置いて防御柵を作ろう。鼠ならば火は効果的かもしれない。カリカオテ、各商会から木材を可能な限り集めてくれ。ファルカン、船団員は防御柵の設置を担って欲しい。障害物になるものなら何でもいい。燃やせるものでな」

「ああ、急ごう。時間がない。住民達がいつでも動けるよう、戸口に走らせる」


 カリカオテ、ファルカンがそれぞれ頷いて、停滞なく動き出す。

 ザインは改めてトールゲインと向き合った。七月にアルケサスのルベル・カリマの里で再会して以来だ。


「トールゲイン殿、今回のこと、俺の(あた)う限りのものでお返しする。必ず」


 ザインの要請から始まり、既に二人、失った。

 あの時、カラヴィアスから投げかけられた言葉は重い。


 『我等とて死と無縁ではない』


 氏族はゆっくりと数を減らし続けている。


 トールゲインは笑った。

 ザインがまだ若く未熟な時から、既に里を支える存在だった。

 そして、長に就いたカラヴィアスをその傍らで支えてきた。


「お前が気に病むことはない。長の決定であり、我々が選択した。そうである以上、その結果を誰かに負わせることなどしない」

「――長は」

()()()、ボードヴィル北岸でナジャルの大元と戦っておられる」


 ザインから、トールゲインはその傍らのユージュへと目を向けた。ユージュはずっと黙って二人のやりとりを見つめていた。


「ユージュか」

「うん――いえ、はい」


 精悍な面に笑みを刷く。


「想像よりも成長していたな。まだ小さいものと思っていたが――我々の氏族の長、君からすると伯母君か。会いたがっていた。この戦いが終わったら会いに行くといい」

「会いたい! 行きます、絶対に」


 ユージュの瞳が輝くのを見つめ、トールゲインは翼を休めている柘榴の飛竜へと歩み寄ると、翼の付け根に手を置いた。

 飛竜が目を開け、長い首を(もた)げる。


 飛竜の背に跨り、トールゲインはザインを振り返った。


「安心しろ。あの方は私が必ずお守りする。この先も氏族を率いて貰わねばならん、大事なお方だ」


 相応しい言葉は見つからず、飛竜が飛び立つ翼の風の中、ザインはただ頭を下げた。






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