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第8章『輝く青2』(13)

 


 ベンゼルカの先陣が動き出し、それがシメノスを下ろうとしている気付いたフォルカロルは苛立ちの声を上げた。


『ベンゼルカめ、何をしている!』

『わ、我ら本隊の、救援に――』


 辛うじて答えた将校を睨む。


『誰がそのような命を出した! 本来の任に当たらせろ!』

『は――ッ!』


(痴れ者が――私が危機に瀕しているというのか!)


 苛立ちを吐き出しかけたフォルカロルは、その(いとま)も無く、咄嗟に後方へ飛び退いた。

 たった今いた場所を、ティルファングの剣が斬り裂く。将校と兵達と、使隷がその一刀で断ち切られ、水の中に倒れる。


『おのれ』


 フォルカロルは矛の切っ先を足元の水に浸し、跳ね上げた。波紋が刃となってティルファングへ飛ぶ。


 ティルファングは身を捻って躱し、同時に剣で砕いた。フォルカロルへ、法術の足場を蹴り、直進する。

 身体の正面で剣を受ける。


『ぐ――』


 剣の鋭さ、重さが撃ち合うごとに増している。

 辛うじて押し返し、フォルカロルは石突きで足元を突いた。


 三千の使隷が立ち上がり、ティルファングを取り囲む。

 自分が肩で息をしているのに気付き、フォルカロルは手を伸ばして使隷の壁に突っ込むと、浮かぶ核を幾つか掴み取った。


 握り潰す。

 フォルカロルの手の中で、砕けた使隷の核は掌へと吸い込まれた。

 補給――還元。

 使隷に分け与えた力がフォルカロルへと戻る。


 矛で足元を突く。

 取り囲み壁を作っていた使隷が一斉に身を縮める。


 ティルファングは剣で切り裂こうとし、咄嗟の判断で足場を蹴り、上方へ跳んだ。

 使隷が震え、破裂し、水の(つぶて)を撃ち出す。数百、数千――身を捻り躱したティルファングの後方、シメノスの岸壁に蜂の巣のような穴を穿つ。


 宙空のティルファングの後方で、再び使隷が破裂する。

 右前方からも、破裂音。


「っ」


 落下しながら上半身に反動をつけて身を反らす。

 髪の毛の先を水の礫が掠める。更に身を捻り、右前方から放たれた礫を、剣で弾く。


 使隷の向こうから放たれた数十の矢を、足を振り子にして身を半回転させ躱し、断つ。直後に頭上に置いた足場を蹴る。

 ティルファングがたった今までいた空間を、新たな礫、そして飛来した矢が埋める。

 投げた視線の先、西海兵が兵列を組み、矢を引き絞っている。


「使隷に加えて、兵か。厄介さが増した」


 次の足場に降り立つと同時に、ティルファングは右足を軸にぐるりと身を回した。

 剣が奔る。

 使隷が砕け水に還り、西海兵が崩れる。


 水礫と矢を避け、ティルファングは足場を蹴った。







「西海軍先陣、下流への動きを一時停止――再度転進します」


 自らも視界に西海軍の動きを収め、上空に置いた飛竜の背でアスタロトは頷いた。


「それでいい」


 ティルファングがフォルカロルと直接交戦したことで、西海軍は明らかに混乱している。

 第一の堰の周辺は今、百程度の西海兵が残るのみだ。

 侵攻速度が著しく落ちたとは言え、再び西海軍先陣が第一堰へ至るのは、それほど時間はかからない。

 だが。


「第一の堰はまず、彼が抑えてくれる」


 視線の先、正規軍のものとは異なる柘榴の飛竜が第一堰へ滑空する。


 その背から、足下の第一の堰へ、レーヴァレインが飛び降りた。







 ティルファングはフォルカロルの放った波紋を躱し、ちらりと視線を後方、上流へ流した。

 西海軍先陣は一旦転進してシメノスを下りかけ、途中で再転進し、再び上流へ進んで行く。

 ここの救援より堰の破壊を選択したのが判る。


「正しい選択だな。けど――」


 第一堰の上に、レーヴァレインが立ち上がる。ほんの一瞬、遠間だが、その視線を捉えた。


「レーヴ」


 右腕の剣が陽光を弾く。

 ティルファングへ、自分の戦いへ集中するようにとの合図のようだ。


「褒めてもらおう」


 足場を複数、設置する。幾度か位置を変え、その一つ、フォルカロルの背後に降り立つ。

 ティルファングは右腕と身体を捻るように剣を巻き、フォルカロルの胴へ渾身の力を込め薙いだ。


 フォルカロルが咄嗟に矛を立てる。

 剣を捉えた矛がしなり――、折れる。


 フォルカロルは弾かれ、西海兵の陣に背中から突っ込んだ。

 身を起こし、全身を覆う痛みに呻く。


『――ッ』


 柄で捉えたにも関わらず、脇腹が切り裂かれ血を流している。

 何より、矛は柄の半ばから下が失われていた。

 怒りが頭を包んだ。


『どけ!』


 周囲の兵を矛で払い除け、フォルカロルは折れた矛を掲げた。

 一呼吸後、折れた柄が伸びる。矛はただの武器ではなく、海皇から与えられものだ。フォルカロル自身の力を表し、そして形を成す。


 再生した石突きで足元を突き、使隷の壁を立ち上げる。

 瞬間、視界を疾った白光が使隷の壁を切り裂く。

 核が砕かれ、霧散する。


 フォルカロルは怒りと共に再度、矛で足元を突いた。先ほどと同数の使隷が身を起こし、壁を作る。

 波紋を放とうとして、だがフォルカロルは強い目眩を覚え、よろめいた。脇腹も血を流し続けている。


『くそ――』


 力が足りないのだ。

 使隷の核を大量に砕かれたことで、使隷に分け与えた力の大部分が散逸してしまった。

 今立ち上げた使隷を操るのも困難だ。


(補充もできん――)


 フォルカロルはちらりと、周囲を盗み見た。

 数十の兵の亡骸が散らばり浮かんでいる。


『――』


 ナジャルや海皇は生命を直接取り込むことができた。フォルカロルにはそれはできない。

 だが、使隷が飲み込んだものは、その使隷の核を取り込むことで、フォルカロルへ還元させることができる。

 フォルカロルにとってそれは(おぞ)ましく浅ましいと感じる行為ではある。


 ティルファングの剣がフォルカロルの正面の壁を切り裂く。

 フォルカロルは重い腕で矛を突いた。


『――使隷共――!』


 使隷達が水面に浮かぶ兵達の亡骸を――生きている兵の一部を取り込み、溶かす。使隷の核が緑の光を増す。

 フォルカロルは手近な使隷へ手を突っ込むと、その核を掴み潰し、吸い込んだ。

 続いて使隷の核が形を崩し、溶け合い、フォルカロルの矛へ吸い込まれる。


 正面から撃ち込まれた剣を受け止め、弾き返す。

 脇腹の傷が出血を止め、フォルカロルは息を吐いた。

 力が蘇っている。


 だが、自分が死人を食らったと――そこまで追い込まれたことを思うと腹立たしい。


『おのれ――』


 苛立ちの中、ティルファングの姿を探して首を巡らせた。

 ほぼ、真上、六角形に光る足場の上だ。


 フォルカロルと目が合う。高みから見下ろす視線。値踏みされていると感じる。


『我が頭上に立つな――!』


 周囲の西海兵へ、フォルカロルは苛々と怒鳴った。


『兵共! 何を見ているか! 敵はたった一人だ、さっさとかかれ! 串刺しにしろ!』


 それまで遠巻きに戦いを見守っていた西海兵は、フォルカロルの号令に打たれ、一斉に槍を倒した。

 フォルカロルが矛の石突きで足元を突く。


 使隷の波が円形に盛り上がり、槍を倒した西海兵をその上にぐるりと廻らせ、ティルファングを囲む。

 ティルファング目掛け、使隷の波と西海兵が八方から押し寄せた。


「使隷で回復もできるのか、まだ力を残してるな」


 さすが総大将、と独りごちる。

 法術の足場を蹴り、ティルファングは剣を振り下ろす反動を加え、身体の位置を跳ね上げた。

 使隷の波が追いかけ、伸びる。


 その先端へ紅蓮の炎が突き立ち、爆発的に燃え広がり、ティルファングへと伸びた使隷の波を包む。水が音を立てて蒸発する。

 ティルファングはボードヴィルの城壁をちらりと見た。アスタロトの放った炎の槍だ。


「――僕ごと焼かないでくれよな」


 同時にティルファングは身を捻り、残る西海兵を槍の穂先ごと、一刀で切り裂いた。









 第三軍将軍ヴォダの率いる西海軍後方陣は未だシメノスから遠く、およそ六里(約18km)の開きがあった。

 陣は半刻前から、海の底に張り付く海盤車(ひとで)のようにごくゆっくりとしか進んでいない。


『ふん。すっかり進軍が止まりおった、フォルカロルめが』

『敢えて進軍を止めているのかもしれませんね。功を一人だけのものにできますから』


 副官エリルが呆れと苛立ちの混じった声を出す。


『さっさと終わらせてくれるのならそれでも良いだろうさ。だがあの臆病者のフォルカロルではどうだかな。自分が不利になりそうだと察知した途端、勝利を捨てて我が身を守ろうとする小心者だ、功を得られるかどうか』


 ヴォダは退屈まじりに鼻先で笑う。


『ナジャルめが痺れを切らして出てきたら厄介だ。その前に片を付けてもらいたいものだがな』


 副官はやや狼狽えてヴォダを見た。


『閣下、ここでそのようなお言葉を――』

『何か憚ることがあるか? 誰も、一人としてナジャルに出てきて欲しいと思う者はいないだろう。あのフォルカロルめもそうであろうよ。奴の腹に入りたい者などおらん』


 だがナジャルが出てくれば、敵も味方も構わずただ腹に収め、自分一人が肥え太る。


『――』


 とは言え本格的に動かない。進軍は半刻前から止まったまま、百間進んだかどうか。

 四万の大軍が進むのをこのまま待っていれば、フォルカロルが勝利するか、有り得ないことだがフォルカロルがヴォダの後方陣進軍を優先するか――、そのいずれかがない限り、時間がただ過ぎるだけだ。

 ヴォダは退屈と嘲笑を浮かべていた面を改めた。


『フォルカロルの能無しめ――』





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