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第7章『輝く青』(16)

 

 風が空の雲をちぎりながら運んで行く。

 午後に入ると空の半分を雲が覆い、陽射しはまだらに地上に落ちていた。時折空を紅玉の鱗を持った正規軍の飛竜が行き交う様が見られる。


「ここは雲と同じ高さにあるようだな。まあ実際は、遠い空を見てそう思うだけなんだが。天空の雲は遙かに高い」


 レオアリスは遠く、視線の高さを流れる雲へ向けていた瞳を、やや離れた場所に立つカラヴィアスへ戻した。


 二人が今いる場所は、ヴェルナー侯爵の王城内の居室に付随する庭園だ。王城四階にある庭園は空へ向かって張り出しているようにも思える。

 斜面で形成されている王都では、この場所に限らず庭園や広場で、空へ張り出している造りが良く見られる。住民達の愛着の深い街の姿だ。


「空中庭園というべきか――我々の里でも崖の壁面を利用して居住空間を作っているが、これほどの建造物を一から作り上げるとはやはり見事だ」


 庭園の縁には白みがかった大理石を組み上げた腰高の手摺りが廻らされている。

 庭園に立ってまず見えるのは空、そして眼下に視線を移せば、整然と整理された家々の区画がなだらかに降っていく王都の街並み。

 周辺に遠くまで広がる農地や森、そして西へと流れるシメノス河は、十一月の半ばのこの時期は冬へと向かいつつある乾いた色をしていた。


 石の手摺りに置かれた掌が、風雨にさらされつつも滑らかなその表面を撫でる。


「いい場所だ。やはりこういう所の方が我々には落ち着くな。王城内は美しく手の込んだ造りではあるが、息が詰まっていかん」

「街には、行かれましたか」

「昨日、アルノー大将がわざわざ案内してくれた」


 くるりと身を返し、カラヴィアスは手摺りに寄りかかって両肘をその上に置いた。


「賑やかで驚いたぞ。我々の里と同じ程の区画に、何十倍、いや、何百倍もの人が暮らし、或いは四方から訪れている。今はそれでも少なくなったと言っていたが、さすがはこの国の中心地だと感心させられた。それに食生活が豊かなのがまたいい。我々の食卓といえば里で作った野菜や限られた家畜、それから砂漠の生き物くらいだからなぁ。アルケサスの大蠍などはそこそこ美味いが」

「大蠍――」

「そういう意味では先日の風竜戦、もう一つ我々にも利があった」


 食糧をかなり調達できた、と冗談めいた口調で言い、カラヴィアスは両腕を頭の上で組むと空へ伸ばすように背を反らす。


「私は今日、ここを発つ」


 深い色の瞳をがレオアリスのそれを覗き込む。


「長である私がいつまでも里を留守にする訳にもいかないからな。だから聞きたいことがあったら今聞いておけ。我々の里を訪ねてくるのも歓迎するが、とはいえ今はそんな時間も無いだろう」





「今日――」


 カラヴィアスと同様、今日王都を発つと告げたレーヴァレインに、アルジマールが抗議とも落胆ともつかない声を上げる。


 庭園に続く部屋にはカラヴィアスが王都に伴った三人の剣士、レーヴァレインとティルファング、カロラスと、ロットバルト、そしてアルジマールが卓を囲んでいた。

 窓の向こうに庭園が広がり、レオアリスとカラヴィアスの姿がある。


「急な話で恐縮です。発つ際には王太子殿下にご挨拶をさせて頂きたいと思いますが、可能でしょうか」

「場は整えましょう。夕刻近くになるかもしれませんが」

「有難うございます」


 ロットバルトは頷き、庭園のレオアリスへ視線を向けた。

 今日、カラヴィアスと改めて場を持ったのは、一向に剣が戻る様子がないことについて尋ねる為でもあるが、もう一つ、目的があった。


 ナジャルとの戦いに、ルベル・カリマの協力を得ること。

 既にカラヴィアスは二度、その意思は無いと表明しているが、それでもナジャルに対する兵力を考えれば必要だ。

 カラヴィアスは言外に、そこには力を貸す気は無いのだと、そう示しているのかもしれない。





「それで? まだ戻っていないようだが」


 カラヴィアスは右肘を手摺りに置いたまま、レオアリスへ身体を向けた。レオアリスは身に纏う近衛師団士官の軍服の印象もあり、体調の不安定さは一見しては見て取れない。


「今日で五日目になりますが、戻りません。戻る気配も、俺には」


 黒い双眸が仔細を読み取ろうというように細められる。


「ふうん。どうにも平気な顔をしているしなぁ」

「お話を聞いた限りでは、飲んだ後はかなり苦痛があると――それがあまり無いように感じます。今はほとんど普段と変わらない状態ですが、それが正しい作用なのかどうか」


 飲んだ直後が最も苦痛が強く、それから少しずつ痛みは緩和している。


「お前が我慢強いだけじゃあないのか?」

「それは、違うと思いますが……」

「アスタロト公が怒っていたじゃないか。どこまでお前の言葉を信じるべきかね」


 カラヴィアスはからかい混じりに言い、レオアリスの鳩尾へ、左手を伸ばし指先を当てた。


「――確かに、先日とあまり変わらないようだ」


 指先を離し、戻した腕を思案するように組む。


「あの薬はザインには効いた。奴は期待通り三、四日のたうちまわったと言うし、効果が落ちているとは思えんが――」

「期待通りって」


 カラヴィアスの言葉にレオアリスが苦笑する。カラヴィアスの言動はザインになかなか手厳しいようだ。


「まあ効果が個々で異なるのは多少あるとしても――レーヴァレイン」

「はい」


 カラヴィアスは寄り掛かっていた手摺りから身を起こすと、彼等のいる窓際に寄り、開け放たれた窓の桟に手を掛けた。


「お前の時は確か、薬を飲んですぐに反応が出たと思ったが」


 レオアリスはカラヴィアスを追って窓際に寄りながら、驚いた瞳をレーヴァレインに向けた。

 レーヴァレインが立ち上がる。


「その通りです。俺は飲んだ直後から、丸二日は身動きできない状態でした」


 ティルファングがレーヴァレインの左腕に手を置く。その腕は肘から先が、銀色の義手だ。彼の剣が一度失われたことを、その義手が端的に示していた。

 レーヴァレインは左腕を捉えているティルファングの手の甲を、右手で軽く叩いた。


「剣が戻ったのは、三日目です」


 カラヴィアスは頷き、レオアリスを振り返った。


「今は左の剣は出せるのか?」

「――問題ありません」


 五日前、カラヴィアスと話した時、剣を顕す際に苦痛が伴い咄嗟の行動が遅れていた。その痛みも今は感じないように思う。


「左の剣は、充分回復しています」

「お話中失礼――」


 ずっとそわそわしていたアルジマールがじり、と腰を浮かせる。


「カラヴィアス殿。よろしければ僕が原因を究明しようと思うんだけど」


 カラヴィアスの瞳が動き、今にも術式を唱え始めそうな法術院長を捉える。


「貴方の法術に関する御高名は寡聞ながら耳にしている、法術院長殿。だが貴方にお任せすると、果たしてすっかり元どおりに戻るのかな?」


 剣が戻るのか、だけではない、物騒な内容を含んだ質問だ。

 アルジマールはカラヴィアスを見つめ、灰色の法衣の中で腕を組んだ。


「――」


 首を傾げる。


「考え込まないでください」


 不信感を滲ませたレオアリスに、カラヴィアスは小さく笑った。


「当人が良ければ私が口を挟む筋合いではないが」

「遠慮します」

「はは。ということのようだ」

「いや、法術で元に戻」


 傍らを見てアルジマールは口を噤んだ。ロットバルトが彼の同席権を剥奪しようとまでは考えていないことを見てとり、そっと息を吐く。


「左が影響していなければ、あとは右そのものの問題だろう。とは言え、二刀の剣士は私も初めてだ。確実なことは言えないが――」


 カラヴィアスは双眸を細めた。


「思い当たるとすれば、そうだな」


 唐突に問いを放り込む。


「お前、剣を失った原因は何だった?」



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