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第7章『輝く青』(18)

 

 翌日、十一月十七日――

 アレウス国王都へ、西海の使者が両国の会談という目的を持ち降り立ったのは、大戦の勃発により慶賀使の交換が途絶えて以来、実に四百年ぶりのことだった。





 西海穏健派、元西海第二軍将軍レイラジェは次第に淡く消えて行く法陣円の光の中で、視線を上げた。独特の浮遊感が頭蓋から足先へと流れ落ちる感覚がある。

 そして既に、自らが両国の国境部ではなく、そこからおよそ二千里離れたアレウス国の中心地である王都、アル・ディ・シウムに居るのだと判っていた。


(アレウスの法術か)


 現在の王都、王城であれば、レイラジェ達が水を利用して移動することは難しくなはい。

 だがこの和平への会談に当たって、レイラジェは自らの術は使わずアレウス国が用意した転位陣を移動手段として選択した。それは和平への意思と、彼等のアレウス国に対する誠意の表れでもある。

 そしてアレウス国もまた、転位陣の出現先を王城の懐深く、中庭の一角に設定した。


 レイラジェ達が降り立った周囲を囲んでいるのは、高い尖塔と大屋根を幾つも持つ優美な城の棟屋と、樹々や芝、草花を敷き詰めた庭園、そこを渡る白い回廊。


(ここが)


 レイラジェは中庭から王城を見回し、その壮麗さに感嘆だけではなく、アスタロト達が不可侵条約再締結の儀の為にイスを訪れた時と同じ驚きの想いに捉われた。


『これほど、皇都イスと同じ造りとは――』


 傍らの副官ミュイルと第四隊大将アルビオル、彼等の部下である中将二名もまたレイラジェと同様の想いを抱いたのは、そのやや感情を読み取りにくい面からも判る。

 海皇の妄執――地上への復権の望みがそこに浮かび上がるようだ。


イス(あれ)は海中の航行には全く適していない都だと、改めて判りますね。そもそも我々のファロスファレナの方が数段美しいと俺などは思います』


 ミュイルの言葉にアルビオルが黙したまま頷く。

 レイラジェもまた、頷いた。


『ああまで地上を望むのは、(おぞま)しくも哀れでもある。その妄執は果たされずに終わったが――我等で完全に断ち切らねばな』


 ミュイル達は頭を下げた。


「レイラジェ将軍」


 声の主を認め、ミュイルはぱっと笑みを広げた。


「ヴィルトール殿――」


 法陣円の前で待っていたヴィルトールがレイラジェへと手を伸べ、二人は握手を交わした。


「この王都まで、御足労いただき有難うございます」

「いいや――この場を整えてくれた貴殿の尽力に礼を言う」

「私ののみ意思ではありません。それにしても、僅か五名でのお越しとは」


 レイラジェが随伴したの副官ミュイル、大将アルビオル、そして彼等の中将各一名の四名を見渡し、ヴィルトールはやや呆れ気味にそう言った。


「せめて護衛をお連れになるべきでは」

「目的は和平だ。仰々しい護衛は必要ない。それにファロスファレナの護りも必要なのでな」

「ファロスファレナは」

「あれ以来襲撃の動きはないが、油断はできん」


 レイラジェは改めて、ヴィルトールの後ろに控える一団へ目を向けた。

 二種の軍服――ヴィルトールと同じ黒の軍服の十名が近衛師団、そしてヴィルトールと共に一歩前へ出た大柄な将校と同じ濃紺の軍服の十名が、正規軍。

 向けられる視線は友好的とは決して言えない。


「だがまずは、我等がこの会談で受け入れられれば良いが」






「上将」


 フレイザーは正議場の控えの間の扉を開き、室内の椅子に掛けていたレオアリスへ声をかけた。


「準備はいかがですか? そろそろ正議場へ」

「ああ」


 レオアリスが立ち上がり、フレイザーの待つ扉へと歩み寄る。その顔をフレイザーは慎重に見つめた。

 四半刻後に始まる西海との和平に向けた会談を――和平そのものをレオアリスがどう考えているのか、表面上窺えるものはない。

 ただ、葛藤が無いとは、フレイザーは思わなかった。


(剣もまだ戻る気配がなくて――それって、きっと精神的なものもある。そんな状態で西海との和平交渉の場に出るなんて――)


 レオアリスへ出席を命じたのは、今回の場を取り仕切る内政官房長官ベールだ。

 今回はまだ初回の交渉でもあり出席する人数を絞っていたが、和平の仕立てにヴィルトールが繋ぎ役として関わっていることから、その上官であるレオアリスの同席は当然、必要とされた。


「フレイザー?」


 もうすぐそこにレオアリスが立っている。扉を塞いでいたことに気付き、フレイザーは廊下へ出た。


「失礼しました――上将」


 少し先の議場へと廊下を歩き出したレオアリスの背を、つい呼び止める。レオアリスが足を止め振り返る。


「どうかしたか?」


 その面は普段と変わらない。


「いえ……」


 呼び止めたものの何を言おうとしていた訳ではなく、フレイザーは首を振り、今度は先に立って廊下を歩いた。


(出席者は上将だけじゃないわ。アスタロト様も、ロットバルトも、副将もいらっしゃる)


 廊下の中央に位置する正議場の扉へレオアリスを案内すると、レオアリスだけを入れて閉ざされた扉を、フレイザーは束の間見つめた。







 会場となる王城北棟四階の議場中央に正円の広い卓が設けられ、それを十脚の椅子が囲む。

 議場には廊下へ続く中央の扉のほか、左右に一つづつ扉があり、扉の脇にそれぞれ二人の近衛師団兵が刃先を袋で覆った槍を立て、緊張した面持ちで扉を開く合図が送られるのを待っていた。

 時刻は会談開始予定の一刻まで、もう四半刻もない。


 既に地政院、財務院、内政官房の事務官等と、正規軍副将軍タウゼン、西方軍将軍代理ゴードン、西方軍第七大隊左軍中将ワッツ、近衛師団総将代理グランスレイ、第一大隊大将レオアリス、そして第一大隊右軍中将ヴィルトール、併せて九名が右の扉側に置かれた随伴者用の席に着いていた。

 会談が行われる中央の円卓にはアレウス側の出席者の姿も、西海穏健派の姿もまだ無く、これから交わされる議題故の張り詰めた空気が広い室内を占めている。


 グランスレイは傍らに座るレオアリスへ、視線だけを向けた。

 レオアリスは瞼を半ば伏せるように落とし、静かに腰掛けている。


 今回のこの会談をどう捉えているのか、レオアリスの表情にはそれを窺える感情はない。だがグランスレイもまた、フレイザーと同じようにレオアリスの心情、この場に同席することについては懸念を覚えていた。

 レオアリスの左隣に座るヴィルトールと視線を合わせ、グランスレイは口を開きかけた。


「上将――」


 レオアリスの瞳が上がりグランスレイへ動きかけ、グランスレイを捉える前に正議場の右の扉へと向けられた。

 グランスレイもその瞳の先へ、視線を戻す。


 右の扉の向こうで扉を叩く音が鳴り、扉を通してくぐもって届く。

 グランスレイを始め、随伴者席にいたアレウス国側出席者は全員起立した。

 控えていた近衛師団隊士が左右それぞれの把手を回し、両開きの扉を開く。


 まず入室したのはアレウス国側だ。

 地政院長官ランゲ、財務院長官ヴェルナーの二人が入り、随伴者席の横を抜け、彼等が中央の卓に立ったところで、正規軍将軍アスタロト、内政官房長官ベール、そしてスランザールが続いて入る。


 五人はベールを中心にそれぞれ円卓の右半分の席に着いた。五人は着座したが、随伴者席の九名は起立したまま、彼等の正面にある扉が開く合図を待っている。

 午後一刻まで時計の長針があと五度ほど回転を残している。先ほどよりもなお、場に緊張が満ちる。


 着座したロットバルトは場へ意識を巡らせ、レオアリス、それからベールへと意識を移した。

 レオアリスの今日の同席は、西海との会談の上では少なからず不安要素でもある。

 体調の面、そして精神的な面。

 西海との和平を、受け入れられるか――


(個人が受け入れる、受け入れないという話ではないが――それでも彼が納得できないままでは、今後の動きに大きく課題が出てくる)


 この先の西海との戦いにおいて。

 それを判った上で敢えてレオアリスに同席を指示したのは、ベールがそれだけ西海との和平に重きを置いているからでもあるだろう。


(和平を確実に進めていくには、過程での無用な混乱を抑えることが肝要だ)


 重要なのは、レオアリスを含めアレウス国側が、この先戦う西海と、今日これから話をする穏健派とを異なる存在として捉え、認識することだ。

 左の扉が到来の音を鳴らす。

 控えている近衛師団隊士二人は扉に近寄り、その把手を掴んだ。把手を回し、扉を引き開ける。


 ベール以下、五人が立ち上がり、場の視線が開かれた扉に集中する。

 それはこの三百年で初めて、王都において、西海との関係回復に向けて開かれた扉だと言えた。

 扉が開かれ続けるか、再び閉ざされるか――この時がその一歩目となる。


 議場に入ったのは五人――彼等を入れ、扉が閉ざされる。

 張り詰めた空気の中でさえ新たな緊張、驚き、そうした感情がアレウス国側に揺れた。


 入室したのが僅か五人ということもあるが、最も大きいのは彼等の容姿だ。

 アレウス国の住民と重なりつつも異なる姿は、それこそが現在の二つの国の隔たりに思える。

 おそらく今のアレウス国側の出席者の中で、その隔たりを感じていないのはヴィルトールただ一人だっただろう。


 円卓の左半分に三人――レイラジェを中心に左右にミュイルとアルビオルが立ち、二人の中将はレイラジェ達の後方、随伴者の席の前に立った。


 物音が消え、再びしんと静まり返る。

 二つの国が向かい合う。


 先日も同様にルベル・カリマとの会談の場が持たれたが、その時の友好的な雰囲気とは異なり、ただ敵対とも言い難い複雑な空気が入り混じっていた。


 ベールはレイラジェとミュイル、アルビオルへ目礼を向け、口火を切った。


「遠路遥々、このアレウス国王都へお越しいただき、御礼申し上げる。私はアレウス国内政官房の長、ベールという。国王代理、王太子ファルシオンよりこの場の全権委任を受け、貴国との会談を取り仕切らせて頂く」


 卓の左右に着いている四人の名を同席者として挙げる。

 レイラジェは礼を返した。


「この場を設定していただけたことに、感謝を申し上げる、ベール大公。大公ご自身がここに居られることに、アレウス国の意志を感じられるように思い、光栄だ」

「我々も同様の思いを抱いている」


 言葉上は穏やかに、礼節を持って交換されているが、場はまだ緊張の糸を張り詰めさせたままだ。

 ベールは手を伸べ、着座を勧めた。

 レイラジェ達が腰掛け、アレウス国側も円卓、それから随伴者席の順に改めて腰を降ろす。

 衣擦れの音が束の間、室内に余韻を引いた。


 レイラジェはふと視線を引き寄せられるように、円卓に座るベール達の奥へ向けた。

 そこにヴィルトールの姿を捉え、両者の間に漂う緊張と(ぬぐ)い難く滲む不信の中にも確かに、和平への希望を覚える。

 ただ。


 ヴィルトールの隣に座っている、まだ年若い将校にレイラジェは視線を止めた。

 位置取からしてヴィルトールの上官、それがこれほどに年若い者であれば、レイラジェもその存在を知っている。


(アレウス国王の、剣士――)


 レオアリスの視線が、レイラジェへと動く。

 レイラジェはその視線を捉えるべきか、束の間、迷いを持った。


「今回、貴殿方西海の穏健派と、我々アレウス国とのこの会談において、目指すものは一つと考えている」


 ベールの言葉が、全員の視線を中央の卓に引き戻す。


「即ち、二国間の和平、その意志の明文化と締結――」


 しかしながら、とベールは続けた。


「和平に向けた会談を行う前に、踏まなければならない手順がある。先般、我々アレウス国が和平締結への信に足ると、我々はイリヤ・ハインツの件を通じてあなた方にお示しした」


 アレウス国にとって戦犯ともいえるイリヤの主張する和平を、アレウス国が容れることを以って、和平を国家のこととして考えていると西海穏健派は受け止めた。


「次はあなた方が和平の相手方とするに足ると、我等が信を置く根拠をお示し頂きたい」


 レイラジェはゆっくりと頷いた。


「我々のお示しできる、我々があなた方と和平を間に向き合うに足る信じていただくものは、ごく小さな根拠でしかない。即ち我々の意思。今日この場に参じた五名は、我が第二軍――」


 元、とレイラジェは付け加えた。


「元第二軍の主力であり、今ここであなた方が我々の命を絶てば、我が軍は瓦解し、あなた方の視界に影も落とさないだろう」


 この場で命を絶たれる可能性があることも覚悟していると、レイラジェはその言葉に含めた。


「加えて、情報」


 ベールの視線がレイラジェの言葉を受け、続きを促す。


「半年前、西海の皇都、イスで何が起こったか――そして現状がどのようなものか、我々はそれをあなた方に情報として提供できる」

「半年前――そして現状とは」

「西海の国家はご存知の通り、海皇を頂点に成立していた。だが、今、西海を支配しているのは海皇ではない」


 レイラジェの言葉は場に衝撃をもたらした。

 西海の支配者が海皇ではない、と。

 ベールの視線がアスタロトへと動く。アスタロトは青い顔を上げ、ベールの視線を受け止めた。


 『海皇は死んだはずだ』と、半年前、アスタロトはイスでの出来事を伝え、そう言った。

 『王が』


「大公」


 ロットバルトはごく小さく、ベールの注意を引いた。

 これ以上踏み込めば会談が中断しかねない。


(海皇の死――それに連動して呼び起こされる王の死に踏み込めば、場が荒れる)


 注意を背後に向け――だが、この言葉によって表れる反応は、レオアリスだけのことでは無い。

 他の列席者にしても、王の死が西海によるものとの意識が勝れば、和平は霞むだろう。


 ベールは緩やかに矛先を変えた。


「海皇が既に玉座にいないのであれば、今、西海を統治しているのはどなたなのか。軍を主導している者が海皇でないとすれば、我々が半年間戦ってきたのは真には西海では無いということになる」

「戦いを主導しているのは三の鉾筆頭のナジャルだ。海皇がいまだ君臨していると見えるように、ナジャルはこの半年間そう仕立ててきた」


 レイラジェが受けたのは、レイラジェ自身にも今の場の危うさが判っているからだろう。

 事実に蓋をすることはできないが、目的によっては角度を変えて見るべき状況はある。


「我々はつい先日それを知り――確信し、そして西海軍から追われる身となった。追われる身となった理由としては、ナジャルによる支配を知ったことよりは、我等がかつての皇太子殿下の理念を掲げていたことが大きいが。ただ、我々以外の者達、他の将軍達も同時にナジャルの背信を知ったが、この段になって表立って異を唱える者があるかは疑わしい」

「ナジャルの力を恐れるが故に、とお考えか?」

「いいや、それだけでは無い」


 レイラジェは首を振った。


「ナジャルに従うことが、自らの利になると考える者もいる。特に第一軍将軍フォルカロルは水人種――かつて地上から西海へ降った際の姿を有したままである自身を誇り、そしてフォルカロル自身が地上への復権を望んでいる」


 淡々とした言葉が、西海の姿の一端をこの場に紡ぎ出している。

 そこに黒黒と浮かび上がるのは、やはりナジャルの存在だ。


「では改めて――お尋ねしたい」


 ベールは端的に、最も踏み込んだ言葉を投げた。


「即時停戦は可能か」




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