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第3章「陰と陽」(12)

「偉大なる国王陛下に我が皇の意をご理解頂けた事、誠に喜ばしく存じます」

 祝祭の賑わいは王城の足元に留まり、王城の五階層に位置する謁見の間は、そこに座す主とその面会者の纏わせた空気も相まって、呼吸の音も憚るほど静まり返っていた。

 半刻前に陽は落ち、南面の壁に並ぶ高い窓には藍色の大気が圧し掛かっている。

「万が一、ご理解頂けなければ、この度の不可侵条約再締結も危うくなるところでございました。そうなれば長く続いた平穏もいくばくか揺るごうというもの」

(勝手放題言いやがって)

 レオアリスはまだ収まらない苛立ちをぐっと飲み込み、使者の青白い横顔を見据えた。

 先ほど不用意にも苛立ちを面に出してしまい、王の傍らに座すファルシオンから不安げな瞳を向けられてしまった。

「改めて五日後――我等が皇都イスで、永久(とこしえ)なる知己たるアレウス国王陛下の御来臨を、心よりお待ち申し上げております」

 参列する諸侯の押し隠した苛立ちの交じる、ぴんと張り詰めた空気の中、西海の使者は高らかにそう謳い、愉悦を滲ませた面を伏せた。




「あの使者、マジで腹が立つ!」

 執務室の扉が開くと同時に飛び込んで来たレオアリスのいつに無い尖った口調を聞いて、ロットバルトは書類から目を上げて声の主を捉え、その後ろから入って来たグランスレイの面に状況を読み取ろうと視線を向けた。

 グランスレイもレオアリスに劣らず――と言っても眉根の辺りに仄見える程度だが、不快さを浮かべている。

 グランスレイまでも不快にさせるとは結構な状態だ。

「また随分とご立腹ですね」

 レオアリスはつい先ほどまで、西海の使者の王への面会に同席していた。今回はファルシオンの守護としてだ。

 レオアリスはまた何やら思い出したのか、漆黒の瞳に憤りの色を燃え上がらせた。

「怒らずにいられるか。寄りによってあの男、あの場で、俺が納得してないように見えるって言ったんだぜ?! 笑いながら!」

「――それは」

 明らかな悪意だな、とロットバルトは心の内で呟いた。

 この四月の初めに、海皇の親書を携えて訪れた西海の使者は、月末の不可侵条約再締結の護衛から、剣士を――レオアリスを外せと、そう求めた。

 剣士の能力が衛士五十名という規定の範疇を超える事が表向きの理由だが、それだけであればアスタロトに対しても同様の要望が出てもおかしくない。

 裏の理由には、ここ最近のレオアリスと西海の三の鉾との因縁がある。

 それを表立って主張するには、西海に分が悪い。

 アレウス国はそこを糾弾しても良かったが――、穏健策を取ったという事だ。

(条約再締結を問題なく済ませる事が、一番国益を損ねない手法だからな)

 西海との問題を大きくしても、アレウス国には何の利も無い。これまでの幾つかの件が、西海の何らかの意図を含んだ挑発行為であったとしても、それに乗る必要は無かった。

 ともかく今回はその要望への回答も含め、王が条約再締結の場へ赴く際の警護体制を西海へ伝える為の、使者の再訪だった。

 レオアリスへの言葉は、アレウス国王が海皇の意を容れた事を、言外に(あげつら)ったものだろう。

 レオアリスやグランスレイだけではなく、その場の空気が張り詰めただろう事は想像に難くない。

「納得してねぇ? 当たり前だっ。あー斬るかと思った」

「――思い(とど)まって頂けて良かった」

 グランスレイの真面目な受け答えに、レオアリスは遣る瀬ない様子で眉をしかめつつ、自分の椅子に座らず執務机に浅く腰掛けた。

 ロットバルトは席を離れレオアリスの前へ立ち、手にしていた書類を渡した。

「それで、面会は問題無く終了したんですか? あれ以上の要望は無く?」

「確認だけして、上機嫌で帰ったぜ」

 本っ当に腹が立つ、とレオアリスが不満たっぷりに今受け取ったばかりの書類を睨む。

 ロットバルトはグランスレイと視線を交わした。

 普段は怒りや苛立ちなどほとんど表に現さず、あったとしてもすぐに流してしまえる性質のレオアリスにしては珍しい。

(懸念があるからな。しかも姿が明確じゃあない)

 スランザールは先日、アルジマールが西海の皇太子の肖像画を持ち帰った時に、古い文献をもとに西海との歴史を語り、そしてまた、王は何か、スランザールでさえ見えていないものを見据えているのだろうと言っていた。

 スランザールが見せた古い文献に残る盟約。

 王が見ているもの、いや、王が見ているとスランザールが考えているものがそれなのか、そこをもう一度スランザールに確かめたいが、あれから未だ面会が得られていない。

 王立文書宮を尋ねても捕まらず、スランザールがロットバルトに会う事を避けているのは感じ取れた。

 その理由は想像が付く。

(おそらく王が条約再締結に関する決定を下したからだ。俺などに話したところで変わりようの無い次元だろうからな)

 今回の西海の要望を容れる決定は、それを容れたとしても問題は生じないと王が判断した為だ。

 スランザールの懸念を見た上で。

(――漠然とし過ぎている。今の情報だけで判断しようとしても意味が無い。やはりもう一度、今度は正式に面会を申し入れるか。――それと)

 余り乗り気はしないが、スランザールから情報を得られないようなら、父であるヴェルナー侯爵に探りを入れる手もある。

 条約再締結の日までには、焦点を明らかにしておきたかった。

 それ以外にも気になる事は幾つかある。

「西海の使者は、西方公の不在について何か言及しましたか」

「いいや」

 レオアリスは彼自身それを考えていたかのように断言した。

「空席に眼を向ける事も無かった。皇太子の件もある、問い質したいのは俺だけじゃなかったと思うが、結局誰も触れず仕舞いだ。陛下も」

「条約再締結が無事に済めば、西海と関わる機会は再びほぼ無くなります。そこには触れずやり過ごそうという考えは、双方一致しているという訳でしょうな」

 グランスレイもそう言い、自身の執務机へと回った。

 その考え自体には、誰も異論が無いように思えた。

 もし――、エアリディアルもまた、その瞳に不安を映したと知っていれば、レオアリスもロットバルトも、そうは思わなかっただろう。

「そうだ、ロットバルト」

 レオアリスは気持ちを切り替えるようにロットバルトを招き、心持ち、声を抑えた。

「明日、殿下の昼餐にご招待いただいてるんだが、例のロカからの報告、次はいつだった」

「今月は再締結があるので、その前に一度挙げるように指示しています。明日殿下へお伝えする機会があるなら、一旦今日の段階で報告を挙げさせましょう」

「頼む。気にかけておいでだろうから」

 ファルシオンの兄――イリヤが、どうしているか。決して公にその名は挙がっては来ないが、ファルシオンは心の底に秘めて名を呼ぶ事の無い兄の様子を常に気にしていた。

 レオアリスが腰掛けていた執務机から降りた時、ちょうど扉が開いた。

 硬い声が掛かる。

「失礼します」

「クライフ?」

 扉を向いていたレオアリスが、入ってきたクライフの様子を見て、怪訝そうに彼の名を呼んだ。

 もうとっくに退出していたクライフが入ってきた事に、何かあったのかと訝しむ視線の中、クライフは無言のまま真っ直ぐ室内を横切り、グランスレイの前に立った。

 拳が感情を堪えるように、身体の脇で握り締められている。

 グランスレイもまた、クライフのただならぬ様子に眉を潜めた。

「どうした、こんな時間に」

「――ッ」

 あっという間も無く、クライフは拳を振り上げ、グランスレイの頬を殴った。

 鈍い音が耳を打つ。

「クライフ?! 何やって」

 レオアリスが咄嗟にグランスレイとの間に入り、ロットバルトはもう一度振り上げかけたクライフの右腕を掴んだ。

 その二つの制止を振り切り兼ねない勢いで、クライフは一歩踏み出した。

 押さえ切れない感情の固まりがクライフの上に見える。

「あんたは―― !」

「クライフ!」

 レオアリスの声が室内の空気を打つ。

 クライフははっとした顔で目の前のレオアリスを見て、グランスレイを見た。

「退れ。自分が何をしてるか、判っているのか」

 厳しく弾く声音だ。上官に対する態度を諫めるものと、その行為が彼自身に何をもたらすのかと、その二つの投げ掛けに、クライフは唇を噛みながらも、数歩退った。

「――」

「理由は聞くが――それだって良くて謹慎だ」

 内容によっては降格もあり得る。それに該当する理由だとは、レオアリスは考えていなかったが。

 ただクライフは、グランスレイに視線を向けないまでも、まだ感情の抑えきれない様子だ。

「いっそ首で構いません、その覚悟くらいあって来たんです。俺は、どうしても」

「クライフ中将」

 ロットバルトはもうクライフの腕を放していたが、それ以上の制止を含んだ低い声で言った。

「その発言が、誰の名誉を守るんです」

 クライフはロットバルトを見、口をぐいと引き結ぶと、動揺と葛藤に瞳を揺らしながら足元を見つめた。

「――上将」

 グランスレイがレオアリスへ向き直る。

「お騒がせして申し訳ございません。まずご説明の必要があるのは承知しておりますが、その前にクライフと二人で話をさせて頂けますか」

 理由をグランスレイは知っているのだ。

 グランスレイらしい剛直な眼差しをしばらく見つめ、戸惑いながらもレオアリスは頷いた。

「判った、任せる」



 ヴィルトールが急ぎ足で執務室に入って来たのは、グランスレイとクライフが別室へと退ってから四半刻も経たない頃だった。

 レオアリスは驚いたが、ヴィルトールの表情にも普段余り窺わせない慌てた色があり、ヴィルトールも事情を知っていて先ほどの件で来たのだと判った。

「上将、クライフは――副将は?」

 ロットバルトが代わって、たった今ヴィルトールが入ってきた扉の、中庭を挟んだ対面の棟を示した。

「二人で話をしているところです」

「その――、何事も無く?」

 レオアリスが息を吐く。

「殴った」

「なぐ――、……あーあぁ、全く」

 ヴィルトールは力が抜けたように肩を落とし、その仕草に複雑な感情を認め、レオアリスは僅かに苦笑した。

「ヴィルトールは理由を知ってるのか」

「その、何と言いますか」

「入ってきて、まず殴ったからな。理由はクライフとグランスレイだけが判ってて、クライフがそれを押さえ切れなかったように見えた。ついでにグランスレイは、殴られるのも想定していたみたいに見えたが」

 レオアリスの的を射た判定に、今度はヴィルトールが苦笑した。

「原因はグランスレイにあるのか」

「まあ、副将が融通利かないのが原因と言いますか……、いや、原因とかそうした問題じゃないんですが」

 ヴィルトールはちらりとロットバルトを見た。

 ロットバルトは黙ってやり取りを聞いていたが、事情はある程度推測が付いているようだ。ヴィルトールの視線に答えるようにロットバルトが口を開いた。

「ヴィルトール中将。この際、全体をご説明すべきでしょう。中途半端に包んで対応が見当違いに進んでも仕方ない」

「ロットバルトも知ってるのか」

「大方の原因は。と言っても実際に何があったかまでは判りませんが」

「フレイザーも?」

 ここには来ていないフレイザーの席を見つめる。否定が返らず、レオアリスは眉をしかめた。

「知らないのは俺だけか」

 周囲が見えていないのかと反省を滲ませたレオアリスに対して、ヴィルトールは素早く首を振った。

「隊の問題ではなく、ごく私的な事です。私もロットバルトも知っていると言うより推測で見ていた範囲が大きいので」

「――どういう事なんだ」

 レオアリスは再び執務机の端に腰掛け、改めてヴィルトールへ向き直った。

 ヴィルトールは真っ直ぐ背筋を伸ばし、レオアリスの思考を読み取ろうとするようにじっと瞳を見た。

「クライフがフレイザーに好意を持っていたのは、気付いておいででしたか」

「――それはそうだろう、うちは隊内の関係は良好だし」

 ヴィルトールがどんな問題を出してくるのかと身構えていたレオアリスは、何だ、というように肩の力を抜いた。

 逆にヴィルトールは肩を落とす。

「いや、そういう汎用的な意味ではなくですね――」

 いい説明は無いかととロットバルトを見る。ロットバルトはさらりと続けた。

「まあ、違いは抱きたいかどうかでは?」

「ロットバルト君、君ね。少しはこう、優しさとか遠慮とかに包もうよ」

 おそらくロットバルトはこの話題が面倒なのだ。確かにこうしてレオアリスまで巻き込んで話す内容ではないが、ヴィルトールには思うところがあった。

 クライフはグランスレイを、心底尊敬している。傍から見ていればそれは良く判る。

 そのクライフが、しかも軍の規律を良く理解していながら、グランスレイを殴るなどとは思っていなかった。

 先ほどまでヴィルトールはクライフとフレイザーと三人で、上層の店で話をしていた。クライフがどうしてもここ数日のフレイザーの様子が気になると、ヴィルトールに頼み込み付き合わせたからだ。

 その時の席の様子は普段と変わらず、フレイザーはいっそすっきりしたように笑っていた。

 上層の店から出た後、クライフは一人で飲むと言ってヴィルトールと別れ、王城の方へ足を向けた。

 ヴィルトールも一旦自宅に足を向けたが、別れ際の、街灯の灯りに浮かんだクライフの厳しい表情が気に掛かり、まさかと思って後を追ってきた――

 そのまさかだ。

 本気でそこまでするとは思っていなかった。

(本気、か――。私が読み違えたんだな)

 咳払いと共に息を吐き、ヴィルトールは改めてレオアリスを見た。

 先日のユージュとのやり取りで、こうした話題は直球が一番、いや、直球でないと伝わらないと判っている。

「つまりクライフは、フレイザーに結婚を申し込みたいと思うほど好きなんです」

「――へぇ……、え、そうなのか!?」

 初めてレオアリスが衝撃を受け、ヴィルトールは何とも言えない安堵というか達成感を覚え、ほっと息を吐いた。

(しかし……あの判りやすいクライフの態度を日々見てたのになぁ……。もしかしなくてもやっぱり、アスタロト様の気持ちの変化なんて気付いてないかなぁ)

「クライフとフレイザーなら似合うと思うけどな」

「……私もそう思います。まあ、それだけなら」

 それだけ、と聞いてレオアリスは驚きを消し、真剣なまなざしを向け、ヴィルトールの言葉を待った。

「クライフはクライフとして、フレイザーが好意を持っている相手は、副将です」

「――え!?」

 今度は執務机に手を突いて立ち上がり、束の間考えた後、レオアリスは困惑した面持ちで真剣に呟いた。

「……複雑だな……」




 クライフは暫くじっと、俯いたままグランスレイの前に立っていた。殴った時の拳の感覚を何度も反芻する。

 拳は痛みを残したままだ。

 ただ、殴ってしまった事を後悔する気持ちは無かった。


「振られちゃったわ」

 フレイザーは笑って、まあ判ってたけどね、と付け加えた。

「私、あの人のお嬢様とそう変わらない歳だし、絶対そういうの気にする人だし、だから仕方ないんだけど、やっぱり振られると落ち込むわよね」

「歳なんて、関係ねぇだろ」

「そうねー」

 その事について話したのはそれだけで、後はフレイザーは話題を切り替えた。

 帰り際にはフレイザーは、いつも通り笑って帰っていった。送ると言ったが断られた。

「大丈夫」


 フレイザーは納得するつもりだ。

 ただ、クライフはどうしても――、我慢ができず、気付いたらここに来ていた。

(だって多分、泣いたんだぜ)

 クライフは顔を上げ、グランスレイと真っ正面から向き合った。

「――殴った事は、謝りません」

 グランスレイはクライフの言葉を黙って聞いている。

「理由は、あんたが一番判ってるでしょう」

「……理由か」

 息を落としたその様子が、クライフの中で燻る苛立ちを煽った。

「何でフレイザーを振ったんですか」

「――」

「何で振ったんだ。フレイザーは、あんたの事本気で好きなのに」

 グランスレイの厳しい眉根がふと和らいだ。ただ口調は淡々としたままだ。

「二十も離れている。冷静になれば後悔するだけだ」

「――後悔するかなんて誰にも判らないじゃないですか! 気持ちを疑ってんじゃねぇよ! 大体なぁ、あんただって本当は」

「フレイザーにはもっと得るべき未来がある。フレイザーの想いは有難いが、私などよりずっと相応しい相手がいるだろう」

 グランスレイの普段と変わらない様子の前で、自分一人がじたばたしているように感じられ、クライフはグランスレイを睨み付けた。

「――あんたは……、あんたのそういう所が一番許せねぇんだ! 惚れた相手以外に相応しい奴なんてどこにいるんですか! ふざけんなよ」

 グランスレイはクライフを見つめ、口元に微かな笑みを浮かべた。

「惚れられた相手も相応しいと思うがな」

 それが誰を差しての事かは言わなかったが、クライフは思わず視線をあちこちに投げた。

「だ、だから! あんただって本当は」

「話は終わりだ、クライフ中将。戻って騒がせた事を上将に謝罪しろ」

「副将」

「私も戻る」

 グランスレイは扉を潜りかけ、ふと手を上げて自分の左頬を撫でた。

「効くものだ――。次回があったら、上将の見ていない所で殴るんだな」



 レオアリスは暫くの間じっと二人を見比べた。

 無言で直立する二人を前にして、レオアリスの瞳には多少呆れた様子がある。

 こつりと指先が執務机の表面を叩いた。

「――それで、話し合いは済んだのか」

 グランスレイが頭を下げる。

「はい。お騒がせして申し訳ございません」

「遺恨はないな?」

 グランスレイと、クライフもまた頷いた。レオアリスがゆっくり、溜めていた息を吐き出す。

「クライフ」

「はい」

「本来上官を殴るなんて行為は謹慎処分だ」

 クライフが身を縮めたのは処分への不安からではなく、それだけの問題を起こし、レオアリスに処分という手段を取らせる状況になってしまった事を恥じたからだ。

「だが今回は理由が別に隊規に反するような事じゃねぇし、本来俺が口を出す事でもない。その点で情状酌量の余地がある。だから今回の処分は保留にする」

 レオアリスは静かな口調でそう告げ、クライフからグランスレイへ視線を移した。「異存は無いな?」

「ございません」

「それじゃ――」

 反論したのはクライフだ。

「上将! 俺は処分を受けます。受けさせてください」

 勢い込むクライフを見つめ、レオアリスは厳しい眼差しを返した。

「お前の為だけじゃない。事情を知ったらフレイザーが困惑する」

「――」

 レオアリスから言われて初めてそれに気付き、クライフは自分がただ感情のままに動いていた事に恥じ入って、顔を伏せた。

「すみませんっ」

「……」

 レオアリスは頭を上げようとしないクライフの様子を見て苦笑を浮かべつつ、最後にもう一つ溜息をついた。

「しょうがないものなんだろう、そういうのは。まあいい、俺から言う事はこれ以上ないし、今日はもう戻れ」

 クライフは身体を直角に折るようにして頭を下げ、束の間そのままじっと目を伏せていたが、やがて顔を戻した。

「失礼致しました!」



 クライフは士官棟の中庭の中央に置かれた噴水の石組にしゃがみ、深々と肩を落とした。

「あーあ。フレイザーがこんなこと望んでないってのなんて、判ってんのにな」

 レオアリス達も帰宅し、士官棟の灯りは宿直の待機部屋を残して消えている。

 傍らに腰を降ろしていたヴィルトールがしんみりと返す。

「怒るだろうねぇ」

「……会わす顔ねぇな……や、辞めようかな」

「アホか。辞めるなんて馬鹿言ったら上将に斬られるよ」

 一刀両断され、クライフは子供のように項垂れた。

「あーホント、俺は馬鹿だ」

「全くだ」

 恨めしそうに下から視線を向けたクライフを、ヴィルトールは頬杖をつき呆れ混じりに見下ろした。

「まあ本気なのは判った」

「――」

「副将もだけどね」

「――判ってらぁ」

 ぶっきらぼうな口調が噴水の音に紛れる。

「私はもう下手な口出しはしないよ」

「――」

「後はお前が当たって砕けるんだな」

 ヴィルトールはクライフの肩を叩いて立ち上がり、両腕を上げて伸びをした。クライフが慌てふためきヴィルトールを見上げる。

「ぇえ?! いや、だって、フレイザー失恋したばっかだぜ? んなみっともねぇ事できねぇよ」

「いや、もう充分みっともないから」

「う」

 ヴィルトールは落ち込むクライフを束の間眺め、じゃあお休み、と言って中庭を出口へと向かった。

「反省しろよ」

「してるっつーの!」

 ヴィルトールの姿が回廊を横切って見えなくなり、クライフは星に埋め尽くされた四角い夜空を見上げて、もう一度盛大な溜息を吐いた。




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