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第8章『輝く青2』(1)


 水都バージェスとサランセラム丘陵との間に横たわるグレンデル平原は、ゆるやかな隆起が続くサランセラム丘陵とは異なり、平らな大地が見渡す限り、視界を埋めていた。

 その中に時折、近隣住民から『壁』と呼ばれている一段大きく落ちた地形が現れる。低いものでは子供がよじ登れる程度の段差から、高いものでは十間(約30m)ほども落差があるところまで、様々だ。


 遥か昔に地表が隆起した名残であり、平原というよりは台地という呼称が正しい状態を表している。

 隆起の痕跡を最も顕著に現わしているのが、西海との国境でもある崖だった。この国と西海とを明確に隔てる切り立った崖が、アレウス国の西の――唯一の――玄関口であるフィオリ・アル・レガージュから北へ、延々と続く。


 波に侵食されながらも立ちはだかり続ける崖は、三百年間、そして千年もの間、西海に対する最大の防壁でもあった。





 サランセラム丘陵とグレンデル平原とを明確に分けるのは、高低差五間(約15m)、横幅九十間(約180m)の『壁』だ。

 十月に北方将軍ランドリーがこの壁を利用して正規軍を展開させ、西海軍の侵攻を退け勝利を収めた場所でもある。


 その勝利からちょうど一月後の十一月二十一日、壁の上に西海戦総指揮を託された正規軍副将軍タウゼンと総参謀長ハイマンスが立ち、『壁』の前に次第に、再び集結していく正規軍の隊列を見下ろしていた。


 王都や他の軍都の転位陣を用いて転位してくる部隊、騎馬や飛竜を移動手段として集結してくる部隊、合わせて五万八千もの兵士達の、その半ばまでが既に集結しつつあった。




「バージェス周辺、西海に動きは見られません」


 上がってくる報告にタウゼンは頷いた。

 一昨日、十九日から各部隊は移動を開始し、今日の夕刻には全ての部隊がそれぞれの持ち場に揃うことになる。この地へはおよそ五万五千の本隊、そしてフィオリ・アル・レガージュへ、南方軍の第七大隊三千を配備する。


 ハイマンスは伝令兵にいくつか指示を与え、再びタウゼンの傍らに立った。


「おそらく西海軍は前回同様、浮上したイスのあるバージェス前面の海上を本陣とし、最大に兵を展開できるグレンデル平原を東進してくるでしょう」


 この地が再び激戦の地となり、そして完全なる勝利の地とする。


「まずはこの地における最終決戦に向け、布陣は順調に進んでおります。法術院長アルジマール殿によるナジャル捕縛陣、転位陣の二重の法陣の敷設も順調と聞いております」


 サランセラム丘陵でナジャルを捕縛し、そしてアルケサスへ転位させる。法陣はまず捕縛陣、その下に転位陣を重ねる二重構成で敷設が進められていた。

 ナジャルをアルケサスに確実に飛ばすには、その二重の法陣に気付かれることなく、かつナジャルが本体を表していることが鍵となる。


 そこはタウゼン達の想像も、兵達の力も及ぶところではなく、アルジマールや、レオアリス、アスタロトに任せる他はない。


「レガージュは」

「そちらも王都の指示通り、順調です。その為の布石は、法術院が」


 もう一度、深く頷く。

 全て順調だ。

 今は。

 だが常に不測の事態が起こるのが戦場だ。


「今回は、王太子殿下がこの場にお出ましになる。殿下の御身を、何があっても守り奉らねばならん」


 ハイマンスは目礼をタウゼンへ返した。


「閣下と同様、全ての兵がそのように心に期しているでしょう。そしてまた、王太子殿下の御心、御意志が、此度の戦いを勝利へと導いてくださると」


 この地へ集う兵士達の面は、この朝にファルシオンが総大将として戦地に赴くと布告されてから、より一層引き締まり、そして強い意志を漲らせている。

 タウゼンは兵士達の姿を見渡した。


 王都で、ファルシオンはそこにいる者達に語りかけたが、その想いは戦場に出る、或いは治安維持の役割を負う、すべての兵士達へ向けられていただろう。


「――朝の王太子殿下のお姿は、半年前の陛下のお言葉を思い起こさせられた」


 ハイマンスも同様だったのか、言葉はなく頷く。

 二人はどちらからともなく、視線を空へ投げた。

 雲一つなく晴れ渡った空は、半年前の五月の初日、抜けるように晴れ渡った王都の空と同じように青く澄んでいる。


「あの朝、陛下はかつての大戦を、明けぬ夜のようだったと評された」




 王は、王城の二階から集まった人々へ語りかけた。



『今改めて大戦を語るとすれば、明けぬ夜のようであった。長く暗い、出口の見えぬ道を行く如きもの』



 深く、大気に混じり合うような、王の声の響き。

 それをタウゼンは、憂いなく聞いていた。

 今のような戦地の情景など、思い浮かべることもなしに。

 不可侵条約が再び締結されることを疑わなかった。



『だが今この日を迎えているように、不可侵条約が結ばれる事により、終結を迎えた。それは双方が、平穏と安寧を強く望んだからであろう』





 王はおそらく、その先を予見していた。

 その言葉は、どのような想いのもとに語られたのか。


「陛下の仰ったとおり、此度の戦いもまた、明けぬ夜のようであり、長く暗い道を行くように感じられた」


 多くの将兵を失い、半年間、この国は永遠に続くかのような戦いの中に置かれてきた。


「だが、今、出口は見えた」


 太陽の近くを高く、一羽の鳥が旋回している。陽光の眩しさに瞳を細め、鳥のゆるやかな旋回を追う。

 鷹か、それとも鳶か。


 その旋回がふと、動きを変え、空を横切って北へ飛び去った。

 鳥が去ったのと反対の方角へ視線を転じれば、空の彼方に濃い線が一筋、生まれたところだ。

 飛竜の一軍、南方軍いずれかの部隊の飛竜だろう。

 鳥達の餌場を邪魔することを申し訳なく思ったが、数日後、或いは十数日後には、この空もまた鳥達のものに戻る。


 タウゼンは視線を戻した。


「この戦いで、我等は西海との因縁、そして争乱の歴史に決着をつける」






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