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第8章『輝く青2』(10)

 

「くそ!」


 クランは上空でシメノスを睨んだ。失ったのは合わせて十七騎。

 使隷は更に数を増し続けている。

 シメノスに長く伸びる西海軍の、第二堰の向こうに、今使隷を作り出した指揮官――フォルカロルの姿を捉える。


「あの指揮官を――」


 鈍い音と共にクランの胸を下から投げられた矛が貫いた。

 声もなく飛竜の背から滑り落ちる。


「少将!」


 回転して戻った鉾を手にしたのは先陣を率いていた第二軍副官ベンゼルカだ。

 再び投げ上げた矛が回転しつつ楕円の弧を描く。


 飛竜の前に浮かんだ防御陣を砕き、飛竜を、そして正規兵の身を断つ。

 二十騎近くが散開し矛の回転を逃れたものの、それ以上近寄ることができずシメノス上空を旋回した。





「法術士団、光弾陣展開」


 タウゼンの指令が飛ぶ。

 城壁に詠唱が流れ、空に合計五つの法陣円が、シメノスの流れに沿うように一列に並んだ。





「使隷共――!」


 フォルカロルは矛の石突きで水面を突いた。

 使隷が次々身を起こす。身を起こしたそれが更に二つに分かれ、水を吸い上げ膨らみ、分かれる。分裂を繰り返し、使隷の数は瞬く間に初めのそれの、三倍近くに膨れ上がった。


 三千体にも及ぶ使隷を支え、操るのはフォルカロルの力によるものだ。

 西海兵を分厚い水の膜で覆いながら、使隷の波が岸壁の三分の二まで、競り上がる。





 シメノス上に並んだ五つの法陣円が光り、無数の光弾を降らせる。

 使隷の波から水の矢が膨れ上がり、豪雨が逆流するように()()()()


 二つはちょうどシメノス岸壁の頂上辺りでぶつかり合い、互いに打ち消し合った。


 五つの法陣円が擦り抜けた水の矢を受けて崩れる。

 使隷の波は矢を放った分嵩を減らし、そして擦り抜けた光弾を受け使隷の核を散らした。


 七割まで波を失い、岸壁の半ばを越えていた西海軍が、三分の一の高さへと位置を下げる。


大型弩砲(アンブルスト)!」


 タウゼンの号令と共に、ボードヴィル城壁から途切れていた三射目の鉄の矢が放たれ、西海軍へ降り注いだ。

 北岸側の西海兵へ突き立つ。鉄の矢を受け西海兵は使隷の波の中に次々と倒れた。


「二陣前進、次弾放て! 一陣再装填」


 前進した大型弩砲(アンブルスト)の二陣が鉄の矢を吐き出す。半数が西海兵へ突き立ち、半数が北岸へ突き立ち崩す。

 西海軍は更にその位置を下げた。


 引いた一陣は矢を装填し、発条(バネ)を巻き上げる。


「一陣、前進。射角最大――」


 西海軍の位置はほぼ、シメノス本来の河面まで落ちている。使隷の波は大半が失われ、西海軍は謂わば()()()()の状態だ。

 大型弩砲(アンブルスト)は矢を装填した発射台の後方を吊り上げ、六十度の最大射角を取った。


「放て!」


 驟雨の音を立て、大型弩砲(アンブルスト)が矢を打ち出す。

 ハイマンスは同時に、物見台の伝令兵を振り仰いだ。


「第一の堰を――」


 閉ざせ、と命じかけた時、シメノスから一瞬、鼓膜に突き立つ音が湧き起こった。

 ハイマンスは振り返り、双眸を見開いた。


「何事が――」


 傍らでタウゼンが厳しくシメノスを睨む。


 大型弩砲(アンブルスト)の矢は西海軍に届く前に全て折れ、或いは歪み、勢いを失ってただの鉄屑になりシメノスへと落ちた。

 西海軍後方から放たれた()を受けたからだ。


 波紋の如く広がった波を放った男――西海軍総大将フォルカロルは、たった今振るった矛で、今度は足元を突いた。


 流れる水が使隷に姿を変える。

 先ほどと同数の使隷が西海軍を覆い、位置を押し上げる。


『堰を閉ざすことさえ叶えば一手進められるだろうに、残念なことだ』


 フォルカロルは沈黙したボードヴィルを見上げ、薄い嗤いを滲ませた。


『シメノスの岸壁と流れが我等に味方する――地の利を有し我等を誘い込んだつもりが、全ての攻撃が通じずただ手を拱いているだけとは、どのような気分なのか』


 嘲り、フォルカロルは矛の切っ先を、岸壁の向こう、ボードヴィル城壁の一点に据えた。

 城壁に立つ、ファルシオンへ。


『さあ、あの取るに足らぬ城と共に水の中に沈めてやろう』






 束の間、シメノスから立ち昇る冷えた気配がボードヴィル砦城を包むように思えた。


 タウゼンは西海軍の陣後方に見える、矛を手にした男を睨み据えた。恐るべき数の使隷を易々と生み出し、そして水を用いた強力な攻撃の術を有する。


「総大将はあの男か」

「先ほどの、水の攻撃――大型弩砲(アンブルスト)の矢さえ簡単に破壊するのであれば、厄介です」


 ハイマンスが息を吐く。

 フォルカロルが放った水の波紋は鉄の矢を弾き、曲げ、更にシメノスの岸壁をも穿っている。


「シメノスの壁をこれ以上崩すのも、西海軍の足場を作ることに繋がりかねません」


 既に大型弩砲(アンブルスト)の矢で岸壁をいくらか削っている。崩れた岸壁は西海兵を押し潰す役に立つものの、川底に堆積すればその分西海軍の足場が高くなる。


「やはり堰周辺の西海軍を排除し、堰を閉ざすのが第一」


 それを為すのがこの状況では困難だ。

 一進一退――正確に言うならば、アレウス側が少しずつ押されている。


 ただ、西海軍の進軍の足は第一の堰を僅かに過ぎた位置で止まっていた。

 後続は未だシメノスを遡上しているが、その動きは前衛が足を止めたことでほとんど無くなっている。


「足を止めたとは言え、現状では同じ手を繰り返すのみでは膠着状態に等しい。打開の一手を――」


 タウゼンは視線をシメノスの両岸へ向けた。


(まだ――)


 再び、岸壁の下から鼓膜を叩く音が放たれる。


 水の、波紋の衝撃波――、水の刃。

 ボードヴィル城壁の硬い石積みを波紋が叩き、砕く。


 兵達の身を守る城壁は、波紋を受けた七間(約21m)の範囲がごそりと失われた。

 フォルカロルが矛を振るう。

 銀色の使隷の波に波紋が生じ、奔る。

 剥ぎ取られた城壁に上にいるのは、ワッツとゼン、そして兵達だ。


「退避――ッ」


 波紋が城壁を捉える寸前、上から(ほとばし)った紅蓮の炎が波紋を蒸発させた。


「私が出る!」


 背後の塔、硝子の無い窓を蹴りアスタロトが飛び降りる。靴裏に炎を纏わせ、城壁の上へすとんと降り立った。


「公――」

「ナジャルが出るまで待ってらんない。奴が総大将なら奴を先に倒そう」

「しかし」


 タウゼンは溜めていた息を吐き、ただアスタロトの言葉にまだ躊躇いを返した。


「もし、ナジャルが別方面から出現した場合は」

「そん時はそん時でしょ。それを待ってるんだし、それこそ西海軍をある程度追い詰めないとナジャルは出現しないかもしれない」


 返しつつ、三度寄せた波紋の刃を、手を振り生じさせた炎で捕らえる。水蒸気が視界に白く湧き起こった。


「でも」


 アスタロトは視線を上げた。

 ファルシオンがいる、最上段の城壁へ。


 レオアリスがファルシオンの前に降り立っている。剣を出してはいないが、アスタロトはその姿をじろりと睨んだ。


「お前は駄目だよ。その剣はナジャル相手に温存しておけ」

「ナジャルに温存して、今助けられる兵を失うのでは意味がありません」

「ナジャルが抑えられなかったら、今助ける兵も、命を落としかねない。私一人で充分だ。レオアリスはぎりぎりまで、二刀目が戻るのを待て」


 アスタロトはそう言って返答を待たずに身を返し、城壁の上から眼下の西海軍を見下ろした。


「さて、でも足場をどうしようかな。いっそ全部、蒸発させてやるか」


 そう(うそぶ)いたものの、それをしようとすればさすがに炎を出し惜しみする訳にはいかない。ナジャルとの対決を考えず、全てを出し切れば或いは可能になる技だ。


「やっぱり、直接指揮官を討つのが早い」


 呟き、聞かれなかったかとレオアリスへ素早く視線を走らせる。


 苦手とまでは言わないが、武器を持った相手との近距離戦はあまり――正直に言えばほとんど経験がない。アスタロトの得意はやはり中遠距離戦だ。


「でも私がやる」


 使隷を生み出す指揮官を討てば、あとは当初の戦術が生き返る。


「タウゼン。足場を、法術で」

「倒せばいいんだな? あの男」


 若い声と共にアスタロトの傍らにすとんと降りたのは、ティルファングだ。

 やや上に、柘榴(ざくろ)の鱗の飛竜が二騎、浮かんでいる。一騎にレーヴァレインの姿がある。


 ティルファングは身を起こし、腰に腕を当て眼下を見下ろした。


「ちょっとくらい、手伝ってやる」




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