表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
372/536

第8章『輝く青2』(23)

 

 アルジマールの細い白木の杖、その先端に戴く宝玉が詠唱に従い色彩を七色に変えていく。


「跳ばすよ――」


 地に突いた杖の先から地へ伝う光は、敷き詰めた紋様を同じく輝かせた。

 ナジャルを囲む光の檻――捕縛陣、そして転位陣、二つの陣の重なる紋様が。

 檻の内部は光が降り注ぎ、或いは湧き起こり、輝きでその内側を埋めていく。


 美しい光景だった。北岸の正規軍兵士達、そして僅かに残った西海軍兵士達もまた、蔓草のような美しい紋様が構成する檻、その檻がナジャルを捕らえる様を、固唾を飲んで見守っていた。

 長くシメノスに伸びる蛇体は捕縛陣によって川底に押しつけられ、杭か鎖で固定されたかのように動かない。


 アスタロトも同じように、上空の飛竜からシメノスを見下ろした。鼓動が逸る。


(行ける――?)


 ()()()()()


 南岸のアルジマールへ一度、視線を向ける。アルジマールの手にある杖は七色に発光しながら地に根を伸ばし、空へ光る枝を広げ、あたかも燃え立つ樹がそこに枝を揺らしているように見えた。


 檻の内側の抵抗はおそらく、アルジマールの持つ杖に――彼の腕、身体、全身に負荷を伝えているはずだ。それはこの美しい光景からは計り知れない負荷だろう。


(でも、アルジマールなら……)


 あのアルジマールが六日をかけて織り上げた捕縛と転位の、二重陣なのだ。光の檻による捕縛、そして七色に移ろう転位陣。


 息を吐く。気を落ち着かせる。

 アスタロトはナジャルから気を逸らさないまま、光の檻近くへ飛竜を慎重に寄せた。

 見計らい、転位陣の中に入る為だ。ナジャルを捕捉し続ける為にも転位先へ、ナジャルと同時に跳ぶ必要がある。

 アスタロトと、レオアリス、それからアルジマール、三人が跳び、ナジャル本体を滅する。


 転位した後を、その先を考えながら深い呼吸を繰り返す。

 全て、順調だ。

 この先も。


 ちらりと右へ視線を送る。レオアリスもまた同じように飛竜を寄せている。

 檻を見下ろす、その横顔――


 表面上は普段と変わりはなく、右手に引き出した剣は青白く美しい輝きを備えている。欠けた一振りを不安に感じている様子もない。

 ただどこか危うく思えた。


(結局剣は戻らなかった)


 薬を飲んだはずなのに戻らなかった。それがどういうことなのか、アスタロトには判らない。けれど。


(私が助けてやる)


 そうすればいい、――そうするのだと、息を吸う。

 強い光が視界の端を染める。

 光の檻が収縮する。軋みを上げる。


 驚いたのは当初シメノス両岸と同じ高さだったそれが、今や二分の一ほど、直径四間(約12m)の球体となっていることだ。実際に縮んでいるのか、それとも目にはそう見えているのか、ナジャルの躯はそこに収まっている。


 檻の中に光は満ち、次第に光そのものに変わっていく。

 光が渦を巻く。


「転位する――! レオアリス、行こう!」


 アスタロトが飛竜の手綱を繰り転位陣へ自ら突入しようとしたと、同時――

 ハヤテが行く手を遮った。


 衝突する寸前、アスタロトの飛竜が騎首を辛うじて逸らす。


「――ッ、危ないだろ!」


 瞬間、アスタロトも理解した。





 ぞくりと、腹の底から悪寒が突き上げた。

 足元から膨れ上がるように、突風のように吹き付ける。


 声が這い上がった。




『転位先は、熱砂の荒地かね?』




 声の響き――皮膚の下、細胞に侵入するようなそれに、胃の腑が掴まれ、吐き気とも痛みとも違う強烈な不快感を覚える。




『適切だ』




「良くない」


 アルジマールは白く細い杖を握る両手に力を込めた。

 詠唱と共に杖はアルジマールの手を通じて地面へ――ナジャルを捕らえる法陣を構成する紋様へ、『力』の流れを伝えていた。

 あとほんの僅か、それで転位する。


 そのはずが、力の流れが弱まっている。術式に問題がある訳でも、陣に綻びがある訳でもない。

 ただ、手応えが少しずつ、薄れている。


「やっぱり、()()()()()()()()()()――」




『一連の仕掛け、見事なものであった。レガージュを空けて兵どもをシメノスへ呼び込み、優位に立ったと見せかけて戦う場をシメノスに限定した』




 光る檻は軋み、激しく明滅し、アルジマールの手元の輝く杖はその全身を震わせた。

 アルジマールが失われて行く杖の振動と熱を留めようというように、細い杖を握り込む。




『地の利を自らの不利と見せ、また利と成す。さしもの我が大軍もひとたまりも無かったようだ』


 我が、という言葉が空虚に響く。

 ナジャルにとって西海軍六万の大軍がどのような結果を出そうと――勝利しようと敗北しようと、何の違いもなかっただろう。


『最大の目的は我を此処に引き出すことかね? ここで捕え、場を移す。熱砂の地ならば我が力を少なからず()げると――』




 杖が震える。それはそよ風が草花を揺らす程度になった。

 アルジマールは虹色の輝きを増した瞳で、見えない崖下を見つめた。

 陣はまだ、生きている。

 だが。


「だめだ、()()()()()




『適切だ。しかし叶わなかった』




 地に広がる紋様、そして檻。

 七色に踊っていた光が――

 弾けた。

 衝撃が大気を突き上げる。


「翼を畳め!」


 レオアリスの声、アスタロトは咄嗟に手綱を引き――その半ばで吹き上がる突風に巻き込まれた。

 突風は二騎の飛竜をただの枯葉のごとく揺さぶった。遠巻きに退避していた飛竜の一団も風に煽られ、数騎が墜落する。

 北岸の兵達が風に身体を刈り取られるように地面から浮き上がり、転がる。


 アスタロトは上下左右に振れる激しい回転の中、飛竜の首に両腕でしがみつきながら何とか目を開き、シメノスの、ナジャルの位置を追った。

 断片的に視界に飛び込む光景――

 目にしたものに、奥歯を噛む。


(消えた――、ッ)


 回転する視界。それでも分かる。

 捕縛陣――檻はまだあるものの、七色の光を放つ転位陣は既に失われていた。

 残る檻もまた、発光はどこか白々として見える。


 そして、捕らえていたナジャルの姿が無かった。

 消えた。


 転位ではない。

 気配を残したまま、蛇体が消えたのだ。


「どこに……」


 身を震わせる感覚が再び背を走る。

 アスタロトは視線を、吸い寄せられた。


 まだ、捕縛陣の白い檻の中だ。

 墨をひと雫、そこに垂らしたように、黒い染みが湧き起こった。


 霧の如く漂いこごる、闇――

 蠢く闇。

 更に変わって行く。

 人の姿へ。


 蛇体よりも更に、纏う(おぞ)ましさが増した。

 肌を撫でる悪意が。




 ゆらりと揺れて立つ。

 百年も年老いた男のようにも見え、青年のように若くも見える。身の丈は六尺を越え、細く冷酷な面、髪は赤みがかった銀。

 双眸は同じく、血を滲ませたように輝く銀。

 半年前、王城の謁見の間に現われた姿――

 辛うじて光を留めていた捕縛の檻が、頂点から解けるように消える。





『本体でないと飛ばせない』


 アルジマールはそう言った。


『人型を取ったとしても、あれは投影みたいなものだから』


 ナジャルの、悪意の。


『人型で現われた場合は、まず本体を出させなくちゃいけない。転位はそれから――でももしかしたら。いや』


 謁見の間に現われた時もそうだったように。


『人型のままでは、倒せないと思う』





 呼吸を止めたアスタロトの横を、放たれた矢のように青白い光が過ぎた。


「――レオ」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ