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第8章『輝く青2』(29)

 

 手を伸ばして合わせ、半円に開く。

 創り上げた炎の弓を掴み、紅蓮の矢を番える。


 さらに上空で待機する柘榴の飛竜の背でティルファングは軽く眉を上げた。

 アスタロトの周囲の温度が上がる。


 限界まで張った()が放たれ、先端のみ青く光る紅蓮の矢を撃ち出す。

 空気を巻き込み渦の中心へ走る。


 渦が回転を早め、炎の矢を一瞬で散らした。


「まだまだ――!」


 彼女じゃない風など、何も脅威にはならない。

 あの風を超えるものなどない。


 炎の矢を番える。三本。

 弦を引き、三本同時に撃ち出す。それぞれ僅かに軌道を変え、弧を描いて灰色の渦に突き立つ。

 更に三本。


 撃ち込み、引き絞る。

 風が炎を巻き込み、だが前の矢の炎が消え残るそこへ、更に撃ち込んだ。


 炎が風を喰らい、紅蓮の壁となってルシファーを包む。


「お前は――」


 番えた三本――矢の光が先端から矢身、そして矢羽へと、青く色を変えていく。


 大気を焦がす。


「許さない」


 撃ち出した青い矢が、三方向からルシファーへと突き立った。







「南岸がいい」


 レーヴァレインはそう言って飛竜の翼を駆った。

 羽ばたきと同時に海皇の闇が一直線に伸び、岸壁に沿い駆け上がる飛竜を追う。二騎の飛竜の尾へ巻き付きかけ、力強い翼の一打ちがそれを躱す。


 二人は一旦、南岸より高く抜けた。谷底から急速に伸びる闇の触手が、いくつもの槍となり空へ突き刺さる。

 二つの剣光が闇を断つ。


 レオアリスはハヤテの背から南岸の草地へ、降り立った。傍らにレーヴァレインも降りる。

 シメノス岸壁から闇が黒雲のように沸き起こり、草地へと溢れ出る。冬枯れの下草が闇に触れるに従い、ぼろぼろと灰になり崩れていく。


 レオアリスは這い寄る闇を見据えた。

 その先、シメノスへと落ちる岸壁――そこから、海皇がゆっくりと、その身を迫り上げる。


「――」


 瞳を細める。斬り込んだ感触はナジャルほど虚無ではない。

 かつて王都で斬ったあの海魔のように、手応えもある。だが。


「残滓とはいえ、さすが海皇だね」


 レーヴァレインの言葉はレオアリスの思いそのものだ。


「相手と剣に集中して。連撃の交差でどれだけ削れるかを試そう」

「はい」


 息を吐き、枯れ草を蹴る。レーヴァレインが続いて動いたのが判る。


固定(ゼッテ)


 南岸に立った海皇の左の宙空へ、光る六角形の足場を五枚、垂直に近く並べる。地面を蹴り、足場を駆ける。


 槍となって撃ち出される闇を断ち切り、四枚目で斜め下の海皇へ剣を振り下ろした。

 闇が盾となり剣を受ける。

 五枚目の足場へ身体を斜めに回転させ、踏み出す。


 海皇の後方――突き出した闇の槍を喉を反らして躱し、剣を下から掬うように薙ぐ。

 海皇が振り向きかけたそこへ、レーヴァレインの剣が首へ、真横に走る。


 斜め下からの青白い剣光と首元への白光が交差する。更に剣を返す。

 レーヴァレインは左斜め下へ、レオアリスの剣が縦に一閃、落ちる。


 レオアリスはもう一つ、設置した足場を踏み、斬り下げた剣を右下から斜め上へ振り抜いた。


(手応えはある――)


 ナジャルを斬った時とは違う。

 だが。


 海皇の身体は幾つにも断たれ、黒い闇の中に落ちた。闇が断片を飲み込む。


「跳んで」


 短いレーヴァレインの指示と同時に、レオアリスは六つ目の足場を思い切り蹴った。後方三間先、南岸の縁に降りる。レーヴァレインの位置は対角だ。


 直後、闇は八方へ触手を広げた。視界に捉えた二十近い触手を剣で受け、断つ。一つ一つが先ほどよりも重い。


「ッ」


 全て斬り払い、溜めていた息を吐き出した時、足元の地面が揺れた。


「下――」


 地面を蹴り、剣山のように突き上がる闇の槍を断つ。数カ所、身を掠めた。

 闇の塊が揺れ、再び海皇の姿が立ち上がる。バラバラにしたはずの身体が、ずれながら組み合わさっている状態――それが少しずつ、断片一つ一つが元通りになろうと位置をずらしていく。


 一呼吸後には海皇の身体は断たれた痕跡もなく揺らいで立っていた。

 濁った双眸が眼窩の中でぐるりと回る。


『寄越セ――』


 レオアリスは息を吐き、剣を握り直した。


 たった今闇が掠めた傷はもう塞がった。けれど掠めた箇所、右の二の腕と左脚、左足首に焦がしたような感覚がある。

 初めに受けた傷も、同じように熱を持って感じられた。


(けど少し、闇が薄れた)


 濃く澱んでいた闇が僅かに密度を落としている。

 海皇の闇と身体越しに、レーヴァレインの剣の輝きが増す。


「何度でも、回復力を上回るまで斬るしかないな。同時連撃」


 地面を蹴る。上下左右から吹き寄せた闇を切り裂き、更に踏み込む。海皇の、懐へ。

 斬り上げた剣を空で返し、斬り下ろす。正面にレーヴァレインの白光が幾筋も、闇を、海皇の身体を断つ。


 二つの剣は斜め上、そして斜め下、それぞれ斬り下ろし斬り上げた、海皇の身体の中心で噛み合った。


 斬り上げたレーヴァレインの剣が右へ力を()()

 レオアリスはその流れに沿い、軌道を変えて剣を斬り下ろした。レーヴァレインの剣が横へ薙ぐ。


 海皇の身体が先ほどよりも更に細切れに、足元へ落ちる。

 レオアリスは剣を頭上へ跳ね上げ、ばらばらになった身体へ、叩き下ろした。


「待て――」


 落ちた海皇の身体を闇が包む。

 直後、闇は一条、縦に伸びた。


 寒気――悍ましさが全身を捉える。

 振り下ろされた青白い剣を捉え、闇は蔦か、或いは血管のように剣を這った。


 白光が走り、レオアリスの剣を捉えた闇を断つ。

 断たれた闇は取り付く先を求めてうねり、二人は地面を蹴り先ほどよりも更に距離を取った。


 レオアリスは息を吐き、闇が捉えかけた自分の剣を見た。右手にあの悍ましさが残っている。それから、正面――


 手に残る感覚よりも更に澱んだ、不快さ――嫌悪。

 縦に伸びた闇が、捩れ、細く、寄り集まっていく。


『寄越セ――』


 しゃがれた、軋んだ声。

 闇が地面を四方に伸びる。下草が崩れ、更に土までもが一瞬にして、灰となった。細く捻れていく闇を中心に、地面がシメノスの谷底へと崩落する。


 その轟を耳にしながらも、レオアリスは縦に細く伸びた闇から、視線を逸らせずにいた。

 あれは。


 左隣で、レーヴァレインが呟く。その声は先ほどよりも緊張を帯びている。


「三叉鉾――」


 それを中心に、空気が、変わった。


 赤黒く濡れたような長い柄、両刃の、三本の刃。

 どくりと脈打つ。

 命を吸う――吸って力を増すものだと判る。


 鉾の足元に渦巻く闇から、手が伸び、柄を掴んだ。

 闇が――つぎはぎのままの海皇が、身を起こす。


 鉾はもう一つ、脈を打った。


『寄越セ』








「アルジマール院長からはまだ合図はねぇのか」


 クライフはボードヴィル砦城の四階の窓から空を見上げた。

 中庭に面した窓から見えるのは向かいの棟の壁と屋根、それから空だけだ。空に黒い風が吹いている。窓を小刻みに揺らしている。

 紅蓮の輝きが一瞬、空を染めた。


「外は、どうなっている? 今の戦況は――みなは」


 ファルシオンは部屋の扉寄りにセルファンが庇うように立ち、窓へ瞳を向けている。

 声ははっきりとして落ち着いていたが、その奥に心細さが隠されているのはクライフにも判った。


「今はまだ――でもすぐに終わります。なんてったって炎帝公と剣士――、この国の最大戦力ですから」

「……うん」


 幼い王子は息を吐き出すように頷く。

 クライフは努めて笑い、左腕を胸に当てた。


 ファルシオンを転位させるか――その判断は戦況を見てタウゼンがするはずだ。

 その段になっての判断で間に合うのか。

 ただファルシオンは、戦局の為にも、そして自身の安全の為にも、このボードヴィルにできる限り身を置かなくてはならない。


(上手くいってくれよ――)


 身を乗り出すように窓枠に手をかけた時、背後でファルシオンの小さな呻きが聞こえた。


「殿下?」


 セルファンが問い掛ける。クライフは振り返り、ファルシオンが身を縮めているのを見つけ、駆け寄った。


「ファルシオン殿下」


 伏せたファルシオンの面は青白い。

 胸の前に握り締めた小さな手が震えている。


「殿下」

「――空気、が」


 変わった、と――


 その呟きを聞き取った直後、一瞬、自分の意識が揺らぐのを感じた。




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