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第7章『輝く青』(14)


「ヴィルトール! てめぇ、生きてたか!」


 クライフは執務室に入ったヴィルトールを見るなり立ち上がって大股に近寄り、両手で乱暴に肩を掴んで揺さぶった。


「待て待て、痛い痛い」

「さんざ心配させやがって――、マジでほッんと、いい加減にしとけよお前!」


 次は背中を遠慮の欠片も無く何度も叩かれ、ヴィルトールが咽せる。


「力強い、力強い。久々に会った大型犬かお前は」


 堪らず後退し、フレイザーの手を借りつつ解放されたヴィルトールは軍服の襟首を緩めつつ、息を吐いた。


「手荒い歓迎だなぁ、全く」

「うるせぇ。手紙一つだけで七か月も何やってたんだ」

「手紙一本送ったことを褒めて欲しいね。クライフには中々できないことだよ」

「何か言ったか? 変わってねぇな。ちったぁ変われよ」

「そう言うお前はほんの五日前に大怪我負ったとは思えないじゃないか」

「もう治ったよ。三日も寝てたら飽きちまった。身体が(なま)るしよ」

「クライフったら、医務室で身体鍛え出したから追い出されたのよ」

「――私の周りは脳筋ばかりなのか」

「ああ?」


 ヴィルトールはこっちの話だと言って笑い、それから久し振りの自分の執務机に近付くと、その上に手を置いた。


「本当に久し振りだ――綺麗にしてくれてたんだね、有難う」


 艶やかな赤味がかった木の天板には埃はなく、片隅の布張りの箱の中に丁寧に書類が積まれている。


「フレイザーが毎日掃除してた。俺もたまに手伝った」

「そうか。有難う、フレイザー」

「どう致しまして」

「俺もたまに手伝った」

「有難うフレイザー」

「どう致しまして」

「懐かし過ぎる」


 クライフが顔をしかめる。

 三人は誰からともなく、室内を見回した。


 広い執務室内には執務机が六台置かれている。今日まで半年間、その内の四台はほぼ座る者の無い状態だった。

 三台目がヴィルトールの帰還で主人を得て、空席は三台。

 グランスレイは総将代理として王城へ詰め、時折戻るくらいだ。

 ロットバルトの席だった一つは空席のまま、その机をどうするかはまだ決めていない。


 レオアリスの執務机は、先日主人が戻ったと喜んだのも束の間、数えるほどしかここに座っていなかった。

 広い窓を背に置かれているレオアリスの執務机を見つめ、その瞳をフレイザーはヴィルトールへと向けた。


「ヴィルトール」


 今、ヴィルトールがここに戻ったこと、目の前にいることにほっとする。


「もう聞いたかもしれないけど、上将のこと、話しておく。まだとても不安定だから――体調だけじゃなくて」


 クライフはフレイザーをちらりと見て、「座って話そうぜ」と、二人に長椅子へ座るよう促した。

 フレイザーはヴィルトールと向かい合って腰掛け、傍らにクライフも腰掛けるのを待って、続けた。

 ヴィルトールが王都にいなかった間のことだ。


 不可侵条約が破棄されたあの時、レオアリスの右の剣が砕け、失われたこと。その後の三日間と、『幽閉』という名目のもとに、半年もの間眠り続けたこと。


 そしてつい五日前の風竜戦と、その際の負傷。

 負傷と一言で済ませていいものではなかった。剣士としての回復力を持ちながら、その回復を上回る傷を負い、命を落としかけた。


 それが何に根付いているのか――フレイザーはこう思っている。


「上将は、自分があの時陛下のお側になかったこと――お守りできなかったことを、まだ納得し切れていないと思うわ。それが戦い方にも表れている」

「それは私も、そう思うよ。さっき上将と話をしてて、特にね。それに陛下のことは、上将にとってそんなに簡単に割り切れるものじゃないだろうし」

「だから少し、西海との和平の話を進めるのは早いんじゃないかと、思う。少なくとも、上将に西海との和平を今、飲み込んで欲しいというのは――あなたもロットバルトも、少し」


 どう表現することが一番自分の感じている漠然とした懸念に近いのか、フレイザーは言葉を探し切れずに口を噤んだ。


「和平を進めるべきじゃ無いとか、そう言ってるんじゃあなくて」


 ヴィルトールが膝の上に手を組み、やや身を乗り出す。


「うん――それも解る。ただ、国としては前を向かなきゃならない。これは必須だ。上将だけじゃなくて、ファルシオン殿下も、イリヤも――彼等だけじゃなく、私達皆が、過去ではなくこれからの国の平穏に向けて手探りで進まなきゃいけない。問題は、それが思いの外早く進展するだろうということだね」

「なら」

「だから、君はその立場でいて欲しいんだ。君とクライフは」

「――」


 しばらくヴィルトールの瞳を見つめ、フレイザーは息を吐いた。


「分かったわ。――貴方にばかり重い役割を負わせて、申し訳ないと思ってる」

「そんなことはないよ。私も七割くらい他人任せだしね」





 フレイザーの不安は形の無いぼんやりとしたものだった。

 それがどんな状況に対して――具体的には、レオアリスがどんな状況に置かれた場合に対する不安なのか、それがこの時点では見えていなかった。


 今は西海との戦いが最終局面に向かおうとしており、そしてその先に国内の復興、治安や財政の回復という明確な目標へ目が向いているからこそ、これまで背後に刻まれてきた影は見えにくくなっていた。



 けれど、剣を回復する眠りにつく直前、あの晩のレオアリスの絞り出すような言葉を――

 どうして王は自分を、イスへ伴ってはくれなかったのか、と。


 それをフレイザーはすぐ側にあり聞いていた。

 さきほどヴィルトールの話を黙って聞いていたレオアリスを見ている間、知らず、フレイザーはあの晩を思い出していた。



『――お前の意志がその程度なら、お前はただイスで自己満足した挙句死ぬだけだったな』


 そう言ったのはトゥレスだ。



『お前の言う通りだ――』


 トゥレスの投げ掛けに対し、押し出された、掠れた響き。


 それで良かった、と。



『俺は、それで良かったんだ』










「ヴェルナー侯爵、ありがとう」


 居城の居間に戻り、ファルシオンは小さな胸を大きく動かし、息を吐いた。

 美しい丸い天板の卓を挟んで座っているのはロットバルトで、室内には二人だけだ。


「いえ。この結果の為とは言え、お心を痛める手段を用いたことを、改めてお詫び致します」


 イリヤをヴェルナーの縁戚としたこと、(すなわ)ちイリヤとファルシオンとの繋がりを明らかに絶ったことに対し、ロットバルトはそう詫びた。

 ファルシオンが首を振る。


「そんなことない。ヴェルナーには、きけんなことだったと思う。それに私にとってはずっと――、兄上が兄上であることは変わらないから」


 ごく小さく呟くような声だったが、ロットバルトが慎重に瞳を細める。


「だいじょうぶ」


 もう口にはしない。しないでいられる。

 イリヤがこの先も生きていられるのなら。

 ロットバルトは束の間ファルシオンを見つめ、そこにはまだ幼いファルシオンがこれほどに自らを律しなければならない立場にあることを憂う色が確かにあったが、口には出さず頷いた。


「この先西海との和平が成り、戦乱が終結すれば、現在の罪科も更に見直されると考えております」


 ボードヴィルでの一連の行動、役割が他者に強制的に与えられた結果だったとしても、イリヤ自身がそこにあったことに対する罪を消す訳にはいかない。けれど西海との和平が成れば、和平に道筋を作った点は、大きく減罪に値するはずだ。


「うん」

「十四侯の協議は五刻から始まります。既に先日までの協議で終戦とその後への視点は形成されております。先ほどの大公のお言葉をもとに、具体的な方策が整うでしょう」


 ファルシオンはもう一度深く頷き、黄金の瞳を陽光の満ちた窓の外へ向けた。






 ロットバルトはファルシオンの前を辞し、居城を出ると王城五階の廊下に足を止めた。

 南に面した廊下は、午後二刻の陽の光が眩しいばかりに満ちている。

 先ほどファルシオンがしたように、窓の外へ双眸を向ける。


 ファルシオンは西海との戦いの終結に向け、前を向こうとしている。

 ただそれも、父王を失った悲しみから逃れられたからではないだろう。


(そもそも、陛下の生死は明確には確認していない。誰一人、それを直接目にしてはいない。ただ情報や状況から推測し、そして誰もが言葉にするのを避けながら、暗黙の了解になっているだけだ)


 アレウス国はまだ、王の安否を公言してはいない。

 国内の混乱を防ぐ意図もあったが、自らがそう口にすることを恐れているからでもあった。


(だが西海穏健派との和平、そしてイスとの最終的な戦いに向かう中で、そこと必ず向き合う瞬間が出てくる)


 それがどのような形でもたらされ、どう受け止めるのか。


 ファルシオンは。

 そしてレオアリスは。







 十四侯の協議の結果、西海穏健派との会談の日程は、迅速に決定した。


 日は二日後、十一月十七日。

 時刻は午後一刻。

 場所は王都――



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