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第8章『輝く青2』(8)

 

 小高い丘の上に建つボードヴィル砦城へ、東の地平から立ち昇る陽光が斜め下から差し掛かる。

 シメノスから湧き起こる淡く白い霧に、ボードヴィル砦城の大屋根や尖塔の影が浮かぶ。


 ファルシオンはシメノスを見下ろす城壁の上に立ち、まだ朝日の届かない谷の、霧に霞む下流へ瞳を凝らした。

 ボードヴィルの南面は深く落ちた谷底を、河幅を狭めたシメノスが水の勢いを増して流れ、響く水音がファルシオンの周囲を取り巻くようだ。


 西海軍のシメノス遡上の報は、西海軍がボードヴィルを動き出した深夜二刻に、斥候隊の伝令使によってボードヴィルへもたらされていた。


 今ボードヴィルに駐屯しているのは、ファルシオンが用いた転位陣により、タウゼンが昨晩の内に急遽整えた西方第七大隊を初めとする五千、そしてファルシオン警護の近衛師団中隊二隊、千の合計六千のみだ。加えて法術師団から百。

 昨日より増強されたとはいえ、西海軍の攻撃を受け止めるに十分な数では無い。


 だが、ボードヴィルはそもそも、シメノスを遡上し内陸への進軍を目論む敵軍への防御拠点として築かれた。

 その役割を最大限に発揮するものが、大戦時、シメノスに設けられた二基の堰だった。


「堰の用意は」


 タウゼンの問いに、ハイマンスが頷く。


「稼働準備は整っております」


 二基の堰は、第一の堰がボードヴィル上流四十間(約120m)の位置、そして第二の堰はボードヴィルから下流へ同じく四十間の位置に、それぞれ設けられていた。二基の距離はボードヴィルを挟み、二百間。


 堰は河面(かわも)から五間(約15m)、ボードヴィル城壁までの岸壁のおよそ半分の高さを有し、大小五つの門を持つ。中央の大門とその左右の小門三つは常に開け放たれているが、敵の遡上を阻む際にはこれを閉ざす仕組みだ。


 二基の堰はハイマンスの言葉通り、昨夜から稼働の準備を整え、総大将、王太子ファルシオンの合図を待つのみとなっていた。

 ファルシオンの合図とともに、堰を閉ざし、遡上する西海軍を阻み、分断する。


 城壁の上には大型弩砲(アンブルスト)が既に二百台余、交互に前後、そして間隔を取り並べられ、初撃の鋼鉄の矢がシメノス目がけ吐き出されるのを待っている。


 居並ぶ兵士達の視線、ワッツ等正規軍将校達の視線、タウゼン、ハイマンス、ファルシオン警護に当たるセルファン、クライフ、近衛師団隊士の視線。

 そして、幼いファルシオンの黄金の双眸。


 全ての視線は眼下へ――硬い岩盤を緩く蛇行しながら流れるシメノスが、下流を右へと曲がり込み、ボードヴィルの視界から消える地点へと注がれていた。

 ボードヴィルからおよそ二百二十間(約660m)――そこに敵影が現れる、その瞬間を。


 砦城全体を緊張が荊棘の蔓のように覆っている。

 西海軍六万の大軍に対し、ボードヴィルの正規軍と近衛師団、六千。

 十倍もの敵との戦いの帰趨は、堰による西海軍の分断に掛かっている。


 堰による分断と、分断した敵先陣からの順次各個撃破がボードヴィル防衛の鍵だった。

 先陣を捕らえ、シメノス上に長く伸びた後列を停滞させつつ、グレンデル平原から転進した軍の到着を待ち、シメノス内で壊滅させる。


 昨日、タウゼンが軍議で全軍に示した第二の戦術だ。

 王都において議論され決定された戦略及び戦術。


 ワッツはタウゼン等より一段低い城壁から、シメノスの先を睨んだ。


(シメノス遡上は織り込み済みだ)


 西海軍が大軍をアレウス国内に送り込もうとするのならば、取る進路はバージェスからの東進、そしてこのシメノス遡上、二つになる。

 そしてグレンデル平原にアレウス国が最大兵力を敷いたならば、西海軍が取る可能性が高いのは、シメノス遡上――


 ボードヴィルにファルシオンの存在があれば尚のこと。

 そうなるべく誘い込んだ。


(広範な戦闘域よりシメノス遡上の方が、西海軍を狭隘地に押し込められる分与くみし易い。だが賭けに近いのも確かだ。西海軍を分断できたとしても、転進が間に合わなけりゃ物量での劣勢を覆しようがないからな)


 ファルシオンはその戦術案において、自らがボードヴィルに赴くと言った。

 見上げた城壁の上に、ファルシオンはその幼い姿を臆することなく晒している。


 朝日が銀色の髪を照らして燃え立たせ、全身を縁取り輝かせるようだ。

 幼い王子の堂々たる姿は、兵士達に数の不利を感じさせない高揚感を与えている。

 ワッツにしてもそれは同様だ。


 シメノスの河面へ視線を戻し、ワッツはふと違和感に気付いて太い眉を寄せた。


(……何だ)


 河面(かわも)の様子が先ほどまでと違う。

 遠目でははっきり『これ』と言うことはできないが。


(陽光の弾き方か――?)


 タウゼンヘ注意を伝えようと上げた視線が、明け方の空を下流側対岸から滑り込む飛竜の姿を捉えた。

 同時に飛竜の羽ばたきが耳を打ち、すぐに翼の起こす風が空気を煽る。


「急報――!」


 飛竜が城壁の上に舞い降りる。西方第七大隊少将スクードが飛竜の背から飛び降り、タウゼンの前へ膝をついた。


「申し上げます! 堰による分断、叶わず――!」


 タウゼンは眉を跳ね上げ、驚きにスクードを見据えた。


「何を言うか。未だ門を動かしてもいない。何を以ってそのような報を述べるか」


 だがスクードは強張った顔で、更に続けた。


「西海軍は、鶴翼の陣を用い、遡上しております! 加えて例の如く使隷を足にし、あたかもその様は壁が動くが如く――」

「鶴翼――」


 そう唸ったのは参謀総長ハイマンスだ。

 皺を刻んだ目元を見開き、両拳を握り締める。


 鶴翼の陣は左右翼を突出させ中央を引いた、すり鉢のような形状を造る陣形だ。通常はその中に敵中央を誘い込み、囲い込む為の陣。


 だが、その形でシメノスを遡上しているとすれば。


「閣下、鶴翼陣の狙いはおそらく、シメノスの流れ」


 タウゼンが双眸を鋭くシメノス下流へ向ける。

 未だ西海軍の先陣は、下流に姿を現わしてはいない。


 ハイマンスの言葉を肯定するように、スクードは、喉の奥から吐き出した。


「進軍によりシメノスが逆流し、水嵩を増しております! 使隷の波を含み、水面位置は通常時よりおよそ七間上昇」

「七間――」


 堰の高さ五間を、優に超える。

 タウゼンは無意識に一歩、踏み出した。


「――堰は、役に立たん」


 使隷を用いる西海軍でなければ叶わない戦法だ。


 セルファンは周囲の隊士へ、視線を配った。小声で指示を流す。


「王太子殿下を第一に行動しろ。飛竜をすぐに飛び立てるよう」


 傍らのクライフと視線を合わせる。


「――クライフ中将。殿下が退避される場合は、牽制を」

「了解です」


 整然と、素早く、近衛師団隊士が城壁上での動線を整える。


 風と陽射しがまだ残っていたシメノスの霧を散らす。

 物見の兵が声を張った。


「西海軍、先陣――、視認!」


 最初に、光が見えた。


 千々に砕けるその光の正体が、すぐに判る。

 西海軍の進軍に押し上げられ、押し戻されるシメノスの河面が波となり、砕け、なだれ落ちる。

 そこに陽光が当たり、光を弾いている。

 いつの間にか太陽は、シメノスの河面へ光を投げるほど昇っていた。


 そして、次々と砕ける波を追うように――

 西海軍の先陣の姿が、現われた。


 一瞬の静寂ののち――波音と、西海軍兵が上げる唸りに似た閧の声が、シメノスの流れる谷に反響し、岩壁を吹き上がるようにボードヴィル城壁へと押し寄せた。

 進軍速度は緩やかに、だが、確実に距離を詰める。


 スクードの報に(たが)わず、鶴翼の陣により河の水を()()()()()西海軍は、自らが押し上げるシメノスの流れと使隷の波により、岸壁の半ばを超える高さをもって進軍した。


 既にボードヴィルまでの距離は百間を切った。

 当初の戦術では、西海軍を分断する為の第二の堰へ、(とど)まることなく至る。


「第二堰、越えます!」


 物見の兵の叫びが、為す術なく思わせる響きで城壁へ落ちる。


 ボードヴィル直下まで、西海軍が押し寄せた。







 フォルカロルは前方、視界に捉えたボードヴィルの影をせせら嗤った。

 通り過ぎる堰の左右でアレウス軍の兵が慌ただしく動いていたが、何の問題にもならない。


『堰の存在など、とうに知れたこと――』


 アレウスが堰により自分達を分断しようと考えることは、見通していた。

 一息に乗り越えボードヴィル砦城直下を埋めれば、あの岸壁こそ厄介であるもののボードヴィルを威圧し牽制するに充分だ。


 その後、ゆっくりとシメノス北岸を登り、地上とシメノス双方から包囲する。


『もはやボードヴィルは陥したも同然だ』


 近付いてくる高い岸壁と、その上に重ねられた城壁を見上げる。

 そこに翻る、王太子旗。


『ファルシオン――我が首級』


 玉座はフォルカロルの手に落ちつつある。








「王太子殿下、大事を取って、ご退避を――」


 セルファンはファルシオンの前へ進み出て、シメノスとの間に立った。

 尽きず湧き上がる西海軍兵の雄叫び、水音。

 ファルシオンが首を振る。


「まだ――。タウゼン将軍」


 タウゼンは恭しく頷き、片手を上げた。


大型弩砲(アンブルスト)を放て!」


 発条の最後の一巻きが巻かれ、大型弩砲(アンブルスト)が鋼鉄の矢を吐き出す。


 一斉に放たれた矢は驟雨の音を立て、ボードヴィル足元に流れ込んだ西海軍へ、空を切り裂いた。西海軍先陣へ突き刺さる。

 使隷の波に乗っていた西海兵が次々倒れる。


 だが、ぞろりと動いた使隷の波が鋼鉄の矢の大半を受け止め、呑み込んだ。


「第二陣、前へ! 放て!」


 再び百もの鋼鉄の矢が奔る。

 使隷の波が立ち上がる。

 ねっとりとした水の膜が鋼鉄の矢を捕らえ、絡め取った。


 タウゼンは第三射への合図の手を、半ばで止めた。

 使隷がある以上、このままの攻撃は意味がない。


 西海軍は際限なくシメノス下流から寄せて来る。ボードヴィル足下で(とど)まることなく、その先へ。

 初めに西海軍を捉えようとしていた、第一の堰へ――


 第一の堰までも呑み込まれれば、西海軍の分断は果たせない。


「西海軍前衛――、第一の堰を越えます!」


 悲鳴に近い叫びが走る。


 シメノスの西海軍から放たれた矢が、ボードヴィル城壁へと突き立った。




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