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第7章『輝く青』(22)


「レオアリス!」


 アスタロトは退出するレオアリスを追いかけ、呼び止めた。

 振り返ったレオアリスの正面に立つ。


「アルジマールが言ってたやつ、まさか本当にそう思ってるわけじゃ無いよな」

「アルジマールの?」

「分かってるだろ」


 真紅の瞳がレオアリスを睨む。


「黒竜の時みたいに、強制的に剣を戻すのを考えてるんじゃないかって」

「ああ――。あれはアルジマール院長に言われたからだ。別にそんなこと、本当は考えてなかった」


 むっとしてアスタロトは頬を膨らませた。


「見え透いてんだよ。いいか、今回は私がいる。アルジマールも。お前一人でナジャルと対する必要なんてないし、封術なんて必要ない。灰の一つも残らないくらい、私がしっかり焼き尽くしてやる」


 一歩、廊下を踏み靴音を鳴らす。


「約束しろ。ナジャルを一緒に倒して、一緒にここに帰ってくるって」


 アスタロトは右手を伸ばし、そこで約束を交わそうというように手を開いた。






『君が前を向かないと手にできない』



 レーヴァレインの穏やかな声は、だが鋭く向けられた。


「前を、向いているつもりです」


 レオアリスはそう返した。

 前を向いている。向く必要がある。

 ファルシオンがそうしているのだから。


「でも、俺が自分の感情を見せる必要は無いと思っています」


 ティルファングがむっとレオアリスを睨み、それでも開きかけた口を一度閉ざす。


「一番お辛いだろう王太子殿下が、国王代理という立場でこの国を背負おうとされている。支えるべき臣下たる俺が、王太子殿下を不安にさせるようなことは、もうあってはならない」


 眉を上げ、レーヴァレインは注意深く言葉を拾った。


「もう?」


 問う瞳に、レオアリスは自分の視線を僅かにずらしかけ、それをレーヴァレインに戻した。


「半年前――俺が眠る前、俺は自分の感情のままに動いてファルシオン殿下を危険に晒しました。王太子殿下の守護の役割を負っていながら、殿下が最も護りを必要としている時に、俺は自分の感情を優先してそこにいなかった」


 身体の脇に下ろしていた拳を握り込み、革手袋が軋む音を聞く。


「もう同じ失態は繰り返さないと決めています。何の為に剣を戻したいのかも――考えた。解っているつもりです」


 幼いファルシオンを守る為だ。

 そう考えているのはレオアリスだけではない。その小さな身体で国を背負おうとしているファルシオンを、少しでも支えられるよう、誰もがそう動いている。


「決まっている。西海との、ナジャルとの戦いを終わらせる。その為に剣は絶対に必要だ。それから――」


 口を引き結んでいたティルファングが苛々と遮る。


「長が主持ちに否定的な理由が分かるな。主と定めた相手に左右されすぎるんだよ、こいつらは」

「ティル」

「頑なっていうの? 主がどんだけ大切か知らないけど、そんなの結局自分が生きてればこそだろ。だけどこいつ、ものすごく投げやりだ」

「俺は」

「投げやりだ。断言してもいいけどな!」


 ティルファングは枯れかけた芝を踏み、一歩、レオアリスへ踏み寄った。


「ナジャルを倒して、西海との戦いを終わらせて、それから? お前、『それから』の先を言えるのか?」


 黒い双眸がレオアリスを縫い止めるように睨む。


「断言する、言えないね! だってお前、戦いの中で死んでもいいと思ってるだろうからな」

「ティル。そんなこと、断言なんてできないだろう」

「できるよ! どうせそうだ。こいつの剣の気配、背後がすかすかだ。だから落っこちる。そういうことだよ」

「ティル、その言い方は俺にもちょっと解らない」


 ティルファングはもどかしそうに眉を寄せた。


「だから、一歩後ろに下がったら、そのまんま落っこちるってこと。ほら、僕等の里の崖っ淵みたいに」

「――ああ」

「そんな奴、最後の一歩を踏み堪えられないに決まってる。最後の一歩ってのは、生と死の境界だ」


 レーヴァレインへ向けていた身体をぐるりと返し、ティルファングは更に一歩分、レオアリスへと寄った。


「主を失ったら自分も死んでいいみたいな感覚が、そもそも間違ってるって僕は思う」

「ティル、それはその個人それぞれの話だよ。誰かが左右できるものでも、間違いかどうかって話でもないんだ」

「そうかな。それで実際機能しなくなってるんなら」

「失ってない」


 ティルファングはレーヴァレインとの会話を切り、厳しい顔を上げた。


「訂正してくれ。誰も、そんなこと確認してない。まだ決まってない」


 レーヴァレインが双眸を細める。

 ティルファングはもう一歩、踏み込んだ。レオアリスの、本当に正面だ。


()()()()()()


 ティルファングは眉をしかめ額がつきそうな位置でレオアリスを睨んだ。


「気配がダダ漏れだ。そんでもって崖っ淵に立ってる。そういうのを垂れ流されるのは(はなはだだ迷惑だ。そんな奴と一緒に戦うとか僕はごめんだ」

「ティルファング」


 嗜める響きにティルファングは眉を跳ね上げた。


「何で? 長は僕をこの為に残したんだろ? みんながみんな腫れ物に触るみたいにしてたって駄目だからな。事情分かってない僕が言いたいこと言えってことだろ? だから言うぞ」





 ティルファングの声が頭の奥に浮かぶ。


『お前は逃げてる――逃げ込みたいんだ、楽な場所へ』



『踏み止まらなくてもいい所へ』





『アヴァロンが羨ましい?』


 ルシファーはそう尋ねた。


『アヴァロンは最後まで、王を守って死んだ』




『王と一緒に――』






『死にたかったのでしょう?』






「レオアリス!」


 アスタロトが焦れて差し出していた手をもう一度、突き出した。


「約束をしろ、一緒に帰ってくるって」

「――俺は、別に、帰ってこないつもりじゃない」

「いいから!」


 微かに苦笑を浮かべ、レオアリスは差し出されたアスタロトの手に自分の手を重ねた。

 途端にアスタロトがぎゅうっと力を込めて握る。


「何だ」

「痛いか? これが痛みだ。痛いのはお前が生きてるからだ」

「……別に、痛くないけど」


 むっとした顔をし、アスタロトは渾身の力を右手に込めた。歯を食いしばる。全身の力を込めているせいか、身体が斜めに傾いでいる。


「んぎぎ……い、痛いか……?」

「いや」


 アスタロトが何をしようとしているのかとレオアリスは暫く考え、それから自分が握る手に力を込め返した。


「痛いっ!」


 アスタロトが右手を振り払う。

 右手をさすりながらふうふうと息を吹き掛け、昔は同じくらいだったのに、と呟きながらジロリとレオアリスを睨んだ。


「くそっ、腹立つ! よし、なら燃やしてやろう」

「お前、さっきは一緒に帰って来ようって言ってなかったか」


 アスタロトは右手を開きかけたが――本当に一瞬そこに炎が揺れ、再び握った拳の中に消えた――その拳をレオアリスの喉元にどん、と当てた。


「なら約束しろ、帰ってくるって」

「――」


 アスタロトの手をやんわりどかし、レオアリスは腰に軽く手を当てた。


「帰ってくるに決まってる。アスタロトこそ、俺よりお前の方が実戦慣れしてないんだ、ナジャル相手に油断するなよ」

「誰にモノを言って」

「おおい、君たち」


 深緑の絨毯の上をアルジマールがすたすたと歩いてくる。並んで歩いていたロットバルトは二人の前まで来ると頬に微かに笑みを刷き、そのまま通り過ぎた。

 アルジマールが一人、二人の前に立ち止まる。


「さあ、ナジャル戦の作戦を詰めよう。明日早朝には僕は王都を発つからもう今晩しかない。炎帝公と剣士、単体じゃ相当だけど連携はポンコツというんじゃ困るからね」


 二人それぞれと連携したのは僕だけだし、と言い、アルジマールは目深に被った頭巾の下で虹色の瞳を揺らした。








 ひと抱えもある太陽が赤く染まった姿を滲ませ、水平線の先へ降りて行く。

 陽光が海面へ長く投げかける一筋の朱と、碧く沈んだ海面の色。空は水平線上に朱色の帯を残し、天頂に行くにつれ夜の色に染まって行く。


『港が平和なのはいいことだな』


 メネゼスはやや退屈そうに机の上に両足を乗せ傾いだ椅子にもたれ、椅子の足を軋ませながら足を組み替えた。

 靴先に、水平線に落ちる太陽がある。


 フィオリ・アル・レガージュの港に停泊したマリ海軍のメネゼスの旗艦、その司令室だ。かつてアレウス王国王太子ファルシオンと会談をしたのはこの船では無いが。


『先月のあれで西海がこのレガージュからの侵攻を諦めたってんなら、俺達が半年でここに取って返した意味もあるってもんだ。なあダビド』

『提督は退屈なのでありましょう、本心は。火球砲の使い処がございませんからな』


 メネゼスの副官、ダビド・ガルシアは見透かした口調でそう言った。


『すぐ火球砲を撃ちたがるのはお前の悪い癖だ』


 そう言いつつも、メネゼスは頭の後ろに組んだ腕に喉をそらし、退屈さを隠そうともしていない。『しかし少しくらい状況が変わらんものかな。動かないままもう一月経った』

 ガルシアは肩を竦めた。


『退屈なされるのも今だけです。西海との戦いにアレウス国が勝利することは、我が国の交易の発展の為にも重要な要素であり、その朗報を国王陛下へ届けるのが我々に課された役であれば』

『西海に接した航路が安全になりゃ、心置きなく交易船が出せるからな』


 扉が叩かれ、ガルシア麾下の少将が顔を出す。メネゼスとガルシアへ、両足を揃え敬礼を向けた。


『提督、伝令使が来ています』

『伝令使? 本国か?』

『アレウスの王都からです』


 部下が口にした名を聞き、メネゼスは机から脚を下ろし、椅子の上に組んだ。


『この国の侯爵と、直接面識は無かったと思うが――』


 片目を眇め、それからメネゼスはああ、と身を起こした。


『ヴェルナーといや、あの時王太子殿下に従っていた、近衛師団の参謀殿か』




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