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第8章『輝く青2』(5)



 南西の交易都市、フィオリ・アル・レガージュの陥落――



 その急報が、レガージュより騎馬で北西へおよそ二日の距離にあるグレンデル平原、正規軍本隊へ入ったのは、五万五千の兵が布陣を完了した翌日、十一月二十二日の夕七刻のことだ。


 グレンデル平原への布陣は、水都バージェスの前面に浮上した西海の皇都イスの存在、そしてバージェスからグレンデル平原、更にサランセラム丘陵に至るまでほぼ平坦な地形が続くことを理由としていた。


 かつ西海軍六万強――使隷、そして死者の軍を入れればその数は更に膨れ上がる――と推測される兵数を動かすにあたり、地の不利の多寡はあったとしても、バージェスからの侵攻が最も可能性の高い進軍経路と考えられたからだ。

 西海軍の動きが無い中で、アレウス国が先手を打った形になる。



 一方、フィオリ・アル・レガージュからの侵攻もまた考慮されていたが、現状、正規軍南方第七大隊一隊のみの配置となっていた。


 薄いと捉えなかったのはレガージュが大戦時、一度たりとも陥落しなかった歴史的背景に加え、レガージュの守護者たる剣士ザイン、そして各艦十六門もの火球砲を有するマリ海軍軍船二十隻の戦力、それらがレガージュにあったことが大きい。


 だが西海軍は、進軍するに容易く、けれど大軍を送り込む為には地形上、細く長い陣形を取らざるを得ないシメノスからの侵攻を選択した。



 レガージュ侵攻――


 西海軍がそれを選択した最大の要因は、ほぼ半日前にあった。





 レガージュ侵攻の始まる、六刻前。


 レガージュ港前面の海は十一月でもなお鮮やかな陽射しを受け、波も穏やかに揺蕩っていた。


 ひと月前の十月二十日、マリ王国の海軍、メネゼスの艦隊が救援に駆け付けて以来、フィオリ・アル・レガージュの港にはマリ海軍二十隻の軍艦が、外海へ砲門を並べるように展開し、停泊していた。


 西海の侵攻は小競り合いすらもなく、提督であるメネゼスがやや無聊をかこっていたほどで、フィオリ・アル・レガージュの街は、国としては未だ消えぬ戦火の中にあるとは思えないほど平穏な日々が続いていた。


 この平穏を支えていたとも言えるメネゼス艦隊へ、本国から急遽帰国命令が下り、レガージュ港を離れたのは十一月二十二日の午後一刻のことだった。





 副官ガルシアは次第に遠のいていくレガージュの港を、揺れる甲板の上から眺めた。


『これで、我々は十分に役目を果たせますかね』


 吐いた息に乗った言葉を、舷縁(ふなべり)に寄りかかっている上官メネゼスが拾う。


『果たせるだろう。そう動こうと思えばな』


 メネゼスの隻眼は、艦隊がレガージュの港から遠ざかっていく今も、鋭く港の入り口へと据えられている。


 天然の要衝であるフィオリ・アル・レガージュの街は、海から見ればその攻め難さがより現実的に実感できる。

 左右は延々と連なる高い断崖に囲まれ取り付く場所などなく、港の懐は深く、そしてシメノス南面に造られた街は断崖の頂きへと続く斜面で構成されている。


 ただでさえ急な斜面を、街の通りは階段や入り組んだ細い路地などで敢えて構成し、港から攻め入る者の進行を阻んでいた。


 唯一、比較的たやすくアレウス国内へ侵入できる経路が、レガージュ港に流れ込む大河シメノスだ。

 侵攻する側はレガージュの港を抑え、そこから船か、或いは別の何らかの手段でシメノスを遡上する。


 シメノスはアレウス国の中心にある王都アル・ディ・シウムまで続き、水上の機動力さえあれば王都へ、王都まで至らずともかなり内陸まで攻め込むことが可能だった。

 特に、水を移動手段とする西海にとっては、より容易く。


 レガージュを陥せば侵攻の拠点となる。

 だからこそかつての大戦の折、アル・レガージュは西海軍の侵攻に対する要衝の地として、激しい戦火に飲み込まれた。


 大戦が終結し、交易港として再度――、新たに出発して三百年、現在のレガージュはアレウス国の交易の玄関口として栄えてきた。


『まあ西海との関係が変わらない限り、レガージュはこの先も戦火に飲み込まれる運命だ』


 舷縁から身を起こし、上下する甲板の上に苦もなく立つ。


『俺は軍人だが、海と国の繁栄は交易によって成ると理解している。レガージュがアレウスの玄関口として、マリ王国(うち)と末長く交易してくれんのが、うちにとっての最大の利益だからな。その為に動くさ』


 ガルシアは黙したまま、だが上官の言葉に頷き、最後の一瞥を、陽射しを受け瓦屋根を輝かせるフィオリ・アル・レガージュの街へ投げた。







 マリ海軍の軍船が去った港は、がらんとして見えた。

 船影の消えた水平線が強い陽射しを受けて輝いている。


「一か月程度、そこにいただけなんだがなぁ」


 岸壁の上に立ち、レガージュ船団長ファルカンは海を見下ろした。声には実感と、多少の喪失の感傷が混じっている。


「船団よりも船体がふた回りはでかいからな。あれが二十隻も並んだ様は壮観だった。まさか今年の三月にはあの砲門が街じゃなく外へ向けて並べられるとは思っても見なかったよ。そう考えれば不思議なもんだ。今回の動きも」


 傍らのザインが頷く。


「メネゼス提督のことだ、迅速に動いてくれるさ」


 このひと月、西海の侵攻が途絶えていたことから、マリ海軍の存在が西海への抑止になっていたように感じられていた。街にはマリ海軍が去ったことへの不安が少なからずある。


 だが、どちらにしろ西海と戦い、勝利しなければならないのはレガージュ自身――アレウス国自身なのだ。

 マリ海軍の戦力はあくまでも、副次的なものと(わきま)えておかなければならない。


「まずはこのレガージュで、西海軍を捉える」


 ファルカンが頷いたように、その体制は既に整っていた。

 ザイン、そしてユージュの戦力。


 レガージュ船団の団員およそ七百名と、正規軍南方第七大隊の三千の兵士。

 現在のレガージュの戦力の全てだ。


 少ないとは思っていない。

 天然の要衝であるこのフィオリ・アル・レガージュの街があり、守護者たるザインがいるのだから。


 そのザインの面は、ファルカンの内心が影響してそう見せていることもあるが、厳しく、そして何かに耐えるようだ。


「勝つ為だ――」


 自分に言い聞かせる口調でそう呟くザインに頷き、ファルカンは日に焼けた顔をザインと同じように港へと急斜面を下って連なる街へ向け、しばらくの間じっと、生まれ育ったこの街の姿を見つめていた。





 そして、マリ海軍がレガージュの港を去った、その夕刻。

 物見台からレガージュ船団の団員が声を上げたのは、太陽の最後の一欠片が水平線へ消えようとしていた、六刻のことだった。


 見張りのレガージュ船団の男は、暗く塗り潰され始めた海面を漂う陽光の欠片、その合間に目を凝らした。

 太陽が沈み行き、波間に散る陽光はもうすぐに消えていくはずの海に、次第にちかちかと、光の欠片が増していく。


 その欠片の不穏さを、見張りの男は良く覚えていた。

 たったひと月前、目にしていたものだ。


 喉が鳴る。


「か――」


 西海軍兵の剣や槍の穂先が反射する光。

 あらん限りの声を張った。


「海上――西海軍、出現!」


 風に乗り、声が港へ落ちる。

 そこにいたレガージュ船団の男達が顔を上げ、物見台と、そして港の沖を見据えた。



「港より、距離およそ一海里(約2km)――!」



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