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第8章『輝く青2』(31)

 

 足元に滴った鮮血を見てようやく、レオリスは自分が負傷していることに気が付いた。


(左膝、左脇腹、左上腕――)


 左肩。

 熱のように痛みが広がる。ただ深傷(ふかで)ではない。


(まだいける)


 海皇の姿はすぐそこだ。下半身を失いながらもなお、鉾を杖のようにして浮かんでいる。

 踏み込もうとした時、視界がぐらりと揺れた。

 強い眩暈――視界が流れる。


「レオアリス!」


 レーヴァレインが身体ごと抱え、足場を蹴った。

 直前までいた空間を黒い刃が抜ける。視界が一瞬黒く塗り潰され、直後に空の青が戻る。


「ッ」


 レオアリスは頭を振って霞みかけた視界を取り戻し、ぎくりと息を呑んだ。


 目の前のレーヴァレイン――レオアリスを抱えて跳んだ身体は、一面に裂傷を負い血が滴り落ちている。

 自分が深傷を負わなかったのは、レーヴァレインが海皇との間に立ったからだ。


「レーヴさん!」

「大丈夫。傷は浅いし、すぐ塞がる。動くのに問題はないよ」

「すみません」


 レーヴァレインは微笑み、海皇へ身体を向けた。

 三間先の海皇は既に下半身を取り戻していた。手にした鉾の表面は、赤黒い色がゆっくりと、だが絶え間なく蠢いている。まだ『生命』を保っている証のようだ。


 生命を吸い続けていることの。

 海皇の身体は先ほどよりも少し、影を濃くしたかに思えた。


 レーヴァレインはちらりとボードヴィル方向へ視線を向けた。ボードヴィル上空には別の風が渦巻き、炎が赤く散る。アスタロトの炎と風のぶつかり合いだ。


「戦力を集めたいけど、もう少しだな。防御陣も俺達に振り向ける余裕はなさそうだ。ボードヴィルから離れすぎてるから仕方ないね」


 レーヴァレインが向けた視線の先、海皇をぐるりと何重にも囲み、六角形の光る足場が浮かぶ。


「もう一度連撃行こう。本体より鉾に集中」


 それから、


「レオアリス、君の剣――」


 ふとそう言い、レーヴァレインは「今はいいか」と呟いた。


「足場は俺が維持する。攻防一体を意識して。二割は防御に意識を残した方が、全力を攻撃に使うよりも効率がいいから」

「はい」

「俺が先に出る」


 レオアリスは頷き、レーヴァレインに続き足場を蹴った。

 中空に並んだ足場を駆ける。この法術の足場を維持するにも、攻撃とは別の集中力が必要だ。


 自分の意識をどれだけ多方面に切り分けられるか――攻防一体の考え方も、レーヴァレインはこの戦いの中でレオアリスに示し、そしてレオアリスは自らの視界が以前よりも少し、開けている感覚があった。


 海皇の鉾が鉾先を揺らし――次の瞬間、薙いだ。黒い光が空を断つ。

 レーヴァレインは更に下へ、レオアリスは上へ、黒い光を躱して更に駆ける。

 黒い光に触れた足場が霧散し、後方に疎らに立つ樹々が十間近くに渡り消失する。


 レオアリスは剣を振り下ろした。狙いは薙ぎ終えた鉾の刃元。

 青白い剣が落ちる直前で、鉾が直角に跳ね上がる。足場を蹴って上半身を僅かに右へ反らして躱し、そのまま身を捻って回転を乗せ、剣を背中から鉾へ振り抜く。


 剣が鉾を噛み、ほぼ同時に、レーヴァレインの白刃が反対僅か下へ撃ち込まれた。


(まだ)


 剣を引き、手の中で握りを変え、撃ち下ろす。

 海皇が鉾を掲げ、再び石突を降ろす。レオアリスとレーヴァレインは剣を引き、足場を蹴って距離を取った。


 直後に黒い光が二人のいた空間を埋める。

 空間そのものが収縮するように、黒い光が鉾へ戻る。

 それを追い、足場を蹴る。


 青白い閃光がまだ残る黒い光を断ち、鉾の刃と打ち合った。

 凍る刃を素手で掴んだような感覚が剣の柄を握る手に伝わる。

 奥歯を噛み、剣を押し込む。


 レオアリスの身体を青白い陽炎が取り巻いた。


 斬れる――


 三叉戟が形を失う。


「!」


 斬ったのではない。レオアリスは咄嗟に、足場を蹴り後方へ飛んだ。

 闇に戻った三叉戟の()が、四方へ無数の黒い槍を突き出す。


 足場に立ったレオアリスの上へ、槍が降る。

 剣を跳ね上げ、降り注ぐ槍を砕く。幾筋か、槍が身体を掠めた。


 白い閃光が弧を描き、黒い槍とそれを打ち出す中心の闇を断つ。

 槍の放出が止まり、レオアリスは息を吐いて中心の闇を見据えた。


 再び、闇の塊は三叉戟へと姿を変えて行く。

 どこまで斬ればいいのか掴み難く、果てがなく感じられる。


「何度でも、尽きるまで斬る」


 それしかない。

 命を吸い上げる暇を与えず。


 レーヴァレインの剣が動くのを視界の端に捉え、連動する。

 瞬きの刹那に互いに三度、海皇と三叉戟へ剣を撃ち込む。息を吐き、吸い、更に踏み込み、斬撃を重ねる。


 三叉戟はその都度形を崩し、その都度より集まる。

 ただ闇は少しずつ薄れ始めた。


「いける――」


 手応えはある。

 時折掠める闇の刃も、大半は躱せている。

 負傷は少しずつ重なり、痛みは続き、身体は重い。だがあと数度、連撃を加えれば、あの鉾を半分以上削れるという感覚があった。


 その感覚の裏を掠めるように、何かの違和感が、ふと、身体の中心を過った。

 何に対する違和感か――

 何か一つ、見落としているような。


 攻撃を重ねつつ、思考を巡らせる。海皇との戦いが始まってから、今までの動きを脳裏に再生する。


(何が)


 身体の奥に何か、凝った塊がある。

 攻撃を何度か食らった。その負傷が、気付けばまだ塞がりきっていない。


(遅い――)


 呟いた直後、唐突に、身体が石を括ったように重くなった。


 外傷が要因ではなく、身体の内部が重い。

 レオアリスだけではなくレーヴァレインもまた、海皇の向こうでよろめき膝を落とした。


 脳裏に一つ、光景が(よぎ)る。レーヴァレインの剣を掴んだ、黒い触手――

 自分の剣を蔦のように這った闇。


 あの闇が剣を、僅かながらに侵食していたと理解した瞬間、喉の奥からどろりとした熱の塊がせり上がり、レオアリスはその塊を吐き出した。

 吐き出した塊――鮮血が靴先を濡らし、荒地になった地面へ滴る。


 喉の奥、それから胃が焼けつき、不快な塊を飲み込んだように縮んだ。


「――ッ」


 吐き出す息が熱を持つ。


「抑え込める。毒みたいなものだ。血の巡りを意識して――消せ」


 レーヴァレインの声がやや切れ切れに、だが明瞭に耳に届く。レーヴァレイン自身もおそらく、レオアリスと同じ内部の不快さを抑え込みながら、海皇の向こうで立ち上がった。


 海皇の鉾が唸りをあげ、横薙ぎに疾る。レオアリスはふらつく身体を押さえて足場を蹴り、切先を躱した。鉾の切先はそのまま空を断ち切りながらレーヴァレインへと疾る。


 レオアリスは躱した直後に踏み込み、海皇へ、鉾へと斜め下から剣を薙いだ。

 視線を向けたレーヴァレインはまだ身を起こしていない。


 一瞬、ぎくりと呼吸を失い、だが三叉鉾がレーヴァレインの身体を捉える前に、レオアリスは剣を振り切った。

 青白い閃光が海皇の身体を、鉾の柄を、空を断つ。

 更に踏み出し、剣を返す。


 海皇がぎこちなく動きを揺らす。鉾が形を崩す。

 レオアリスは呼吸を喉の奥に収めたまま足場を駆け上がり、海皇の頭上、頂点で身体を蹴り出した。

 重い腕を落下の速度を借りて振り下ろす。


 崩れかけた鉾へ――

 青白い閃光が鉾の刃を捉える。

 レオアリスは意識を研ぎ澄ませ、剣の刃へ、集中した。


 より鋭く――存在ごと断ち切るように。

 剣がジリ、と斬り進む。


 三叉戟が震え、輪郭が滲んだ。


(もう、少し――)


 ふと、身体の内側に、熱を覚えた。闇が齎す不快さではなく、それを拭い去るような温かさ。

 黄金の。


 三叉戟の震えが伝わる剣を、振り抜いた。

 青白い剣が鉾を断つ。


 一呼吸後――




 三叉戟は身を震わせ、砕けた。




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