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第7章『輝く青』(12)

 

 翌十五日、午後一刻、ボードヴィル謀反の首謀者の一人イリヤ・ハインツに係る判決の為の法廷が、昨日と同じ大法廷で開かれた。


 五人の裁判官、原告席の五人の司法官、そして被告席にイリヤ・ハインツ。

 取り巻く関係者席、傍聴席からの視線が、この場に集中している。


 昨日の審理の結果が、どう判決に繋がるのか。

 イリヤ・ハインツの行動は自らの意思によるものではなかった。ならば減刑されて然るべきではないか。

 いや、それでも国家騒乱罪、王家への謀反の罪は、到底減じられるものではないのではないか。

 いずれへと天秤が傾くのか、もうあと半刻後には明らかになっている。



 ファルシオンは裁判官席後方二階から、法廷とを隔てる薄い布の向こうの、兄の姿を見つめた。


(兄上――)


 すぐそこにいる兄を、面と向かってはそう呼べなかったとしても、イリヤがこの先もファルシオンの兄であることは何も変わらない。


 ファルシオンはこの国の王子として、王太子として、今、ファルシオンに与えられた国王代理という立場として、自らの肉親への想いよりもまず、国と国民を想い行動しなくてはならない。

 その責務をファルシオンは負っている。その責務を果たす。

 だから。


(兄上が――)


 どうか、彼がこれからも生きることを認めて欲しい。

 ボードヴィルの騒乱の中で亡くなった兵士達がいる。

 とても勝手なことを言っていると、わかっているけれど。


 二つの小さな手をぎゅっと握り合わせた。




 裁判長は法廷内を見渡した。


「本刻までに評議を行い、一定の方向性を確認した」


 静まり返った法廷に淡々とした声だけが流れる。


 原告、被告、証人の意見に基づき、裁判官が非公開での評議を行い、判決内容を固める。

 改めて開かれる結審の法廷で裁判長が判決を言い渡せば、その時点で罪状及び刑罰は確定し、この法廷は閉じられる。


 人々の視線が集まる。


「その方向性について、冒頭で述べる」


 法廷内が息を潜め、次の言葉を待っている。

 傍らの裁判官が手元の書類を開き、裁判長へ手渡す。

 裁判長は書面を胸の前に広げた。


「この度の西方ボードヴィルにおける、ミオスティリヤ――即ち被告人イリヤ・ハインツを王太子と偽り旗印に掲げた上での一連の計画、そして行為は、国内の騒乱を生み、また王家に弓を引くものであったことは否定の余地がない」


 法廷の三階まで貫く空間を満たす空気が、冷たく肌に触れるように思える静寂。


「コーネリアス・ヒースウッドの檄文に表わされる通り、王太子名を振り翳し、自らを国家の代表の如く振る舞い、周辺の兵力、及び人心をボードヴィルに集中させようと図ったこと、これも否定の余地はない」


 更に続く。


「そしてまた、元西方公ルシファー、及びヒースウッド伯爵家が中心となり画策しボードヴィルで起こされた行動、その中心に本法廷の被告人であるイリヤ・ハインツがいたこと。これもまた、否定の余地はない」


 裁判長の手にする書類は一枚のみだ。判決内容はさほど長くはないように見えた。


「よって、本案件に係る罪状は、原告の主張する通り国家騒乱罪及び王家に対する反逆罪、並びに第二王妃の遺児という身分詐称及び王太子僭称による罪となる。ただし、昨日の審理における一連の証言に基づき、身分詐称及び王太子僭称は本人の意思とは無関係に行われたものと認められる。よって被告人イリヤ・ハインツに対する量刑から、身分詐称及び王太子僭称の罪は除外する」


 傍聴席、そして関係者席で人々の頭が揺れる。

 次が、判決。


「当該罪状に対する被告人の量刑は、第一級犯罪人としてこれもまた原告の主張する通り、死罪が相当する」


 一瞬、全ての音が消える。


 ファルシオンは堪らず、立ち上がった。

 駆け出していって、イリヤを助けてほしいと叫びたい。

 スランザールがファルシオンを抱きとめる。


「殿下」

「でも」





 レオアリスは唇を引き結び、視線を法廷へ落とした。

 イリヤはまっすぐに顔を上げている。


 及ばなかったのかと、重苦しく苦い思いが競り上がりかけ、ふとそれを飲み込む。

 視線にとらえたロットバルトは関係者席の椅子に腰掛けたまま、表情を変えていない。

 あれだけの証言を持ってしても減刑は難しいと、そう考えていたからか。


「――そうじゃない」


 昨夜、『もう一つ加えるべき要素がある』と、そう言った。


(もう一つ――?)


 昨夜は明確には言わなかったが、昨日、まだ示していないものがあるとしたら――あの時点で全ての手札を開いていないとしたら、それは。

 イリヤが王家の血筋ではなく、イリヤ自身に今回の謀反の意思がなかったこと以外の手札。





「しかしながら――」


 裁判長の声が再び、法廷内の意識を一点に集中させた。


「昨日、本法廷に於いてなされた証言は、他の罪状についても一定の考慮に値するものと考える」


 緊張に満ちていた人々に、ややその緊張を緩めた空気が流れた。

 そこに含まれているのは確かに、イリヤ・ハインツへの刑にまだ考慮の余地があることへの安堵だ。


 裁判長は人々の反応を慎重に確認しながら法廷内を見渡し、新たな書面を取り上げた。

 次の言葉は、安堵よりも意外さと戸惑いを人々の中に生じさせた。


「判決については再度、原告側、被告人、証人に意見を求め、その上で判決の宣告を行うものとする。ただし意見を求める内容は昨日本法廷に示された事項にではなく、新たな事項に対してである」

「新たな事項――?」


 騒めきが法廷内を満たし、すぐに消える。

 判決直前にもう一度、この場で意見を求めようとしていること――それが新たな事項に対してであることへの驚き、興味。


「新たな事項の一つは、投降したボードヴィル兵士達から提出された、助命嘆願書についてである」


 法廷内の百名を超える人々は一斉にどよめいたが、誰より驚いて瞳を見開いたのは、イリヤ自身だ。

 その中で裁判長は粛然と、書面を読み上げる


「投降した千名弱の兵士達の内、既に取り調べの終わった八割近くが被告人のボードヴィルでの兵への接し方、また度重なる西海軍との戦いにおいて兵士達を鼓舞し、時にその命を救ったこと。常にボードヴィルと、兵及び住民達のことを考えていたことについて触れ、そして半数強がイリヤ・ハインツの助命嘆願を申し出ている」

「助命嘆願――」


 ロットバルトは振り返り、昨日と同じく関係者席後方に座るワッツを確認した。ワッツもまた驚いた様子で首を振る。

 ワッツが関わっていなければ、助命嘆願の情報は現在ボードヴィルの処理を行っている現地の西方軍からもたらされたものだろう。

 視線を裁判官席へ戻す。


「嘆願の代表者は元正規軍西方第七大隊中軍少将、エーリヒ・ソロー。嘆願者は昨日の時点で百二十五名」


 裁判長はまず原告席へ顔を向けた。


「これに関し、原告に意見はあるか」


 主席司法官は原告席で束の間言葉を交わした後、立ち上がった。


「兵士達の個々の考えの集積であると捉えます。それ以外はございません」

「被告人は」


 イリヤは見開いた瞳のまま、首を振った。


「私に、意見を述べる資格はありません。ただ、彼等に謝罪と、感謝を、お伝え頂ければ」


 頷き、その面を関係者席に向ける。


「証人を代表して、ヴェルナー侯爵にはご意見はおありですか」


 ロットバルトが関係者席で立ち上がる。


「私の意見は昨日申し述べさせて頂いた通りです。今回の兵士達の嘆願は、その一端の裏付け及び、私共の嘆願の後押しとなるものと考えます」


 裁判長は目礼し、書類を机に下ろす。


「それでは、元ボードヴィル兵士達によるこの助命嘆願は、量刑において考慮に値するものと認める」


 それまで立ち尽くしていたファルシオンは、傍のスランザールを見上げ、スランザールが頷いたのを見て、崩れるように椅子に身体を落とした。

 深く、息を吐く。


「次の事項に移るが、その前に一つ私見を付け加えれば――」


 そう言い置いて、裁判長はイリヤを改めて見つめた。

 イリヤが裁判長へ、視線を上げる。


「コーネリアス・ノートン・ヒースウッド中将の名誉の為に付け加えれば、昨日原告側が読み上げたあの檄文――彼は確かに、あれを真実の想いから(したた)めたのだと考えます。内容や手法、方向はどうであれ、その想いに限っては敬意に値するでしょう」


 イリヤはヒースウッドの無骨さと、どこか少年っぽさを残したような面差しを脳裏に浮かべ、一度、瞳を閉じた。


「続いて、もう一点、量刑において考慮に加えるべきことがある」


 再び裁判長の声が法廷に流れる。


「本内容については、ボードヴィルの騒乱の中で副次的に発生したものであることを(あらかじ)め示しておくと共に、本内容が量刑において少なからず影響を及ぼすことから評議のみでの判断が困難であったこと、これにより本法廷の場において明示することが相応しいと考えたものであることを前提として述べる」


 かなり慎重な物言いだ。

 そしてまた、と続く。


「本内容は法廷の職務範囲を超えているものであることも、予め述べておく」


 傍聴席や関係者席で、裁判長が何をこの場に示そうとしているのか、囁き交わす声が波のように広がる。

 レオアリスは何が示されようとしているのか、想像ができた。


 裁判長の言葉、そしてその中でロットバルトが視線を自分に投げたからではあるが、この裁判――イリヤにもたらされるだろう判決からイリヤを救おうとしていた、当初の手法と論理はそこを中心にしていたからだ。


 ロットバルトがまた法廷へ立つのかと思ったが、裁判長が呼び入れたのは異なる人物だった。


「まず、内政官房長官、エルハルト・ラウレンス・ベール公爵、法廷へお入りください」


 一瞬収まっていた囁きは、今度は大きなうねりとなって法廷内に反響した。


「ベール大公?」

「何と」


 法廷中央の扉が開き、ベールが歩み入る。

 どよめきの中、扉はまだ開いたままだ。

 続いて、裁判長はもう一人の名を呼んだ。


「近衛師団第一大隊右軍中将、アーネスト・ヴィルトール中将、法廷へお入りください」


 レオアリスは驚いて身を乗り出した。

 ベールの後に入ったのは、確かにヴィルトールだ。


「ヴィルトール――!」


 フレイザーはレオアリスを支える手を忘れず、だが同じく驚きに瞳を見開き、ベールと共に法廷に入ったヴィルトールを見つめた。


「いつ――」


 西海から。


 湧き上がる安堵の中で、今動かそうとしているものが何か、それが確信に変わる。


 ベールは証言台ではなく裁判官席の前へ歩み入ると、振り返り法廷全体を見渡した。

 驚き交わされていた声が拭い去られたように消える。


「私が今、ここに立ち話すことはこの法廷の判決内容に及ぶことであり、また、国家そのものに及ぶことでもある」


 ベールは言葉を飾らず、続けた。


「七か月に渡って続いている西海との戦乱を、収束に向かわせる為の一つの手段――西海との和平に関する事柄の一端を、被告人であるイリヤ・ハインツが担っている」

「和平――?」

「大公は、西海との和平と仰ったのか」


 驚きの眼差しの中、ベールはヴィルトールへ発言を促した。

 ヴィルトールが一歩進み出て、イリヤと視線を合わせ、その眼差しに僅かに笑う。


「私は、既に明らかにされている通り、四月半ばからのおよそ六か月の間ボードヴィルに身を置いていました。『王太子』の立場を補強する為の素材としてでしたが、その中で偶然に得たものがあります。それが今、大公が仰られた、西海との和平に関するもの――」


 一度、深呼吸に肩を上下させる。


「西海の穏健派と称する派閥との、面識です。彼等は、その死が大戦勃発の契機となった西海の皇太子、彼の理念を掲げる一派であり、その理念を現在も継ぐ者でもあります。即ち、西海国内の平穏を理念とする者達です。恐らく今、西海との間に和平の方向性を考えようとするのであれば、その相手は彼等以外にはないと考えます」


 西海の穏健派は皇太子とルシファーとの繋がりを頼りにボードヴィルのルシファーを訪ねた際、イリヤと面識を得たのだと、ヴィルトールは説明した。


「イリヤ・ハインツは、その際、こう彼等に伝えています。『自分の立場でできることはないが、穏健派が真実西海の平和を望むのであれば、二国間の戦いをどうにか止めたい』、と」


 ヴィルトールはボードヴィル平定直前、内部の混乱で捕縛されかけたところを西海穏健派によってボードヴィルから離れ、つい昨日この王都に戻ることができた。


「彼等は現在、明確に和平の意思を持っています。イリヤ・ハインツ――彼が和平の橋渡しをしてみせることを求め、彼の立場でそれができるのであれば、我が国が真実、和平の意思があると信じることができると、そう求めているところです」


 ヴィルトールは言葉を切り、元いた場所へ一歩退がった。

 再びベールへ場が戻る。


「和平については先ほど裁判長も述べられた通り、法廷の職務範囲ではなく、国家として改めて、王太子殿下のもと十四侯の協議の場で議論の上判断するものとなる。ただしこれまでの十四侯の協議の中でも、既に和平案は議論されてきた。和平は有効な手段であり、和平を進めるに於いては、アレウス国の主導のもと、国王代理、王太子ファルシオン殿下の御名により進めていくことが適切であると考えている」


 ベールが言葉を終えた後、法廷内は次の展開を待って、息を潜めた。


 裁判長はベールへ臨席の礼を述べ、裁判官席の中で姿勢を正した。

 他の四人の裁判官達、そして原告席の司法官達も身を正す。


「判決を宣告する」


 裁判が始まってから、二日。

 掛けられた公の時間は合わせて四刻ほどでしかないが、審理すべき内容は明らかになり、そしてその流れも明確に法廷に示された。


「被告人イリヤ・ハインツに対しては、元西方公及びヒースウッド伯爵家と共謀した王家への謀反の罪、及び国家騒乱罪。この二点により死罪が相当である。しかしながら、被告人がボードヴィルに於いて主張していた第二王妃の遺児は事実ではなく、本人の意思とは関係なく周囲に強制的にその立場を仕立てられたこと、また元兵士達の嘆願を考慮した結果、減刑するに値する。よって被告人への刑は第一級監獄塔への投獄、無期限の幽閉、これが相当である」


 更に、と続く。


「被告人が西海との和平に向けた一定の役割を担っていること、和平は国政の重要事項であることに鑑み、前述の刑の一部を留保することが適切であることから、最終的な刑として第一級監獄塔への投獄、幽閉を申し渡す」


 誰も身動ぎ一つせず、法廷を見つめている。

 裁判官席へ向けられるそれらの視線はいずれも、最後の言葉を待つものだ。


 レオアリスは二階の席で、椅子に深く身を預け、肺に溜めていた息を吐いた。

 これで、ひとまずは、終わりだ。


「これを以って、本法廷は閉廷とする」


 宣言は、しんと静まった法廷内に、ゆっくりと降りた。





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